日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年12月14日木曜日

◆【コラム】3年間待ち続けた植田直通…指揮官を納得させ、W杯への一歩を踏み出す(サッカーキング)




「植田直通(鹿島アントラーズ)は長い間、我々と行動してきた。彼は若くて能力がある。今回は中国との対戦ということでFKの戦いをどうすべきかを考えた。植田とはディスカッションを重ねて『(右サイドで)行けます』と即答してくれた。彼はしっかりしたプレーを見せてくれた。オフェンス面でも何回かいい突破はあった。最初は難しいかなと思ったが、私が見たいものを見せてくれた」

 日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督が満足そうにこう語った通り、12日の2017年東アジアカップ(E-1選手権)中国戦(東京・味の素)で右サイドバックにサプライズ起用した長身DF・植田が90分通してチームに貢献。A代表初招集から丸3年がかりで初キャップを踏んだ23歳の男は、本職でないポジションでも国際舞台で十分戦えるところを堂々と見せてくれた。

 熊本・大津高校2年だった2011年のU-17ワールドカップ(メキシコ)でベスト8入りの原動力になった頃から「近未来の日本代表を担うDF」と言われてきた植田。同校体育科入学時のスポーツテストで前人未到の最高得点を叩き出すほどの非凡な身体能力を武器に頭角を現し、ハビエル・アギーレ前監督時代の2015年アジアカップ(オーストラリア)で初めてA代表入りを果たした。

 鹿島の先輩・DF内田篤人(ウニオン・ベルリン)の負傷離脱によって得たチャンス。役割は奇しくも今回と同じ右サイドバックだったが、「物怖じせずに僕はガンガン行くしかない。相手がA代表になっても空中戦では負けるつもりはないんで、どんどんやっていきたい」と本人も躍起になっていた。しかしこの大会では酒井高徳(ハンブルガーSV)の牙城を崩せず、全4試合とも出番なし。チームもまさかの8強止まりに終わったが、当時20歳のDFは「近い将来に出場機会が巡ってくるだろう」とポジティブに考えていたはずだ。

 代表指揮官にハリルホジッチ監督に代わってからも断続的に呼ばれたが、ピッチに立てないまま淡々と時間が過ぎていく。「もう呼ばれるだけというのはいい。試合に出ないと意味がない」と本人も繰り返し発言し続けたものの、守備陣を固定したがるボスニア人指揮官はなかなかリスクを冒さない。2018 FIFAワールドカップロシア アジア最終予選が終わり、今年10月に行われたニュージーランド(豊田)・ハイチ(横浜)の2連戦では満を持しての代表デビューが予想されたが、それも見送られた。翌11月のブラジル(リール)・ベルギー(ブルージュ)との連戦はまさかの招集外。さすがの植田自身もロシア本大会行きは難しいと考えたのではないだろうか。

植田

 けれども、長く長く耐え続けてきた男をハリルホジッチ監督は見放さなかった。今回の中国にはユ・ダーバオ(北京国安)とシャオ・ジー(広州富力)という2人の大型FWがいる。彼らを完封するために、186センチの長身DFの存在が必要不可欠だと考えたから、指揮官は最終ラインの一角に組み入れたのだろう。前半はそのユ・ダーバオが対面に位置していたから、植田にしてみれば競り合いの強さを見せつける絶好の機会。意気揚々とマッチアップに挑み、相手に仕事らしい仕事をさせなかった。

 前半22分に小林悠(川崎フロンターレ)に供給したクロスに象徴されるように、攻撃面でも効果的なプレーを何度か出した。本人は「まだまだでしたけど、上がって思い切りやってやろうという気持ちでいた」といい意味で割り切っていた。そういう冷静さを持てたのも、3年間のベンチ生活があったから。そこは本人も強調する点だ。

「早く試合に出たいって気持ちはあったけど、ベンチに座って目の前で全てのポジションを見てきたから、今回サイドバックもできたと思う。ホントにムダなことは1つもないし、全部プラスになってると思うから、今日にも少しは生きたんじゃないかと思います」と植田自身も前向きに言う。鹿島の先輩・昌子源も「センターバックはピッチに立つまでに時間がかかるポジション。ナオもそれは分かっていたと思う」と繰り返し語っていたが、その時間とうまく向き合えたからこそ、大きな一歩を踏み出せたのだ。

植田

 ロシアW杯で同組に入ったセネガルには190センチ台の選手が4、5人おり、ポーランドもロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン)を筆頭に185センチ超のタレントがひしめくなど、高さの問題はどうしてもクリアしていかなければならない問題である。植田が戦力として使えるメドが立てば、日本代表にとってこれ以上心強いことはない。

 そのレベルに到達するためにも、16日の最終戦・韓国戦でもピッチに立ち、相手エースのキム・シンウク(全北現代)を完封すること。しかも今度は本職のセンターバックとして戦えるところを示すこと。それが次なる命題だと言っていい。

「最初に代表に呼ばれた時もサイドバックだったし、代表デビューもサイドバックっていうのは何か縁があると思いますけど、僕はセンターバックの選手。やっぱりセンターバックで出たいって気持ちは忘れてない。そこで出ても大丈夫なように準備したいです。

 W杯に出たいと思うなら、もっともっと自分のレベルを上げていかないと。この相手はW杯にはいないし、今のレベルじゃ太刀打ちできないと思うんで。まだまだじゃないかと思います」

 神妙な面持ちで語る植田の目にはかつてないほどの闘志が感じられた。かつてU-17日本代表で指導した菊原志郎コーチ(横浜ジュニアユース監督)が「植田は下手だったけど、目が澄んでいて、ひたむきにサッカーに取り組んでいるのがよく分かった」と話したが、彼のような純粋で貪欲なプレーヤーは最終的に大きく成長する。ロシアまでの半年間で植田がどの領域まで到達するのか。大津の先輩・巻誠一郎(ロアッソ熊本)が06年ドイツ大会で見せたような代表滑り込みを果たせるのか。ここからの巻き返しが非常に楽しみだ。

【コラム】3年間待ち続けた植田直通…指揮官を納得させ、W杯への一歩を踏み出す

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