椎本チーフスカウトの”獲得した”、あるいは"獲得出来なかった"選手に対するコメントを抜粋して紹介します。
中田『まず、そうですね…今日は綺世が出てるので、綺世の話から』
椎本『(綺世は)ノルテから昇格が出来なく…誰だ!昇格させなかったのは(笑)』
中田『まぁ、それは置いといて…で、鹿島学園に行き』
椎本『で、法政大学』
中田『鹿島学園の時の綺世は椎さん、知ってたんですよね?』
椎本『そんなに注目して観ていたわけでは無いけど、高校選手権とか出てましたからね、で、大学の時に1年からちょこちょこ試合に出てて、点を獲ってたから目についたね…もう少しスマートだったと思うんだけど(笑)』
中田『この選手は欲しかったっていう選手はいますか?』
椎本『いますよー、振られた選手…一番はねアーセナル行った宮市よ。ベンゲルに負けたもん、悔しかったわ』
中田『言い方悪いけど、どこの人かわからない椎さんとベンゲルですよ、そりゃ負けますよ(笑)』
椎本『そうかな?そうか…でもね、彼、凄くいい子で、わざわざ断りに鹿島まで来てくれたの。電話でいついつ空いてますか、行きますって言って。そんなのわざわざ来なくて良いって言ったんだけど、手土産持って「僕、海外でやりたいんですみません」って。だから日本でやるんだったらウチだったの。だから今でも気になって見てるけどね』
椎本『あいつはかわいい選手だったよ、男気ある選手。慎三はサッカー上手かった、っていうか本当にストロングポイントがはっきりしてた。スピードがあって、もちろんボール扱うのが上手かったしね。凄い無理のきく選手だった。ドリブルしてスピードでなんかホント、漫画じゃないけど直角的に曲がってく感じだったもんね』
中田『多分今の(ファンの)人たちは慎三がそういうプレーヤーって言うよりも周りを活かすとか、キープするとかっていうイメージがあるけど、入ってきた時はドリブラーでしたからね、スピード豊かな。』
椎本『良く言えば相手をぶっちぎってね』
中田『うん。そのイメージなんですよね、僕も』
椎本『今は何かもう、サッカーを覚えて…腹も出たのかも知れないけど(笑)、動かなくなって…うまくなったよね、点獲る感覚なんかも』
中田『サッカーをちゃんと学んでるっていう感じで』
椎本『それはね、鹿島にいた時の先輩達じゃないかな、と思うよ。やっぱり選手が育つのは環境だよ。いくら良い選手が入ってきても、周りの環境、周りの先輩たちとか、あとスタッフ』
中田『そういう意味ではヤナギさんとかに動き出しとか教えてもらっただろうし、マルキと一緒にね』
椎本『ツートップで組んで』
中田『で、また大迫っていう選手が入ってきて、刺激を受けたのか』
椎本『刺激っていうか、ライバルがいないとね』
中田『篤人の話し…みんな楽しみにしてるじゃないですか』
椎本『篤人のお話しって…何があるかな?』
中田『篤人を実際に目にしたのは?』
椎本『あのね、あいつ…彼…あいつって言ったら怒られちゃうな、すいません!…彼を見たのは17の時にU17に早生まれで入ったんだよね。その時に3-5-2のワイドやってた。で、結構速い…篤人速いじゃない?』
中田『速いですね』
椎本『まず目について速い、それと、結構キック上手かったんじゃないかな。そういう印象。で、アップダウン出来るし。で、その時うちサイドバックが名良橋。ナラがやってたんだけど、ケガとかで、もうそろそろ後釜をスカウトしなきゃいけないって、それで決めたのが篤人』
中田『なるほど。もう、すぐって感じだったんですか』
椎本『うん、すぐもう。すぐもう決めた。正式にオファーを学校の先生に』
(ここで上田の先制点が入り、しばらく試合に戻りました)
椎本『それで、もうサイドバックだったら篤人だって。一応、こういう選手に声をかけますからって言って、オッケーもらって、正式にオファーをさせてもらいました』
中田『1年目からあんなに活躍すると思ってました?』
椎本『いやいや、もう…おれ本人にも、先生にも、両親にも「3年目くらいに試合に出てきてくれれば良いと。その間にしっかり体を作って」って事を話ししたのを覚えてる。だって篤人細かったでしょ?ホント、もやしだったじゃん(笑)』
中田『篤人入った時、僕いなかったんですよ、海外行ってたんで。』
椎本『そうか!どこだっけ?インドネシア?タイだっけ?』
中田『いやいや、フランスです(笑)』
椎本『あーフランスか(笑)』
中田『だから入って来た時は知らないんですけど、試合とかはチェックしてたのですごい選手が…』
椎本『だってまさか…ホントだって開幕だよ!春の合宿でアウトゥオリが満さんに使うって言ったみたい。で、それ聞いて「え?」って。で高校の監督さんに連絡して「開幕出ます」って。自分嘘ついたみたいだよな、3年我慢してくださいって(笑)』
中田『確かに(笑)』
中田『篤人って競合はあったんですか?』
椎本『あったあった、結構来てたんじゃないかな?』
(この後本山、小笠原、中田の競合の話が数分)
椎本『篤人は、最後は鹿島と新潟だったの。(新潟は)あの時反町が監督やってたんで、清水東の先輩で、色々そういうアレがあったんじゃない?…で、1回練習参加させてくれって来たじゃない?』
中田『そうなんですか?』
椎本『あ、来たんだよ、ごめんごめん。…夏休み、1泊2日で来たのかな、で、親御さんも一緒に来て、その帰りに決めたみたい。新潟にもその前に練習に行ったりしてたみたいだけど。で、その時ね、リーグ戦最中だったんでAチームは調整だからBチームに入ってやってて、そこにたまたま出場停止で小笠原満男がいたの。今言うじゃん、彼が一番怖かったって(笑)。でもそれが良かった。お客さんみたいに扱うよりさ、そのままを見て欲しいしね』
中田『満男は…声かけたの早かったですよね?』
椎本『そうかな?いや、浩二より後だよ』
中田『そうなんですか?満男は2年の時から来てた…』
椎本『来てた、ケガをして、監督さんと住金時代からお付き合いがあったので、2年の時、選手権終わって新チームになってドリブルの練習してて、ボールの上に乗っかって足首折ったって言う…(笑)。それでうちに1〜2週間リハビリ来てて、ちょうどその時に満男のところの恩師の教え子がうちにトレーナーでいて、ずっと面倒見てて、彼が口説いたんじゃない?』
中田『そういうところの繋がりもあったんですね』
椎本『人との繋がりじゃん、これは』
中田『僕らの代では満男が決めるのが結構遅くて、モトが早かった』
椎本『え?そうか?いや、君でしょ早かったの!』
中田『俺は早かったです。でも俺の前にモトが決めてた』
椎本『違うよー』
中田『一番早かったのは(山口)武士でしょ?』
椎本『武士…あー武士いたねー。』
中田『岳は早かったじゃないですか』
椎本『早かったね。2年生の選手権が終わってから、1月の終わり。あの時準優勝したのかな。で、新チームになって1月の末かな、青森山田の名将黒田監督から電話がありまして、「鹿島にお世話になります」って。ホントびっくり!だって初めてだったんですよこんな早く…』
中田『大体3年のインターハイ終わりとかですよね』
椎本『今は早いけど、それがきっかけで早くなったんだもん。今は当たり前に早く決めちゃってるけど、「椎本さんところが悪いんですよ、こんな早く決めたから」って…いや、決めたの選手だからって!(笑)』
椎本『自分も「え?本当に良いの?」って感じだったの』
中田『でも、嬉しかったんじゃないですか?』
椎本『嬉しかった。でもね、岳はやっぱ2つに別れてたよね、評価が。僕なんかは技術がしっかりしてるし絶対この選手って決めてたけど…中3から有名だったの。中3でプリンスリーグ出てたから』
中田『高校生の試合に』
椎本『そう、附属中学だから出れるんだよね。で、多分中3で10番付けてたんじゃないかな?』
中田『へぇ、そうなんだ』
椎本『で、高2の終わりに決めてくれて…岳と初めて話した時に今までの高校生とは違う感じがした。どこが違うかって言ったら 、自分のサッカー人生の設計をしているな…じゃないけど、そんな感じ。だから、この子はもうサッカーを始めた頃から、プロになるために今は何をやらなければいけないって言うのをしっかり考えてるんじゃないかな?と思った』
中田『じゃあもう高校生と言うか大人…』
椎本『大人だった』
中田『浮ついたところとかもなく』
椎本『だからなんか「うわー」って思ったね。それに似てるなと思ったのがこの後話す安部裕葵』
(53′52″〜)
椎本『このはなしして良いのかな?…俺岳と大喧嘩したことあるんだよ』
椎本『このはなしして良いのかな?…俺岳と大喧嘩したことあるんだよ』
中田『え?そうなんですか?なんで?』
椎本『ある練習試合で…大学生と練習試合やってたのかな。で、たまたまサイドバックをやらされたんだよね、岳。それでその練習試合、良くなかったの。チームが全然バラバラって言うか、うまく出来なくて。で、試合が終わった後に岳がコーチに言いに行ったの「なんで僕にボランチやらしてくれないんですか」って。「勉強のためにもいろんなポジションやるけどずっとサイドバックをやらせるわけじゃない」って言ったけど全然納得出来てなくて、コーチに「椎本さんちょっと話ししてやってください」って言われて、ロッカー入る前にはなしをして…したらあいつなんて言ったと思う?今だから言うけど、「あのボランチじゃゲーム作れないですよ」』
中田『(笑)』
椎本『で、その時ボランチやってたのが代表候補の二人だったの(笑)』
中田『え?誰だ?』
椎本『名前言っても良いかな?』
中田『やめときましょうか…まぁ良いっすよ、大丈夫ですよ』
椎本『もう、一人は引退しているし…』
中田『(増田)誓志?』
椎本『そう。もうひとりは山形に行って…』
中田『ホンタク(本田拓也)?』
椎本『そう。あの二人じゃゲーム作れないじゃないですか!』
中田『(笑)』
椎本『まぁ練習試合だし、岳にも色々経験させて…って、したらもうあいつ泣きながら食ってかかって来て…こっちもカチンと来て胸倉掴んで、壁にドンってぶつけて「お前プロになって何ヶ月だ!」って…まぁそういうアレもあって』
中田『負けず嫌いな所ありますからね、岳は』
椎本『まぁ2〜3日経ったら全然普通に話し、あいつとしてたけど…自分を持ってたよねホントに』
中田『ボランチとしてのね』
椎本『そうそう、プライドじゃないけど…でもびっくりだよ、あの二人じゃゲーム作れないって』
中田『凄いっすね』
椎本『びっくりでしょ?』
中田『これはびっくりです、よく言ったなと思います』
椎本『目に涙浮かべて「なんで僕にやらしてくれないんですか」って感じで。でも後で思うと凄いなって思ったね。今スペインで頑張ってるし』
中田『バチはどうですか?』
椎本『梅鉢君?彼もね…プロになる前の話し。オファーする、誘う時の凄い話し(笑)何一人で思い出して笑ってんだって感じでしょ?』
中田『確かに(笑)』
椎本『彼は凄い頭の良い学校なんだよね。彼が2年生の時の選手権見てて、その時岳と準決勝やってるの』
中田『バチがPK外した試合?』
椎本『そうそうそう。彼ね3年の時も準々決勝で同じようにPK外してるから』
中田『(笑)』
椎本『それ(その試合)を見てて、このボランチよく走るし体も強いなと思って、3年の時も試合を見に行ったりしていて、岳がああいうタイプだから、もうひとり違うタイプ良いかな?って思って。で、どのくらい出来るかなと思って声かけさせてもらって。そこの学校の先生や監督を知らなくて、知ってる大阪の先生に紹介してもらって会いに行って、梅鉢くんを欲しいんですけどって言って、そしたら「わかりました、本人と両親にはなしをします」って言って。その1ヶ月後に電話がかかってきて、「椎本さん、学校に来てください」って。そしたら本人と両親がいて、はなしをさせてもらって。お父さんもお母さんも先生なの…大阪のおばちゃんって感じの(笑)怒られるな、こんな事言ったら(笑)』
中田『先生なのに?(笑)』
椎本『で、色々話しして、ウチのチームに来ていただけませんかと。そしたらお母さんになんて言われたと思う?…お父さんは黙ってるタイプなんだけど、お母さん「私はこの学校にプロのサッカー選手にするために入れたんじゃありません!」って怒られました。で、「すみません、わかりました。では家に帰って良く本人と話ししてください」って言ったら「良くはなしはしました!」って(笑)。で助け舟が学校の先生』
中田『お父さんじゃなくて?』
椎本『そう、先生。先生が本人に「おい、梅鉢、どうなんだお前は?」って。で本人が「挑戦したいです!」って。それで先生が「お母さん、お父さん、3年やってダメなら戻せばいいわ」って。もうお父さん、お母さんは先生に任せてるから「わかりました」って。で、チャンチャンで一件落着でした(笑)』
中田『へぇ、なるほど』
椎本『初めてだよ、あんなに怒られたの(笑)』
椎本『でも、あいつ変わってたよね?』
中田『変わってましたよね。良いものは持ってました。まだJ3…』
椎本『相模原で頑張ってるからね』
中田『僕、来週会いますけど』
椎本『ホントに?』
中田『今週末か、相模原の前座試合、ドリームマッチで』
椎本『よろしく言っといて』
中田『はい、会えれば』
椎本『ウチを出ていく時に、まだあいつサッカーやりたいって言って。引退する時とかここを出ていく時に家に連絡するの。親と先生にね。そしたらお母さん「もう辞めてもらいたい」と。いや、お母さん、本人はまだサッカーやりたいんでやらしてください。もし1年やって試合に出れなかったら僕が「もうやめろ」って言いますからって』
中田『そしたら意外とね、金沢でも出てて、今相模原でも出てますからね』
◆和泉竜司について(1°15′26″〜)
椎本『和泉君はね…』
中田『大学時代からかなり光ってた』
椎本『高校時代から活躍してたから、市船で。もともと四日市の子なんだよ。で四日市のクラブチームから市船行って、そこはフロンターレの旗手も出てるの。結構そこね、いいクラブだと思う。それで明治行って、多分1年の時から出てたんじゃないかな? どこでも出来る選手。大学4年になってオファーさせてもらったんだけど、まぁ振られて名古屋に行きまして。で名古屋で何年やったのかな?4年かな?』
中田『そんないましたかね?でも26〜7…』
椎本『だから4年なんだよね、多分。でちょっと情報が入って…今年で契約が切れて、出たいっていう気持ちもあったみたいで…で電話させてもらって』
中田『椎さんがちゃんと電話して…』
椎本『まぁその前に一番恩師になるクラブチームの監督さん、僕もたまたま知ってて電話して、「どうですかね?」って話をさせてもらって、本人にも電話して…少し経って決めてくれたんじゃないかな?』
中田『スカウトの時から見ている椎さんとしてはまだ物足りないと?』
椎本『物足りない、まだもっと出来る。自分でボールを持って…』
中田『仕掛けられる!』
椎本『そう』
中田『名古屋の時って結構、ウチとやった時も左サイドで』
椎本『仕掛けてたでしょ?』
中田『キレあるドリブルで奥までえぐってって言うイメージあったから、まだちょっと…(彼が)鹿島に来て初めて話しましたけど、優しいですね。なんか、見た感じはもっとこう…やんちゃチックに見えるんだけど…』
椎本『凄い真面目な子、見かけと違う。だからチームの事を考えて周りに合わせなきゃいけないって気持ちも多分あると思うんだよね。でも和泉はね、僕見てて戦術理解度が高いんじゃ無いかと思う。サッカーIQが高いと思うんだよね』
中田『だから使い勝手の良い選手になっちゃうから、そうじゃなくてもっと自分を出して…』
椎本『彼とたまに話をするんだけど、「もっと我を出せよ」って言うんだけどね』
◆昌子源について(1°29′06″〜)
中田『源もどちらかと言うと一本釣り的な…』
椎本『彼も無名だったじゃない?で、彼も2年の時のインターハイの1回戦…申し訳無いけど鳥取って強いチームとかピンと来ないじゃない?ちょうど茨城県代表の水戸商とやるんで、水戸商もそんなに強くないから1回戦見てやんないと…一応ね(笑)。応援に行ったの。そしたら相手が米子北。その時米子北は結果的には準優勝したの。で、何人か良い選手がいたの。そんなかの一人で、この選手はスピードあるし1対1も結構強かったし…ただヘディングしなかった。もうひとりのCBにヘディングさせて自分はフォローするっていうか、こぼれ球をひろう。でも良いなって思って覚えてて、高校3年になった時に何試合か見に行った。で、やっぱ良いわってなって声をかけて、もうウチしかなかったから。源のお父さんって大学サッカー部の監督やってて、その前に神戸の育成部長みたいのやっててプロの世界知ってたから、最初は賛成はしなかったよね』
中田『そうなんですね…』
椎本『やっぱ厳しい世界だって。もう一つは源のお父さんは大阪体育大学なの。監督も大阪体育大学出身』
中田『そうですね』
椎本『あ、浩二くんは本当は米子北も誘われて…皆さん知らないと思いますけど、浩二君は鳥取(出身)ですから(笑)』
中田『知ってますよ(笑)。だから北高は良く知ってて、声かけてもらったっていうのもあるし、今北高のコーチやってるのが僕の同級生ですから。中学校は違いましたけど、トレセンとかずっと一緒にやってた…』
椎本『だって、あの…鳥取三羽烏だったもんな。で、言ってたもん、米子北のその時監督やってて今総監督の城市さんが「本当は中田浩二が一番欲しかった」と。「彼は裏切って外に出ていきましたから(笑)」』
中田『(笑)』
椎本『で、監督さんも大阪体育大学だから、あの頃良い選手はみんな大阪体育大学に送ってたんだって。それでまた一つ話しがあるんですよ。源に声かけて…ある時携帯がなったの、で、出て…この番号知らないな…と思ってたらいきなり「椎本、4年待て」とか言われて…何を言ってるのかな?この人っ思って、誰かな?って、よくよく聞いてみたら大阪体育大学の監督さんで、僕も昔から世話になってる人で…「4年待て」って、あ、源のことか!って。先生すみません、もうオファーしました!って(笑)』
中田『源も本当に知られてないじゃないですか。その世代だと岳がいて選手権行ったバチとかの方が(有名)…宮市もその世代ですよね』
◆安部裕葵について(1°34′10″〜)
中田『一本釣りといえば裕葵ですよね?』
椎本『良く聞かれるんですよね。もう広島の先生方がびっくりしてた。「え?アントラーズ、あの選手をスカウトするの?」ってまず最初にそう思ったみたい。広島で飛び抜けた選手じゃなかったし…彼もインターハイで見たの。彼が3年の時ね、広島インターハイ。地元のインターハイ』
中田『で、出れたとか…(出場枠が増える為)』
椎本『彼はもともと東京じゃない? インターハイの時に、瀬戸内高校ってところで、サッカーが強いの知らなくて…』
中田『そうですね、広島でいえば皆実とかね』
椎本『そういう名前が出てくると思うんだよね。で(瀬戸内が)滝二とやるから見に行こうって思って、見に行って、瀬戸内は野球が強いっていうのは知ってたから、「あー野球は強いな、甲子園出てるしな」とか思いながら見に行ったら、裕葵がいて10番付けて。で、その時ケガ上がりでトップとかサイドに張ってて走らなくて…ボールが入るとやっぱり仕事してるのよ、ドリブルで行って。見てて10番良い選手だなって思って、緩急つけてドリブルするし…で2試合くらい見て、その時に同じポジションで声かけてた選手いたじゃん』
中田『誰?和泉?』
椎本『違う、違う。和泉大学生じゃん。高校生で…』
中田『誰ですか?』
椎本『一時代表とかずっと入ってたU-20とかの…』
中田『え?誰だ?』
椎本『うちにも練習来てた』
中田『全然わからないや』
椎本『岩崎(悠人)』
中田『あー岩崎ね、そうっすね。京都橘ね』
椎本『それで、岩崎に声かけてたから、(安部は)良い選手だなって思ってたけど、岩崎の答えが出てなかったから、インターハイが終わってから答えを出しますって、電話がかかってきて振られて…まぁそれはしょうがない、YESかNOしかないから…で、どうしようかな思ってたら満さんから「誰かいないのか?」って言われて「一人気になってる選手はいます」って、それが安部裕葵で。でも同じポジションだったから、自分としてはこっちがダメだったからこっちに行くっていうのは失礼だなと思ってて…昔からずっと思ってた事だから…でも、気になる選手だなと思って、一応瀬戸内高校の監督さんに話をしようと…でもその前に、瀬戸内高校の監督さんのこと全然知らなかったの。で、どうしようかなと思って、広島で知ってる人いるかなって考えて、あ、昔から知ってるやつがいて、サンフレッチェの強化部長やってるやつだって(笑)』中田『そこですか?(笑)そこはダメなんじゃないですか?』
椎本『いや、広島(の選手)だからサンフレッチェに断りを入れなきゃダメかなって言うのもあったの。それでサンフレッチェの強化部長昔から知ってるから話をして、「広島、行かないの?」って聞いたら「うちのスカウトは何も言ってないから…良い選手だと思うけど…椎さん興味あるんですか?」って聞かれたんで「興味あるんです」って言ったら「行って良いですよ、行ってください」って言われて。で「監督と面識無いんだ、知ってる?」って聞いたら、たまたまその人と仲良かったの。で「私がセッティングします」って言ってセッティングしてくれて』
中田『優しいんですね』
椎本『で、「はじめまして」、「オファーさせてください」と。でそこで…場所言って良いかな…焼き鳥で(笑)』
中田『そうなんですね、お好み焼き屋ではなく』
椎本『サッカー関係者が良く来る焼き鳥屋で、僕もよく知ってるんで…で、そこに、アレだよサンフレッチェの強化部長も来て、3人で話したの(笑)』
中田『(笑) へー、すげーなー』
椎本『みんなセッティングしてくれて、紹介してもらってさ、もうそこの場で広島の強化部長も「鹿島で決めちゃえ!」って、監督も「ええ、鹿島に行かせます」って…ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれと。いや本人はどうなの?って。「いや本人も大丈夫です」ってその場で電話してくれて、そしてうちに決まって…この話しも面白い話なの、後々から聞いた話だけど…本人はプロになりたいと、でも全然声がかからない、で、裕葵はもしプロになれなかったらサッカー辞めて大学、結構勉強も出来たから大学行くと、受験しますと。でもプロになりたいと。で、監督さんが「鹿島とかが来たら良いぞ」って言ってたんだって』
中田『鹿島からオファーが来たらってことね』
椎本『そうそう、そういう(大きな)オファーだったら行かせてやる(受けてもいい)って冗談で言ってたら本当にオファーしちゃって、「あ、来ちゃった」って感じだった(笑)』
中田『へぇ、そうなんですね』
椎本『だからすぐ、本人もいないところで勝手に「行きます」って。いやいや本人に聞いてくださいって(笑)。で、トントン拍子よ』
中田『裕葵の中学校の時の恩師が俺の後輩なんで』
椎本『そうそうそうそう、クラブチームのな。アレもともと帝京高校の前の監督さんが作ったんだよな』
中田『そうです。息子さんが作って、って言うので僕もそこから「お願いします」みたいなの来てたんで』
椎本『だから、縁があったってことだよね』
◆舩橋佑について(1°46′25″〜)
椎本『彼は本当ね、舩橋佑は今年入って本当に伸びた』
中田『ですね』
椎本『凄い伸びて…頭良い選手だと思う』
中田『ユースもね、もうひとりいてね。もともとはもうひとりいたんですけど、断然佑がね。満男がユースに関わって結構ずっと教えて、グッと上がりましたもんね』
椎本『いい刺激になったんじゃないかな?小笠原満男がいるし柳沢がいるし』
中田『ユースの環境としてはね』
椎本『抜群じゃないかな?』
中田『佑は本当に中盤ボランチでボールを上手くちらしながらゲーム作るタイプですよね。去年までは横パスが多かったですけど、今年縦とかが増えたので、それが凄く良くなりましたよね』
◆常本佳吾について(1°47′41″〜)
椎本『常本はね、今ずっと練習参加してますけど、スピードがある選手で…まぁマリノスのジュニアからユースまで…で本当は上がるアレだったみたいだけど、色々事情があって急に上がれなくなって、明治大学に行きまして。で明治大学でも2年からかな?レギュラーになって…』
中田『身体能力高いですよね』
椎本『はい』
中田『だからセンターバックもやったりするのかな』
椎本『3バックの真ん中やったりしてたのね3年の時は。でも本人はプロになるんだったら身長が無いからサイドバックやりたいと。もともとサイドバックだから。そういう選手ですね』
◆早川友基について(1°48′28″〜)
椎本『あともうひとり明治大学から』
中田『ゴールキーパー』
椎本『ゴールキーパー。これは大学の中でも3本の指に入るくらいだと思う。足元もうまい、右左蹴れる。全然普通に蹴れます。で、シュートストップも反応早いしね。ただね、一つね、彼に言ったの、一つだけあるんだよって。それは…「顔がキーパーらしく無いよ」って(笑)』
中田『なんですか、それ』
椎本『優しい顔してる。キーパーとかセンターバックはやっぱゴッツくなきゃだめだって言ったの。見ろ、曽ヶ端とか岩政とか秋田とかって。そしたら「いや、でも椎本さん…それ言われても困ります」って。まぁ確かにそうだな(笑)、って冗談でね、話ししてて』
◆林尚輝について(1°49′24″〜)
椎本『珍しく関西の大阪体育大学から』
中田『珍しくと言っても、(山口)一真の印象が強いから…』
椎本『あー、それは…ありますね(笑)』
中田『(笑) 一真の印象が強いから…阪南大のね』
椎本『(今回は)大阪体育大学。 彼は勉強が出来て、勉強で奨学金もらってるの。成績1〜2番』
中田『すごいですね』
椎本『サッカーじゃなくて頭で。だから彼ねセンターバックで180ちょっとだけど、今年の大学選抜で関西からただ一人、選ばれてるの。で、一番の特徴は、もちろんDFとしての守備とかも良いんですけど、一番は「サボらない」。いつもしっかりポジション取ってやってる』
中田『そういうの大事ですね』
椎本『で、DFサボっちゃダメじゃん』
中田『ですね。ちょっとした細かいところが…』
椎本『で、キャプテンとかやって。やっぱ賢いからね、頭使ってサッカーやるじゃないけど。ただ後は足元がね。うちの(今の)サッカーだとパス出せなきゃいけないし、そこをどうクリアしていくかだと思うんだよね。大学だっててそういうサッカーやってないじゃん、はじき返せ!じゃない。でも出来ると思うんだよね』
◆須藤直輝について(1°51′24″〜)
椎本『一人は須藤、「すとう」。「すどう」じゃなくて「すとう」です。今年の正月の選手権出てて2年から10番つけてキャプテンやってて。ホントドリブラー。トリッキーな選手ですね。浩二も解説やって見てると思うんでね、みんな知ってると思う』
◆小川優介について(1°51′53″〜)
椎本『もうひとり、後からオファーさせてもらったのが小川って言って、これはね、ホントにね、どう化けるかな?って感じなんだよね。』
(ここで土居の得点があり、しばらくその話題)
椎本『で、小川の話なんだけど…ちっちゃい。でも、去年2年生の時に見た時に「うわっ」って思ったんだよね、良い選手だなーって。どこが良いって、周りが見えてるし、ためが出来て、前にスペースがあったらドリブルで運んでいけるし、相手の逆を取ったりするでしょ。ホント珍しい今あまりいない選手かな、ゲーム作れて。でも、なんせ体が小さいなって思って、大学行った方が良いのかなって最初はそう思ってて。で、須藤にはオファーしてたんで、試合見に行ったりしてて、でもついついそこ(小川)も目に付いちゃって…3年プロとしてやったらどうなるかな?と思いながら…そうしたら向こうの監督さんも「椎本さん、小川、プロで出来ないですかね?」って話をして、3年プロでやったらどうなるか、自分も興味あると…。それより須藤に声をかけてるから須藤(の入団を)決めなきゃいけない。それがはっきりしてから考えるって。なんかさ、例えば須藤に断られて小川に行ったって言うのは嫌じゃん』
中田『そうですね』
椎本『だから、須藤をはっきりしてから…で、須藤が決まったんで、じゃあ改めてって事で。本人びっくりしてたよ』
中田『これ、僕も解説やって、終わってから椎さんに言ったの覚えてます?「あれいい子だよね」って。もちろん須藤は良い選手なんだけど、ボランチのこの子効いてますねって話してたら意見が一致したんですよ』
椎本『あ、そうそう、そうね』
中田『だから、同じ見方してんだなーと思いながら…でも僕は今年の1月で(彼らのプレーを見るのは)止まってるですけど、椎さんそこから1年間追いかけて…』
椎本『僕その前の12月から見てね』
中田『あ、このボランチ良いな、ボールを運べるのがね』
椎本『今いないじゃない、あんまり』
中田『で、ボールを取られないんですよね』
椎本『ちっちゃくてもね』
椎本『浩二、一致したじゃん』
中田『一致しましたよ』
椎本『スカウト出来るよ』
中田『いやいやいやいやいや…(笑)…やろうかな』
中田『僕も一緒で、ちょっと細いな、小さいなって。だからどうなんだろうなっていうところ』
椎本『でもね、見ててね、なんかね、これ3年鍛えたらどうなるのかな?って思って。正直に言ったら本人もプロになりたいって。で、これ裏話だけど、大学は結構断ったみたい…大学の方から「体が小さい」って。でもそこじゃないでしょサッカーは!』
中田『小さいなりにね』
椎本『メッシはどうなの?イニエスタだってそんなにでかくないでしょ?』
※ 小川=166cm、メッシ=170cm、イニエスタ=171cm
中田『そういう意味では早く飛び込んでそこ(技術)の部分をどう活かすかって言う術を…』
椎本『そうそう、本人も話したのは「技術とかはしっかりしている。後は体が小さいのをどうカバーしていくか。だからもっと技術を上げろと」』
中田『そうですね、そこですね』
椎本『悪いけど、それ以上身長伸びねーだろ?でも横は付くぞ。だからもっと強くなれと。それは話をしたんだけどね』
中田『小川はほんとに楽しみ』
◆荒木遼太郎について(2°00′55″〜)
中田『やっぱり1年目でここまでやるっていうのは、驚きですか?』
椎本『まぁどっちかって言うと驚きだよね。まさか1年目からこれだけ…動じないのが良いよね、アガったりしないじゃない』
椎本『遼太郎はやっぱミスしないね。少ない、ミスが。後仕掛ける』
中田『うん、それが強いですね』
椎本『でも遼太郎は高校3年の選手権の時、ケガで出られなくて。途中出場でずっとやってたけど…ボランチやってたんだけどね。全部一人でやってた。ゲーム作って、チャンスも前に上がって作ってシュートもして…』
中田『選手権、東(福岡)、予選で負けちゃいましたもんね』
椎本『決勝戦も後半途中からだったもんね、ケガしてて…彼は本当に技術がしっかりしていて、ミスの少ない選手だよね』
中田『遼太郎はどれくらいから目をつけていたんですか?』
椎本『結構1年の頃からチョロチョロ出てて、2年でレギュラーになって、その頃から上手い選手だなって…熊本なのよ。熊本の田舎から福岡の都会に出てきた子だから(笑)』
中田『遼太郎も負けず嫌いのところありますしね』
椎本『そう。あの可愛い顔して』
中田『性格がプロ向きっていうかね』
椎本『これね、獲得にあたって、浩二の先輩も協力してくれたんだよ』
中田『モト(本山)?あ、先輩じゃねーや(笑)モト先輩じゃなかった…東って思ったら…誰だ?』
椎本『熊本の…大先輩いるだろ!教育委員長!』
中田『あー教育委員長!平岡先生ですね』
※平岡和徳さん(大津高校サッカー部の総監督=帝京高校出身)の Wikipedia
椎本『多分大津も誘ってたんじゃない?』
中田『まぁ熊本ですしね』
椎本『そいで、多分平岡も両親のこと知ってて、で、ウチがオファーしてるって知って、したら両親に会った時に「早く鹿島に決めたほうが良いですよ」って話をしてくれたみたい』
中田『へー』
椎本『助かるね、そういうの』
中田『それは椎さんの人の繋がりというか人徳と言うかね…』
椎本『大津高校からは何人かうちに来て…』
中田『植田…(山口)武士、(中村)幸聖(=現ユース監督)…』
椎本『後豊川なんかもそうだね』
中田『豊川、植田が入ってきて…監督も僕の大先輩ですし』
椎本『ホントもう…教育長ですからね(笑)』
中田『偉いですから…巻の引退試合で会いましたけど』
椎本『もう「平岡」なんて呼び捨て出来ない(笑)』
中田『(笑)』
椎本『呼び捨てしてるけど(笑)』
中田『平岡先生、優勝した時の選手権で帝京で…』
椎本『キャプテンだもん。で、ホント上手かった』