Jリーグは15日に開幕30周年を迎える。スポーツ報知では歩みを関係者が振り返る連載をスタート。第1弾は鹿島でプレーし、リーグの発展に貢献した“サッカーの神様”ジーコ氏(70)。このほど、茨城・鹿嶋市内で応じた取材の様子を2回に分けて紹介する。1993年の開幕節で3得点を記録したが「ハットトリックという言葉を初めて知った」と意外な過去を明かすとともに、ハットトリックの意味を説いた。(取材・構成=内田 知宏)
ジーコもまた特別な気持ちでJリーグ30周年を迎える。「サッカーの神様」が鹿島の前身、住友金属蹴球団の一員として来日したのが91年。ブラジルのスポーツ大臣を辞任し、プロリーグ発足を間近に控える日本で現役復帰するというニュースは世界を驚かせた。途中、ロシア、トルコのクラブ監督を務める時期があったが、選手、総監督、テクニカルダイレクターとして鹿島、Jリーグの発展に貢献してきた。
当時より体も大きくなり、顔には多くのしわが刻まれている。最近では膝の手術も受けた。それでも、ジーコが変わらぬ笑顔で振り返る。
「来日した時、まだ住友金属は2部リーグに所属していた。私は、東京に住んでいて(茨城)鹿島(現鹿嶋)に通う生活を送っていた。(3時間ほどかけて通う)毎日が大変だった。自宅近隣でトレーニングするところがないかとグラウンドを探したが、見つけられない。日本では野球やテニス、ゴルフがサッカーより盛んに行われていた。トレーニングする場所は、野球場しかなかった。野球場でトレーニングしていたら『ボールが飛んでくるから危ないぞ』と言われ、気をつけながらトレーニングした思い出がある。それが(日本代表監督の任期満了で)2006年に一時的に日本を離れる時には、同じ場所にサッカーグラウンドが10面以上造られていた。国内でサッカーが浸透したことを感じた。サッカーが子供たちにとって、一つの選択肢になったんだ」
Jリーグに多くのものをもたらした中で「プロ意識」を植え付けたことは、ジーコの功績といえるだろう。スナック菓子、炭酸飲料を口にする選手を激しく叱責(しっせき)したことは有名な話。選手、スタッフが夜な夜な外出しないよう遠征先のホテルロビーに立ち、門番を務めることもしばしばだった。強くするために、労苦を惜しまなかった。今も鹿島は他クラブの手本だ。そして、迎えた名古屋との開幕戦で5―0の快勝。ジーコはハットトリックを達成した。
「日本に来てからハットトリックという言葉を初めて知った。私が現役でプレーしていた時に、ビッグプレーヤーが複数得点するのは当たり前で、3点取ることの重要性はブラジルではなかった。英国ではプレゼント、ご褒美があったかもしれないが、ブラジルではそこまで聞く言葉ではなかった。フラメンゴ、ブラジル代表でもハットトリックを決めていた。3点取ること自体は、大事な意味をなさない。個人の結果はそこまで重要だとは思っていない」
ただ、Jリーグの第一歩という点、世界に向けた発信という意味では重要だったと語る。
「Jリーグが発展していく上では、大事な意味があったのではないかと思っている。(日本サッカーリーグ)2部から唯一Jリーグに加わった。(人口)4万人のクラブがJリーグに参戦する。注目されていた。小さい町のクラブを、サポーターたちが信じてくれて、満員にしてくれた。つくってくれた。その中でハットができたことが大事だった。アントラーズの歴史を、あそこからスタートできた。大事なハットトリックだったと私は思う。そして、相手には(元イングランド代表の)リネカーがいた。世界からみたら、リネカー対ジーコ。国外からも注目されていた。その時にハット(を決めたこと)は、世界的にみても意味があったと思う」
クラブを応援する誇り、動機をサポーターに与えた。サッカー文化の第一歩だ。そして、世界に発信されたニュースをみて、その後世界的な選手がJに参戦するという流れにも影響を与えたハットトリックだった。=敬称略=(後編に続く)
◆ジーコ(本名アルツール・アントゥネス・コインブラ)1953年3月3日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。70歳。71年からフラメンゴ、ウディネーゼ(イタリア)などで活躍。ブラジル代表として78、82、86年のW杯出場。代表通算71試合48得点。89年に引退し、90年に母国のスポーツ大臣就任。91年に辞任し、住友金属蹴球団(現鹿島)のオファーを受ける形で現役復帰して94年までプレー。愛称は「神様」。2002~06年、日本代表監督を務めた。家族は夫人と3男。172センチ。
◆鹿島―名古屋の開幕戦VTR ジーコが前半だけで2得点。後半に入ると、アルシンドが8分に3点目。同18分にジーコがリーグ初のハットトリックを達成。さらに1分後にアルシンドが5点目を決め、5―0で名古屋を粉砕した。
◆「神様」ジーコ氏が振り返るJリーグ30周年…「日本で初めて知った言葉」開幕節で決めたハットトリックの意味(報知)
『(自宅近隣で)トレーニングする場所は野球場しかなかった。〜中略〜2006年に日本を離れる時には、同じ場所にサッカーグラウンドが10面以上造られていた』
— 日刊鹿島アントラーズニュース (@12pointers) May 9, 2023
◆「神様」ジーコ氏が振り返るJリーグ30周年…「日本で初めて知った言葉」開幕節で決めたハットトリックの意味(報知) https://t.co/EdFt0XXk3v pic.twitter.com/mdwFnAPwyR