韓国代表を相手に歴史的な大敗。日本代表として初めてブーイングを浴びせられたDF昌子源は、日本サッカー協会の田嶋幸三会長、Jリーグの村井満チェアマンからの「ある言葉」を胸に刻む。
チームを代表として表彰台で銀メダルを授与された時と、場内一周で青く染まったゴール裏に差しかかった時。準優勝に終わったEAFF E-1サッカー選手権でキャプテンを務めたDF昌子源(鹿島アントラーズ)は、日本代表で初めてブーイングを浴びせられた。
「当然じゃないですかね。吹田でキリンカップに負けた時は、ブーイングじゃなくて拍手だった。ブーイングをしっかりもらうのは、選手として、すごくありがたいこと。『情けない試合をした』という、サポーターからのメッセージだと思うので」
市立吹田サッカースタジアムで、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表に逆転負けを喫した昨年6月のキリンカップ決勝。そして、味の素スタジアムで16日に行われた韓国代表戦で逆転負け、それも1‐4の歴史的惨敗を喫した今大会の最終戦。同じ日本代表でも明確な違いがあった。
それは、海外組がいるか否か――。国際Aマッチデー以外の開催となった今大会には、海外組を招集できない。ゆえに国内組だけの編成となり、開幕まで残り半年となったワールドカップ・ロシア大会へ向けた国内組の最終オーディションとも銘打たれた。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、中国両代表に連勝した日本は、引き分けでも2大会ぶり2度目の優勝を決められる状況にあった。加えて、通算の対戦成績で大きく負け越している宿敵・韓国には、直近の5試合では2勝3分けと不敗を続けていた。
だからこそ、国内組の意地が戴冠を導く瞬間を共有しようと、3万6000人超の観衆が集まった。絶対にハリルジャパンに生き残ってやる、という執念のプレーに酔いたかった。しかし、90分間を通して見せつけられたのは対極に位置する姿だった。
球際の攻防で後手を踏み続ける。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が求める『デュエル』でも完敗。ボールを失った直後に相手を死に物狂いで追いかけて、取り返してやろうという執念や粘り強さも伝わってこない。
勝利の予感が漂ったのは、開始早々の3分にFW小林悠(川崎フロンターレ)がPKを決めた瞬間と、その後の数分間くらい。根本的な部分でも惨敗したからこそ、キリンカップで負けた時は海外組への畏敬の念もあって送られた拍手が、厳しいブーイングへと変わったのだろう。
最初にブーイングが起こった表彰式で、昌子は日本サッカー協会の田嶋幸三会長、Jリーグの村井満チェアマンから「ある言葉」をかけられている。
「お疲れさまと言われた後に『残念だったけれども、この悔しさだけは忘れないでほしい』と。その通りだと思ったし、今年は鹿島でも代表でも2位で終わった、非常に情けないシーズンやったので」
約1年前は逆に忘れる作業に取り掛かろうとしていた。川崎F、そして浦和レッズを撃破する下克上を成就させての通算8度目のJ1制覇。快進撃は開催国王者として臨んだFIFAクラブワールドカップでも続き、決勝で名門レアル・マドリーと激突。延長戦の末に敗れはしたものの、スーパースターのクリスティアーノ・ロナウドを1対1で止めた場面もあった。
余韻がまだ残る今年元日。天皇杯決勝で川崎Fを下し、通算19冠目の国内タイトルを手にした昌子は、こんな言葉を残している。
「ここまでの結果を忘れる必要がある。去年よかったから同じことを続ければ勝てると、一人でも思うと絶対に勝てなくなるので」
迎えた今シーズン。大ベテランのMF小笠原満男やGK曽ヶ端準が健在の中で、ファン・ソッコが退団したセンターバック陣では、米子北高校から加入して7年目の昌子が最年長になった。
「出場試合数も自分が一番多い、と考えると自然と責任感が出てきますよね」
武者震いを覚えた昌子はJ1、ベスト16で敗退したAFCチャンピオンズリーグ(ACL)など、公式戦46試合に先発フル出場を果たす。日本代表においても、選外となった森重真人(FC東京)に代わって6月シリーズから吉田麻也(サウサンプトン)の相棒を拝命した。
クラブと代表で大車輪の活躍が続いていた夏場。シーズン途中から鹿島の指揮を執る大岩剛監督に、昌子だけターンオーバーを適用せず、フル出場させている意図を聞いた。DF出身で代表歴も持つ指揮官は、「ちょっと無理をしてもらっている」と認めた上で熱いエールを送った。
「今のハードさは(昌子)源の今後に生きていくと思うし、こういう日程を海外のトップ選手は毎週のように消化している。そうしたレベルに達するための壁だと思って乗り越えて、一回りも二回りも大きく成長してほしい、という気持ちで見守っています」
もっとも、順風満帆だった軌跡は豊穣の秋を迎えて急変する。代表では30歳を超えて進化を遂げた槙野智章(浦和レッズ)が吉田の相棒のファーストチョイスとなり、一時は首位を独走していたJ1でも川崎Fの猛追を受ける。そして、ともに勝てば連覇が決まった最後の2戦でスコアレスドローに終わり、最終節での大逆転を許した。
敵地ヤマハスタジアムのピッチで、昌子は人目をはばかることなく号泣した。挫折を味わうのは、しかし、初めてではなかった。ルーキーイヤーの2011シーズン。前年に引退し、コーチに就いた大岩氏からダメ出しを連発された。
「高校でできていたことは、プロの世界ではまったく通用しないぞ!」
最初の3年間はJ1でわずか13試合の出場にとどまった。鹿島のDFリーダーの象徴、背番号「3」の前の持ち主だった岩政大樹(東京ユナイテッドFC)からは、「何度同じミスをする? 何でそこで余計な足が出る?」と怒鳴られ続けた。
その度に歯を食いしばって、反骨心をたぎらせて成長を遂げてきた。自らの人生を熱血青春漫画の主人公に例えて、「何度殴られても立ち上がってきた」と振り返る昌子はすでに前を見すえている。
「今回キャプテンをやらせてもらって、自分の未熟さをすごく感じた。でも、いい経験になった、という言葉で片付けるつもりはない。顔を上げて、ここからはい上がっていくだけなので」
天皇杯ですでに敗退し、無冠が確定している鹿島勢は、韓国戦をもってオフに入る。代表戦を含めれば50試合以上でピッチに立った昌子は身心に蓄積された疲労を取り除き、来シーズンもフルに戦うための英気を養いながらも、悔しさを捲土重来への糧にするために頭だけはフル稼働させていく。
歴史的な大敗を捲土重来の糧に…ブーイングを受けた昌子源が刻む「ある言葉」