日刊鹿島アントラーズニュース

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2025年12月13日土曜日

◆鈴木優磨にも「ガツンと言える」 鬼木監督が変えた”チームの常識”「あまりないんですよ」(FOOTBALLZONE)






「鬼木に奈落の底へ突き落とされた鹿島を鬼木が救ってくれた。リーグ戦の悔しさを払拭するには、リーグ戦でチャンピオンにならないと。これで肩の荷が降りたというか、背中にくっついていたのが取れました」


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◆鈴木優磨にも「ガツンと言える」 鬼木監督が変えた”チームの常識”「あまりないんですよ」(FOOTBALLZONE)










2025年5月9日金曜日

◆常勝軍団を蘇らせたかつての“敵将”「あの時連覇していたら…」 両者を分けた2017年の因縁(FOOTBALLZONE)






最終節のジュビロ磐田戦で、不明瞭な判定から“幻のゴール”が生まれるなど、鹿島にしてみれば、後味が悪かったが、いずれにしても勝ちきれず、掴みかけていたタイトルを逃した。


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◆常勝軍団を蘇らせたかつての“敵将”「あの時連覇していたら…」 両者を分けた2017年の因縁(FOOTBALLZONE)









2024年11月17日日曜日

◆大物スターが日本でスパイク磨き…周囲唖然「驚いた」 アマチュア時代に伝えた“プロ精神”【コラム】(FOOTBALLZONE)






練習の際、チームメイトとともにゴールを運ぶ姿もあったと聞くが、何事にも誠実に向き合い、几帳面で、きれい好きな“率先垂範のスーパースター”が周囲にもたらした影響はやはり計り知れないだろう


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◆大物スターが日本でスパイク磨き…周囲唖然「驚いた」 アマチュア時代に伝えた“プロ精神”【コラム】(FOOTBALLZONE)







住友金属工業蹴球団に加入したジーコが眉をひそめ「これは何だ?」


「更衣室の床が泥だらけじゃないか。自分たちが毎日、使うところなのだから、もっと綺麗に使わないといけない。これからは土足厳禁だ!」

 1991年に住友金属工業蹴球団(鹿島アントラーズの前身)に加入したジーコは、微に入り細に入り、何か気づいた点があれば、すぐさま改善に努めた。チームを取り巻く環境を少しでもよくしたいという誠実な思いからだが、更衣室のあまりの汚さには眉をひそめてしまった。

 住友金属工業は茨城県鹿島町(当時)の臨海エリアに練習グラウンドを所有し、その傍らに更衣室も併設していた。日本サッカーリーグの1部と2部を行き来するような企業チームのなかにあって、このような環境はむしろ恵まれていたほうかもしれない。日本サッカーリーグ1部に定着するチームであっても日によって練習場所が変わり、決まった更衣室を持たないチームが少なくなかったからだ。

 とはいえ、住友金属工業時代のそれは簡素なプレハブ作り。室内も広いとは言えず、選手たちがスパイクのまま出入りしたので、床は泥だらけ。着替えた洋服などはバッグに仕舞って、椅子の上に置いたりしていた。そんな身の回りの環境を受け入れ、誰も気に留めなかった。

 だが、ジーコの提案の下、建てつけのプレハブの床に綺麗なマットが敷かれ、土足厳禁になった。また、洋服をかけるフックも設置され、乱雑だった室内の雰囲気は一変した。

現在の場所に鹿島アントラーズのクラブハウスと練習グラウンドが完成したのは、初年度のJリーグ開幕を控える93年1月のことだった。「身の回りの整理整頓」に目を光らせるジーコの姿勢は一貫していた。ロッカーが汚かったり、スパイクやシューズが脱いだまま床に転がっていようものなら「これは何だ? 処分していいのか? 早く片付けろ!」と、小言が止まらなかったそうだ。

 世界のスーパースターであるジーコが住友金属工業に加入した当時、監督を務めていた鹿島アントラーズの鈴木満フットボールアドバイザー(FA)は、かれこれ30年来の付き合いになるジーコの人柄を次のように語っている。

「すごく几帳面。机の上の書類や資料は机の角にピタリと合わせていたり、ミーティングの時にジーコからもらった飴玉の包みをちょっとテーブルの上に置いていたら、“すぐに捨てろよ”とでもいいたげに、ジーコがゴミ箱に捨ててくれたり(苦笑)。とにかく綺麗好きで、いつも身の回りをきちんと整理していましたね」

 つまり、選手たちに小言を言うだけではなく、率先垂範の人なのだ。着替えた洋服を畳んでおくのは当たり前。練習や試合の前後にスパイクを自ら磨く姿もあったとか。

「91年にジーコが来日したばかりの頃はまだホペイロ(ユニフォームやスパイクなどのサッカー用具を管理する役割)がいなかったので、用具の管理を各自に任せていました。そんなチーム事情をジーコも理解してくれましたし、そもそも用具を大事に使うという意識が高いのでしょう。実際に、自分でスパイクを磨いているところを見て、驚いたというか、感心した覚えがありますね」(鈴木FA)

 想像してほしい。世界の檜舞台で相手選手をキリキリ舞いさせていたジーコが、観る者を魅了してやまないジーコが、自らスパイクを磨く姿を。そして、その姿を目撃した側の衝撃を。

 いったん現役を退いたが、38歳で再びピッチに戻ってきたジーコの振る舞いにチームの誰もが注目した。言葉にできること、できないことにかかわらず、日本の選手たちはそこから多くのことを学んだ。

 練習の際、チームメイトとともにゴールを運ぶ姿もあったと聞くが、何事にも誠実に向き合い、几帳面で、きれい好きな“率先垂範のスーパースター”が周囲にもたらした影響はやはり計り知れないだろう。

(小室 功 / Isao Komuro)

2024年5月1日水曜日

◆パリ五輪出場導いた代表監督・大岩剛という男「長所は強さ」…鹿島時代の恩師・鈴木満氏語る人間性、リーダーシップ(報知)






 日本が8大会連続12度目の五輪出場を決めた。準決勝でイラクに2―0で勝って大会3位以上の条件をクリア。大岩剛監督(51)率いる日本が一枚岩となって、1996年アトランタ五輪から途切れることなく今夏のパリ本大会(サッカーは7月24日開幕)への出場権を獲得した。前半にFW細谷真大(まお、22)=柏=の先制弾、FW荒木遼太郎(22)=FC東京=の今大会初ゴールで加点。守備では無失点でしのいで予選を突破した。3日(日本時間4日)の決勝でアジアの頂点をかけてここまで無敗のウズベキスタンと対戦する。1968年メキシコ五輪銅メダル以来となる五輪でのメダル獲得を目指すUー23日本代表の大岩監督が選手、コーチ、監督として鹿島に在籍した2003~19年に強化責任者を務めていた鈴木満氏(66)=現・鹿島強化アドバイザー、Jリーグフットボール委員=がスポーツ報知の取材に応じ、パリ五輪出場に導いた指揮官の素顔を明かした。(取材・構成=岡島 智哉)

×    ×    ×    ×

 10年に鹿島で現役を引退した大岩氏は、翌11年からトップチームのコーチに就いた。鹿島が現役引退直後の選手をコーチとして採用したのは、大岩氏が初めてだった。鈴木氏は、大岩氏の指導者としての適正を見抜いていた。

 「(現役の)最後の方は試合になかなか出られず、悔しさもあったはずだが、剛は出れなくてもチームのために、腐らずに黙々とやっていた。他の若い選手にいい影響を与えていて『これは指導者に向いているな』と思った。指導者としての素質、素養を感じていた」

 6年半ほどコーチを務めた大岩氏を、17年のシーズン途中に監督に昇格させた。

 「剛の指導者としての長所は『強さ』があること。選手に対し、毅然とした態度で強い言葉が言える。1番前に出て引っ張っていくタイプの指導者だと評価していた」

 退任した19年までの3年間は2位、3位、3位。18年にクラブ悲願のACL優勝を果たした。

 「初めての監督業で難しさもあったと思うが、1年目は最終節で勝ってたら優勝していたし、2年目もACLを取った。チームが過渡期でメンバーが変わっていく中、難しい時期をコントロールしながらやってくれた。よくやってくれた」

 その後、日本協会の指導者インストラクターを務めた間、複数のJ1クラブから監督就任のオファーを受けたが固辞。パリ世代の監督就任にあたり、鈴木氏に対して協会から相談があった。鈴木氏は「適任だと思う。すごくいい人選だ」と返答した。21年4月に大岩ジャパンが始動。昨年11月と今年3月の活動に団長として参加した鈴木氏は、大岩氏の成長を感じ取った。

 「ミーティングを聞いていても、抑揚があって、言葉の選び方や話し方がブラッシュアップしていた。『お前、うまくなったな』って言いました(笑)。サッカーの面でもすごく整理されている」

 代表のスタッフからは「剛さんのチームって独特の緊張感があるんですけど、これって鹿島の時からですか?」と聞かれたこともあるという。それは、大岩氏の人間性、リーダーシップによるものだ。

 「あのチームには、鹿島が昔強かった時のような雰囲気がある。距離感が絶妙なんだよね。『仲良しクラブ』じゃなく、(選手やスタッフと)距離を置くってことでもなく、一体感と緊張感を生むため、戦うための集団に必要な要素をうまく取り入れた管理の仕方をしている。剛は人間としての包容力、柔軟性があり、人付き合いもうまいから『仲良しクラブ』じゃない組織の作り方ができる」

 パリ五輪では、1968年メキシコ市五輪以来のメダル獲得を狙うことになる。

 「メダルを期待したい。鹿島の関係者も多いし、団長として合宿にも参加させてもらって思い入れも強い。すごく応援しているし(メダルの)期待に応えられるチームだなと。剛には今回結果を出してもらって、最終的にA代表の監督へ…ってなってほしいなと思います」





◆パリ五輪出場導いた代表監督・大岩剛という男「長所は強さ」…鹿島時代の恩師・鈴木満氏語る人間性、リーダーシップ(報知)



2024年3月19日火曜日

◆「やっと呪縛から解き放たれる」鹿島の名伯楽・鈴木満も安堵。9年ぶりの川崎戦勝利は大きな転機となるか(サッカーダイジェスト)






国内タイトルは16年のJ1優勝が最後


[J1第4節]鹿島 2-1 川崎/3月17日/県立カシマサッカースタジアム

「もうそんなになりますか。これでやっと呪縛から解き放たれるかな」

 安堵の表情を浮かべたのは、鹿島アントラーズの鈴木満フットボールアドバイザーだ。鹿島の20冠に強化責任者として関わった名伯楽にとっても、長きにわたる“川崎戦未勝利”の歴史は「呪縛」とも言うべきものだったようだ。

 3月17日に行なわれたJ1第4節で、鹿島はホームで川崎と対戦。前半に先制を許すも、後半にチャヴリッチと鈴木優磨が得点。2-1の逆転勝ちを収めた。リーグ戦では2015年8月以来、実に8年6か月ぶりの川崎戦での勝利だった。

 2016年こそJ1リーグを制した鹿島だったが、翌年に初めて川崎にシーズンダブルの黒星を付けられて以降、完全に立場が逆転。その後は毎年のように国内タイトルを手にしてきた宿敵に対し、鹿島は18年にACLで初制覇を果たしたものの、国内無冠の時期が続いている。

 今回の川崎戦でも、最終ラインの背後に出された縦パス1本から失点してしまうなど、課題は依然として残っているものの、得たものも大きかったようだ。

「(8年間未勝利は)良い記録ではないので、途切れさせることができて良かった。練習でやってきたことが出せた」(チャヴリッチ)

「川崎もいろんな状況があると思うけど、どんな状況であろうが勝てたのは非常に大きい」(鈴木)

「今日負けているようでは、優勝はないと僕は思っている。自分たちはこれからもチャレンジし続けないといけない。そういう思いを強めてくれた勝利だった」(植田直通)

「呪縛」を断ち切った川崎戦の勝利を転機に、無冠の歴史にも終止符を打てるか。

取材・文●渡邊裕樹(サッカーダイジェスト編集部)




◆「やっと呪縛から解き放たれる」鹿島の名伯楽・鈴木満も安堵。9年ぶりの川崎戦勝利は大きな転機となるか(サッカーダイジェスト)





2024年2月1日木曜日

◆常勝軍団に“復活の兆し”か 鹿島ポポヴィッチ監督の目指す守備のリソース「はっきりしている」(FOOTBALLZONE)






【カメラマンの目】FDの吉岡氏や強化アドバイザー鈴木氏も評価


「やりたいことがはっきりしている」

 鹿島アントラーズでフットボールダイレクター(FD)を務める吉岡宗重氏のランコ・ポポヴィッチ監督を評した言葉である。

 1月23日から宮崎でキャンプを張る鹿島は、30日にJ2徳島ヴォルティスとトレーニングマッチ(45×2、30分×1)を行い3-1の勝利を挙げた。攻撃的なサッカーの追求を信条とするポポヴィッチ監督だが、この試合で目に留まったのは鹿島の強力な守備力だった。前線から積極的に守備を行い、局地戦での1対1の勝負にも闘志を漲らせた激しいプレーで徳島を追い込んでいく選手たちの姿が印象に残った。

 鹿島は昨年も宮崎でのキャンプ期間中に徳島とトレーニングマッチを行っている。昨年も現場に立ち会った徳島のチームスタッフは「明らかに今年の方が守備の強度が増している」と鹿島が力強いチームに変貌していることを感じていた。

 確かにこの徳島戦を見る限り今年の鹿島は守備的だ。ただ、守備のチームと表現すると消極的なスタイルと思われがちだが、新シーズンに向かう鹿島にはボールハンティングという言葉が似合う攻撃的なディフェンスがチームのなかに根付き始めている。

 長年にわたってFDとして常勝鹿島をフロントから支え、現在は強化アドバイザーを務める鈴木満氏も「チームに(ポポヴィッチ監督が)来る前はオフェンスの指導はできるが、ディフェンスはいろいろと(否定的に)言われていたが、しっかりとディフェンスから(チーム作りに)入っている」と吉岡FD同様にポポヴィッチ監督が明確なコンセプトを持ってチーム構築に臨んでいることを、フロントの立場から見ていて実感しているようだった。

 さらに鈴木氏は、サッカーのセオリーや個人の基本プレーを活かしたうえでの戦術への展開は、実に合理的だと高く評価している。

 ポポヴィッチ監督自身も、対徳島戦の勝利は満足のいく内容だったようで、特に得点シーンは「(こちらの)プレッシャーから相手がパスミスをしてユウマ(鈴木優磨)のゴールが生まれた。3点目もボールをシンプルに動かしていいリズムを作り出し、前線にボールを供給してからはスピーディーにゴールへと向かえた」と相手のゴールネットを揺らしたシュートだけでなく、そこに至るまでの流れで、目指すスタイルを具現化できたことに胸を張った。

 ただ、このシンプルでスピーディーなサッカーが、果たして技術的にも精神的にもレベルか高いJ1のチームとの戦いでも機能するかと言えば、それはまだ分からない。それだけJ1のチームは手ごわいクラブが顔を揃える。

 それでもポポヴィッチ監督の目指すサッカーは、近年タイトルから遠ざかり、迷走していた鹿島を救い出す可能性を秘めている。攻守にわたって明確なメッセージをチームに伝え、それを着実に体現していく鹿島には常勝軍団への復活の兆しが見えた。




◆常勝軍団に“復活の兆し”か 鹿島ポポヴィッチ監督の目指す守備のリソース「はっきりしている」(FOOTBALLZONE)




2023年6月28日水曜日

◆源流の地「大阪」で開かれたアントラーズ激励会で見聞した常勝の理由(産経新聞)



鈴木秀樹,鈴木満


サッカーJ1、鹿島アントラーズのホームタウンは鹿嶋市や潮来市など茨城県の5市である。しかし、源流は「大阪」にある。前身の住友金属工業蹴球団(創設当時は住友金属工業蹴球同好会)が本社のある大阪に本拠を置いていたからである。関西サッカーリーグから日本サッカーリーグ(JSL)2部に昇格し、鹿島製鉄所のある鹿島町(現鹿嶋市)に移転したのは1975年。そんな歴史と縁もあり、住友グループの関係者を中心に、関西にもアントラーズファンが多数存在する。

そういった人たちが集まり、6月23日に大阪市中央区の「住友ビル」で、「鹿島アントラーズ激励会・鈴木満ちゃん慰労会」が開かれた。現在、アントラーズのフットボールアドバイザーを務める鈴木満さんは1989年から1991年まで住友金属工業蹴球団の監督を務め、元ブラジル代表の名選手、ジーコ氏から薫陶を受けてクラブに〝ジーコイズム〟を根付かせた人物として知られる。アントラーズ発足後は強化部門の責任者として常勝軍団と呼ばれたアントラーズの礎を築いてきたが、第一線から身を引かれたことから今回の激励会は、鈴木満さんの慰労会も兼ねて行うことになった。


ジーコイズムでフロントもプロに





激励会&慰労会にはアントラーズの鈴木秀樹副社長も参加。住友金属蹴球団(現鹿島アントラーズ)関西OB会幹事の濱村新作さんが司会役を務め、アントラーズ誕生前後の昔話に花が咲いた。

鈴木秀樹副社長は「今年はタイトルに手が届くところまでいければ」と2016年を最後に遠ざかっているリーグ優勝を狙いたいと抱負。「監督の立場で選手にジーコがいる。このプレッシャーは皆さん、想像できないと思うんです。『きょうの練習はどういう意図でしているんだ』と毎日聞かれる。眠れませんでしたね」とユーモアを交えてジーコ氏との思い出を語った鈴木満さんは「人生がアントラーズという感じで生きてきました」と振り返り、「(Jリーグ発足当時は)どこもフロントのプロがいなかった。フロントのプロって何をしたらいいか分からない。僕らはジーコにも鍛えられて、フロントがプロになれた。それが、アントラーズが勝てた理由」と自己分析した。

Jリーグ発足時の10チーム「オリジナル10(テン)」の一員となったアントラーズだが、Jリーグ入りが承認された1991年はJSL2部。ホームタウンの人口も他クラブに比べると少なく、Jリーグの幹部からは「ビリになるなよ」と言われたという。しかし、開幕した1993年の前期にいきなりリーグ優勝を飾ると、2000年にはJ1リーグ、ヤマザキナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)、天皇杯全日本選手権の3冠を達成。3大タイトル合わせて最多19度の優勝を誇るJリーグ屈指の強豪となった。


評価する人間はフェア、平等で


ここからは、激励会&慰労会で鈴木満さんが話した内容を紹介する。

「組織を機能させるには何が大事か。自分なりに考えて、評価する人間がフェアに、平等に見てあげないといけないとなった。フェアに見ると、みんな頑張れるんですよ」と話し始めた鈴木満さんは「一生懸命やった人がバカを見るような組織は発展しない。フェアに見るには、一人だけじゃなく、いろんな目で見ること。そして、いつも見ている姿勢を見せるのも大事」と強調。監督、フロント時代に選手と飲みに出かけなかった点を挙げて「酒を飲みに行かなかったのも、一人と行くと公平感が出てこないなとずっと思っていたから」と説明し「組織を強くする上では、それが一番かなと思っていた。一方で、選手に帰属意識を持たせるにはどういうことをやんなきゃいけないか。『(チームやクラブが)自分の人生を考えてくれているんだ』というのを選手に伝えなきゃいけない。信頼関係を築くのは、一番苦心してやってきたこと」と打ち明けた。

また、「タイトルというのは、いくら練習しても身に付かない技術を身に付けさせてくれたりする。選手がものすごく成長するんです。勝つとチームも選手も変わってくるんです」とも。アントラーズが強豪であり続ける理由が分かったような気がした。

かつて三井住友銀行、住友化学とともに「住友グループ御三家」と呼ばれた住友金属工業は2012年に新日本製鉄と合併して新日鉄住金に。2019年には日本製鉄と名称変更。「住金」の名前はなくなったが、激励会&慰労会には、グループ企業でサッカーを楽しむ人たちも多く参加した。蹴球団から続く「アントラーズの源流」の歴史は、脈々と息づいている。




◆源流の地「大阪」で開かれたアントラーズ激励会で見聞した常勝の理由(産経新聞)





2023年5月12日金曜日

◆「そろそろ勝たないと、鹿島そのものが根底から覆る」“20冠”を知る鈴木満が見据えるアントラーズの進むべき道(サッカーダイジェスト)



鈴木満


ジーコの下で選手もフロントもプロの集団に変わった


 Jリーグにおいて、最多の20冠を獲得してきた鹿島。強化責任者として、そのすべてに関わってきた“満さん”こと鈴木満氏(現・強化アドバイザー)に、歴史の舞台裏やクラブの歩みを訊いた。30周年の節目を迎えた日本サッカー界の今後に向けて、示唆に富んだ金言の数々をお届けしたい。

※本記事はサッカーダイジェスト2023年5月11日号から転載、一部修正。

――◆――◆――

――初代の川淵三郎チェアマンからJリーグ加入は「99.9999パーセント無理」と言われた状況から、オリジナル10としてJリーグに加盟しました。まずは、当時のチームの様子を聞かせてください。

「私はチームのコーチだったので、加盟の交渉には立ち会っていません。チーム(前進の住友金属工業蹴球部)は日本リーグ1部と2部を行ったり来たりする状況で、正直オリジナル10に入れるとはあまり考えていませんでした。もちろんクラブが手を挙げたのは知っていましたし、いろんな交渉をしているのは理解していましたが、無理だろうと。当時はそんな思いでした」

――そうした状況を覆してJリーグのオリジナルメンバーになりました。何が要因だったのでしょうか?

「交渉の詳細は分かりません。1万5千人規模のスタジアム建設予定などもありましたが、チームとしてはやはりジーコの存在が大きかったと思います。91年に来日して、日本リーグ2部でも1シーズン戦いました。それでも当時は、ホームタウンのハンデもあるし、チーム力もまだまだ不十分という評価。『ビリになるなよ』と川淵さんに言われていたように、自分たちも中位にいられれば、くらいに考えていたのが正直なところです。

 しかし、ジーコは常に勝利を目ざしていました。一番思い出深いのは、何度も語られているJリーグ開幕直前に行なったイタリア合宿です。ジーコが自分で笛を持って、指揮し始めたあたりから、チームの雰囲気がガラッと変わったんですよ」

――実際にどんな変化があったのでしょうか?

「来日後もジーコは一貫してチャンピオンになるという意識でチーム改革に取り組んでいました。まず、選手たちは世界的な名手のジーコを間近で見ることで、プロはこうあるべき、プロとはなんぞやということを実感しました。

 もちろん練習も厳しかったですよ。さらに、練習方法だけでなく、生活も変化が出て、チームにプロ意識が芽生えてきました。一方で、当時は日本にプロサッカークラブがなかったわけですし、どこのクラブもフロントが何をやったら良いか分からない、そんな状況でした。ただ、そこでもジーコがプロのフロントとはどうあるべきか、何をしなければいけないかを示してくれました。

 いち選手としてだけでなく、日本にプロリーグができる、Jリーグのプロジェクトに自分の経験を活かしたい、そんな意欲が高かったのを覚えています。クラブを作り上げていくフロントの側面も果たしてくれました」

――それが今もクラブの伝統として残るジーコイムズの始まりですね。

「勝つためには何をしなければいけないかを口を酸っぱく言われました。その薫陶を受けて、クラブ全体が勝利のためにという意識のもと、勝つことへの執着心、そのための一体感を重視するようになりました」

――そんなチームは、93年の開幕戦で名古屋に5-0で勝利。ジーコもハットトリックの大活躍でした。

「93年の5月15日、ウチは16日か(鹿島の開幕戦は5月16日の名古屋戦)。今振り返っても開幕戦を5-0で勝ったのは大きかったですね。やってきたことが間違いではなかったとクラブ全体で自信を深められました」

――結果、初年度の第1ステージを制しました。

「他クラブもJリーグ発足時はフロントの仕事や役割が分かっていなかったなかで、ウチはジーコがいたおかげで、選手だけでなく、フロントがアマチュアからプロに変わっていくことができた。それが、最初の成功につながったのでしょう」


黄金期を作り上げたバブル崩壊後の積極補強





――初のリーグ制覇は満さんが強化部の責任者になった96年でした。

「クラブに携わる人間の意識改革やスキルアップもありましたし、クラブや社長の経営判断、戦略が大きかったです。開幕当初はヴェルディとマリノスの2強と言われていて、人気もありました。スカウト活動をするうえでも、その2チームと競合すると選手が獲得できないという状況が続きました。まずは彼らに追いつき、追い越さなければならないと考えていました」

――どんな経営判断があったのでしょうか?

「93年のJリーグ発足当初は、世の中もバブルで、どこのチームも満員で何もしなくてもスタジアムが一杯になっていました。ところが、バブルがはじけて、親会社や責任企業の経営が思わしくなくなった95年あたりから、Jリーグも企業経営の縮小路線の影響を受けるようになりました。

 しかし、鹿島では2強に追いつくためにも勝たなければいけないと、苦しいなかでも、ジョルジーニョやレオナルド、ビスマルクら助っ人を獲得して、本気で1番を目ざしました」

――世の中が躊躇してブレーキを踏んでいるなかで、アクセル全開で突き進んで行ったわけですね。

「ほかにも、2002年のワールドカップが日本で開催されると決まり、カシマスタジアムへのワールドカップの誘致を狙いました。ワールドカップの会場になれば、1万5千人規模のスタジアムが4万人以上の規模に拡大できる目途もありました。

 当時は1万5千人規模のスタジアムがいつも満員で、ハガキで応募すると倍率80倍ほどのプレミアチケットになっていて、スタジアムが大きくなれば、それだけ集客も見込めると。だから、当時はここで無理しても、勝てばスタジアムが大きくなって、経営的にも、もっと大きくなれるという判断に踏み切りました」

――自治体の協力を得るなど、地域と一体化し、街とともに発展してきた歴史でもありますよね。

「Jリーグ発足当初のホームタウンは、まだ鹿島町で人口4万5千人くらい(1995年9月に大野村を編入して鹿嶋市へ。合併直前、94年の鹿島町の人口は4万6035人)。あの頃はそんなに人が出歩いていないような土地でした。当時のメディアには、暴走族がスタジアムに応援に来て、町から暴走族が減ったとか、いろんな記事がありました。

 そういうこともあったのだと思います。そんな町も、アントラーズができて、活躍し始めたことで、世の中に認知されるようになりました。それまで日本国内で“鹿島”を知る人はほとんどいなかったのに、どこへ行ってもアントラーズの“鹿島“と言われるほど知れ渡りました。みんな自信を持てたというか、住民たちの意識も変化したように感じます」

――タイトルを取った影響が大きかったのでしょうか?

「やっぱり勝ったからですよね。Jリーグがスタートした頃はチーム力やホームタウンの基盤も弱く、正直いつまで持つのかなという危機感もありました。だから勝たなければチームが存続できないと、必死でした」

――切実さがピッチ上にも出ていたのでしょうか?

「そうですね。そういう必死さ、危機感を持って取り組んだことが結果につながったのでしょう」

――初優勝から2000年代初頭まで、次々とタイトルを獲得しました。

「96年に初タイトルを獲ると、他クラブと競合しても選手を獲得できるようになりました。96年に柳沢(敦)が入ってくれて、98年には本山(雅志)、小笠原(満男)、中田(浩二)、曽ケ端(準)らが加入。スカウトが成功するようになったのは大きかったですね。

 チーム編成の大きな流れとしては、90年代は外国籍選手のビッグネームを連れてきて勝った。その遺産や実績を駆使しながら、2000年以降は79年組(小笠原、本山、中田、曽ケ端ら1979年生まれの世代)を筆頭にスカウトで獲得した優秀な日本人選手を育てながら勝利を重ねてきました」

――最も記憶に残っているのは、どの時代のチームでしょうか?

「いろいろありますが、やはり開幕当時でしょうか。打倒ヴェルディで、直接対決は他のゲームよりもさらに力を発揮するようなチームでした。その後は、ジュビロとの2強時代があって、次はレッズがライバルに。今はフロンターレですね。フロンターレには全然勝てていませんから、打倒フロンターレに燃えてます」

――思い出深い選手は?

「やはり、一番はジーコですね。クラブ全体の礎を築いてくれました。それと、僕が30年ほどチームに関わってきているなかで、やっぱり小笠原も特別な選手です」

――どんなところが特別だったのでしょう?

「小笠原よりも上手い選手はチーム内でもいました。例えば同期の本山は、小笠原よりも上手かったですよ。でも、チームを勝たせる力というか、そんな存在感は小笠原が抜群でした。彼は個人で17タイトルに関わっていて、彼がいたからタイトルが獲れたとも言えますよね」


海外移籍の増加でチーム編成に変化。打開策は育成と移籍





――そんな黄金世代も現役を退き、しばらく経ちます。近年のJリーグをどう見ていますか?

「これまでJリーグは共存共栄で進んでいましたが、2017年にDAZNと契約して、競争意識を強めています。同時に2010年以降、特に15、16年あたりから、選手たちの海外移籍も活発化してきました。

 以前は、20歳そこそこでレギュラーになったら、その後10年間は主力で、というチーム作りのスパンがありました。その年のチームと併せて、3年後にどうなっていくかまでを意識すればチーム作りができました。しかし、若手を育てても、主力になっていてほしい選手が3、4年後には抜けてしまう。そんな時代になり、チーム編成や強化の仕方が変わってきています」

――Jリーグでトップを走ってきたからこそ、他クラブに先立ってその問題に直面しました。

「解決策としては、アカデミー強化と移籍での選手獲得をハイブリットでやろうと考えています。選手が抜けても次々と新しい選手が出てくる環境にすべく、アカデミーをより強化していく方針です。しかし、アカデミーの強化にはある程度、時間がかかるので、それだけでは補えません。

 次に活用したいと考えたのは移籍です。鹿島はそれまで移籍市場でほとんど他所から主力を取っていませんでした。そのため、他チームを見るスカウトの強化にも力を入れています。

 そうやって獲得した選手を育成していくことが次のステップです。選手育成は、例えば他のチームに選手をレンタルしながら、出場機会を確保して、そのポジションの選手が必要になった場合は、すぐに補えるような体制が理想です」

――具体的に取り組んでいることはありますか?

「入れ替わりの早さに対応するためにも、チームのサッカーそのものを、もう一度しっかりと定めていく必要があります。チームのスタイルが明確なら、どういうポジションでどんなタイプの選手が必要になるかなど、獲得選手のタイプがハッキリします。そうなれば、採用や編成のミスが少なくなるはずです」

――知念慶や佐野海舟、藤井智也らの他クラブからの移籍組。昌子源、植田直通、そしてレンタル中だった垣田裕暉らの復帰組。師岡柊生、津久井佳祐らの新卒組と今年の補強は仰るとおりの内容でしたね。

「そうですね。良いバランスになってきていると思います。獲得した選手の多くは、他所で実績を作って完成されたというより、若くてこれからの選手が多く、鹿島の色に染めるというか、育てながら、主力に成長してほしいという思いはあります。

 岩政監督になって、“新しい鹿島”を謳い文句にしながらチーム作りをやってくれています。ただ、まだ固まり切っていないところはあります。けれど、現場と強化部が話し合いながら、こういうサッカーをしたいから、そのためにはこういう選手が必要だと議論を重ねています。

 もっとも、その評価はタイトルを取って初めてなされるもので、編成で良い選手を獲ってきたというだけでは何の評価にもならない。良かったかどうかはもう少し先、結果が出てからですね」

――新スタイルを確立するには時間もかかりそうです。

「優勝を義務付けられているというか、サポーターもパートナー企業も、地域も、鹿島に関わるすべては、タイトルを望んでいますし、タイトルを取らないとあまり評価されなくなっているという実態もあります。18年にACLを制覇してから4年。そろそろ何かしらのタイトルを取らないといけません」

――6節の広島戦(●1-2)後にはサポーターがバスを囲み抗議する場面もありました。

「私の時代にも似たような経験をしましたが、それだけ期待が大きいということでもあります。サポーターたちの気持ちにも応えていかないといけません」

――周囲の期待や、偉大な伝統が重荷やプレッシャーになることはありますか?

「どうでしょうか。私自身は今、違う立場になっています。今までの30年の歴史があっても、同じことをやっていても上手くいかない。勝てていないのは事実ですが、時代の変化や環境の変化にアジャストさせながら、クラブ運営をしなければ、とも考えています」


鹿島らしさをベースに残しながら変化に対応していくべき





――2021年に吉岡宗重フットボールダイレクターに後任を託したのも、変化が必要だからでしょうか?

「鹿島はJの中では特長のあるクラブなので、アイデンティティというか、鹿島らしさをベースに残しながら変化に対応していくべきだと思っています。だから、ベースになる部分は、吉岡に10年間ともに仕事をするなかで伝えてきました。

 今の新しい時代には、彼ら次の世代が持つ違った能力や、新しい感性が必要なはずで、そこへバトンをつなぎました。本当に残さなければいけない部分と、変えなきゃいけない部分を明確にしながら、新しい鹿島を作っていくという時代に来ていますよね」

――残すべきところとは?

「フォア・ザ・チームというか、一体感や結束力。勝ちにこだわりながら、組織で戦っていくというところです。特に、強化的な視点から言えば、選手を獲るだけでなく、ポテンシャルをいかに100パーセント、それ以上に発揮させられるか。そのマネジメントに力を入れてやってきたので、そこは強化の仕事として残していかなければなりません。

 ここ数年は移籍に頼ったところもありますが、基本はアカデミーや新卒で良い選手をしっかりとスカウティングし、育てるのがベースです。プラス移籍で補うハイブリットにしないと、これからは勝てないと、今は少し強調しながらやっています」

――特長のあるクラブとはどういう意味でしょうか?

「“鹿島らしさ”とよくメディアにも言われますよね。やっぱりハードワークして戦う姿勢がベースにあって、諦めないで、泥臭くても最後は勝つ。そういう皆さんがイメージしている“らしさ”をなくしたくない、それを取り戻したいです」

――らしさを取り戻すのには何が必要でしょうか?

「伝統というか、フィロソフィーを作り上げるためには、やはりタイトルを獲らないとベースができません。次世代に継承するためには、勝っていくしかありません。いろいろ言っても、結局は伝統の継承とは勝つことでできるもの。タイトルを獲ったからこそ次につながるものがあります。

 だから、そろそろ勝たないと、鹿島アントラーズそのものが根底から覆ってしまうようなことにもなりかねない。今は、Jリーグが開幕した当初と同じような危機感を持ってやっています」

――タイトルを争うライバルについてはどう見ていますか?

「フロンターレやマリノスも強いですけど、フロンターレは今、ウチと同じような悩みを抱えていますよね。どんどん強くなって、注目されて、代表選手が増えてきた一方で、次々と主力選手が抜ける現象が起きています。

 どこのチームも5年、10年と安定して強いチームを作ることが難しくなっていると感じます。今季は特に、混戦です。どこが優勝して、どこが降格するのか分からないリーグ。それが面白さでもあるとは思いますが、今のJリーグを見ていると、本当に飛びぬけて強いチームがない。特に今季は、その傾向が強いのではないでしょうか。

 だからこそ、クラブとして新しいフェーズに対応して、日本サッカー界のリーディングクラブになれるように頑張っていきたいですね」

――◆――◆――

 鹿島は8節の神戸戦で1-5の大敗を喫したものの、続く9節の新潟戦から4試合連続の完封勝利で5位まで順位を上げている。5月14日に国立競技場で行なわれる次節の相手は3位の名古屋。30年前の開幕戦と同じ相手に、積み上げた伝統の強さを見せつけられるか。

取材・文●渡邊裕樹(サッカーダイジェスト編集部)





◆「そろそろ勝たないと、鹿島そのものが根底から覆る」“20冠”を知る鈴木満が見据えるアントラーズの進むべき道(サッカーダイジェスト)





2023年4月18日火曜日

◆カメラマンが見た鹿島の迷走 元“辣腕”クラブ強化担当の流儀に倣うなら「モーションを起こす時」(FOOTBALLZONE)



鈴木優磨


【カメラマンの目】好調神戸との差が鮮明、ファインダー越しで見えた鹿島の現状


「オレたちも勝ちたいんだよ!」

 降り続く雨のなか鈴木優磨が発した言葉は心からの叫びだった。

 J1リーグ第8節鹿島アントラーズ対ヴィッセル神戸の一戦。リーグ開幕から好調を維持し首位を走る神戸とは対照的に、鹿島は不安定な戦いが目立ち下位に低迷。試合はリーグの順位をそのまま反映するように1-5と結果、内容ともに鹿島の完敗に終わった。

 試合後、サポーターへの挨拶に向かう鹿島の選手たちの足取りは重く、彼らはホームベンチ側のゴール裏で深々と頭を下げると、肩を落としたままメインスタンド下のロッカールームへと引き上げて行った。

 だが、キャプテンの鈴木はほかの選手たちが去ったあとも、ひとりゴール裏に立ち尽くし続けた。広告看板に両手を付き、しばらく俯いたまま動こうともせず、ようやく顔を上げた鈴木の目は涙で濡れていた。鈴木はサポーターからの勝利を望む声を聞くと、広告看板を乗り越えてスタンドへと歩み寄り、試合に勝ちたいのはサポーターだけではなく、自分たち選手も同じ思いであると声を絞り出した。

 言うまでもないが選手は誰もが勝利を目指してプレーしている。しかし、戦術という意思統一で武装しなければ、たとえ高い個人能力を持つ選手たちが揃うチームであっても、ピッチで輝くことが難しいのがサッカーだ。

 その点で言えば神戸は目指すサッカーが明確であり、ピッチに立った選手たちの意思が見事に統一され、それが実際にプレーに表れていた。神戸スタイルの代表格となるのが汰木康也だ。汰木は華麗なテクニックを駆使しドリブルでチャンスを作るプレーを得意としている。だが、そうした個性の発揮は最小限に止められ、戦術の動きを優先するプレーに徹している。これが好調神戸の要因である。

 神戸の左サイドを活性化させるこの背番号14番は、ボールを持ち前線へと攻め上がると、相手のマークを受ける前に素早く味方へとパスをつなぐプレーが目に留まった。素早い判断は相手にマークに付かせる時間を与えず、そのためプレッシャーを強く受けることがないため、パスにもミスが少ない。

 神戸は左サイドの汰木だけでなく、右には武藤嘉紀が、さらに初瀬亮や齊藤未月など中盤から後方の選手も積極的に素早いパス交換からサイドを攻め上がり、ゴール前へ次々とラストパスを供給。中央で待つエース大迫勇也もターゲットマンとして、またゴールゲッターとして圧倒的な存在感を放った。神戸のプレースタイルはシンブルだったがスピードがあり、かつダイナミックであり、試合を通して鹿島守備陣を翻弄し続けた。

 圧巻だったのは勝利を揺るぎないものとしたチーム5点目となるゴールだ。後半40分、ジェアン・パトリッキがマーカーを振り切り力強いドリブルで右サイドを突破し中央へマイナス気味にパス。受けた山口蛍がすかさず縦にパスを出すと、走り込んできた酒井高徳に合う。酒井はさらに中央へボールを送り、最後は武藤がネットを揺らしたチーム5点目は完璧な崩しによる得点だった。

 対して鹿島のスタイルはどうだったか。組織的な守備はあまり見られず、さらに1対1でも競り負ける場面が目に付いた。攻撃面でもチームとしての崩しは作れず、攻守ともにタレントが揃っているものの彼らが存分に力を発揮できないまま、なす術なく敗れた印象だ。


勝負強さが消えたチームの姿に、来日の神様ジーコは何を思ったか…


 鹿島を強豪クラブへと仕立て上げたジーコが来日し試合を観戦していたが、かつての勝負強さが消えた今シーズンのチームの姿に、彼は何を思っただろうか。

 ジーコの横には長年に渡って鹿島の強化を担い、2021年までフットボールダイレクターとして辣腕を振るった鈴木満氏も観戦していた。かつて鈴木氏は監督交代などチームに大きなモーションを起こす目安はリーグ戦の成績が6位になった時だと語っていた。それ以下の順位に沈むと挽回は難しくなると考え、6位を決断の目安としていると語っていた。

 鈴木氏のことをあるJリーグチームのスタッフは、勝負師のような一面を持っている人物だと評していたこともある。なるほど、ほかのチームスタッフは難しい決断でも果敢に下し、それを成功させてきた鈴木氏のことをそうした人物だと見ているのかと思った。

 確かに鈴木氏本人も強化にあたって重要なことは最終的に自分の意思で決めると言っており、それが失敗すれば自分が辞めるだけだとも話していた。前出した他チームのスタッフがこうした言葉を聞いたわけではないが、鈴木氏の鹿島における果敢な姿勢による成功がまさに勝負師の姿だと思わせたのだろう。

 現在、チーム強化の任に当たるのは鈴木氏の右腕として10年以上に渡ってサポートしてきた吉岡宗重氏である。鈴木氏がチーム強化のノウハウをすべて教えたという吉岡FDは、今大きなモーションを起こす時を迎えているのではないだろうか。

 チームの現状を見れば神戸に敗れてリーグ15位と低迷し、残念ながら好転の兆しは感じられない。決断を起こす時の基準が必ずしも前任者の鈴木氏と同じである必要はないが、チームは明らかに迷走している。厳しい言い方だか現在の岩政大樹監督には指導者としての経験不足は否めず、低迷するチームを好転させる術を持ち合わせていない。

 それなら現場から一旦離れさせ、指導者として見詰め直す時間を作ってあげるのも1つの手であるように思う。

 このまま手をこまねいていては低迷からの脱却はまずない。監督交代は考えてないと吉岡FDは言うが、指導スタッフのテコ入れだけでなく、チームを上昇させるためには、強化責任者の彼が思い切ったモーションを起こす必要があるように思うが、その決断が注目される。

 サポーターに向かって見せた鈴木の涙が、鹿島に関わるすべての人たちの気持ちを奮い立たせるきっかけとなればいいのだが……。




◆カメラマンが見た鹿島の迷走 元“辣腕”クラブ強化担当の流儀に倣うなら「モーションを起こす時」(FOOTBALLZONE)





2022年9月28日水曜日

◆Jリーグが「フットボール委員会」新設 内田篤人や中村憲剛ら13人の委員を発表(FOOTBALLZONE)






 Jリーグは9月27日、Jリーグ規約および専門委員会規程に基づき、フットボールに関する事項について検討する「フットボール委員会」を新たに設置することを決定。13人の委員についても発表した。


 正式名称は「フットボール委員会」で、所管事項は(1)フットボール戦略に関する事項の検討・立案、(2)強化・育成に関する事項の検討・立案、(3)試合日程・リーグ構造・大会方式に関する事項の検討・立案、(4)フットボールの魅力向上に関する事項の検討・立案、(5)その他フットボールに関する各種制度等の検討・立案、となっている。

 13人の委員については以下のとおり。

窪田慎二 Jリーグ理事(※)
反町康治 Jリーグ理事/公益財団法人日本サッカー協会 理事 技術委員会 委員長
宮本恒靖 Jリーグ理事/公益財団法人日本サッカー協会 理事 国際委員会 委員長
立石敬之 Jリーグ理事/シント=トロイデンCEO
大倉 智 Jリーグ理事/株式会社いわきスポーツクラブ 代表取締役社長
森島寛晃 Jリーグ理事/株式会社セレッソ大阪 代表取締役社長
内田篤人 Jリーグ特任理事/公益財団法人日本サッカー協会 ロールモデルコーチ/シャルケチームアンバサダー
中村憲剛 Jリーグ特任理事/Frontale Relations Organizer/公益財団法人日本サッカー協会 ロールモデルコーチ/JFA Growth Strategist
三上大勝 株式会社コンサドーレ 代表取締役GM
鈴木 満 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー 強化アドバイザー
足立 修 株式会社サンフレッチェ広島 強化部長
西村卓朗 株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホック 取締役ゼネラルマネージャー
小林伸二 株式会社ギラヴァンツ北九州 スポーツダイレクター

※=委員長(任期は2022年9月27日~2024年1月31日まで)

(FOOTBALL ZONE編集部)





◆Jリーグが「フットボール委員会」新設 内田篤人や中村憲剛ら13人の委員を発表(FOOTBALLZONE)





2022年1月10日月曜日

◆J1鹿島強化の立役者、鈴木FD退任 忘れられない試合とは…(産経新聞)






サッカーJ1の鹿島を常勝軍団に育て上げた立役者の一人である鈴木満氏(64)が、2021年シーズン限りで強化責任者のフットボールダイレクター(FD)を退任する決断を下した。昨年末に会見した鈴木氏は「鹿島には残さないといけない部分と変わらないといけない部分がある。変わるには自分が変わるのがいいと判断した」と説明。1996年に強化責任者となってから20個の主要タイトルをもたらしたレジェンドには、どうしても忘れられない試合があるという。

鈴木氏は現役時代に鹿島の前身である住友金属工業でプレーし、鹿島のコーチなどを経て96年から肩書を変えながら一貫して強化責任者を務めてきた。就任元年に初めてJリーグを制したのを皮切りにリーグ優勝8回、リーグ杯優勝6回、天皇杯優勝5回、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝1回という輝かしい実績を残してきた。

「チームの結束力と勝利へのこだわりが鹿島イズム」と強調するだけに引き際は潔かった。2018年のACLを最後に主要タイトルから遠ざかり、国内に限ると5年連続の無冠。20年と21年のJ1では川崎の独走を許し、「20年と21年はフロンターレ(川崎)に勝ち点20以上の差を付けられ責任を感じていた。昨年10月27日に天皇杯準々決勝でフロンターレに負けて無冠が決まり、リーグ戦最終戦を前に小泉(文明)社長に退任の意向を伝えた」と決断の経緯を説明した。

強化責任者として心がけてきたのは誠実さだった。「選手と接するときに意識していたのは公平にみてあげること。報酬も含めて競争の激しい世界であり、『現場を見にもこない人が評価するのはおかしい』と思わせてはいけない。ちゃんと評価されていると思わせないと、組織として結束力は出てこない」。可能な限り現場へ足を運び、誤解を招くのを避けるために選手と飲みに行くことは一切なかった。

最も大変な仕事は選手やスタッフへの退団通告だった。「強化責任者になってから全部、私がやってきた。(21年シーズン限りでテクニカルダイレクターを退任する)ジーコにも、相馬(直樹)前監督にも私が伝えた。心は痛むし、一番労力がいる」と苦しい胸の内を吐露。「自分が辞めると決める方が簡単だった。ちょっと気持ちが楽になった」という。

最も印象に残っている試合に挙げたのは、川崎に逆転優勝を許した17年12月2日に行われたJ1最終節の磐田戦。勝てば優勝の好機に引き分けてタイトルを逃し、「勝つとその日はうれしいけど、次の日には切り替わる。負けると引っ張ってしまって、次に勝たないと上書きされない。日付も忘れない17年12月2日に優勝を逃してから国内タイトルを取れておらず、頭に引っかかっている」と悔しさを拭えずにいる。

近年は海外に挑戦する選手の若年化に悩まされ続けた。「時代の流れだし海外にいくのはいい」と理解しつつ、「新卒から育ててチームの中心になった選手を引き抜かれる」と戦力維持に苦慮。今後の強化方針について「サッカーのスタイルを確立し、どんな選手が必要かを明確にする。適材適所で他クラブの選手や外国人を取ってくるスカウト体制を充実させないといけない」と提言した。

後任には11年から強化担当としてのノウハウを伝えてきた吉岡宗重氏(43)が就く。自身の退任を不安視する声は、「ここ数年、自分が考えてきた鹿島のあり方を言葉や文字で伝えてきたつもり。吉岡は能力があって新しいサッカーにも精通している。私の下で11年間働いて準備してきたので心配していない」と一蹴した。

鹿島にすべてをささげてきた生活に区切りをつけ、「全47都道府県にいったけど、試合の思い出しかない。スタジアムしか知らないから観光にいってもいいかな」と穏やかに笑う。ともに数々のタイトルを獲得してきた柳沢敦や小笠原満男、曽ケ端準ら鹿島に残るOBに「鹿島の流儀を身に付けていて、伝統を継承する責任がある。今度は彼らの番だ」とエールを送り、強化部門の第一線から退く今後は強化アドバイザーとして愛するクラブを支えていく。(運動部 奥山次郎)



◆J1鹿島強化の立役者、鈴木FD退任 忘れられない試合とは…(産経新聞)





2021年12月30日木曜日

◆鹿島「歴史や伝統に拘り過ぎれば時代に取り残される」。20冠全てを知る男の退任、改革と進化の覚悟(REALSPORTS)






Jクラブ最多、前人未到の20冠を誇る“常勝軍団”、鹿島アントラーズの一時代が終わりを迎えようとしている。これまでに獲得した全てのタイトルを知る、鈴木満フットボールダイレクターがクラブを去る。鹿島イズムとジーコスピリットを脈々と継承しながら、強化と育成に尽力してきた。だがこの5年間、国内無冠に終わったことも事実だ。クラブの歴史を知る男の退任は、新たな黄金時代の幕開けとなるだろうか――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)


鈴木満の脳裏に焼きついて離れない、あの“負けた”試合


コーチとして。強化育成課長として。強化部長として。そして、フットボールダイレクターとして。1993シーズンに始まったJリーグにおける鹿島アントラーズの歴史の全てに関わってきた64歳の鈴木満の脳裏から、焼きついて離れない一戦がある。

今でも対戦相手より先に日付が思い浮かぶ。ただ、それは勝った試合でも、ましてやタイトルを手にした試合でもない。2017年12月2日。敵地でジュビロ磐田とスコアレスドローに終わったJ1最終節を、鈴木は「負けた」と位置づけている。

「僕は負けた試合をどうしても引きずってしまう。そして、次の試合に勝てて初めてそれを書き換えられるというか、負けたという事実を消化して次に進めるので」

同時間帯に行われた一戦で、大宮アルディージャに5-0で快勝した川崎フロンターレに勝ち点72で並ばれ、キックオフ前から大きく後塵を拝していた得失点差で首位から陥落した。川崎の初優勝をお膳立てしたからこそ、鈴木は「負けた」と繰り返す。

「あれからリーグ戦のタイトルを取れていない、という点で磐田との試合がずっと心に引っかかっている。次に優勝して初めて忘れられるんですけど」


「もう終わりにしよう」。今が代わるべき時だとけじめをつけた


翌2018シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)こそ初優勝したものの、国内タイトルでは2017シーズンから無冠が続いていた。迎えたクラブ創設30周年となる今シーズン。鹿島の礎を築き上げたテクニカルディレクターのジーコと、鈴木はある思いを共有してきた。

「今シーズンの契約を更新するときに、実はジーコも『今年が区切りかな』と言っていたんですね。メルカリに移行して3シーズン目で、何となくだけど、僕自身も一つの区切りという思いがあった。もちろんタイトルを目指して戦ってきましたけど」

しかし、リーグ戦では2シーズン続けて川崎に独走を許していた。YBCルヴァンカップは準々決勝で名古屋グランパスに2戦合計0-4で完敗。そして、天皇杯準々決勝で川崎に1-3で敗れた10月27日に今シーズンも無冠が決まった。

「その日に『もう終わりにしよう』と自分の中でけじめをつけました。クラブとして残していかなければいけない部分と変わらなければいけない部分がある中で、変わる部分でいえば自分が代わるのが一番かなと。タイトルを取れなかった責任と新しい鹿島のスタートという意味で、今が区切りとしては一番だという判断を下しました」

リーグ戦の最終節前に小泉文明社長へ辞意を伝え、一時は預かりとなったものの、シーズン終了後に了承された。クラブから鈴木の退任が発表されたのはクリスマスの25日。一つの時代の終焉(しゅうえん)は、サッカー界に驚きを持って受け止められた。


鹿島に黄金時代をもたらした鈴木流の強化“設計図”


J1リーグ戦で8度。ルヴァンカップで6度。天皇杯で5度。さらにACLを加えたライバル勢の追随を許さない通算20冠は、鈴木の存在を抜きには語れない。

ただ、1996シーズンのリーグ初優勝をはじめ4冠を獲得した1990年代と、史上初の国内三冠を独占した2000シーズン、前人未到のリーグ3連覇を果たした2007~09シーズンを含めた2000年代以降では、チームをつくっていく上での指針が根本的に違っている。

1990年代は外国籍選手、それも現役ブラジル代表だったレオナルドやジョルジーニョというビッグネームがチームの「幹」を形成した。クラブの確固たるブランドをつくる上での先行投資だったと、1996年2月にコーチから強化育成課長に就任した鈴木は言う。

「かなりの額の赤字も出しましたが、タイトルを取り続けていけば2002年FIFAワールドカップ(日韓大会)開催都市となり、そうなればカシマサッカースタジアムを大きく改修できると。スタンドが大きくなればもっと集客アップを見込めるし、そうならなければアントラーズは存続していけないという危機感が、チームを立ち上げたときからありました」

実際に3年間で4つのタイトルを取り、磐田と2強時代を形成した1996シーズン以降でトップクラブとして認知され、日本人選手の有望株を獲得できる状況が整った。

そして、リーグ全体が健全経営にシフトした2000シーズン以降は、日本人選手を「幹」に据え、足りない「枝葉」の部分を外国籍選手で補う方針へ180度転換した。2000年11月に強化部長に就任した鈴木から、こんな設計図を聞いたことがある。

「加入して3年目くらい、高卒ならば20歳過ぎでレギュラーとなった選手が、30歳前後まで『幹』を担っていく中で、最後の3年間くらいを次の『幹』とうまく重ねる。そうすることで、アントラーズの伝統を選手から選手へと引き継がせるんです」

果たして、2000シーズンで主軸として台頭したのは、高卒3年目を迎えていた小笠原満男であり、中田浩二だった。同期の曽ヶ端準や本山雅志と共にリーグ戦3連覇を支えた中で、彼らが30歳を超えた2010年夏に大きな転機が訪れた。


2010年夏に訪れた大きな転機。選手たちの価値観の変化


次なる「幹」だった高卒5年目の内田篤人がブンデスリーガのシャルケへ移籍。2013シーズンのオフには、同じく高卒5年目の大迫勇也もドイツへ新天地を求めた。12月27日にオンライン形式で行われた囲み取材で、鈴木はこんな言葉を残している。

「環境の変化というか、強いクラブに入ってJリーグで優勝するよりも、海外へ挑戦することに選手の価値観が変わった。しかも海外移籍がどんどん若年化している。3、4年をかけてようやく中心に育ってきた選手が抜かれると、新卒選手を育てる方針の下でやってきただけに、チーム力や戦力を安定させていくのが非常に難しくなる」

より高いレベルに挑みたいと望む選手を、むやみに引き留めはしなかった。しかし、日本サッカー界に訪れた新たな潮流はますます顕著になっていった。

2016シーズンのオフには、鈴木をして「あいつが抜けたら大変なことになる」と言わしめていた柴崎岳がスペインへ移籍。2018年7月には植田直通、同年オフには昌子源と最終ラインを支えてきたセンターバックコンビもヨーロッパへ旅立った。

さらに2019年夏には鈴木優磨、安西幸輝、そして安部裕葵が一気に移籍。チームの「幹」が定まらない状況下で、2000年に定めた設計図をなかなか具現化できずにいた。


歴史や伝統にこだわり過ぎれば時代に取り残される


生え抜きの選手を鹿島色に染めながら育てて、同時に他のJクラブから日本人選手や外国籍選手を補強する方針も加えた。それでもタイトルが遠い状況で、黎明(れいめい)期から貫いてきたブラジル路線に新たなエッセンスを融合させる決断が下される。

オーストリアの大手企業、レッドブル・グループが経営するブラジルのクラブで指揮を執っていた、ザーゴ監督を招聘(しょうへい)した昨シーズンの狙いを鈴木はこう振り返る。

「アントラーズのサッカーを少しアップデートする、というもくろみでレッドブル・グループにいたザーゴ監督の下で厳しく、激しく、縦に速いサッカーを目指したかった」

結果としてザーゴ監督は成績不振を理由に、今年4月に解任された。それでもブラジル出身ながらヨーロッパの薫陶を受けているザーゴ監督に指揮を託した背景には、歴史や伝統にこだわり過ぎれば時代に取り残される、という危機感があった。

ザーゴ監督からバトンを託され、最終的にはリーグ戦で4位に立て直した相馬直樹監督もオフに退任した。鹿島の黄金時代を選手として経験した指揮官との契約更新を見送ったのは、すなわち歴史や伝統よりも改革が選択されたことを意味している。

ニュルンベルク(ドイツ)やアンデルレヒト(ベルギー)を率いた経験を持つ、スイス出身のレネ・ヴァイラー監督をクラブ初のヨーロッパ人指揮官として招聘した理由を鈴木はこう語る。

「最初からヨーロッパ人監督でいこう、というよりもブラジルで若くて、ヨーロッパの現代サッカーを勉強している指導者をジーコも含めて探しました。しかし、ブラジル国内でも外国人監督が増えている状況で、じゃあどうしようかと。いろいろとリストアップした中で5人ぐらいとリモートで面談して、プレゼンも聞いた上で、今のアントラーズのサッカーを理解しながらアップデートさせることに一番適応できると判断しました」


改革を推し進める中で、「残していかなければならない部分」とは?


クラブの功労者であるレオ・シルバや遠藤康、永木亮太、犬飼智也、白崎凌兵らの移籍を含めて、鈴木が言及した「変わらなければいけない部分」がこのオフに前面に押し出された。ならば「残していかなければいけない部分」は何なのか。

取締役フットボールダイレクターとして、鈴木はジーコに来シーズンのテクニカルディレクターとしての契約を更新しないと告げた。日本とブラジルとで離れ離れの関係になるが、黎明期に伝授された「ジーコスピリット」は普遍的だと鈴木は言う。

「チームの結束力と一体感、そして勝利へのこだわりをコンセプトとしてやってきた。一体感をどうやってつくっていくのか、というノウハウはいろいろあるんですけど」

結束力と一体感を高めるキーワードはクラブへの帰属意識であり、帰属意識の最大のベースになるのが「選手たちを大切にすること」だと鈴木は力を込める。

「一般の社会よりも競争が激しい世界で『ちゃんと評価されていない』と思う選手が多ければ、当然ながら結束力や一体感は出てこないし、組織が持つポテンシャルも発揮できない。なので、まずはしっかり現場を見て、公平に評価することを常に意識していました。公平性を担保させるためには全員と同じように付き合わなければいけないから、選手と食事にも飲みにも行かない。そこはしっかりと線引きしてきました」

肩書きに「取締役」や「常務取締役」が加われば、必然的に現場へ足を運べない時間も増える。その場合には別のスタッフが必ず顔を出す。労力をかけて情報を共有し、チームとして常に選手たちを見ているというメッセージを発信してきた。

「チームを管理する上で、僕たちフロントはどのようなタイミングで選手たちと行動を共にして、どのような立場で何をしなければいけないのか、という基本的な部分をジーコから教えられました。強化の仕事はシーズンを戦うための陣容を整えたらそれで終わりではない、いかに集団を機能させるかが大事だとジーコからはよく言われました」

アマチュアからプロになった黎明期に、強化担当を含めたフロントにも容赦なく突きつけられたジーコの厳しい要求を、鈴木はこう振り返ったことがある。


新たなフットボールダイレクターの下で、どのように生まれ変わるのか


鹿島のアイデンティティーともいえる「ジーコスピリット」を、鈴木の立ち居振る舞いや言葉、そして文字を介して伝授されてきたのが、後任のフットボールダイレクターに就任するフットボールグループの吉岡宗重プロチームマネージャーとなる。

大分トリニータで強化担当や強化部長代理を務めていた吉岡は、強化担当者会議などで主義主張をしっかりと言葉にする姿や、他クラブとのネットワークのつくり方などを鈴木に評価され、いつかバトンを託す存在として2011年に鹿島へ移った。

「大分の社長へ直訴して来てもらってから、準備はしてきたつもりです。鹿島らしさというか鹿島のアイデンティティーをすごく理解しているし、年齢も43歳とまだ若く、新しいサッカーにも精通している。適任だと思っています」

歴史や伝統を大切にしながら、時代の流れに適応するための改革や変化も辞さない。常勝軍団の中でより強く脈打たれる、二律背反するイズムが奏でるバランスが、生き字引的な強化責任者の退任とともに生まれ変わる鹿島が躍進するかどうかのカギを握る。(文中敬称略)

<了>


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◆鹿島「歴史や伝統に拘り過ぎれば時代に取り残される」。20冠全てを知る男の退任、改革と進化の覚悟(REALSPORTS)


◆鹿島を常勝軍団に育てた強化責任者・鈴木満さんの退任に思うこと(日刊ゲンダイ)






 J1リーグ優勝8回、リーグカップ優勝6回、天皇杯優勝5回にACL優勝1回ーー。

 20個ものタイトルを獲得して〈常勝軍団・鹿島〉の礎を築いた鈴木満FD(フットボールダイレクター)が、年の瀬の12月27日に今シーズン限りでの退任を発表した。

 鈴木氏は宮城工から中央大を経て、鹿島の前身である住友金属に入社。選手として活躍後は1989年に監督に就任。Jリーグ誕生に合わせて鹿島アントラーズの立ち上げに尽力し、トップチームのコーチを務めた後、1996年からは強化責任者としてリーグ初優勝を果たすなど数々の栄光を鹿島にもたらした。


■トルシエ監督を肴に盃を交わしたアスンシオンの夜


 1999年にフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表は、パラグアイで開催されたコパ・アメリカに招待された。大会期間中はトルシエ監督と主軸MF名波浩が対立するなど険悪なムードが漂い、成績は1分け2敗と白星なしに終わり、大会後はトルシエ監督の進退問題にも発展した。

 このコパ・アメリカでは、たまたま同じホテルに泊まっていた満さん(鈴木氏のことを記者やサッカー関係者は、その気さくな人柄から満さんと呼ぶ)、当時は横浜Mのチームディレクターだった下條佳明氏(現・松本テクニカルダイレクター)の3人でホテルのバーでサッカー談義に盛り上がった。

 南米の選手たちのずる賢いプレーを肴に盃を交わし、時にトルシエ監督への不満点を挙げたり、カウンターに並んでアスンシオンの夜を楽しんだものだ(湖畔のホテルは治安が良かったものの、窓の外はただの暗闇ではあったが)。 

 話を元に戻そう。鈴木氏が辞任の決意を固めたのは、親会社がメルカリに移行して「3年目がひとつの区切りと思い、今年が最後と思ってスタートした」ものの、タイトル奪還は果たせなかった。 

 さらに「5年間でタイトルを取っていない。川崎Fとは(勝ち点)20点差。責任を感じていたし、強化の責任者としてひとつの区切りにしないといけない部分があり、自分が代わるのが一番、分かりやすい」と判断しての決断だった。

 この「5年間でタイトルを取っていない」は重たい言葉だ。

 2017年から川崎Fと横浜M以外、リーグタイトルを取ったチームはない。だからといって、それで強化責任者が辞任したチームは皆無である。満さんの退任から、それだけ〈常勝を義務付けられている〉のが鹿島というチームであることが分かるだろう。 

 その原動力となったのが、満さんが確立した鹿島の流儀ともいえるサッカースタイルだ。

 4-4-2をベースにした堅守速攻は、劣勢に見えても「最後に勝つのは鹿島」だった。そんな鹿島を支えたのが、満さんら強化部の選手を見極める確かな目に加えて〈伝説のスカウトマン〉と言われた平野勝哉の存在だ。


■鹿島のスカウトが歩いた後はペンペン草も生えない


 柳沢敦(富山第一)、平瀬智行(鹿児島実)、鈴木隆行(日立工)、中田浩二(帝京)、本山雅志(東福岡)、小笠原満男(大船渡)といった高卒の即戦力ルーキーを獲得し、日本代表にも育て上げた。

 高校サッカー選手権やインターハイはもちろん、全国各地のフェスティバルもつぶさに視察。「自分以外はこの試合を見に来ていないだろうと思ったら平野さんがいた」とか、選手獲得の交渉に入る以前に「平野さんの歩いた後はペンペン草も生えていない」と言われたほどのスカウトマンが平野氏だった。

 その伝統は後継者にも受け継がれて優秀な選手を獲得してきたが、近年では昌子源(米子北)、植田直通(大津)、柴崎岳(青森山田)、鈴木優磨(鹿島ユース)、安部裕葵(瀬戸内)ら多くの高卒ルーキーが海外に活躍の場を求めた。

「強いチームで優勝するよりも海外へ出て行きたい、25歳までじゃないと海外には行けない、と若年化している。(入団して)2~3年で選手を(引き)抜かれたり、枝葉の選手ではなく、『この選手を中心にしてチーム作りをしよう』と思っていたのに抜かれるとチーム作りは難しい」と時代の変化を口にした。

 今後について問われると「30年の人生、ほとんど鹿島に使ってきた。趣味もないし、これからどうしたらいいか、分からない」と満さん。正直な感想だろう。


■選手を公平に見ることの難しさ


 選手と接する際に意識したのは「公平に接してあげること」だった。

「サッカーの世界は、競争の激しい世界。そこでちゃんと評価されていないと思ったら(選手は)ポテンシャルも発揮できない。そこで公平に、しっかり現場を見て評価することを意識したし、それを選手に植え付ける」ことの重要性を強調した。

 このことは、他チームの強化担当者もやっているかも知れない。しかし、満さんは徹底していた。

「公平に見るために、選手とは食事や飲みには行かない。仕事(だけ)で信頼関係を作るのは非常に難しいよ」と笑ったが、誰もができることではない。

 それを満さんは、30年近くも守り通してきた。これも〈鹿島イズム〉の原動力のひとつだろう。

 現在の心境を聞かれると「一番は、ほっとしているところ。ちょっと気持ちが楽になったというか。そういう感覚がありますね」と肩の荷を下ろした安堵感を口にした。

 鹿島でのサッカー人生については「長い期間でしたけど、自分としてはあっという間でした。1週間に2回(試合の)結果が出るし、毎日毎日が戦い。刺激のある日々で今、振り返っても30年はあっという間だった」と達成感を述べていた。

 鹿島の前身である住友金属は、日本サッカーリーグ(JSL)では2部を主戦場としてきた。鈴木氏はJSLに3シーズン52試合に出場し、3アシストを記録した。ジーコが加入しても、ホームゲームは住友金属鹿島の敷地内にある、照明設備も満足にないグラウンドで試合をしていた。


■ジーコのハットトリックで自信が生まれた


それが、サッカー専用のカシマスタジアムの建設により、まさかのJリーグ「オリジナル10」入りを果たした。そこから鈴木氏の新たな挑戦は始まった。

 1993年5月16日、ジーコのハットトリックなどで名古屋に5-0と大勝。お荷物の下馬評を覆した。「名古屋に勝って、これで何とかJで戦っていけるかな、と自信になった」試合でもあった。

 以来30年、これだけ長きに渡り、ひとつのクラブに関わったJリーグ関係者はいない。それだけ希有な存在でもあるが、満さんなら「そんなことはないよ」笑って否定するだろう。

 本当に「お疲れ様」と言いたいところではあるが……もし満さんが他チームの強化担当者に就任したら、そのチームはどうなるのか? その可能性は極めて低いだろう。しかし、それはそれで大きな楽しみでもある。


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◆鹿島を常勝軍団に育てた強化責任者・鈴木満さんの退任に思うこと(日刊ゲンダイ)





2021年12月28日火曜日

◆“非常事態”の鹿島に大ナタ――忘れてはいけないのは、全員の当事者意識と覚悟、同じ方向に進む一体感(サッカーダイジェスト)






今までしなかった選択をするという動きが本格化


 国内で5シーズン無冠に終わった鹿島が今オフ、復権を目指し、今までとは異なる決断を下している。

 まずは監督。退任した相馬直樹前監督の後任として、スイス人指揮官レネ・ヴァイラー氏に指揮を任せることを決めた。ブラジル色が濃く残るクラブにあって、欧州国籍を持つ指揮官を招くのは今回が初めてになる。今季まで強化責任者を務めた鈴木満フットボールダイレクター(FD)は監督選定の経緯を説明する。

「最初から欧州の監督にいこうというよりも、ブラジルで若くて、現代サッカーの勉強をしている指導者はいるか、と探した。ブラジルでも強いクラブは、アルゼンチン人、ポルトガル人が監督を務めているので、なかなか若くて日本に来てやれるような(ブラジル人)指導者がいなかった。

 どうしようかとなった時に、ポルトガル語を理解するスタッフがいて、クラブのリソースを活用しようと思い、(欧州に目を移して)ポルトガル人でリサーチした。リストアップした中で、4人くらい面談した。その中から鹿島のサッカーを理解し、アップデートさせてくれる、一番適応できると感じ、今度の監督に決まったという経緯ですね」

 今季途中で解任されたザーゴ前監督に要請する前から欧州への意識は持っていた。それでもブラジル人を優先的に人選したのは、安心して任せられる通訳がいて、慣習、国民性への理解などこれまで積み上げてきたノウハウがあり、自信と結果を得ていたから。クラブ節目の創設30周年の年に無冠に終わったことで、リソース関係なく、土台から変える。今までしなかった選択をするという動きが本格化したのだった。

 次に鈴木氏の退任である。今季限りで強化責任者であるFDから降板が決まった。クラブ主導の解任ではなく辞任という形だが、1996年から26年、強化責任者として20個のタイトルをもたらした中核が示した辞意を、最終的にクラブが受け入れたことは大きな変化だ。

 後任は、11年間鈴木氏の下で強化担当を務めていた吉岡宗重氏に決まった。鈴木氏は「自分が変わったほうが、クラブも変わることができる」と話した。コメントからは、クラブの中に「変わらなければいけない」という意識が強くあることがうかがえる。
 

これまでなかったことが鹿島で起き始めていることを実感





 クラブに貢献度の高かった選手たちを放出したこともそうだ。鹿島一筋15年の遠藤康が仙台へ移籍し、大迫勇也、柴崎岳らの海外流出を、プレー面、世代面でカバーしていた永木亮太が湘南へと旅立った。心臓役だったレオ・シルバは名古屋へ。ディフェンスラインの主軸、犬飼智也は浦和へ、町田浩樹のベルギーリーグ挑戦も濃厚だ。来季のアジア・チャンピオンズリーグ出場権を得られなかったことが影響し、多くのベテラン、主力が去っていった。これまでの緩やかな戦力入れ替えとは一線を画す手法で変化を求めていることを強く感じる。

 結果が出なければ、変わる、代えることはビジネスの世界でも一般的だ。勝負の世界ではなおさらシビアに行なわれるべきだろう。5シーズン、国内タイトルから遠ざかっていることは鹿島にとって非常事態だから、その渇望は理解できる。

 一方でこれまで大事にしてきたものが見過ごされないか、不安がないわけではない。今季のホーム最終戦、選手代表のあいさつに立った三竿健斗から発せられた言葉は、クラブ批判とも監督批判とも受け取れる内容だった。これまでなかったことが鹿島で起き始めていることを実感させられた直後だけに、すべての決断を前向きに受け止めることは、まだできない。

 奇跡のJリーグ加盟、タイミングを見て行なうチームの再編成など変化を恐れなかったから、多くの栄光を手にできた。練習の緊張感、勝利へのこだわりは継続があって手にしたものと言える。それを上手にやってこられたからこそ、鹿島が築かれた。

 いずれにしてもそこには全員の当事者意識と覚悟、クラブ全体が同じ方向に進む一体感があったことは、忘れてはいけない。「代わるが、強みは変わらない」。鹿島が今後も強くあり続けるために、大ナタを振るった。

取材・文●内田知宏(報知新聞社)




◆“非常事態”の鹿島に大ナタ――忘れてはいけないのは、全員の当事者意識と覚悟、同じ方向に進む一体感(サッカーダイジェスト)




◆鹿島20冠支えた鈴木満FD退任「一番はほっとしているところがある」(ニッカン)






常勝軍団をつくりあげ、今季限りの退任を発表した鹿島アントラーズの鈴木満フットボールダイレクター(FD、64)が27日、オンラインで取材に応じた。前進の住友金属時代からアントラーズに携わり、96年から強化育成課長、00年から強化部長に就任。鹿島の20冠をスタッフとして支えてきた。30年間に及ぶ大役から離れることに、鈴木氏は「一番はほっとしているところがある。ちょっと気持ちが楽になったというか。そういう感覚がありますね」と話した。

他クラブのサポーターから「憎たらしいほど強い」と一目置かれた常勝軍団。だが直近では5年間、国内タイトルから遠ざかり、2シーズン続けて優勝した川崎フロンターレに勝ち点で大差をつけられた。今季は、親会社がメルカリに移行して3季目で「3年というのをなんとなく1つの区切りの思いがあった」。優勝を目指して船出したシーズンだったが、ザーゴ監督を成績不振で途中解任。相馬直樹監督が就任し4位まで順位を上げたが、フロンターレとの差は昨季に続き埋められなかった。鈴木氏は「この2年間の成績不振は責任をすごく感じていたし。ジーコも今季でTD(テクニカルディレクター)を退任すると。その通達もした。相馬監督の退任の通達もした。正直、10月27日、天皇杯で川崎に負けて無冠が決まったその日、終わりにしようとけじめをつけて。リーグの最終戦の前ですかね。小泉さん(小泉文明社長)に意向を伝えてシーズン後に承認をいただいた流れでした」と退任の経緯を説明した。

鹿島に携わった30年。17年12月2日は忘れられない日だ。ジュビロ磐田に引き分け、川崎フロンターレに逆転優勝を許した。「負けた後、次の試合に勝てて初めて消化して次に進める世界。リーグのタイトルとれなくて今でも消化し切れていない。次のリーグで優勝して、あれが初めて忘れられる試合。勝てないで終わってるから、まだ、心に引っかかっているというか。あの試合が今は頭に残っている試合ですね」。歴代の社長はこれまで、すべてタイトルを経験してきたが、小泉社長だけにタイトルをプレゼントできなかったことが心残りだという。

鹿島にはジーコ氏とともに積み上げた哲学、アイデンティティーがある。FDの後を継ぐ吉岡宗重氏をはじめ、鈴木氏は時間をかけてそのアイデンティティーを言語化し伝えてきた自負がある。「チームの結束力・一体感、勝つ事へのこだわり。その2つをコンセプトにやってきた。一体感をどう作るかのノウハウはいろいろあって。後進に伝えることはやってきた」。近年は、補強がかみ合わず、獲得した選手が短期間で移籍するケースも多かった。今後はスカウト体制も充実させるという。「引き続き今のサッカーをアップデートしながら、自分たちの戦い方を確立する。それができれば、どんな選手、選手に求めるものが明確になればスカウトも活動しやすくなる。サッカーを継続してアップデートする作業が出来れば川崎に追いつけるかな」。

来季からはスイス人のレネ・バイラー監督が就任する。鈴木氏とジーコ氏がつくりあげた鹿島が生まれ変わり、国内タイトル獲得へスタートする。




◆鹿島20冠支えた鈴木満FD退任「一番はほっとしているところがある」(ニッカン)





2021年12月26日日曜日

◆常勝・鹿島を作った男、“伝説のGM”鈴木満氏が退任…ジーコイズムで20冠獲得に貢献(報知)






 鹿島は25日、強化責任者でフットボールダイレクターの鈴木満氏が今季限りで退任すると発表した。後任にはフットボールグループプロチームマネージャーの吉岡宗重氏が就任、鈴木氏は今後、クラブの強化アドバイザーに就く。鈴木氏はジーコからプロクラブの教えを直接たたきこまれた人物で、クラブの要(かなめ)的な存在だった。クラブ創設30周年を迎えた今季は無冠に終わり、3シーズンタイトルから遠ざかったことなどから辞意を伝えたという。

 鈴木氏は宮城工から中大を経て、住友金属に入社。鹿島のクラブ立ち上げから関わり、トップチームのコーチを務めた後、1996年から強化責任者に就任した。鹿島の伝統的なサッカーをブラジル人監督に理解させ、継続したチーム作りで多くのタイトルをもたらした。また、徹底的な対話でチーム内のトラブルを未然に防ぎ、強さの礎となる「一体感」を作り続けてきた。

 強化責任者として獲得した主要大会におけるタイトルは20個。1996年のJリーグ初制覇を皮切りに、リーグ8回、ルヴァン杯(ナビスコ杯)6回、天皇杯5回、ACL1回に導くなど、手腕を発揮してきた。愛称で呼ばれる「まんさん」(本名・みつる)は常に公正な判断を下し、選手からの信頼も厚かった。鹿島の一時代を築いた伝説の「GM」が、第一線を退くことになった。

▽鈴木満氏

「ここ5年間の国内タイトル無冠、創設30周年となる今シーズンも不本意な成績で終わり、強化のトップとして果たせなかった責任は大きいと痛感しています。アントラーズが今後も勝利を積み重ねていくためには、築き上げた哲学の継承とともに、チームの改革が必要な時期にきていると思います。タイトル奪取に向けて一丸となって戦い続けていくクラブの応援とサポートを、これからもよろしくお願いします」

▽吉岡宗重氏

「来シーズンよりフットボールダイレクターに就任することになりました吉岡宗重です。これまでのアントラーズの伝統と文化を引き継ぎ、クラブミッションである『すべては勝利のために』という使命を果たすべく、献身的に取り組んで参ります」




◆常勝・鹿島を作った男、“伝説のGM”鈴木満氏が退任…ジーコイズムで20冠獲得に貢献(報知)


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