日刊鹿島アントラーズニュース

Ads by Google

2016年4月20日水曜日

◆【鹿島】小笠原・植田ら、シーズン中異例ボランティアで熊本入り(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160418-OHT1T50174.html



 J1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)、DF西大伍(28)、DF植田直通(21)らが、地震に見舞われた熊本県内の避難所を慰問したことが18日、分かった。クラブの許可を得て17日午前の練習後に福岡への空路を経て熊本入り。18日の最終便で鹿島に戻った。24日にはリーグの柏戦(カシマ)も控えているが、11年の東日本大震災で被災した経験を持つクラブの一員として奮い立った。

 同じ苦しみを味わったからこそ、被災地の惨状を放っておけなかった。関係者によると、植田は小笠原に「(被災地のために)何かしたい」と相談を持ちかけた。その後、選手会長の西も交えてクラブと交渉。17日の午前練習後にチームを離れる許可を得た上で同日に熊本へ入った。

 17日午後と、練習がオフだった18日は熊本県内の避難所を慰問するなどの支援活動を行い、同日の最終便で成田空港へ。19日は午前10時と午後3時半からの2部練習があるにもかかわらず、1泊2日の強行日程をこなした。午後11時過ぎに到着した成田空港で、植田は「申し訳ありませんが、きょうの取材は受けられません」とだけ話した。シーズン中に現役選手が被災地に出向いてボランティアを行うのは極めて異例だ。

 U―23日本代表の植田は市役所が半壊した同県宇土市の出身。14日に震度5強の地震に見舞われ、海沿いの家に暮らす家族は近親者宅に一時避難した。だが15日夜にも再び強い揺れに襲われ、自家用車で高台に移動。車中で一夜を明かすつらい生活が続いている。完封勝利した16日の湘南戦後はインタビューで涙を流し「今すぐに熊本へ行って、できることがあれば何でもやりたい」と話していた。

 先輩の小笠原も植田の気持ちに同調した。岩手・盛岡市出身。高校時代を過ごした大船渡市は11年3月11日の東日本大震災で津波などの甚大な被害を受けた。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となって震災直後から物資支援やグラウンド設置などに携わっており、今回も再び立ち上がった形だ。

 現時点では今後、九州でJリーグの試合が開催できるかどうかは未定。J2熊本は20日までトップチームの活動を休止することを発表している。各クラブが試合前にスタジアムで募金活動を行うなど、支援の輪は広がりつつある。首位の川崎を勝ち点1差の2位で追う鹿島は24日に柏戦が待つ。19日からはサッカー選手として“本業”で力の限りプレーして、故郷に勇気を届ける。

 ◆主な現役アスリートの被災地支援活動

 ▽2001年9月 米大リーグ・メッツの新庄剛志外野手が米中枢同時テロ後、支援物資の集積所となっていたニューヨークの本拠地球場で、物資の荷降ろしなどを手伝った。

 ▽2011年4月 男子ゴルフのマスターズで27位となり、日本人初のベストアマを獲得した松山英樹が、東日本大震災で被災した石巻市など宮城県内3町村にある避難所などに、1リットルパックの牛乳1000本を届けた。

 ▽同年5月 サッカーJ1鹿島のMF小笠原満男が地元・盛岡市内で衣服やトイレットペーパーなど2トントラック1台分の物資を提供。被害を受けた小学生200人と父母80人を移動費&昼食付きで招待し、試合を開催。子供たちにサッカー用品をプレゼントした。

 ▽同年6月 アレックス・ラミレス外野手(当時巨人、現DeNA監督)が1日だけの休養日を利用し、宮城・女川町を訪問。女川第二小の児童らと野球教室などで交流し、2000枚のTシャツと野球道具を贈った。

Ads by Google

日刊鹿島

過去の記事