日刊鹿島アントラーズニュース

Ads by Google

2020年7月7日火曜日

◆元サッカー日本代表・大野俊三さん 第2の人生は波乱万丈(日刊ゲンダイ)






【中古】 鹿島アントラーズイヤーブック(2003) /Jリーグ(その他) 【中古...


 ようやく7月4日から再開するサッカーJ1。過去27シーズンの最多優勝、最多勝利の両記録を持つのは鹿島アントラーズだ。歴戦の勇者が伝統と歴史を培ってきたが、中には波瀾万丈の人生を歩んできたOBもいる……。元日本代表でもある大野俊三さん(55)さんだ。

  ◇  ◇  ◇

 茨城県鹿嶋市。鹿島アントラーズのホームグラウンド・カシマサッカースタジアムから車で7、8分のスポーツ施設「鹿島ハイツスポーツプラザ」へ行くと、アントラーズ草創期の名ディフェンダー、大野俊三さんが迎えてくれた。名刺には支配人とある。

「ここには2006年4月に転職しまして、07年から支配人を任されています。サッカーの指導者になりたいって夢もありましたが、支配人って、考えてみると監督と同じなんですよ。現場の業務全般に責任を負い、最終的な決定権は僕にある。いかに従業員が気持ちよく効率的に仕事に打ち込めるか。いかに顧客満足度を高めるか。なおかつ、試合に勝つ、つまり利益を生み出さなくてはなりませんから」

 敷地内には、サッカー場5面、野球場1面、テニスコート18面などがあり、宿泊棟、合宿棟を合わせると約500人が宿泊できる。面積は約23ヘクタール。東京ドーム5個分強だ。

 だが、新型コロナ禍により、2月末から宿泊予約は全てキャンセル。取材日こそ地元企業の研修会が行われていたが、主要な顧客であるスポーツ団体の宿泊は8月初旬まで予約はゼロだという。

「日帰り入浴は6月1日から再開してますが、まだまだ……の状況です。2階の展望風呂からは北浦、筑波山が見え、特に夕日とのコラボレーションは、本当にきれいなんですけどね」

 従業員は、正社員26人にアルバイト・パートが64人。新型コロナ禍までは、1つのチームのつもりでやってきただけに、「社員の雇用は絶対守りたい」と前を向く。

「鹿嶋市は4月に1人の感染者が明らかになっただけで、以降、ゼロが続いています。ここは周囲を林に囲まれており、宿泊プランによっては3食付きもありますから、敷地内から出なくてもすみます。今の時期だからこそ、もってこいではないでしょうか」


■副業の失敗で数百万円の負債を抱え…


 さて、千葉県船橋市生まれの大野さんは、高校卒業後、住友金属工業に入社し同社蹴球団にディフェンダーとして入部。92年にプロチーム・鹿島アントラーズになるやプロ契約を結び、翌年にスタートしたJリーグに参戦した。

「同僚はジーコ、アルシンドら。特にジーコと一緒にプレーできたのは、僕のサッカー人生に大きなプラスとなりました」

 ジーコ選手は練習や試合前、ロッカールームで着替える際に洋服を丁寧に畳むのが常。「帰ってきた時にぐちゃぐちゃになってると、気持ち的に整理がつかない」のが理由だった。

「遠征でも、ホテルの自室から出る時はジャージーやスエットではなく、ちゃんとポロシャツとジーパンとかに着替える。オンとオフのケジメをキチンとつける、ってことですね」

 同年、Jリーグ優勝こそ逃したが準優勝の栄誉に輝き、日本代表に選出。“ドーハの悲劇”にもピッチには立てなかったものの参戦している。

 その後、96年に京都パープルサンガへ移籍したが、同年で引退。育成スタッフを3年やって鹿嶋市へ戻った。

「最初に選んだ仕事は、アントラーズ関連の業務がメインの広告代理店の営業マンでした」

 だが、副業で始めた飲食店経営に失敗。数百万円の負債を抱えてしまう。

「準備不足と経営の甘さ。二足のワラジなんて、そうそうできないですよ」

 借金返済のため就職したのが板金工事会社だった。

「屋根の修理、波板をはる板金工です。住金時代に溶接とか溶断の資格をとってたのがラッキーでした。でも真夏の屋根修理なんて、体感温度が40度超えですからフライパンの上で仕事してるようなもの。毎日フラフラでしたよ(笑い)」

 そして、再転職先が鹿島ハイツスポーツプラザ。

「隣接地に約25ヘクタールのフラワーパークやホテルを持つリゾートエリアを建設中ですし、さらに23ヘクタールのリゾート開発構想も進行中です。新型コロナなんかに負けてはいられません」

 鹿嶋市内に奥さまと2人の子ども夫婦、孫2人の8人暮らしだ。

(取材・文=高鍬真之)


◆元サッカー日本代表・大野俊三さん 第2の人生は波乱万丈(日刊ゲンダイ)




Ads by Google

日刊鹿島

過去の記事