遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(13)
秋田 豊 前編
◆新連載・アントラーズ「常勝の遺伝子」。 生え抜き土居聖真は見てきた(Sportiva)
◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
5月16日、中国・上海スタジアム。試合終了を告げる笛が鳴ると、両チームの選手たちがピッチに立ち尽くす。腰を下ろし、座り込む選手も少なくなかった。誰もが限界まで戦った証しだ。ACLラウンド16セカンドレグ、上海上港vs鹿島戦は2-1で上海上港が勝利したが、ファーストレグを3-1で勝利していた鹿島のベスト8進出が決まった。
「第1戦にフッキが出ていなくて、そこはツイていた」
ユニホームが汗で身体に張りつくほど、90分間攻守に走り続けた鈴木優磨が言う。右足の負傷で第1戦を欠場したフッキ、オスカルの強力ブラジル人が織りなす攻撃は抜群の破壊力を持っている。
「パワープレーもあるし、サイドからも崩してくる。深くまでえぐってくるときもあれば、深くまでえぐってマイナスとか……本当にいろんな攻撃をしかけてきた」
そう語る昌子源は、前半7分に先制点を許したあと、落ち着いていられたことが重要だったとも話した。
「相手も相手だったので、この1点は仕方がない。俺らはまだ勝っていると落ち着いていた。右サイドを中心に落ち着いて回し、そこから決定機が作れたので、そこで点が取れればラクだった」
42分に土居聖真が同点弾。1-1で迎えた後半は、上海上港の攻撃を鹿島がしのぐという時間が続いた。ゴールキーパーのクォン・スンテのビッグセーブに何度も救われる。
後半34分、ペナルティエリア内での昌子のハンドでPKを与えてしまい(ちなみにボールは手ではなく、頭に当たっている)、フッキがそれを決めて、2-1となる。さらに上海上港は猛攻を続けたが、鹿島がなんとか抑え、試合が終わった。
「今日は別に、いいゲームをしようとか思っていなかったので。ここ(ラウンド16)を突破するという、みんなの強い意志が出たと思います。いいゲームかって言われたら、疑問がありますけど。足をつろうが、動けなくなろうが、今日の試合はそれでもいいと思っていた。最後はなんとか失点しないように前へ出たり、裏へ抜けたり、わずかでもプレスをかけて、相手が蹴りづらいようにしたり……。でも、やっぱり俺は前線の選手なんで、点を取りたかったです。とりあえず、突破が決まって、今は非常に嬉しく思っています」
今季開幕以降、リーグ戦13試合、ACL8試合、すべての試合に出場している鈴木が試合を振り返る。鬼門といわれたラウンド16の壁を突破するのは、簡単なことではなかった。過去、タフな戦いの前でプレッシャーにつぶされるように跪(ひざまず)き、敗れてきた。積み重ねた悔しさを経験という力に変えたからこそ、このタフなトーナメントを勝ち上がれた。しかし、まだひとつだけだ。新しい歴史を刻むためには、まだ足りない。
「おめでとうございますとは、違う。勝てなかったのもあるけれど、まだベスト8が決まっただけだから」
植田直通は淡々とそう語り、「(リーグ戦の)仙台戦に勝たなくては、意味がない」と言い切った。
* * *
勝ち切る――。
鹿島アントラーズの哲学とは、勝つことへの執着心だ。それを体現したレジェンドたちのなかでも、長くセンターバックを務めた秋田豊は、クラブにひとつの選手モデルを残した。アントラーズのセンターバックは弱い気持ちを微塵も見せてはならない。強いヘディングは攻守において、チームの勝利に貢献した。
――鹿島アントラーズで数々のタイトルを手にされてきましたが、もっとも強いチームはどのチームでしたか?
「3連覇のオズワルド・オリベイラ時代も強かったけれど、僕はすでに移籍していましたから(笑)。実は三冠を達成した2000年はそれほど強かったという印象はないんです。やっぱり、1997年のチームですね。一番強かった。あのチームは”スーパー”でしたよ。
だって、ジョルジーニョがいて、ビスマルクがいて、本田(泰人)さんもすごかった。守っていても、相手のフォワードにクサビが入ることもまったくなかったんですから。中盤のポジショニングで、相手のパスを誘発して、ボールを奪うんです。見事でしたよ。見ている人からしたら、『守備はラクだろう』って(笑)」
――攻撃も迫力がありました。
「そうですね。選手個々が際立っていました。そのうえで、誰もがチームのために闘っていた。自分のタスクを果たすことに力を尽くしていましたから。自分のストロングポイントを理解し、それを発揮する。同時にチームメイトの強さや弱みを理解し合っていたので、カバーし合える。チームとしての完成度、そしてバランスがメチャクチャよかった」
――しかしその年、リーグタイトルは獲れませんでした。ナビスコカップ決勝とチャンピオンシップでジュビロ磐田との4連戦がありました。
「ナビスコカップ決勝戦を快勝(2戦合計7-2)したことで、緩みというかスキが生まれたんだと思います。チャンピオンシップも勝てるよ、という気持ちがどこかにあったんでしょう。それで痛い目にあった。もう、往復ビンタを喰らったようなものです。『次は絶対に磐田に勝つんだ』と。2000年は正直、チームとしては磐田のほうが強かったと思います。でも勝ったのは、僕らだった。
サッカーは強いから、うまいから、勝つわけじゃないんです。試合に勝ったチームが強い。だから鹿島というチームは、『勝つ』ことにこだわる。それこそがジーコイズムなんです。
チームがどんな状況でも関係ない。連戦だろうと、ケガ人がいようともね。負けていい試合なんて、1試合もない。いつでも戦わなくちゃいけないんです。だから、自分たちの状況、相手の状況を踏まえて、どうやったら勝てるか? を考える。勝つところから逆算する。勝つために手段は関係ないんですよ。自陣に引いたって恥ずかしいことなんてないんです」
――1-0で逃げ切るというのが、鹿島アントラーズらしさだと言われるのも、そういう勝利に対しての覚悟があるからなのでしょうね。
「たとえば、自陣に引く時間があっても、押し込まれているという受け身にならない。自分たちがボールを持っているときは当然ですが、相手がボールを持っていても、自分たちのリズムでサッカーをしているという余裕が大事なんです。『持たせているんだ』と慌てない。相手が押し込んでいるということは、その背後にはスペースがあるということ」
――ピンチはチャンスだと。
「自陣近くでもコンパクトに守れていれば、挟み込んでボールをインターセプトすることができる。そこで攻めに出れば、フリーになる確率は高いですからね」
――時間の使い方も巧い。
「勝つために今、何をすべきか。ジーコイズムですね。ジーコの負けず嫌いはハンパなかったですから。ジャンケンですら負けると熱くなる。でも、そういう負けず嫌いというのは恥ずかしいことじゃなくて、プロである限り、やっぱり、すごく大事なことだというのをジーコが教えてくれた。それが脈々と鹿島で伝承されて、今のチームでいくと小笠原満男ということになるわけです」
――アントラーズの紅白戦が白熱するというのは、今も続くスタイルのひとつだと思うのですが……。
「それは、常に、選手が自分の力を出し切っているということ。後輩だろうと先輩だろうと関係ない」
――噛みつくような若い選手の勢いを先輩はいなす……
「いなさない。かわすんじゃなくて、ぶっ叩く。立ち上がれなくなるくらいまで、ぶっ叩く」
――それが自分のためであり、チームのためであり、その選手のためだと。
「もちろん。自分にとってもそういう高いモチベーションで挑んでくる若手は、練習相手としては一番だから。Jリーグでも、対戦相手は鹿島を喰おうと思って挑んできますから。だから、こっちもそういう若手を精神的にも、肉体的にもボロボロにするくらいの気持ちで闘うんです。満男なんて、本当に生意気というか、まったく諦めないし、何度も何度も向かってきましたからね。俺を抜いてやろうという気持ちがすごく伝わってきましたよ」
――でも、「100年早いわ!」と跳ね返すわけですね。
「はい。でも、また立ち上がってくる。そういう男だから、今でもやれているんですよ」
――そういう後輩は可愛いですよね。
「そう、可愛い」
――そういう厳しさのなかで若手が育っていくのですね。
「鹿島というクラブは、ただうまい選手だから獲得するということがない。もちろん、ポテンシャルも見ているけれど、同時にやっぱり強いメンタリティーを持った選手を選んでいる。その軸がブレなかったから、選手が伸びることができたんだと思うんです。
いろんな選手がいるなかで、『いい選手だけど、鹿島には合わない』という選手もいるから。トレーニングに対する向き合い方、質の高い練習ができるのかは重要です。鹿島のトレーニングの質と量を消化できるのか。しっかり練習できる選手に対しては、スタッフもクラブも寛大な気持ちで見てくれるというのは、僕自身、選手としてすごく感じましたね。たとえば(鈴木)隆行なんて、高卒で入ってきたときは、何の怖さもない選手だったんですよ」
――同世代のFWには柳沢敦さんや平瀬智行さんなど、高校選手権のヒーローがいましたしね。鈴木さんはブラジルへ留学したり、レンタルでジェフ市原(当時)へ行ったり。
「そうやって時間と機会を与えながら、最終的にはワールドカップ(2002年、日韓大会ベルギー戦)でゴールを決める選手になれたんだから。18、19歳の頃はそんなこと想像もできなかった(笑)。だから、鹿島というのは、不思議なクラブで、きちんと、真摯にサッカーと向き合っていれば、成長できる場所なんです」
(つづく)
秋田豊が語る鹿島の紅白戦。「勢いある若手は、とことんぶっ叩く!」