日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年6月8日金曜日

◆アントラーズはみな兄弟!?柳沢敦の「不貞相手」美女サポーターの“評判”(Asagei)


のんぽちゃ




 元サッカー日本代表FWで現在は鹿島アントラーズのコーチを務める柳沢敦氏が6月5日、“規律違反”を理由に所属クラブから「自宅謹慎処分(期間未定)」が下されている。

 前日に週刊女性によって渋谷のシティホテルでのお泊り不貞が報じられていた柳沢への処分に関し、クラブは「一部週刊誌報道を受けて本人へ事情聴取を行い、規律違反を認めたため、処分を下した」と説明。

 かつては2002年の日韓W杯や2006年のドイツW杯に出場するなど、日本代表における不動のレギュラーとして君臨していた柳沢だが、報道によれば、5月20日のベガルタ仙台との試合後に渋谷道玄坂へと赴き、ダイニングバーにて女性と柳沢の友人を含めた3人で会食。深夜になり、店から上機嫌で出てきた柳沢と女性は時間差で付近のアパホテルへと直行したという。

「今回の不貞報道において、鹿島アントラーズ並びに柳沢のファンの間で話題となっているのが、彼と不貞関係を結んだ相手の女性です。一部ファンには有名な筋金入りのアントラーズオタクであり、SNSでのフォロワーが1300人を超える“インスタグラマー”。何でも、20年間以上アントラーズを熱烈に応援し続けるファンだと囁かれていますが、柳沢以外の現役のアントラーズ選手とも関係が噂されており、ネット上では『ついに柳沢も彼女の罠にハマったか』『アントラーズはみな、兄弟です』『一致団結するアントラーズ、素敵』『女性に裏で支配される鹿島』などとヤユされています。週刊誌でもこの女性が鹿島アントラーズの金森健志と同じホテルの同フロアに消えていく姿がキャッチされており、どうやら“兄弟説”は濃厚のようですね」(スポーツライター)

 2人の子供と妻を持つ柳沢。あまりにもイタすぎる火遊びの代償となってしまった。

(木村慎吾)


アントラーズはみな兄弟!?柳沢敦の「不貞相手」美女サポーターの“評判”

◆天皇杯4回戦までの組み合わせ 決勝は12・24(ニッカン)








<天皇杯>◇5月26日〜12月24日◇埼玉ほか

 日本サッカー協会は29日、天皇杯の4回戦までの組み合わせを発表した。来年1月に日本代表が出場するアジア杯が行われるため、例年1月1日に実施する決勝は12月24日に埼玉スタジアムで開催する。


 3回戦は7月11日、4回戦は8月22日に行われる。


天皇杯4回戦までの組み合わせ 決勝は12・24


◆大迫勇也、黙って点を取る「話すことはない」1分半で会見終了(報知)



大迫勇也




 ロシアW杯に向け、オーストリア・ゼーフェルトで事前合宿を行う日本代表は5日、当地で練習を行った。FW大迫勇也(28)=ブレーメン=は「今は話すことがない」と“沈黙モード”に突入。鹿島でのプロ1年目、ロンドン五輪代表から落選後と覚悟を決めた時に目標を達成するために多くを語らないことがあり、その後には必ず結果がついてきた。自身2度目のW杯、エースに“不言実行”の覚悟が表れた。

 練習が終わると、大迫は日本協会の広報担当者に付き添われ、報道陣の前に立った。開口一番「今は話すことないよ」とし、その理由を「今はあまり何を言っても説得力もないし、納得もしてもらえないと思うから」と明かした。国内合宿での指名取材日でも報道陣に応対しなかった経緯があり、この日は1分半で「また」と取材を打ち切った。W杯へ向けた大迫流の覚悟の示し方だった。

 過去に2度、同じようなことがあった。鹿島入りした09年2月。当時のオズワルド・オリヴェイラ監督(現浦和監督)の方針もあり、言葉に制限をかけた。そして序盤のアジア・チャンピオンズリーグで5試合3得点。名門クラブでの立ち位置を確立した。12年7月、ロンドン五輪代表から落選時には「話したくない」と言った。その後、リーグ戦シーズン残り試合17戦6得点と結果を残し、ブラジルW杯出場へとつなげた。

 現在、日本代表では17年10月6日、ニュージーランド戦での得点を最後に約8か月、出場4試合で無得点が続く。前回のブラジルW杯では無得点、1分け2敗に終わった。「何もできなかった。悔しさしかない」と体質改善を図るなど、一から出直したこの4年。集大成が間近に迫っている。エースの期待を背負って迎える2度目のW杯。過去と同じように覚悟を決めるには十分の材料がそろっている。

 この日、練習後には西野朗監督(63)と10分間、意見交換した。「(内容を)言えるわけないでしょ。ここで全部が全部言ってプラスになることじゃない」と言ったが、指揮官から寄せられる期待は大きい。あとは「(決まりごと以外にも)感覚的なものを詰めて、次の試合で出すだけ」と大迫。沈黙はゴールなり。少ない言葉と、多くの覚悟を持ってロシアへと向かっていく。(内田 知宏)


大迫勇也、黙って点を取る「話すことはない」1分半で会見終了




◆FW大迫勇也 “半端ない”多彩な形でフィニッシュお任せ(スポニチ)


侍 俺の武器


大迫勇也




 攻撃の軸として欠かせない存在だ。大迫は17年以降の国際Aマッチでフィニッシュに関わるプレーが最も多い。シュート数24本、シュートアシスト(シュートに直結するパス)9回で、2つの合計は33回。2位・長友の27回、3位・井手口の24回を上回り、トップの数字を残している。

 前線で体を張るポストプレーが魅力。抜群のキープ力で好機を演出するとともに、鋭い反転から自らフィニッシュに持っていく形もある。14年W杯ブラジル大会は1次リーグ第1戦コートジボワール戦、第2戦ギリシャ戦に先発したが不発に終わり、第3戦コロンビア戦は出場機会がなかった。ロシアは4年前の雪辱を期す舞台。代名詞の“半端ない”プレーを見せたい。

 ◆大迫 勇也(おおさこ・ゆうや)1990年(平2)5月18日生まれ、鹿児島県出身の28歳。鹿児島城西高から09年に鹿島入り。14年1月にドイツ2部1860ミュンヘンに移籍し、14年6月からケルンに所属。来季はブレーメンでプレーする。Jリーグ通算139試合40得点。国際Aマッチ通算27試合7得点。1メートル82、71キロ。


◆昌子源スタメン意欲「対世界は楽しみ、チャレンジ」(ニッカン)


昌子源




 DF昌子が、8日の強敵スイス戦を前に気持ちを高めた。

 16年クラブ・ワールドカップではレアル・マドリードのポルトガル代表FWロナルドに厳しい守備を見せ、海外勢を相手に力を発揮できることを証明した。

 合宿では主力組に入る機会も増え、DF槙野と激しいポジション争いをしている。「1つのスタイルに限らず、対応を変えられると思っている。対世界は楽しみ。チャレンジしたい」と、スタメンに意欲を見せた。


昌子源スタメン意欲「対世界は楽しみ、チャレンジ」




◆三竿は傷つかず「行って良かった。次は僕が中心」(ニッカン)


三竿健斗



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<選ばれし者 敗れざる者(3)>

 ほんの少し、強がりかもしれない。でも、今の自分を素直に受け止めたからなのかもしれない。何よりも鹿島に戻ったからだろう。

 日本代表に落選した翌日から、MF三竿健斗(22)は鹿島アントラーズの練習に参加した。発表から17時間余り。それでも、前向きに過ごした。

 「(23人は)何となく雰囲気で、自分でも『微妙だな』と思っていたので、どっちになっても大丈夫だった。選ばれたら、出られるように頑張ればいいと思っていたし、落ちても次に向かってまた頑張ればいいと。どっちにしろ、頑張るしかなかったですから」

 実際、選ばれた昌子と植田のチームメート2人をすぐに祝福した。「自分の気持ちの整理がついてからですが、割とすぐでした」。

 取材中、通りがかったFW金崎が、三竿が囲まれる姿を見て、冗談めかして言った。「なんでみんなさぁ、傷口を掘るような…」。

 すかさず、三竿が笑いながら応えた。「夢生くん、傷ついてないよ…オレ」。

 すると、金崎が返す。「ごめん、オレは(三竿が落ちて)傷ついたからさ」。

 これに「ありがとう」と答えた三竿は言う。「鹿島のみんなからは『おかえり~』が多かったです。『みんなに早く会いたくて、帰ってきた』と言いました。やっぱり、このチームのみんなは優しいし、すごく居心地がいい。今日から練習できて僕も幸せですね」。

 ロシア大会への意識が初めて植え付けられたのは4年前の7月、高3の夏だった。足首をけがして松葉づえ姿で、所属先の東京Vユースの練習を見学していた。すると、隣にいた育成GKコーチの土肥洋一氏の言葉が聞こえた。「次のワールドカップはお前が目指すんだぞ」。

 最初に思ったのは「22歳か」。まだ早いと思った。「4年後、どこでプレーして、どういう選手になっているかも分からなくて」。

 実際、この4年間は多くの挫折を味わった。東京Vから鹿島に移った初年度の16年は、わずか4試合で計30分の出場。前年の39試合から激減した。17年の途中からやっと試合に出始めた。ただ、その年の最終節で川崎Fに逆転優勝をさらわれてピッチ上で号泣した。

 そうした挫折は常だった。そこにあらがう姿も、いつも通りだった。「すごく悔しい思いをすればするほど、自分は大きくなれている」。落選直後にツイッターに記した「これで僕はさらに強くなれると思います」との思いは、また新たな闘いへの決意表明だった。

 代表合宿ではサブ組からも外れ、主力組に入ったのはガーナ戦の前日練習の2本目だけ。抜てきし、ベルギー遠征で2試合とも起用したハリルホジッチ前監督だったら…という思いが周囲にはある。ただ、本人に後ろ向きな言葉はなかった。「インターセプトが出て攻撃の第1歩になれた。合宿中も代表選手の中で普通に発揮できた。自分の良さを再確認できたのが一番大きいです。本当に、行って良かったと思います」。

 持ち帰った収穫と課題。その感覚を失わないうちにプレーしたい。試合をしたい。だから、バックアップで帯同することよりも、鹿島に残る道を選んだ。

 「4年後に選ばれたい気持ちがもっと強くなった。次はもっともっとW杯が現実味を帯びる。たくさんいろんな経験をして、次は僕が中心となってやると思う。また頑張るしかない」【今村健人】

 ◆三竿健斗(みさお・けんと)1996年(平8)4月16日、東京都武蔵野市生まれ。横川武蔵野FCジュニアでサッカーを始め、東京ヴェルディの下部組織で育つ。15年にトップ昇格し、J2で39試合出場。16年に鹿島へ完全移籍。J1通算41試合1得点。U-17から年代別代表。兄は同じ誕生日で5歳上の鹿島DF雄斗。181センチ、73キロ。血液型B。


三竿は傷つかず「行って良かった。次は僕が中心」




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