日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年1月2日月曜日

◆決勝で明らかになった「Jクラブの多様性」 天皇杯漫遊記2016 鹿島対川崎(Sportsnavi)


鹿島と川崎、それぞれの「タイトルへのこだわり」

今大会の決勝は52年ぶりに関西で開催。関東勢同士の対戦でチケットは売り切れとなった

 2017年の元旦は、京都で迎えた。昨年12月29日に大阪・長居での天皇杯準決勝を取材して、そのまま東京に戻らずに年の瀬の京都を楽しんでから、吹田スタジアムでの天皇杯決勝に備えることにした。関西在住の同業者は例年、東京のホテルで年を越し、天皇杯決勝と高校選手権を取材することが多い。今年は立場が逆になったわけだが、たまには旅先で新年を迎えるというのも悪くない。関東勢同士の決勝ということで集客面が心配されたが、会場が「話題のサッカー専用スタジアム」であることも動機づけとなって、チケットはソールドアウト。公式入場者数は3万4166人と発表された。

 あらためて、鹿島アントラーズと川崎フロンターレという、今回の決勝のカードについて考えてみたい。鹿島の決勝進出は6回目、川崎は前身の富士通時代を含めて初めてである。ちなみに鹿島は、6回の決勝のうち4回に優勝。こうした過去の実績に加え、昨年11月のJ1チャンピオンシップ(CS)から続く堅実な戦いぶりを考えるなら、鹿島有利というのが大方の見方であろう。とはいえ、一発勝負の天皇杯決勝は何が起こっても不思議ではない。実際、鹿島は過去2回の決勝で敗れているが、その相手は横浜フリューゲルスと京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)。とりわけ後者については、戦前は「圧倒的に不利」と思われていた。

 鹿島が常にタイトルに貪欲であることは周知のとおり。しかしながら対戦相手の川崎もまた、この決勝で初タイトルを渇望する明確な理由がある。それは彼らにとり、2016シーズンは大きな「区切り」であったからだ。クラブは設立20周年。5シーズンにわたりチームを率いてきた風間八宏監督は、今季いっぱいで退任することが決まっている。また、4シーズンの間に3年連続(13−15年)で得点王に輝いた大久保嘉人も、来季はFC東京に移籍することを明言。幾多の感動的なゴールを生んできた、中村憲剛とのホットラインもこれで見納めである。川崎の関係者の誰もが、この決勝に期するものを感じていたのは当然である。

 この日の鹿島のスタメンは、2人を除いて準決勝と同じ。FIFAクラブワールドカップ(W杯)以降、ずっとコンディション不良だった西大伍と遠藤康がメンバーリストに名を連ねた(ただし金崎夢生は決勝もベンチ外)。一方の川崎は、守備的MFのエドゥアルド・ネットが累積警告で出場停止。代わって、10月22日のリーグ戦を最後に戦列から離れていた大島僚太が、実に2カ月ぶりにスタメン復帰した。両チームとも、何人かのキープレーヤーは不在であるが、ほぼベストな陣容と言って良いだろう。

様式美を見ているかのような鹿島の先制ゴール

前半終了間際の42分、山本(16)のゴールで鹿島に先制点が生まれる

 試合序盤は、川崎がチャンスをつかんだ。前半13分、大久保がドリブルで抜け出してシュートを放つが、これは鹿島がブロックし、浮き上がったボールをGK曽ヶ端準が辛くもはじき出した。18分、今度はエウシーニョからのパスを受けた小林悠が右足でシュートを放つも、これも曽ヶ端がセーブする。この直後、小笠原満男が小林のファウルで倒れたところに、たまたま中村が蹴ったボールが当たったことから小笠原が激高。小競り合い寸前にまで発展する。

 もっとも、小笠原は試合後に「あれは一種のパフォーマンス。あいつ(中村)に怒っていたわけじゃない」と語っている。押し込まれる展開が続く中、キャプテンの自分が闘志をむき出しにする姿勢を見せることで、若い選手の奮起を促そうとしたのだろう。1ミリでも勝利に近づくためであれば、そうしたパフォーマンスも厭わない。それができるのが小笠原であり、常勝軍団のメンタリティーである。なおこの直後、競り合った際に西の足が登里享平の後頭部に当たり、再び両者がにらみ合い。元日の決勝で、これほどエキサイトするシーンが続くのもめずらしい。

 そんな中、前半終了間際の42分に鹿島の先制点が生まれる。右サイドでのゴールラインぎりぎりのポジションから、西が目ざとく中村にボールを当ててCKを獲得。遠藤の左足から放たれたボールに、DFの山本脩斗がヘディングで反応すると、ボールは川崎GKチョン・ソンリョンのグローブをはじいてゴールに吸い込まれてゆく。CKのもらい方からゴールの歓喜に至るまで、さながら様式美を見るような鹿島の先制ゴールが決まり、前半は1−0で終了。ハーフタイム、両チームは最初の交代カードを切る。鹿島は負傷していた山本に代えてファン・ソッコ。川崎は登里を下げて三好康児を起用し、3バックから4バックにシステムを変えた。

 この両者の交代が、川崎の同点ゴールの伏線となる。後半9分、大島のパスに小林がスルー。受けた三好が小林にパスを送り、右足でファーサイドをぶち抜く。この時、ファン・ソッコが小林にプレッシャーをかけていたが、試合の流れに入りきれていなかったのか、中途半端な対応となってしまった。小林は後半20分と42分にも際どいシュートを放ったが、それぞれバーと相手DFに阻まれて追加点はならず。結局、1−1のまま90分で決着はつかず、試合の行方は延長戦に委ねられることとなった。

川崎にとって未体験ゾーンだった延長戦決勝

川崎にとって、決勝での延長戦は未体験ゾーンだった

 延長戦に入るまでのインターバル、鹿島と川崎の様子を双眼鏡で確認する。川崎のベンチでは、試合に出ていた選手のほとんどがピッチ上に横たわり、スタッフから入念にマッサージを受けていた。これに対して鹿島は、寝そべってマッサージを受けているのは永木亮太のみ。他の選手たちは、すっくと立ったまま戦術の確認をしている。その表情は「まだまだ戦える」というエネルギーが充実していた。90分の戦いを終えて、疲弊し切っている川崎の選手たちとは、明らかに対照的である。

 この差は、いったい何に起因するのであろうか。ひとつ考えられるのは、経験値の差である。川崎にとって、カップ戦ファイナルでの延長戦は、まさに未体験ゾーン(過去3回のナビスコカップ決勝は、いずれも90分で敗れている)。対する鹿島は、ナビスコカップで3回、天皇杯で2回、それぞれ決勝での延長戦の経験がある。そして何より、つい先月にはクラブW杯の決勝で、レアル・マドリーを相手に延長戦を戦っているのだ。実際、石井正忠監督も「クラブW杯の決勝で120分戦った経験が、ここで生きたと思います」と明言している。結果として2−4で敗れたものの、そこで力尽きてしまったことへの悔悟と反省が、天皇杯決勝の延長戦で生かされたのは間違いないだろう。

 延長前半、鹿島で最も躍動していたのが、3人目の交代選手として後半43分に投入されたファブリシオである(OUTは小笠原)。3分、後方からの山なりのパスを受けて放ったループ気味のシュートは、エドゥアルドの間一髪のクリアに阻まれた。しかしその1分後、右CKからのチャンスからボールが流れ、ゴール前で西が相手のスライディングでシュートし損ねたところを、ファブリシオが思い切り右足を振り抜く。弾道は一直線でゴール右上に突き刺さり、これが鹿島の勝ち越しゴールとなった。余談ながら、この延長前半の15分で鹿島は5本のシュートを記録(120分トータルでのシュート数は14本)。そのうち4本がファブリシオで、いずれも枠内だった。

 対する川崎は、90分間で温存していた2枚のカードを、延長戦で一気に放出する(延長前半8分に田坂祐介OUT/森谷賢太郎IN、延長後半開始時に大島OUT/森本貴幸IN)。より攻撃的にシフトチェンジした相手に対して、鹿島はいつもの老かいな戦術で対抗。人数をかけて相手のシュートコースをふさぎ、激しい寄せでシュートの精度を狂わせ、そして前掛かりの相手にカウンターを仕掛けながら時間を消費させてゆく。こうなると、もはや川崎に勝ち目はない。ファイナルスコア2−1。鹿島が5回目の天皇杯優勝と2016シーズンの2冠、そして通算19回目のタイトル獲得を実現させた。

鹿島と川崎との「彼我の差」は何に起因するのか?

延長戦を制した鹿島が今季の2冠を達成。主将の小笠原(左端)に促されて石井監督がカップを掲げた

 終わってみれば、大方の予想通りの結果。とはいえ、単に「強い鹿島が優勝した」という一言では済まされない、非常に興味深いファイナルであった。もちろん川崎も、果敢に戦った。そして知力と体力と能力を振り絞って、最後まで諦めることなく鹿島に挑んでいった。しかしながら、どうにも埋めがたい「彼我の差」が、両者の間には横たわっていたように思えてならない。それは、試合後の両監督のコメントからも感じ取ることができる。

「今日は選手が最後まで勝ちたい気持ちを出してくれていました。実際、チャンスは多く作れましたし、われわれのサッカーを見せられたと思います。結果だけは残念ですが、次につながると思いますし、選手たちの成長を見ることができました」(川崎・風間監督)

「この歴史ある天皇杯で、6年ぶり5回目の優勝ができて良かった。CSからクラブW杯、そして天皇杯。1カ月ちょっとで10試合をしてきましたが、クラブW杯決勝でレアルに敗れて、悔しい思いをしたなか、この天皇杯を取ることが2016シーズンの締めくくりだと思っていました。その試合を、しっかり勝ち切れて良かったと思います」(鹿島・石井監督)

 事実として述べるなら、風間監督は4年半の任期のうちにタイトルを1つも獲得することがかなわなかった。それに対して石井監督は、15年7月の就任以来、わずか1年半の間に、ナビスコカップ、CS、そして天皇杯と3冠を制している。もちろん、風間監督が川崎というクラブで残してきたもの──独自の攻撃的なスタイル、若い選手の成長、見ていて楽しいサッカー、といったものを否定するつもりは毛頭ない。が、クラブが渇望して止まないタイトルに、結局は手が届かなかったのは紛れもない事実である。

 19冠を達成した鹿島と、またしても「永遠の二番手」で終わってしまった川崎。とはいえ、たとえ監督の立場が入れ替わったとしても、石井監督が川崎でいくつもタイトルをもたらすとは思えないし、風間監督が鹿島で4年半の任期を保つのも難しかっただろう。鹿島と川崎のコントラストは、ただ監督の手腕に帰するのではなく、両クラブが培ってきたフィロソフィーやカルチャーに解を求めるべきである。

 もちろんどのクラブも、タイトルを手にするために努力も投資もしている。ただし鹿島は、どのクラブよりもタイトルへのこだわりが強烈に強かった。それに対して川崎は、タイトル以外にも大切にしているものがあったのである。それに付言するなら、すべてのクラブが鹿島を目指す必要もないし、川崎のような「楽しさ」を追求するクラブがあってもいい。Jリーグが誕生して今年で四半世紀。2017年元日の天皇杯決勝は、ただ「鹿島の強さ」のみならず、クラブ間の多様性がより明確化していることを示したという意味でも、記憶に残る一戦となった。

http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201701010003-spnavi

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