東京ヴェルディのクラブハウスのロビーにはスポンサーのロゴ入りパネルが立てられ、大小のカメラがスタンバイしていた。
しかし、それはインドネシアメディアによる同国代表のアルハンへの取材セットで、染野唯月のインタビュースペースは、ロビー隅のソファーだった。
そのことを同い歳の石浦大雅にからかわれ、言い返す様子から、すっかりチームに馴染んでいることが伝わってきた。
試合に出ることがサッカー選手として大事なこと
「年齢の近い選手が多くてコミュニケーションが取りやすいので、だいぶ慣れましたね」
尚志高校から鹿島アントラーズに加入して3年目を迎えた世代屈指のストライカー、染野は今夏、J2の東京Vへの期限付き移籍を決断した。
加入後2試合は途中出場だったが、初先発となった8月6日のV・ファーレン長崎戦でヘディングで初ゴールを上げると、以降はスタメンに名を連ねている。
「試合に出ることがサッカー選手として大事なことだと改めて感じています。ただ、スタートから使ってもらっているので、責任も感じています。特に今はチームが勝ててないので、結果を出さなきゃいけないっていう思いが強い。攻撃陣が点を取れれば試合に絶対勝てるから、点を取ってチームを勝たせなきゃいけないって、すごく思います」
最前線で常時起用されているからこそ、結果に対する責任を痛感しているようだった。だが、その責任の重さも、悔しさも、試合に出ているからこそ味わえるものだ。
「90分使ってもらっていることで、試合の強度を感じられるし、場面、場面でどういうプレーをすればいいのか考えながらプレーしています。基本的には自由にやらせてもらっていますけど、前から奪いに行く、奪われたら取り返すというチームの決まり事はかなり意識してます。そういうところは少しずつ変わってきたかなって」
高校2年時に全国高校選手権で得点王に輝き、高校ナンバーワンストライカーの看板をひっさげて鹿島に加入したのが3年前のこと。ルーキーイヤーの20年シーズンは12試合に出場した。シーズン終盤に負傷離脱したものの、高卒ルーキーとしては及第点と言えるだろう。
しかし、飛躍を誓った2年目の昨シーズンは9試合と出番が減り、リーグ戦初ゴールもお預けとなった。
「勝負の年」と位置付けていた今シーズン、コンスタントにベンチ入りして途中出場の機会は得ていたものの、なかなかスタメンの座は射止められなかった。
それもそのはず、鹿島の前線に君臨していたのは、上田綺世と鈴木優磨という国内最強の2トップ。さらに、20年シーズンに18ゴールをマークしたエヴェラウドも控えている。
20歳のストライカーの前にそびえる壁は、極めて高かった。
「なかなか難しかったですね……。綺世くんとエヴェラウドは体が強くて、生粋のストライカー。そこで戦っても絶対に勝てない。どちらかというと、僕は優磨くんを意識していたというか」
鈴木優磨はチャンスメイクもゴール奪取もできるオールラウンドなFWである。染野も同じカテゴリーのストライカーと言える。
「優磨くんは下がってボールを収められるし、パスをさばいてゴール前にも入っていける。自分はそこで戦わないといけないと思っていました。そこを優磨くん以上に高めていかないといけないなって。負けてない自信はあったんですけど……」
スタメンの座を奪い取るには、途中出場で結果を出し続ける必要がある。5月25日のサガン鳥栖戦で待望のリーグ初ゴールを奪ったものの、与えられる数分間ではゴールを積み重ねることができず、染野は環境を変える必要性を感じ始めるのだ。
5月のパリ世代国内合宿で増した“危機感”
5月半ばに行われたU-21日本代表のキャンプが、さらに危機感を増加させる。
24年のパリ五輪でのメダル獲得を目指し、大岩剛監督率いるU-21日本代表が立ち上げられたのは今年3月のことだった。
01年生まれの染野は、パリ五輪代表の最年長世代に当たる。しかし、3月上旬の国内合宿のメンバーにも、3月下旬のドバイカップのメンバーにも染野の名前はなかった。
5月半ばの国内合宿のメンバーにも当初は入っていなかったが、数人の辞退者が出たために追加招集された。
その合宿中、染野は「自チームで試合に出ないと、この先も選ばれない」と語った。実際に代表メンバーの多くは、所属クラブで継続して試合出場を果たしている者ばかりだった。さらに、最終日に組まれた大学生との練習試合が、染野の気持ちを揺さぶった。
FWではなく、インサイドハーフとして起用されたのである。
試合後、「やったことのないポジションだったんですけど、もっともっとボールに関わってチャンスメイクができたら良かった」と反省していたが、改めてその当時の心境を語る。
「正直、なんでこのポジションなんだろうなって。前のポジションで自分が負けているとは思えなかったので。前で張ることもできるし、中盤に落ちてゲームメイクに加わることもできる。なんで、前で使ってくれないんだろうって」
大岩監督としては、鹿島つくばジュニアユースに所属していた中学時代はボランチだった染野の中盤でのプレーを確認したかったのかもしれない。あるいは、クラブでFWとして試合に出場している選手たちにそのポジションでアピールする機会を与え、追加招集だった染野を空いていたポジションで使ったのかもしれない。
本当のところは分からないが、染野が悔しさを覚えたのは確かだった。
「代表のことを考えると、試合に出ないことには選ばれない。でも、鹿島は練習から激しくて、強度が本当に高い。鹿島で練習していたら成長できるとも感じていたので、移籍については本当に悩みましたね。理想は鹿島で試合に出るのが一番でしたから」
素材は抜群ながら、出場機会に恵まれない若きストライカーを、他クラブが放っておくはずがない。いくつかのクラブが染野に興味を示したが、その中でいち早くアプローチしたのが東京Vだった。
東京Vも6月に城福浩新監督が就任し、戦力の充実を図ろうとしていたところだった。
「城福さんと直接話をして、自分に対する思いを語ってくれて、必要とされていることを感じました。『環境を変えてみないか』と言われて、ちょうど自分もそう思っていたところなので、ここで自分を変えよう、と。綺世くんが移籍するという話も耳に入ってきましたけど、外に出てもっとレベルアップしたいと思ったんです」
染野はU-21日本代表でインサイドハーフとして起用されただけでなく、鹿島ではサイドハーフとしても起用されていた。前述したように中学時代はボランチで、FWにコンバートされたのは尚志高校に入ってから。つまりFW歴は5年半しかないが、FWへのこだわりと誇りは強く、高い。
「自分は中盤の選手としてプロになったわけではなく、FWとしてプロになった。勝負したいのはFWだし、点を決めるのは誰もが嬉しいことですよね。だから、ヴェルディでFWを任せてもらっているのは嬉しいし、だからこそ、自分に求められていることをしないといけない」
過去のインタビューでは、理想とする選手にリバプールのロベルト・フィルミーノを挙げていたが、今はどうだろうか――。
そう尋ねると、染野はちょっと困った様子で、口ごもりながらも答えてくれた。
「身近なところで言えば、悔しいですけど、プレースタイル自体は優磨くんかな。点も取れるし、チャンスも作れる。それがFWとしてのあるべき姿というか。それに強気だし。自分はあまりギラギラしたタイプじゃないんで。でも、試合ではそういうタイプでありたいし、そこは見習わないといけない。周りに要求する部分は、今年かなり意識してきました」
U-21日本代表は9月18日からスペイン・イタリア遠征に旅立った。メンバーリストの中に染野の名前はなかったが、その理由は本人もよく分かっているはずだ。
「代表に選ばれないのは悔しいですね。でも、今はヴェルディのためにやるのが一番。結果を出せば呼ばれると思うので。最終的には海外でプレーしたいという目標ももちろんあります。だからこそ今は、余計なことは考えず、ここで結果を出すことだけを考えて頑張りたいと思います」
プロ3年目の21歳。プロフットボーラーとしてのキャリアは始まったばかり。焦る必要はなく、むしろ若いうちの挫折は買ってでも経験したほうがいい。
一方の東京Vも城福新監督を招へいし、生まれ変わろうとしている最中だ。
変化を欲した両者は今夏、互いに必要な存在として出会うことになった。染野にとってはチームを勝たせるためにもがき、試行錯誤することこそが、将来大きく羽ばたくための“踏切板”になるはずだ。
◆「代表に選ばれないのは悔しい」「優磨くんのそこは見習わないと」選手権得点王・パリ世代の染野唯月がヴェルディで誓う“挫折のち逆襲”(Number)