日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年6月28日水曜日

◆高校の部活で「サッカーを辞めた選手」に再挑戦できる場を!元J リーガーがサッカークラブを立ち上げ(RKK熊本放送)



山口武士


熊本出身の元Jリーガーが、高校生を対象にしたサッカークラブを立ち上げました。

なぜ高校生のクラブなのか。
そして元Jリーガーのクラブ運営を追いました。

グラウンドで指導するのは大津高校出身の元Jリーガー山口武士(やまぐち たけし)さんです。

山口さんはかつて、J1の鹿島アントラーズでプレー。2005年に当時のロッソ熊本に加入しJ2参入に貢献した人気プレーヤーでした。

現役引退から14年、その山口さんが今年4月、高校生のサッカークラブ「FCアルーラ」を立ち上げました。

背景には高校サッカー界が抱える課題がありました。

山口武士さん「高校の部活でサッカーを辞めたという声を結構聞いて、サッカーをあきらめてほしくない…」

熊本県内で高校生がサッカーに打ち込むには学校の部活に入るのが主流で、それ以外はロアッソの下部組織など、ごく限られた選択肢しかないのが現状です。

山口さん「同世代の仲間と試合に向かって練習を積み重ねていくという『今しかできないこと』にチャレンジしてほしい」

チームのメンバーの中には学校になじめず高校でプレーすることを断念した選手もいます。

キャプテン 若松海龍 選手「2年生までは高校で部活をしていたけれど、学校を辞めてサッカーをする場所がなくて」

学校の部活をやめたものの、本気でサッカーをやりたい。

そんな高校生たちが山口さんのチームで高校世代トップレベルのチームとの真剣勝負の場を目指し活動しています。

若松 選手「(一度は)サッカーから離れている選手が多くて、その中でみんな気持ちは一緒なので、今の自分には必要な場所です」

高校生の再挑戦の場として新たなクラブを立ち上げた山口さん。

今年の4月から平日の午前中は山鹿市の病院でリハビリなどの補助の仕事をしています。

この病院は山口さんの活動に賛同し、山口さんを採用しました。

山鹿温泉リハビリテーション病院 田代桂一 院長「なじめなかった子たちの受け皿みたいなクラブを作りたいと。(その活動に)共鳴・共感して何か手伝えることがあれば。」

現役を引退してからも、小中学生チームの指導者などほとんどがサッカーの仕事。病院での仕事では日々、発見があるようです。

山口さん「声掛けだったり、先輩のスタッフの対応を見ながら、面白く笑顔で対応しているところが勉強になる、サッカーにも繋がるなと」

午後からの仕事はクラブの営業です。スポンサー企業にロゴ入りユニホームの完成を報告します。

山口さん「子どもたちもすごくテンションが上がってですね」

山口さん「これだけの協賛がついたユニホームを着てプレーするというのは、一生にあるかないかだと思うんですけど、おかげさまで子どもたちが思い切ってプレーできると思います」

軌道に乗り始めたクラブ運営ですが、クラブ立ち上げを決めた今年1月の時点では資金が集まるか、選手が集まるかゴールが見えず、家族にも活動内容を伝えられずにいました。

山口さん「(前の仕事を)やめるという話はしたんですけど、『え?何するの?』というのは(妻からよく言われて)、まだ完全に決まっていないから決まったら話すみたいな」

不安の中でのクラブ立ち上げでしたが、山口さんの思いに賛同するスポンサーが徐々に増え、今では20を超える企業が協賛しています。

協賛社「全国大会に。そしたら全国にこれが。」

山口さん「そうですね。思いを胸に背負って選手たちと頑張っていきたいと思います。」

多くの人の支えでクラブを立ち上げたられたという山口さん。高校生たちの再チャレンジを支えていきます。

山口さん「一度は夢を諦めてしまったけどまた違う環境で、もう一回チャレンジしてプロの選手になったりとか、社会に出て活躍する選手が出てきてくれると嬉しいです」



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◆高校の部活で「サッカーを辞めた選手」に再挑戦できる場を!元J リーガーがサッカークラブを立ち上げ(RKK熊本放送)



◆街路灯フラッグ、デザインを一新 茨城・鹿嶋市商工会など(きたかんナビ)






茨城県鹿嶋市のイメージアップを図ろうと、同市商工会(水島正人会長)と同市宮中地区商店会連合会(岡見正仁会長)は19日、街路灯に掲げているフラッグを一新した。市や鹿島神宮、鹿島アントラーズFCの協力で作成し、鹿島神宮周辺の大町、仲町、桜町、新町の4商店会の街路灯136本に取り付けた。

フラッグは横45センチ、縦110センチで、防水性に優れるテント地を使用。鹿島神宮の大鳥居とシカをデザインしたほか、鹿島アントラーズのエンブレムとスローガン「ひとつになろう。」の文字も添えられている。

岡見会長は「アントラーズの調子も上向いてきた。街全体で応援ムードを盛り上げ、街を明るくしたい」と語った。

フラッグの作成は、Jリーグが発足した1993年から始まり、以来毎年新しく付け替えている。





◆街路灯フラッグ、デザインを一新 茨城・鹿嶋市商工会など(きたかんナビ)





◆源流の地「大阪」で開かれたアントラーズ激励会で見聞した常勝の理由(産経新聞)



鈴木秀樹,鈴木満


サッカーJ1、鹿島アントラーズのホームタウンは鹿嶋市や潮来市など茨城県の5市である。しかし、源流は「大阪」にある。前身の住友金属工業蹴球団(創設当時は住友金属工業蹴球同好会)が本社のある大阪に本拠を置いていたからである。関西サッカーリーグから日本サッカーリーグ(JSL)2部に昇格し、鹿島製鉄所のある鹿島町(現鹿嶋市)に移転したのは1975年。そんな歴史と縁もあり、住友グループの関係者を中心に、関西にもアントラーズファンが多数存在する。

そういった人たちが集まり、6月23日に大阪市中央区の「住友ビル」で、「鹿島アントラーズ激励会・鈴木満ちゃん慰労会」が開かれた。現在、アントラーズのフットボールアドバイザーを務める鈴木満さんは1989年から1991年まで住友金属工業蹴球団の監督を務め、元ブラジル代表の名選手、ジーコ氏から薫陶を受けてクラブに〝ジーコイズム〟を根付かせた人物として知られる。アントラーズ発足後は強化部門の責任者として常勝軍団と呼ばれたアントラーズの礎を築いてきたが、第一線から身を引かれたことから今回の激励会は、鈴木満さんの慰労会も兼ねて行うことになった。


ジーコイズムでフロントもプロに





激励会&慰労会にはアントラーズの鈴木秀樹副社長も参加。住友金属蹴球団(現鹿島アントラーズ)関西OB会幹事の濱村新作さんが司会役を務め、アントラーズ誕生前後の昔話に花が咲いた。

鈴木秀樹副社長は「今年はタイトルに手が届くところまでいければ」と2016年を最後に遠ざかっているリーグ優勝を狙いたいと抱負。「監督の立場で選手にジーコがいる。このプレッシャーは皆さん、想像できないと思うんです。『きょうの練習はどういう意図でしているんだ』と毎日聞かれる。眠れませんでしたね」とユーモアを交えてジーコ氏との思い出を語った鈴木満さんは「人生がアントラーズという感じで生きてきました」と振り返り、「(Jリーグ発足当時は)どこもフロントのプロがいなかった。フロントのプロって何をしたらいいか分からない。僕らはジーコにも鍛えられて、フロントがプロになれた。それが、アントラーズが勝てた理由」と自己分析した。

Jリーグ発足時の10チーム「オリジナル10(テン)」の一員となったアントラーズだが、Jリーグ入りが承認された1991年はJSL2部。ホームタウンの人口も他クラブに比べると少なく、Jリーグの幹部からは「ビリになるなよ」と言われたという。しかし、開幕した1993年の前期にいきなりリーグ優勝を飾ると、2000年にはJ1リーグ、ヤマザキナビスコ・カップ(現YBCルヴァン・カップ)、天皇杯全日本選手権の3冠を達成。3大タイトル合わせて最多19度の優勝を誇るJリーグ屈指の強豪となった。


評価する人間はフェア、平等で


ここからは、激励会&慰労会で鈴木満さんが話した内容を紹介する。

「組織を機能させるには何が大事か。自分なりに考えて、評価する人間がフェアに、平等に見てあげないといけないとなった。フェアに見ると、みんな頑張れるんですよ」と話し始めた鈴木満さんは「一生懸命やった人がバカを見るような組織は発展しない。フェアに見るには、一人だけじゃなく、いろんな目で見ること。そして、いつも見ている姿勢を見せるのも大事」と強調。監督、フロント時代に選手と飲みに出かけなかった点を挙げて「酒を飲みに行かなかったのも、一人と行くと公平感が出てこないなとずっと思っていたから」と説明し「組織を強くする上では、それが一番かなと思っていた。一方で、選手に帰属意識を持たせるにはどういうことをやんなきゃいけないか。『(チームやクラブが)自分の人生を考えてくれているんだ』というのを選手に伝えなきゃいけない。信頼関係を築くのは、一番苦心してやってきたこと」と打ち明けた。

また、「タイトルというのは、いくら練習しても身に付かない技術を身に付けさせてくれたりする。選手がものすごく成長するんです。勝つとチームも選手も変わってくるんです」とも。アントラーズが強豪であり続ける理由が分かったような気がした。

かつて三井住友銀行、住友化学とともに「住友グループ御三家」と呼ばれた住友金属工業は2012年に新日本製鉄と合併して新日鉄住金に。2019年には日本製鉄と名称変更。「住金」の名前はなくなったが、激励会&慰労会には、グループ企業でサッカーを楽しむ人たちも多く参加した。蹴球団から続く「アントラーズの源流」の歴史は、脈々と息づいている。




◆源流の地「大阪」で開かれたアントラーズ激励会で見聞した常勝の理由(産経新聞)





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