日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年6月17日日曜日

◆柴崎の恩師、青森山田高・黒田剛監督が明かした出会い、感謝、そしてW杯への期待(報知)



柴崎岳 青森山田 黒田監督




 サッカーW杯ロシア大会が、14日に開幕した。日本代表は19日に初戦のコロンビア戦を迎えるが、青森・野辺地町出身で、同県史上初のW杯メンバーに選ばれたMF柴崎岳(26)=ヘタフェ=にも大きな期待が寄せられている。恩師である青森山田高・黒田剛監督(48)が、柴崎との出会いや高校時代のエピソードなどについて語り、最近寄せられたメッセージを披露した。(取材&構成・海老田 悦秀)

 そのとき、高校サッカー界の名伯楽は、驚きを隠せなかった。視線の先では、センスの塊のような少年が躍動している。「才能はずば抜けていた。周りを360度見られる視野の広さを備えていて、小学生のレベルではなかった」。2004年、地元・青森の大会で小学6年生の柴崎のプレーを見たのが、最初の出会いだった。黒田監督は、系列の青森山田中へ誘った。

 当時からプロを目指していた柴崎に、指揮官は常に最高の環境を与えてきた。「中学2年で高校生の練習に入れ、3年の時は日本ユースや東北のプリンスリーグに全試合出場させた。高1は柏、高2で鹿島の練習にも参加させました」

 柴崎は、高いレベルでプレーをする度に挫折を味わった。守備での貢献、運動量、フィジカルの強さ…。柴崎は中学、高校の6年間、チームの朝練習前、夜が明けきらない午前4時から、自主的にグラウンドに立って、自らの弱点克服に努めたという。「彼のサッカーへの姿勢には、頭が下がる。精神的にもたくましくなった」と黒田監督。柴崎は10年1月、鹿島と仮契約を結んだが、高体連所属の高2選手がプロ契約を交わしたのは史上初めてだった。

 高3に上がったその年には、大会スポンサーの招待でW杯南アフリカ大会を現地観戦した。現地では元南ア代表で日韓W杯主将を務めたルーカス・ラデベ氏ら名選手と対面。W杯で戦う姿勢、プロでやることは社会貢献の一つであることなど、プロとしての考え方を教わった。同行した黒田監督は「W杯を自分の目で見て、将来はここへたどり着くんだという目標やイメージが芽生えたと思う。帰りの飛行機で、すごくいい勉強ができたと話していた」と振り返った。

 今回、W杯メンバーに選ばれた後、柴崎からLINE(無料通信アプリ)でメッセージが送られてきた。「中高6年間、僕をここまで大きく成長させてくれてありがとうございます。青森県、青森山田の名を背に、W杯を頑張ってきます」との感謝の言葉がつづられていた。

 「うれしい気持ちと、彼への感謝の気持ちでいっぱい。岳には、長短のパスで、周りの選手を気持ち良くプレーさせてほしい」と期待を込めた黒田監督。日本代表の戦いと背番号7の成長を現地で確かめるべく、ロシアへ旅立った。

 ◆岳からLINE「中高6年間、僕をここまで大きく成長させてくれてありがとうございます。青森県、青森山田の名を背に、W杯を頑張ってきます」

 ◆柴崎 岳(しばさき・がく)1992年5月28日、青森・野辺地町生まれ。26歳。野辺地小2年でサッカーを始め、青森山田高2年時の2010年1月に鹿島と仮契約し、翌11年に入団。17年1月にスペイン2部テネリフェへ移籍し、同7月から同1部ヘタフェでプレー。国際Aマッチ通算18試合3得点。J1通算172試合17得点。175センチ、62キロ。

 ◆黒田 剛(くろだ・ごう)1970年5月26日、札幌市生まれ。48歳。小3からサッカーを始め、登別大谷高(現・北海道大谷室蘭)、大体大でプレーし、主にDFを務めた。ホテル勤務などを経て、94年に青森山田高コーチを1年間務めた後、95年から監督。2005年に高校総体を制覇し、16年度には高校選手権と高円宮杯U―18チャンピオンシップで優勝した。


柴崎の恩師、青森山田高・黒田剛監督が明かした出会い、感謝、そしてW杯への期待


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