ときに指針となる言葉に出会うことがある。
鹿島アントラーズの三竿健斗にとっての“それ”は、高校3年の夏。ブラジル・ワールドカップ終了直後の2014年7月のことだった。
当時、東京ヴェルディユースに所属していた三竿は、グラウンドの脇で練習を眺めていた。手には松葉杖。試合で足首をケガして1カ月半のリハビリ期間中だった。ブラジルW杯を見て、何となしに「いつか自分もあの舞台に立ちたいな」。そう思ってはいたものの、ピッチに立つことすらできない状況にあった。
ボールを蹴りたい、サッカーがしたい、試合をしたい。はやる気持ちを抑えながら一緒に練習を見ていたのは、当時育成GKコーチを務めていた土肥洋一だった。そのとき何気なく掛けられた言葉が、長く三竿の胸に残る言葉となった。
「次のロシアW杯には、お前が出るんだぞ」
ヴェルディこそが三竿の原点。
三竿の原点は、東京ヴェルディにある。5つ上の兄である雄斗(現・鹿島)がユースにいたこともあり、小学5年の秋にコーチから声を掛けられ東京ヴェルディジュニアに加入した。これまで数多くの有名選手を輩出してきた新しい環境では、いつも“プロを目指すのが当たり前”だった。
「中学2年のときにトップのコーチだった冨樫剛一さん(東京V強化部ダイレクター)から『そんなプレーしていて楽しいの? もっとボールを奪ったり、前へ攻撃に出た方がいいぞ』と言われて、思い切ってプレーするようになった。
他にもユースのコーチだった菅原智さん(東京Vコーチ)から『もっと激しくボールを奪い切れ』と言われて戦うことが当たり前になった。都並敏史さん(サッカー解説者)からは『シャビ・アロンソとかサミ・ケディラのような、世界で活躍している選手を参考にしなさい』とか、とにかくいろんな人から助言をもらった」
気がついたことはなんでも口にして伝えてくれる存在が、常に近くにたくさんいた。三竿自身も「言われたことは、まず聞いて実践する」タイプ。どんどん吸収して、どんどん成長していった。その繰り返しが三竿を大きくしていった。
プロ1年目の選手に、異例のオファー。
成長の証は、結果にも現れた。高校2年のときにU-17W杯に出場し、ベスト16入りに貢献。高校3年の4月にトップチームの2種登録選手として名を連ね、10月にはトップチーム昇格内定が発表された。
トップ昇格1年目の2015年、J2リーグ42試合中39試合に出場した。すると2016年、国内3大タイトル最多獲得を誇る鹿島からオファーを受けた。アントラーズがプロ1年目で活躍したばかりの選手へオファーを出すのは、過去にないめずらしい決断だった。
「今年獲らなければ、来年確実に獲ろうとするクラブが出てくる選手。少し早いタイミングではあるけれど、他に獲られる前に獲得しようと決めた」(鈴木満常務取締役強化部長)。
鹿島でスタメンを取れば代表に。
三竿自身にとって、加入1年目は苦しいシーズンとなった。リーグ戦出場数はわずか4試合。同じポジションのライバルには小笠原満男、柴崎岳、永木亮太といった日本代表クラスが名を連ねた。
しかし、いつも日常で見せる柔らかい笑顔は、1年を通して変わらなかった。
「試合には出られなかったけど、日々の練習で成長している実感があった。結果は出せなかったけど、すごくポジティブに捉えられる年だった」
端から見れば、苦労した1年に映る。それでも、そう言い切るほど充実した日々だった。「ここでスタメンを勝ち取れば、自ずと代表につながっていく」
代表クラスの選手たちと日々練習することで、レベルアップしている確信があったからだ。
鹿島加入2年目となった2017シーズン、転機が訪れた。
AFCチャンピオンズリーグ敗退を受けて石井正忠監督(現・大宮アルディージャ監督)が解任となり、大岩剛監督体制となった。直後のJ1第14節サンフレッチェ広島戦でスタメンフル出場。そこから出場停止を除くリーグ戦すべてでフル出場を続けた。
自分が主力のチームはタイトルが獲れない。
12月2日、ヤマハスタジアム。あと1勝すればリーグ連覇が決まる最終節・ジュビロ磐田戦で引き分けに終わり、無冠でのシーズン終了が決まった。試合終了の瞬間、三竿は大粒の涙とともに、ピッチへ倒れこんだ。
「これまでタイトルを獲ってきた満男さんや日本代表にも選ばれる亮太くんがベンチにいるなか、自分がチームを代表して出場していたので、すごく責任を感じた。勝たせられなかったことが何よりもショックだった」
磐田戦直後は何をしても手につかず、「しばらく誰ともしゃべりたくなかった。自然と1人でボーッとしている時間が長くなった」。携帯でアントラーズが優勝を逃したニュースを見ても、見出しだけでその先を開くことができなかった。
なぜこんな結果になったのか、どうしたら優勝できたのか、「自分でも未だに理解できていない」という。そして、それを「簡単に理解できるとも思っていない」とも。
その中で、はっきりとした事実があった。
これまでのサッカー人生、自分が主力として出場したチームは、一度もタイトルを獲ったことがなかった。
「チームを勝たせる選手になる」
今後の選手人生を懸けた目標が、改めて明確になった。
初の代表入りも自然体。
2017シーズン終了前、初の日本代表メンバー入りの報が入った。国内組を中心としたメンバーで臨んだE-1選手権、その韓国戦で国際Aマッチ初キャップを刻んだ。Jリーグでタイトルを逃した傷は癒えていなかったが、切り替えざるをえない状況。そこで、これまでの積み重ねが間違っていなかったことを知るきっかけをつかんだ。
「特に緊張することなく、いつも通りできた。それも日常からチームで高いレベルの練習を続けられていたからこそ。今回はあくまで国内組だけだったので、次の試合で選ばれるかが本当に大切になる」
目指していたステージで、「いつも通り」のプレーが通用する手応えを感じることができた。アントラーズで積み重ねてきた日々が、間違っていなかったことの証だった。
植田直通「頼もしい限り」
チームメイトであり、日本代表での活動を共にし、アントラーズの守備の要として活躍するセンターバックの植田直通は言う。
「健斗が普段の練習から地道に準備する姿を見てきたので。こういった結果が出ているのは当然だし、驚きはまったくない。昨年から1人で奪い切る力が上がってきていて、(センターバックである)僕のところに来るまでにボールを奪い切ってくれる。
今年は空中戦での競り合いにもチャレンジしているし、どんどん成長しているのを感じる。チームメイトとして頼もしい限り」
ロシアW杯を3カ月後に控え、2018年3月のベルギー遠征は本大会登録メンバー入りへの数少ないアピールの機会だった。この2試合に、三竿は引き続き招集された。マリ戦とウクライナ戦でともに途中出場し、マリ戦では代表初アシストを記録した。
「アシストは、シュートではなくパス。誰が走り込んでいるとかは見えていなかったけど、あそこに出して誰か走りこんでいれば点につながるというイメージで送ったボールだった。
でも、(今遠征の)手応えはゼロ(苦笑)。出たタイミングが2試合ともビハインドの状況で、スペースもあって広い範囲で動かないといけなかった。相手の個のレベルも高く、ボールを奪えず後手に回った。自分としても満足感はまったくない」
ロシアW杯の候補に、たどり着いた。
しかし同時に、次につながる確信も得た。
「今回、自分の中で新しい基準ができた。日本ではある程度できていたけど、海外に行ってやると全然できていなかった。その中で、もっとこうしようというのが見えたので。日頃の意識を高めて、差をつけていくしかない」
三竿がアントラーズのレギュラーとなってからちょうど1年後、ロシアW杯の日本代表メンバーが発表される。その候補として名前が挙がる位置までたどり着いた。
指針となる言葉が胸にある限り。
「個人的にイメージしていた代表入りには1年遅かったけど、今、もう少しで叶うところまでこれた。土肥さんに言われてから、ロシアW杯出場を目標に、すべてを逆算するようになった。口に出せば叶う。そこを意識づけしてくれたのは感謝しているし、大きな言葉だったと思う」
2014年に出会った言葉によって目指す指標が生まれ、一つひとつ積み重ねてきた。ヴェルディのトップに昇格してからも、アントラーズからオファーがあったときも、試合に出られなかった時期も。常に「ロシアW杯に出るために」、何が必要なのかを逆算して考えてきた。
W杯本大会まで残り約2カ月。三竿の止まることない成長は、さらに加速度を増す。指針となる言葉が、胸にある限り。
鹿島・三竿健斗の指標であり続ける土肥洋一からのロシアW杯への金言。