日刊鹿島アントラーズニュース
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2016年6月3日金曜日
◆古巣・鹿島が発表、シャルケ内田を受け入れ…リハビリをサポート(サッカーキング)
http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160602/450669.html
鹿島アントラーズは2日、シャルケに所属するDF内田篤人をクラブで受け入れ、リハビリのサポートをしていることを発表した。鹿島の公式ツイッターが伝えている。
内田は昨年6月に右ひざ蓋腱炎症の手術を行った後、復帰を目指してトレーニングを続けてきた。今年2月に帰国して国内でのリハビリを行ってきたが、今シーズン中の実戦復帰は叶わず。5月24日から29日まで千葉県内で行われた日本代表欧州組強化合宿には参加し、別メニューで汗を流した。
今回の発表によると、鹿島は日本サッカー協会(JFA)の要請により、内田を受け入れている。代表メディカルチームとの連携のもと、同選手のリハビリをサポートすると伝えられている。
内田は1988年生まれの28歳。清水東高校を経て2006年に鹿島へ加入した。2007年から2009年までJ1リーグで3連覇を果たしたチームの一員として活躍し、2008年と2009年にはベストイレブンを獲得。2008年1月に日本代表デビューを果たした。2010年7月にシャルケへ移籍し、同クラブでのプレーを続けている。
◆バンビーノ・石山大輔さんが語る、サッカー大国ブラジルと鹿島、ジーコと大野俊三【INTERVIEW】(フットボールチャンネル)
http://www.footballchannel.jp/2016/06/02/post155864/
ウェブ番組『FChan TV』とのコラボ企画。かつてブラジルに留学し、サッカー三昧の日々を送った経験のあるバンビーノの石山さんが、ブラジルサッカーと鹿島アントラーズについて語った!(取材・文:中山佑輔)
高校のサッカー部ではスパルタ指導を経験した
―――サッカーがお好きになったきっかけから教えていただけますか?
お兄ちゃんが小学校3年生になったときにサッカークラブに入ったんですけど、3年生から入れないはずなのに、僕もついて行ってたら入れてくれた。高校はサッカーが強い学校に行って、1年と3年の県大会で優勝したかな。そのときの先生が愛媛では有名なスパルタの人で、なかなか……(笑)。
―――どんな練習をされるんですか?
もともと田んぼやったところがグラウンドになってるみたいな感じで、水はけがめっちゃ悪かったんです。そこで、タイヤに綱をつけて走っていくみたいな(笑)。あとはトンボひくんですけど、ぬかるむからって、そのトンボの上に先輩や後輩が乗って、それをひく(笑)。グラウンド整備兼練習みたいな。朝トンボ、昼トンボ、夜は先輩乗せてトンボ(笑)。しんどかった思い出しかないな。
―――大学のときもプレーされていたんですか?
もうケガがあったんで、部活とかじゃなくて趣味程度ですね。大学では第二外国語でポルトガル語を選んで、ブラジルで日本語の先生をやろうと思ってた。
そのうち就活とか、教員免許とるのに大事な時期になって、親にも相談せずに勝手にブラジルへ留学に行っちゃった。そしたら大学の教務部から「石山さん、今どこにいるんですか?」って電話がかかってきて。「ブラジルです!」って言ったら滅茶苦茶怒られた。
で、帰って来たらみんな就職決まり出していて。専門学校で一番安いところを探したらNSC(吉本興業の養成所)があった。辻調とか、大原とか、いろんな専門学校を見たんですけど、40万が一番安かった。本当は東京に行きたかったんですけど、当時は東京だけ60万だったんで、40万の大阪を選んだんです。
サッカーもそうだと思うですけど、センスってすぐわかるじゃないですか。だからセンスなかったらすぐお笑いは辞めようと思ってた。でもブームにうまく乗れて仕事もらえたから、いけそうだなと思って、こんなところまで来てしまった(笑)。
―――どんな経緯で実際にブラジルに行くことになったんでしょうか?
大学の先生がホームステイ先を紹介してくれて「行ってみる?」って。「1ヶ月くらいなら」って言っていたのに、ずるずる半年くらいおることになった(笑)。それで結局勉強もせずにサッカーばっかりやってた。
山瀬選手のおかげでブラジルでサッカーができた
―――どこでサッカーをされたんですか?
サンパウロ大学に勉強しに行ってて、そこでサッカーチームがあったんです。そこでサッカーしてたら、いま京都でプレーしてる山瀬選手を教えてたって人が声かけてきて。「俺、山瀬知ってるけど、お前知ってるか?」って。
「もちろん知ってます」って言ったら、「お前うまいから明日練習に来い」って街クラブに誘ってくれて。そこから勉強はしなくなった。山瀬選手のおかげでサッカーができた(笑)。
―――ブラジルに行って想像していたこととの違いはありましたか?
ブラジルって、結局ロナウジーニョがモテるみたいにサッカーうまいやつがモテるんすよ、絶対的に。どんだけ話がうまいやつ、どんだけ陽気なやつよりも、サッカーうまいやつがプレーを見せたら一瞬でかわいい子にいけちゃう。ブラジルでサッカーしててそれがわかった(笑)。あんまかっこよくないけどってやつが、サッカーうまければ……。モテの秘訣はそこにあった(笑)。
―――サンパウロにいたときにはサッカースタジアムにも行かれたんですか?
行きましたよ! フーリガンめっちゃおるから、サンパウロ応援したいけど、サンパウロのユニフォームを家から着ていったら襲われるから、サンパウロのユニフォーム着て、普通の服着て、コリンチャンスとかのサポーターの横をタクシーで通って、スタジアムに行く(笑)
そしてチケット買うときがすごいんですよ。パチンコの換金所みたいな感じなんですけど、そこが石壁なんすよ、マラカナンは。手が出せるだけの穴があいてて、その真実の口みたいな場所にお金出すと、ヒュッって手だけ出てきて、お金が回収されてチケットが出される。強盗が拳銃をつきつけたりっていうのが昔あったんじゃないかな。
それでホームスタジアム側のスタンドに行ってようやくサンパウロのユニフォームになって応援できる(笑)。それぐらいせな、襲われるって。あとね、爆竹がすごいんすよ。
―――それはスタジアムの中ですか?
中も外も。もうずっとボォンッって。1回それにびっくりしてよろけたカメラマンが高いところから落ちたんすよ。それを目の当たりにしてしもうたから、もう恐くなってしもうて。結局2回しか行ってない(笑)。マラカナン2回(笑)。
サッカーが入り込んでいるブラジルのスラング
―――マラカナンに2回行かれたんですね。マラカナンってどのような雰囲気でしたか?
ブーイングがすごかったです。シュート打たへんかったり、パスしてしまうともうすぐブーイング。これだけ言われてたら決めなアカンってなるな、これは日本にないなって思った。
シュート打てへんとか、ドリブルの勝負をせんとかにめっちゃ厳しい。そういう人たちやから、トリッキーなプレーするやつがめっちゃ好かれる。
―――そういう雰囲気が選手を育てる面はありますよね。ブーイングとは違いますが、ブラジルで聞いた言葉で印象的なものはありますか?
スラングが多いんですよ。「めちゃくちゃピンチや」っていうのを「コーナーキックに逃げる」って言うんですよ。で、「頑固者」を「ゴレイロ(GK)」っていうんすよ。そして「俺の人生終わったな」っていうのを「ペレが死んだ」って言う(笑)。サッカーが日常の会話のなかに入って来てる。
―――それはわからないですよね。スラングって教室で勉強するようなものでもないですし。
いっつも「ハッ?」ってなってた。日常会話も2ヶ月目くらいから聞こえてきたんですけど、スラングは難しかったですね。「お前GKやな」とか言われてもね(笑)。そういうふうに日常にサッカーが入って来てるんですよね。あと女の子の気を惹くことを「パスを出す」って言うんすよ(笑)。「お前あいつにパス出したらしいな」って。俺は恥ずかしくて使えなかったけどね、「話しかける」って言っちゃう(笑)。恥ずかしくて使えないじゃん、「ペレが死んだ」とか(笑)。
―――「ペレが死んだ」はハードル高いですね(笑)。もともとブラジルが好きだったんですよね。何かきっかけがあるのでしょうか?
もともとは鹿島アントラーズがめっちゃ好きで、ジーコがずっと好きだったんです。コップとかは全部Jリーグでしたよ。小学校の文集には「絶対ブラジルに行く」って書いてた。
―――カズさんみたいですね。
カズ好きやったなー。今も好きやけど。今でもブラジルではカズを知ってる人がいるんですよ。ほんとすごいと思う。
ブラジル行って思ったんですけど、こんなところに15歳で単身で来てプロテスト受けて本当にプロになっちゃう人なんているんだって。その辺でサッカーやってるやつだってめっちゃうまいんすよ、速いし。このレベルの奴がプロになってないところでプロになってるっていうのは本当すごいなって。
秋田豊よりも大野俊三、井原正巳よりも大野俊三
―――Jリーグだと鹿島アントラーズがお好きなんですね。
そうなんすよ。僕は小学校のときセンターバックだったんですけど、Jリーグが開幕したときは大野俊三がめっちゃ好きだったんです。ファイトし過ぎてもう失神しかけたり(笑)。なんかあの感じが好きやった。秋田豊より大野俊三。井原正巳より大野俊三。
―――大野さんが出てくるとは想像してなかったです(笑)。男らしい感じですね。気高いというか。
そうなんすよ。それがずっと好きやった。リティ(リトバルスキー)か誰かのシュートを顔面にくらってよろけるんだけど、倒れんかった。ロべカル(ロベルト・カルロス)のシュートとかくらっても大野俊三なら大丈夫そう(笑)。
―――大野さんはドーハの時のことを回想して、「(ベンチにいた)俺を試合に出していれば勝てた」って言いきってましたね。そのくらい強気で男らしい。
いや、ほんとに結局すごいんすよ、根性(笑)。このご時世に根性論なんて(笑)。その当時本田泰人さんとか「うまいな」ってプレーをする人よりも、僕にとっては魅力的だったんですよ。うまい人もすごいけど、かっこいいとは思わなかった。激しいプレーヤー好きやから、ガットゥーゾとか(笑)。
―――今もアントラーズの試合はご覧になるんですか?
今はたまにですかね。90分見る時間がなかなか取れなくて。ダイジェストとかは見ますけど、通して見るのはなかなかできないですね。
スパイクはオールドファッションが良い
―――アントラーズはジーコの影響でブラジルの流れがありますね。
そうですね。レオナルド、ジョルジーニョとか。あの2人が来たのは大きかったですよね。W杯優勝したときの両サイドバックおるんやから(笑)。ポジション変わってるけど(笑)。
レオナルドはサイドバックの選手やと思ってたから、最初はめっちゃなめてた。アントラーズで10番つけて、「前のほうおるけど、ディフェンダーやん」って思った。でもすぐ「めちゃうまいやん」ってなった(笑)。「あれ? ジーコの時より目立つなぁ」みたいな(笑)。
ビスマルクもいましたね。で、ビスマルク真似てみんなスパイクを黒墨で真っ黒にして。でも俺だけペナルティのスパイク履いてた。あとエネーレ着てね(笑)。あの当時ペナルティとか履いていると「何それ」って言われてた。
―――何そのブラジル通な感じ、みたいな(笑)
そうそうそう(笑)。でも俺は断固エネーレと、断固ペナルティ(笑)。かたちから入るから。
―――スパイクは黒に白線っていう昔ながらの感じがいいですか? 最近はだいぶカラフルになってますけど。
そうです。余計なのはいいんすよ。いきなり白がめっちゃ流行った時期あったじゃないすか。その後オレンジとか出てきて。やめてよって、そういうのじゃないじゃん(笑)。
やっぱりオールドファッションがいいな。シャツもインしてほしい。シャツ出していいのは西澤(明訓)だけ(笑)。他はみんなイン。ソックスも全部上げていいのは(ティエリ・)アンリだけ(笑)。紳士のスポーツやから(笑)。
(取材・文:中山佑輔)
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