http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2013120302000235.html
162センチの小さな体に限りない闘志を秘めている。J1の名門、鹿島に内定した岐阜・帝京大可児高3年のMF杉本太郎(17)。かつてJ1名古屋のジュニアチームで味わった挫折を糧に、世界から注目を浴びるプレーヤーに成長を遂げた。 (深世古峻一)
不調に陥ると、今でも必ず思い出すようにしている光景がある。名古屋の下部組織U-12(12歳以下)に所属していた小学6年のとき、上のカテゴリーに進むことができなかった。DFとしてプレーしていた当時、技術は高かったが、身長は140センチほど。「当たり負けしていた。仕方ない」
自分では納得していたが、父親の和彦さん(55)は悔しさで涙を流していた。詳細は覚えてなくても、大人が泣く姿は鮮明に焼きついた。「もうこんな思いはさせたくない。絶対にうまくなる」と心に誓った。
高校入学直後から攻撃的MFとして3年生に交じって練習。まともにぶつかれば当たり負ける上級生を相手に、運動量を生かしてマークを外すすべを学んだ。「常にポジショニングを考えていたので、プレーが連続してできるようになった」
より良いポジションでボールを受けて前を向く動作を繰り返し、ドリブルやシュートで相手にプレッシャーをかける。次のプレーへの意識を根付かせたことで、高い技術を存分に発揮できるようになった。
その後は一気に駆け上がった。日本代表として臨んだ昨年のU-16アジア選手権で準優勝。3得点と活躍した杉本は最優秀選手(MVP)に選ばれた。「この大会がなかったら今の自分はない」という国際舞台での活躍に、イタリアやフランスの1部チームからもオファーが届いた。
今年10月にアラブ首長国連邦で行われたU-17ワールドカップ(W杯)では、中央からのパスで何度も決定機を演出。世界の舞台で自信を深めた半面、外すことが多かったシュートの精度に課題を感じた。将来的な海外挑戦も視野に入れ、サッカーに集中できる環境と、育成力を理由に鹿島を選んだという。「大きい選手より、小柄な選手に負けたくない」。小兵であることをハンディと感じていないゆえ、プライドがにじんだ。
杉本 太郎(すぎもと・たろう) 1996年2月12日生まれ。岐阜県多治見市出身。J1名古屋U-12、岐阜VAMOS(バーモス)を経て岐阜・帝京大可児高に入学。高校2年時、年代別の日本代表に初選出され、今年6月にJ1鹿島と仮契約。16強入りしたU-17W杯では1得点を挙げた。
不調に陥ると、今でも必ず思い出すようにしている光景がある。名古屋の下部組織U-12(12歳以下)に所属していた小学6年のとき、上のカテゴリーに進むことができなかった。DFとしてプレーしていた当時、技術は高かったが、身長は140センチほど。「当たり負けしていた。仕方ない」
自分では納得していたが、父親の和彦さん(55)は悔しさで涙を流していた。詳細は覚えてなくても、大人が泣く姿は鮮明に焼きついた。「もうこんな思いはさせたくない。絶対にうまくなる」と心に誓った。
高校入学直後から攻撃的MFとして3年生に交じって練習。まともにぶつかれば当たり負ける上級生を相手に、運動量を生かしてマークを外すすべを学んだ。「常にポジショニングを考えていたので、プレーが連続してできるようになった」
より良いポジションでボールを受けて前を向く動作を繰り返し、ドリブルやシュートで相手にプレッシャーをかける。次のプレーへの意識を根付かせたことで、高い技術を存分に発揮できるようになった。
その後は一気に駆け上がった。日本代表として臨んだ昨年のU-16アジア選手権で準優勝。3得点と活躍した杉本は最優秀選手(MVP)に選ばれた。「この大会がなかったら今の自分はない」という国際舞台での活躍に、イタリアやフランスの1部チームからもオファーが届いた。
今年10月にアラブ首長国連邦で行われたU-17ワールドカップ(W杯)では、中央からのパスで何度も決定機を演出。世界の舞台で自信を深めた半面、外すことが多かったシュートの精度に課題を感じた。将来的な海外挑戦も視野に入れ、サッカーに集中できる環境と、育成力を理由に鹿島を選んだという。「大きい選手より、小柄な選手に負けたくない」。小兵であることをハンディと感じていないゆえ、プライドがにじんだ。
杉本 太郎(すぎもと・たろう) 1996年2月12日生まれ。岐阜県多治見市出身。J1名古屋U-12、岐阜VAMOS(バーモス)を経て岐阜・帝京大可児高に入学。高校2年時、年代別の日本代表に初選出され、今年6月にJ1鹿島と仮契約。16強入りしたU-17W杯では1得点を挙げた。