日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年1月11日水曜日

◆「能力の高い選手が奇跡のようにそろった」 雪の決勝、高校サッカー史上最強軍団が証明した「個の力」(西日本スポーツ)






 サッカーの全国高校選手権は岡山学芸館が東山(京都)を破り、初優勝を飾った。同選手権でサッカーファンに語り継がれる決勝がある。1998年1月8日。真っ白な国立競技場のピッチで東福岡が帝京(東京A)と死闘を演じ、東福岡が2-1で競り勝って優勝した「雪の決勝」だ。


 97年度の東福岡は歴代最強の高校生チームとの呼び声が高い。華麗なドリブルを武器に鹿島に加入した本山雅志は、後に日本代表としても活躍。さらに横浜M入りした古賀誠史、2年生の宮原裕司、千代反田充、金古聖司ら各ポジションに逸材がそろった。

 その年は全国高校総体の決勝で帝京に4-3と苦しみながらも勝利を収めると、全日本ユース選手権(現高円宮杯U-18プレミアリーグ)も制覇。高校選手権で史上初の3冠を目指した。

 3回戦で国見(長崎)を2-0で退け、準決勝は丸岡(福井)に3-1で逆転勝ち。「後半に先制されて焦ったけど、いつか入るだろうなという感じでした」。金古聖司さん(42)が25年前の記憶を鮮明に語るほど、チームは自信がみなぎっていた。丸岡戦は大会初失点となる先制点を許したが、金古さんの大会5ゴール目で後半16分に同点にすると、立て続けに2点を挙げた。

 決勝の帝京戦。朝から雪が降り続いていたわけではなかった。「ウオーミングアップをしていたら、どんどん雪が降ってきて」。滑るピッチ、転がらないボール。グラウンダーのパスを通すたび、真っ白なピッチにボールが通った跡ができるコンディションでも東福岡のサッカーは捨てなかった。システムは4バックから3バックに変更し、守備は固めたものの、ボールをつなぐスタイルを貫き続けた。

 鹿島で本山のチームメートになる中田浩二がキャプテンマークを巻く帝京はロングボールを主体に攻めた。前半、中田がゴール前へ大きく蹴ったボールを頭で押し込まれて先制を許した。

 「帝京にしてやられた感じはありましたね」。それでも直後に追い付くと、代名詞の4-1-4-1に立ち位置を変え、本来の戦いを取り戻した。後半5分、本山が中央にドリブルで切れ込む。右アウトサイドで蹴った絶妙なラストパスから青柳が決勝ゴール。当時の西日本スポーツには「青柳が走り込んでくるのが見えた」と本山のコメントをつけ、高度な技術を心憎いまでに簡単にやってのけたと記した。

 「あんなピッチの状態でもヒガシのサッカーができたのが強さ。それだけ練習でも徹底されていたし、能力の高い選手たちが奇跡のようにそろっていた」。そう話す金古さんは、中学2年時に地元の三潴(福岡)への進学を決めかけていたが、福岡県選抜で一緒だった宮原に誘われて進路を変更した経緯があった。

 雪の決勝のわずか4日後、新チームは九州新人大会福岡県予選で筑陽学園に敗れて、先輩たちから引き継いだ公式戦の連勝記録を52で止めた。「志波監督から記者も少なくなるし、(重圧がなくなって)良かったと励まされました」。98年度は全国高校総体、全日本ユース選手権の連覇を逃したが、今度は快晴となった国立の決勝で再び帝京を4-2で破り、2連覇を達成した。

 「あの金古さんですかって今でも言っていただけるんです。東福岡に行かなかったら、今の自分はないでしょうね」。後に鹿島、福岡などでプレーし、現在は代理人業などサッカービジネスに携わる。「東福岡の金古」が“名刺”の一つになっている。(向吉三郎)

 1998年1月9日 1面は「三冠」の文字に雪を乗せた凝った見出し。「真っ白な国立のステージでMF本山がひざまずき、高々と両手を挙げてこぶしを握り締めた」と書き出された。2面には「雪の決勝」の舞台裏も。「この日、東京地方には二年ぶりの大雪警報が発表され、視界が悪いため競技場の照明灯も点灯された」「ゲームでは黄色の蛍光色のボールを使用。ハーフタイムには大会役員と補助役員の高校生ら約百五十人が総出で雪かき作業を行った」と記されている。




◆「能力の高い選手が奇跡のようにそろった」 雪の決勝、高校サッカー史上最強軍団が証明した「個の力」(西日本スポーツ)





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