
日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年9月8日土曜日
◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(27)
安部裕葵 前編
◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
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◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
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◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
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◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で 号泣。「あのとき覚悟が決まった」(Sportiva)
◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)
◆鹿島一筋12年の遠藤康。 「小笠原満男の跡を継ぐイメージはないです」(Sportiva)
◆熊谷浩二は鹿島入団をすぐ後悔した。 「ここに来なければよかった」(Sportiva)
◆熊谷浩二は選手たちに伝えている。 ジーコスピリッツは人生にも必要だ(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)
◆鹿島一筋12年の遠藤康。 「小笠原満男の跡を継ぐイメージはないです」(Sportiva)
◆熊谷浩二は鹿島入団をすぐ後悔した。 「ここに来なければよかった」(Sportiva)
◆熊谷浩二は選手たちに伝えている。 ジーコスピリッツは人生にも必要だ(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
「カシーマ、アントラーズ」「カシーマ、アントラーズ」
閑散としたスタンドにサポーターのコールが響く。数分前の試合終了直後には罵声が飛んでいた。
9月5日ルヴァンカップ準々決勝ファーストレグ、ホームで行われた対川崎フロンターレ戦は1-1のドローで終わった。その直後のブーイング。想いのこもった叱咤だった。そんな重苦しい空気を背に受けながら、鹿島の選手たちは逆サイドのサポーターへ挨拶に行く。負けてはいない。しかし、内容は不甲斐ないものでもあった。自分たちが立つ状況の厳しさを痛感している。胸を張れない選手たちのそばに寄り添うような激励の「アントラーズコール」だった。
「試合前は気持ちで勝とうと話していたけれど、今日も気持ちの部分では勝っていなかった」と金森健志は、試合をそう振り返った。
球際、セカンドボールの奪い合いで勝てない場面が目立った。そのうえ、攻撃時でも強さを感じられなかった。ペースアップができず、守備をこじ開けられない。小さな判断ミスや技術的なミスが攻守に渡り、連動性を奪っていた。
「自分も含めて、もっと強引に仕掛ける部分があってもいいと思うし、ゆっくりやりすぎているところもあると思う」と安西幸輝が言うようにチーム全体に漂う消極的な空気。結果が出ていないからこそ、自信が持てないのかもしれない。
タイトル獲得が命題と言われ、勝利にこだわりを見せることが、クラブの歴史を築いてきた。しかし、最終節で優勝を逃した昨季の影響が残っているのだろうか? 今季もリーグ戦は苦戦続きだ。
ACLは勝ち残っているものの、リーグ戦では優勝争いから大きく後退。上位のサンフレッチェ広島、FC東京にはホームでもアウェイでも勝てなかった。川崎のホームでも大敗している。
ACL、ルヴァンカップ、天皇杯。残されたタイトルは3つ。しかし、国内タイトルはルヴァンの川崎、天皇杯の広島と強敵が立ちはだかっているが、立ち向かっていくしかない。

「毎年、その世代のナンバー1選手を獲得するのがアントラーズ」
大迫勇也、柴崎岳、植田直通と年代別代表で中心となる高校生が次々と加入してきた歴史をそんなふうに話すJクラブのスカウトは多い。しかし、2017年広島県瀬戸内高校から加入した安部裕葵は、スター高校生と呼べる選手ではなかった。
それでも、鹿島の一員となって以降、U-18代表にも選出され、2018年秋のAFC U-19選手権(2019年U-20ワールドカップアジア予選)を戦うチームでの活躍も期待される成長株となった。
1999年1月に東京都で生まれた安部。その年の3月、小笠原満男はワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で、準優勝している。
「僕はまだ満男さんの半分しか生きていないんですね。すごいなぁ」
――サッカーを始めたころ、アイドル選手はいましたか?
「いなかったですね。そういう意味では冷めた子どもだったかもしれませんね」
――Jリーガーになりたいという夢は抱いていたのでしょうか?
「リアリティはなかったですね、まったく。ただサッカーが好きで、負けず嫌いだったから、頑張っていたけれど、トレセン(選抜チーム)に選ばれたこともなかったし、Jリーグの下部組織に所属する機会もなかったですから」

――中学に進学すると、エスティーフットボールクラブに所属。このクラブは本田圭佑選手が経営に関わっているクラブとして有名ですね。
「僕が入ったときは別の名前のクラブだったんですが、3年になるときにエスティーフットボールクラブになりました。実際、本田さんが練習に来てくださったこともあり、いろいろな刺激を頂きました」
――高校は単身、瀬戸内高校へ進学するわけですが、その経緯というのは?
「中学時代に『プロになる』という決意をしました。そのうえで、高校ではインターハイに出場したいと。ちょうど、瀬戸内と鹿島高校や青森山田から声をかけてもらったんです。でも、青森山田は日程の関係で練習会に参加できなくて、練習会に参加した瀬戸内と鹿島高校の2択になり、インスピレーションというか、『瀬戸内へ行こう』と決めたんです」
――ご家族は賛成してくれましたか?
「反対でしたね。両親はふたりともスポーツをやっていたので、プロになることの難しさをわかっていたんだと思います。だから、小学生のころは、Jの下部組織でプレーするだけじゃなくて、勉強もしっかりやらないとダメだというスタンスでした。それでも僕のプロを目指すという目標を応援してくれるようになりました。でも、瀬戸内は遠いし、過去にプロ選手がいたわけではないので、心配していました。でも、僕は親元を離れて、寮生活をしてみたいという気持ちもありました。なにより瀬戸内は、インターハイ出場校だったのも大きかったです」
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――プロになりたいと決意した理由は?
「家族のためというのが大きいですね。僕がサッカーを続けるのを応援してくれていた両親が一生懸命働いている姿も見ていました。サッカーをするにはお金もかかるから。将来、もし僕がプロになれなかったとき、両親がガッカリするんじゃないのか? という責任感みたいなものがありました。同時にプロを目指してサッカーを頑張ってきた兄が、高校卒業後その道を諦めた姿を見たこともあります。プロは兄の夢でもあったので、自分がやってやるんだと決意したんです。でも、高校進学を決断したときは、『プロになれなかったら』とは、考えなかったですね。そういう気持ちがあるとサッカー選手になるうえで、ベストな選択が難しくなる。決断をするときは、一番大事なものを100で考えます。サッカー70、勉強30ではなくて、100とゼロというふうに考えて決断しました」
――プロというのは、J1?
「そうですね。ほかのカテゴリーは考えていなかったです」
――プロになるうえで、大学を卒業というイメージはありましたか?
「なかったですね。高卒でプロになれなかったら、プロを目指すのはやめようと思っていました。『チャレンジするのは18歳まで』という話は両親にもしていました。兄がそうだったし、自分だけ弟だからといって、特別扱いしてほしくはなかったから。両親から『18歳でその後の人生が決まる。その間になにをするかで人生が変わってくる』と、子どものころからずっと言われてきたんです。だから、この3年間で人生が決まると思って、高校生活を送ってきました」
――どんな3年間でしたか?
「今もそうですけど、計画を立てずに、1日1日今日やるべきことをしっかりと、という感じでやっていました。必要なものが明確にわかっているときは、計画を立てて、逆算もいいと思うんです。でも、プロになる方法やサッカーが上手くなるために、何が必要かなんてわからない。そういう状況で逆算するのはナンセンスだと思うんです」
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――この階段を登っていけば、ゴールにたどり着けるというルートに答えはないわけだから、目の前のことに実直に取り組むことが重要なのですね。
「自分は巧いんだと信じるほうが成長に繋がるという人と、下手なんだと考えるほうが良い人と方法論なんて、人それぞれだから。僕は僕にあったやり方をするのが一番だと思います。それは、毎日淡々とやること。あまり先のことは考えず、1日1日できることを整理してやっていけば、行けるところまで行けるかなと思います」
――それが安部裕葵のひとつの成功体験なんですね。
「ですね。そうやって僕はプロになれたという自信もあります。こういう考え方でやることが、自分の成長に繋がると今も思っています」
――鹿島アントラーズからのオファーに驚きはありましたか?
「もちろん。3年の夏、インターハイ(3得点を決めてベスト8進出に貢献)後に、その大会で2試合見て決めたとオファーを頂きました。高校のスタッフとも『プロ入り後もしっかりと面倒を見てくれるクラブに行かせたい。アントラーズなら理想だね』と話をしていたこともあって、即決でした」
――アントラーズのイメージは?
「世界的なクラブでいえば、レアル(・マドリッド)。国でいえばブラジル。Jリーグのなかではそういう立ち位置のクラブだと思っていました。練習のレベルが高いという話も聞いていました」
――不安は?
「ないです。やるしかないので」
――大きなチャンスだと?
「何も思わないです。アントラーズでプレーするというだけでした。鹿島でその日何をするかが一番大事なことですから」
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◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)
◆天野純、実戦形式の紅白戦で組んだ三竿健斗とボランチに手応え「良い関係を築けた」(GOAL)

天野純が実戦形式の紅白戦でダブルボランチの一角に入った。
日本代表は7日、札幌市内でトレーニングを行い、紅白戦を実施。追加招集された横浜F・マリノスの天野純は2本を通してダブルボランチの一角に入った。
本来札幌ドームに開催予定であったキリンチャレンジカップ2018のチリ代表戦は、6日未明に発生した北海道地震の影響で中止に。時折小雨が降るなか、チームは15時半に練習場に到着し、実戦形式の紅白戦を行った。天野は鹿島アントラーズの三竿健斗と2本を通してダブルボランチを形成。「良い関係を築けた」と手応えを口にした。
「やっぱり彼は守備がストロングポイントだと思うし、三竿から『常に近くにいてくれ』と言われていた。なるべく良い関係を築くようにやっていましたし、そういった意味では、(伊東純也のゴールで)一本目を勝つことができました」
本来は「トップ下をやりたいというのは(森保一)監督も分かってるけど、ボランチは「普通にやれるし、持ち味を出せたと思う」と天野。その中でも「まずは戦うところを絶対。あとは個人の良さですね。自分だったらクサビのパスを求められていたので、そこはまたマリノスと違うサッカーですけど、合わせていけていると思う」と続けた。
強風に雨が降りしきるなか、今日も日本代表をひと目見ようと多くのサポーターが練習場に詰めかけた。
「今日も北海道のかたが見に来てくれましたし、そういった方々に僕らが一生懸命やって勇気を与えたいなと思いながら今日はプレーしていた。最後も一緒に写真も撮りましたし、すごい喜んでくれたので良かったです」
トリコロールでは今や中心選手に成長した天野。たくさんの思いを背負い、日本代表のピッチに立つ準備はできている。
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◆浦和に打撃、加入後10戦7発のファブリシオが離脱…今季中の復帰困難か(サッカーキング)

浦和レッズに所属するブラジル人FWファブリシオが負傷離脱を強いられ、今季中に復帰できない可能性が高まっているようだ。同クラブを率いるオズワルド・オリヴェイラ監督が「おそらく今シーズンはプレーできない状態」と語った。クラブの公式HPが伝えている。
浦和は7日、同日に行われたオリヴェイラ監督の会見におけるコメントを公式HPに掲載。指揮官はファブリシオについて「彼のコンディションもどんどん上がっていて、我々にとって不可欠な選手になっていた中で、前節の試合ではあまりにも早い時間で交代せざるを得ませんでした。おそらく今シーズンはプレーできない状態です。ファブリシオの不在をどのように埋めるかが、試合までの時間で準備しなければいけないところです」と明かした。
ファブリシオは9月1日に行われた明治安田生命J1リーグ第25節のセレッソ大阪戦で先発メンバーに名を連ねたものの、開始早々に負傷。ゴールライン際までボールを追った際に左ひざを痛め、8分で交代を余儀なくされた。
ファブリシオは今年5月末、ポルティモネンセから浦和へ加入。明治安田生命J1リーグでは9試合出場6得点、天皇杯でも1試合出場1得点で、公式戦10試合で7得点を挙げる活躍を見せていた。負傷の詳細は発表されていないが、オリヴェイラ監督のコメント通り、今季中の復帰が困難ということになれば、浦和にとって大きな痛手であることは間違いない。
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◆浦和に打撃、加入後10戦7発のファブリシオが離脱…今季中の復帰困難か(サッカーキング)

◆【金沢】垣田、堂安らに刺激「自分もA代表」(報知)

J2ツエーゲン金沢は8日、アウェーで京都と対戦する(午後7時、西京極)。7日は金沢市内で最終調整。6月の天皇杯2回戦、アウェー・京都戦(3〇1)で先制点を挙げ、勝利に貢献したFW垣田裕暉(21)は「いいイメージを持って点を取れたら」と“西京極連発”に意欲を見せた。
A代表入りしたMF堂安律(20)=フローニンゲン=、DF冨安健洋(19)=シントトロイデン=とは2016年、ともにU―19日本代表に選出された。「自分もA代表に入り、W杯出場に少しずつ近づいていく」と、刺激を受けている。
チームは勝ち点39で14位。今季2桁ゴールが目標の垣田は、現在7得点。20位の京都戦へ「早くリーチをかけたい」と、1試合2発も視野に入れた。(竜)
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◆【金沢】垣田、堂安らに刺激「自分もA代表」(報知)

◆大迫の元同僚モデスト…無断欠勤でクラブから訴えられる…?(FOOTBALL TRIBE)

天津権健に所属するフランス人FWアントニー・モデストが練習を無断欠席し続けクラブから訴えられる可能性が浮上している。5日、フランス紙『レキップ』が報じている。
前所属のケルンでは日本代表FW大迫勇也とコンビを組んだモデスト。昨年夏に中国の天津権健へ移籍金3570万ユーロ(約46億円)で移籍。中国でも活躍を続けていたが、今夏に家族が欧州に残っていることもあって退団を申し出ていた。
フランス、ロシア、サウジアラビアなど様々なクラブからオファーがあったようだが、天津権健が移籍を認めなかったため他クラブに移ることは出来ず。モデストは天津権健に契約解除を求めたのに加え、国際サッカー連盟(FIFA)にも調停を依頼していた。
同紙によると、モデストは8月4日以来クラブに足を運んでいないようだ。これに対して天津権健は法的措置を検討してるとのこと。
AFCチャンピオンズリーグでも現在ベスト8で鹿島アントラーズと戦っている天津権健だが、モデスト獲得にかかった金額が高いだけあって訴えを起こす方針のようだ。
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◆大迫の元同僚モデスト…無断欠勤でクラブから訴えられる…?(FOOTBALL TRIBE)
◆タイトル獲得へ鍵握る山本脩斗が語る内田篤人との「バランス」(サカノワ)

出るか、引くか、はっきりと。ここから大切な戦いが続く。
リーグ戦、天皇杯、ルヴァンカップ、そしてアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の連戦が続く鹿島アントラーズは、対戦相手の戦術的な特徴やメンバーに応じて先発の顔触れを代えてフレキシブに戦ってきた。8月28日のACL準々決勝・天津権健戦のファーストレグ、サイドバックは左に山本脩斗、右に内田篤人が入り2-0の先勝を収めた。
リーグ開幕戦など今季途中出場から二人が顔を揃えたことはあった。ただ先発に両者が名前を連ねたのは初めて。ポジションの兼ね合いもあり、ようやく実現したと言えた。
「話をいろいろすることはなくても、普段からバランスは意識しています。特に(天津権健戦は)先制点を奪ってから、どちらかが前に出たら、どちらかが下がると、そこはハッキリさせていました。それはお互いに手でジェスチャーしながら、より明確にしていました」
どちらかが、思い切り仕掛けるときは行く。守るときはしっかり引く。極端なぐらい分かりやすくすることで、バランスを保ったという。加えて状況に応じては、両者が前からプレスを掛けて、天津権健の押し上げを封じることもできていた。
「同時に、相手は時々攻め残りをしていたので、そこに通されてカウンター一発で失点することだけは許されない。そこは一段と警戒して集中しながらできました」
33歳の山本と31歳の内田が見せた、メリハリの効いたバランスの取り方。結果、チームのノルマとしていた「ホームでの無失点」に成功した。
頭脳派サイドバックによる阿吽の呼吸。いずれも、高い位置まで鋭く仕掛けて、すぐリトリートできる運動量も持ち味である。持ち味が少し似ているがために、同時起用がこれまで限られたとも言えるが、この試合では両者がサイドの主導権を握ることに成功。戦い方の一つのパターンを提示できたのではないだろうか。
「試合によって戦い方も変わってきますが、チームとして状況に応じ、全員で意思を共有していきたいです」
山本はそのように言った。
9日に第1戦を1-1で引き分けた川崎フロンターレとのルヴァンカップ準々決勝第2戦、14日にJリーグの湘南ベルマーレ戦、そして18日に急きょマカオ開催になったACLの天津権健戦と続く。そのなかで二人の先発同時起用は再びあるのか? タイトル獲得に向けて、鹿島にとって大切な戦いが続く。
取材・文:塚越始
text by Hajime TSUKAKOSHI
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◆タイトル獲得へ鍵握る山本脩斗が語る内田篤人との「バランス」(サカノワ)

◆鹿島主力組、軽め調整 9日ルヴァン杯川崎戦(サンスポ)

9日の川崎とのルヴァン杯準々決勝第2戦(味スタ)に向け、鹿島の主力組は7日、約30分の軽めの調整を実施。札幌出身のDF西は、6日未明に北海道で起きた地震に言及し「(友人や家族から)『大丈夫だった』と連絡は受けた。自分は(率先する)タイプではないけど、募金活動などがあれば行っていく」と話した。 (鹿嶋市)
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◆鹿島主力組、軽め調整 9日ルヴァン杯川崎戦(サンスポ)
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