日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年1月2日木曜日

◆“剛さんとの3年間”に声震わせたMF三竿「ずっと僕を評価してくれた」(ゲキサカ)



三竿健斗 Kento.Misao


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[1.1 天皇杯決勝 神戸2-0鹿島 国立]

 指揮官との3年間の思い出に話が及ぶと、次第に声は震えていった。鹿島アントラーズMF三竿健斗は「お前が中心になって引っ張って行け」という直々のメッセージを胸に「自分がもっとやらないといけない」と新たな決意を語った。

 三竿は2016年、育成組織から所属していた東京Vを離れて鹿島に加入。当初はなかなか出場機会を得られなかったが、サポートしてくれたのが当時コーチを務めていた大岩剛監督だったという。

「僕が鹿島に入ってからメンバー外の練習もずっと見てくれていたし、監督が評価しない中でもずっと僕のことを評価してくれた。守備の足の出し方や1対1の駆け引きは鹿島に来てから剛さんや羽田(憲司)コーチから教わっていたので、本当に感謝しかない」。

 2017年5月下旬に大岩体制が始まると、直後のリーグ戦でMF小笠原満男に代わって先発に抜擢された。そこから現在まで主力に定着。「あまり自分が良くなくても、満男さんを出さずに僕を出してくれた。その責任を持って僕はプレーしていたけど……」。そんな指揮官は今季限りで退任。天皇杯が恩返しのラストチャンスだった。

 しかし、前半で2失点を喫したチームは後半に猛攻でも得点を奪えず、0-2で敗れた。「自分たちの力のなさだったり、自分の不甲斐なさを痛感している」。指揮官のラストマッチをそのように振り返った三竿は「決勝という大舞台で自分たちのプレーを出せなかったことが一番未熟なところだと思うし、自分自身の納得いくパフォーマンスをできなかった」とうつむいた。

 なお大岩監督は決勝戦のハーフタイム、これまで練習を積んでこなかった奇策3バックのシステムにトライ。すると押し込まれるばかりだった前半が嘘のように、良い時の鹿島が継続できていたプレッシングが機能るようになったが、そうした経験も三竿の力不足をより痛感させる形となった。

「3バックのミスマッチに対して、シーズンを通してそういうチームとたくさんやってきたけど、最近はそういう対応がうまくハマっていなかった。後半はフォーメーションを変えて同じシステムになったことでやることがハッキリしてプレスをかけやすかった。4-4-2でも自分たちでもっと変化できたらまた違ったのかなと思うけど、そこで修正できないのが今の僕の現状」。

 1月1日に天皇杯決勝を終えて、今月28日にACLプレーオフを控えている短いオフシーズン。それでも三竿は「一個引き出しができたと捉えて、今日のみっともない試合を来季に活かせるように、何ができなかったかを自分でしっかり整理したい。その作業は辛いけどしっかりやりたい」と宿題を持ち帰るつもりだ。

 大岩監督の在任中に獲得したのはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のみ。クラブの悲願達成は大きな価値を持ったが、国内無冠は手放しで喜べる結果でないのも事実だ。責任を痛感する三竿は「鹿島というクラブはタイトルを取り続けないといけないので、ずっとタイトルを取り続けていた満男さんがいなくなってタイトルを取れなくなったというのは本当に言われたくなかった。これからもっともっとレベルアップして、チームがタイトルを取れるように影響のある選手にならなきゃいけない」と前を見据えた。

 この日の試合後、三竿は指揮官から「来年はもっと大変になるだろうけど、お前が中心になって引っ張って行けと言われた」という。その思いを胸に刻み込んだ未来のリーダー候補は「剛さんも鹿島のOBとしてタイトルを多く取ってきた中で、一先輩としても声をかけてもらったと思うので、自分がもっとやらないといけない」と新たな決意を語った。

(取材・文 竹内達也)




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