日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年4月10日金曜日

◆柴崎岳のプレーのキーワードは「ぼんやり理解する」。日本が誇る司令塔の頭の中を読み解く(REALSPORTS)



柴崎岳 Gaku.Shibasaki



「日本代表として、W杯の舞台で、より継続的に力を発揮していく。そこで成果を出すために、自分はどういうふうになっていくべきか」と語る柴崎岳。日本が誇る司令塔は、何を考えながらプレーしているのか。前を向いてボールを持った時の選択肢で、最優先はどんなプレーなのか。柴崎いわく、彼のプレーのキーワードは「ぼんやり」だと言う。彼の頭の中を読み解くことによって、サッカーの理解はより深まるだろうし、サッカー少年にとっては、サッカー上達のための素晴らしいバイブルとなるはずだ。


(インタビュー・構成=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長])


日本にいる時は、SNSをやるなんて、1ミリも考えてなかったです


まず、SNSについて聞かせてください。SNSって、ダイレクトにサッカーファンからリプライ(メッセージ)が来るじゃないですか? 多い時には、一つの投稿で100人以上からメッセージが来るわけですが、あれってけっこう見てるんですか?

柴崎:いや、そこまで細かくは見てないですね。見ないほうが多いかもしれないです。

全部見てたら、時間もかかりますしね。

柴崎:はい。あと、どちらかと言うと、みんなからの反応のためにツイートしていないので、いわば「取って出し」みたいな、「あとは好きにしてください」みたいな感じです。

だから、けっこう自由な感じでやってるんですね。意外と、神経質じゃないんだな、と感じました。

柴崎:それはあるかもしれないです。

良い意味で、柴崎選手のイメージがちょっと崩れたというか。言葉遣いもけっこうラフな感じで、ちょっとしたコメントだけの投稿もしたり。それこそ、香川真司選手の移籍が決まった時にも、記事にコメントつけてリツイートしてたのも、ちょっと一般の人っぽい使い方をしていて面白いなと。

柴崎:もともと、SNSを戦略的にやろうっていうのがなくて。だから、そのままなんですよね。

でも、やっぱり、難しさもありますよね? それこそ、チームの戦績によっては、投稿しづらいとか。

柴崎:個人競技じゃないですから、ある程度の難しさはありますけれど、そこはけっこう割り切ってます。そういう時だからこそ発信する、という考え方もありますし。僕はけっこう線引きしていますね。ファンの人たちの気持ちも考えながら、自分も状況に応じて発信する、という感じです。

それにしても、改めてですが、柴崎選手がSNSをやるなんて思ってもみなかったです。そういうことをやるタイプじゃないと勝手に思ってました。

柴崎:そこは、間違いなく、海外に来てから変わりましたね。日本にいる時は、SNSをやるなんて、1ミリも考えてなかったです。それと、今後はサロンを始めて、育成年代のみんなの疑問や、親御さんが自分の子どもの代わりに質問したことに答えたりしたいと考えています。そこでしか書かない記事を自ら書いたりもしようかなと(編集部注:このインタビューの後、2020年3月よりnoteをスタートし、自分の考えを書き連ねている他、noteのサロン機能を活用して『Gaku Salon/柴崎岳の学び舎』もスタート。子どもたちや、子どもを持つ親からの質問にも答えています)。

絶対、書けると思います。こうしてインタビューしていると、話している感じで、文章書ける人と書けない人ってすぐにわかって。それこそ、岩政(大樹/元鹿島アントラーズ)くんとかもまさにそうで、普段から自分の考えがまとまっている人や、しっかりと考えてる人ってやっぱり書ける。書いていくうちにうまくなりますしね。

柴崎:でも、こうやって人と話している時に、瞬間的にまとまっていくことって多いんですよね。一人で考えていても、「あれ、今さっき、何考えてたっけ」とか、「あれ、どうだったっけ?」ってなることが多くて。会話している時だと、瞬間的に「これってこうだよね」ってなるので、そっちのほうが楽しいですよね。

こうして話していると、とてもコミュニケーションがちゃんとしているけれど、正直、メディア嫌いな印象がこれまでありました。

柴崎:そうですね、あんまり好きじゃなかったです。まあ、今でも好きではないですけど、メディアのことをそこまで嫌いという感じにならなくなったのは、海外に来てからですね。24、25歳くらいまでは、かなり敬遠してました。

それは、なぜですか?

柴崎:いくつかあって。意図の違う記事を書かれたこともあるし、自分の中で自分を出す部分をコントロールしていたんです。それと、「活躍はしているけれど、メディアに出ない」というのがかっこいいと思っていた部分もあると思います。自分を隠すというか。すごくたくさん(取材依頼が)来ていたけれど、受けなかった時期もあります。その点は、ちょっとあまのじゃく的なところもありましたね。

その時の柴崎選手からすると、その状態が心地良かったんですかね。自分の選択肢として。

柴崎:本当かどうかわからないですけれど、ハリウッド女優がInstagramを始めたら人気が落ちた、という話をどこかで見たことがあって。ファンは、妄想して勝手に作り上げていた彼女のことが好きだったのに、いざInstagramで彼女の私生活をリアルに見ちゃうと、「こんなはずじゃない」というふうになってしまう。ファンとして、見たくない部分を出されてしまった、というような。自分としても出したくない部分、しかも、ファンとしても、もしかしたら見たくない部分を、勝手にメディアに出させられる、というのも嫌だった一つの原因だと思います。トレーニングをしている姿とか、絶対見せたくなくないですし。でも、それこそイチローさんとかの密着系の番組は見ちゃいますね(笑)。


ダルビッシュさんのTwitterを見ていて「自分には愛がないんだな」と気づきました


柴崎選手のサロンやブログ(編集部注:現在はnoteに移行)を見ていると、コメントや質問してきている人たちが、とても良いコミュニケーションができているというか、ポジティブなやりとりがとても多い印象があります。

柴崎:僕のサロンやブログは、対象が、子どもを持つ親、どちらかというと育成年代の親御さんなんですよね。だから、批判的なコメントをする人たちとは層が違うんですよ。なので、話しているテーマが全く違うから、気にならないというか。

やりとりをする上で、どういうことに気をつけていますか?

柴崎:僕の中では、ある考え方に固執するっていうのがあまりなくて。けっこう何でも受け入れるというか、「それもあるよね」という感じなんです。だから、あまり反論することはないですね。でも、「僕はこう思いますよ」ということは言います。それは強制とかではなくて、「1+1」が0の人もいれば、2の人も3の人もいるということを受け入れて、その中で「僕はこう思いますよ」という答えを出す、みたいな感じです。

それぞれを尊重して、ということですね。

柴崎:そうです、それが前提としてあって。だから、いろいろな意見があっても、それはそうだなって思えますし、だからこそ、ストレスになったりしないのかなと。

どういうふうにして、そういう思考にたどり着いたんですか?

柴崎:「気づいたら」というのが一番しっくりきますかね。

それはたぶん、周りの人にも恵まれているんでしょうね。なかなか、27歳でそういう感じにはならないと思います。そもそも、他人の考えを受け入れる、ということ自体、日本人はかなり苦手だと感じています。日本人は、「あるべき論」がとても強くなってしまっているんじゃないかと。

柴崎:「あるべき論」が何個かあって、その人たち同士が戦ってしまう、みたいな?

そう、それぞれの枠組みに当てはまっていないと、攻撃したくなっちゃう、というような感じです。

柴崎:(考え方が変わったのは)スペインに来たからっていうのあるかもしれません。スペインだと、話している時に「俺はこう思う」というのを、みんな、すごくたくさん言うんですよ。そして、「でも、あなたがどう思うかは知らないよ」とつけ加えるんです。チームでも「チームだから、チームのやり方には従うけれど、でもやっぱり俺はこう思うよ」みたいなことを、みんな言いますね。

それと、海外に出ると、日本のこともよくわかるようになりますよね。日本って、良い意味でも悪い意味でも、とても独自性があって、よく「ガラパゴス」なんて言われますが、やっぱり、他の国とは全く別の文化の形成の仕方をしてますからね。ヨーロッパはどの国も個性を大事にするけれど、日本は集団の意識がとても強い。他の人と違うことを言うとすぐに叩かれる、みたいなところがあるじゃないですか。

柴崎:そうですね。こないだ、ダルビッシュ(有)さんのTwitterを見ていたら、SNS上で人を叩くことを生きがいにしているようなタイプの人たちに対して、ダルビッシュさんが「それはダメだろう」みたいなことを言ってたんですよね。で、そのツイートに対して、「そんなのは別に気にしなくていいじゃないですか」という返しが来た時に、ダルビッシュさんは「そうじゃない、それだと愛がない」っていうようなことを返してたんですよ。そのTwitterでのやりとりを見ていて、気づいたことがあって。僕は、その人たちをどうこうしようとかって全く思わないんです。つまり、ダルビッシュ論でいくと、自分には愛がないんだなと。ある種、ダルビッシュさんは、それを言ってあげることで優しさを示してるんだなって。

ダルビッシュさんはブレないですからね。確かに、ああいうやりとりを見ていると、アンチにも愛を持ってやりとりしてるんですかね? でも実際のところは、わけのわからない攻撃的なコメントをしてくるヤツのことはとっちめてやろう、というのもあると思いますけれど(笑)。

柴崎:関西人ですよね? ちょっと強い部分も持ち合わせているんでしょうね。

表現方法は違うけれど、思考は柴崎選手と一緒じゃないかと。自分の人生なんだから、何をやろうが、他人に何か言われることじゃない。そこは共通していると思います。

柴崎:そうですね。そこは根本の趣旨がずれているのかな、という感じですかね。「褒められたいからやる」ということにずれていってしまう。やりたいことをやってるんじゃなくて。これは日本の教育なんですかね?

日本の教育の影響は大きいと思います。日本の教育は、敷かれたレールの上で、その環境の中で決められた行動をすること自体に価値がある。ちゃんとやるべきことをやる子が褒められるんです。レールから外れた子は否定されてしまいます。

柴崎:確かに。「褒められたいからやる」という姿勢が身についてしまうんでしょうね。




ボールを持った時の選択肢の最優先はディフェンスラインの裏に抜けていく選手


続いて、プレーの話について聞かせてください。前を向いてボールを持った時の選択肢って、何が最優先ですか?

柴崎:最優先は、ディフェンスラインの裏に抜けていく選手ですね。僕はボールを持った時、まず最初に、自然と相手のディフェンスラインあたりを見るんですよ。それは、しっかりと見るのではなく、ぼわーっと間接的に見るんです。走っている選手が見えている中で、抜け出しそうだな、ラインを突破できそうだなと思った選手を、次にフォーカスして、そこに出せるパスを考える、というところが優先順位高いですね。わかりやすいですよね。さっき言った、ぼわーっと見ている中で、一人だけすごい勢いで走っている選手ってわかりやすくて。そういう選手がけっこう好きなので、そういう選手を見つけて出す、みたいな。いわゆるスルーパスとかキラーパスと言われるパスを出すために見る、という感じですね。

ロシアW杯(2018 FIFAワールドカップ)の時は、そのパスが見事、点につながりました。セネガル戦(2018年6月24日/グループH 第2戦 日本vsセネガル)で長友選手に出したスルーパスも、ベルギー戦(2018年7月2日/ベスト16 ベルギーvs日本)で原口選手に出したスルーパスも、どちらも最高のパスでした。タイミングもパススピードも完璧でしたね。

柴崎:確かに、あれはそうでしたね。

いや本当に、しびれるパスでした。でも、ああいうパスが出せる瞬間って、いわゆるゾーンに入ってるんですかね? ベルギー戦なんて、得点につながったパス以外も、素晴らしいプレー連発でした。

柴崎:あれをゾーンと呼ぶとしたら、そうかもしれないですね。でもそこは自分も無意識だからこそ、そうなるのかなと思ったりもするんですよね。「これ、ゾーンに入ってるな」と思った瞬間に、集中力が切れてしまう、みたいな感じなので(苦笑)。だから、「結果的にゾーンに入ってた」みたいな感覚が正しいのかなと。

後から振り返って気づく感じなんですね。やっている時は必死だから、それどころじゃないと。

柴崎:そうです。必死で、プレーしている以外のことを考えていない、という感じで。だから後々気づくんです。

それから、自分がボールを持っていない時は、どういう動きをしようと考えてプレーしていますか?

柴崎:味方が持っている時は、まず「絶対に自分に出せない」という角度の持ち方を味方がしている時は、「その選手が見ているであろう選手」がボールを持った時のことを考えてポジショニングするようにしています。つまり、次の次ですね。こう出した時には、自分はどう動こう、という感じで考えてます。あと、ボールの流れを感覚的に理解するようにしてます。将棋というか、そういう感じともちょっと違うんですけれど。たぶん、「ぼんやり理解する」というのが、正しい表現かもしれません。明確に全部が決まっているわけではなくて、サッカーって不確定要素が強いスポーツだから、自分がそう思っていても、味方は違う持ち方をするじゃないですか。だから、きっちりとは決めづらいところがあるので、感覚的にボールの流れをイメージしながら、その場その場で閃き的に動くことが多いです。

それは面白い言語化ですね。それは経験値によるものなんですか?

柴崎:経験値といったらそうかもしれないです。経験値も大事で、近い状況を経験するっていうのはすごく大事で、でも結局、僕はサッカーって即興のスポーツだと思っているので、全く同じ状況というのはあり得ないわけです。同じ状況に見えても、数メートルずれてたり、足の運び方とかステップの踏み方とかが違ったりしますから、結局はその場の閃きなんです。でも、閃きって経験の中から生み出されるところがあるので、経験からくるというのも間違っていないと思います。

「ぼんやり理解する」中でも、ある程度、理想の形はイメージしているんですか? それとも、どんな状況にも対応できるように待つこともあるんですか?

柴崎:理想はあります。プライオリティの一番というか、こうなったら得点になるなとか。実際、そのとおりにできる時もある。ただ、そうならない、思いどおりにならない場合のほうがやっぱり多くて、でもそこで考えを止めずに、動くことも止めない。それをくり返し続けていく、という感じです。だから、そこで待つという意識はなくて、どちらかというと中途半端なポジションを狙って、たとえパスが出てこなくても中途半端な位置を取っているからこっちにもいけるという。


「野望」があるとすれば日本代表「W杯の舞台で、より継続的に力を発揮する」


例えば、(FIFA)クラブW杯(2016)決勝のレアル・マドリード戦では、何度も細かく動き直したり修正したりしながら、でも、中途半端なポジションを意図的に取っているから、あれだけ判断が早かったということですよね? ルーズボールがこぼれてきてからの判断が本当に早くて、予測していないと無理だろうなというスピードだったと思うんですよね。きっとあの時、すごくいろいろと考えていたんじゃないかと。

柴崎:でも、その自覚はないですよ。

そんなことをいちいち考えていたら、間に合わないからですかね?

柴崎:たぶん、「ぼんやり」っていうのがキーワードなんですよね。集中してないわけではないんですよ。だけど、サッカーにおける集中力って、一つのことに集中することではないんです。分散集中力みたいなもので。教育とかでも、集中しなさいって言われると日本人のイメージって深く狭くなりがちですけれど、サッカーにおいては、浅く広く見る集中力がけっこう大事で。特にゲームメーカーはそうかと。だから、「ぼんやり」ってそんなイメージなんです。各要素を、確実な情報としてキャッチするんじゃなくて、なんとなくこうなってるな、というのを持っておいて、いざそうなった時に、そこにパッとフォーカスしてプレーするという感覚です。

それ、すごい感覚ですね! それって、どうやってトレーニングするんですか?

柴崎:僕、けっこう、いろいろなことに注意を持っていかれそうになることがあるんですよ。私生活で。一つのことを考えていても、何か起きたらパッと別のことを考えちゃうみたいな。たぶん、あまり一つのことにフォーカスするのは、そんなに得意じゃないのかもしれないです。例えば、一つのことをしながら違うことも同時にするというのは、日本的には「集中している」という状況じゃないですよね。でもサッカー的に言うと、けっこう集中している状態だと思います。

面白いです。正直、その感覚は意識したことないかもしれません。

柴崎:だって、サッカーって、最初はボールに集中しなさいって言われて、ボールに集中していないと触れないものじゃないですか。でも慣れてくると、ボールを見ていなくても触れるようになる。もしくは間接視野でこの辺にあるな、みたいな感覚。でも、見ているものは違うわけなんですよね。

それを常に意識しているから、姿勢が良いし、顔も上げてプレーできているんでしょうね。

柴崎:いや、もちろん、僕も別にそれを意識していたから顔を上げてプレーしていたわけじゃなくて、「顔を上げてプレーしなさい」と言われたから、とりあえず上げてプレーしていただけなんです。つまり、後づけなんですが、結果的に、その正体はこれ(この意識)だったわけで。

後から気づいたんですね。

柴崎:そうです。大人になって、今はこうやって言語化できるようになりましたけれど。僕は小学校の低学年の時とかは、なるべくボールを見ないでサッカーしてました。意識して。基礎練をする時なども、この辺で触ってたらずっと触れるなとか意識しながら。なので、それがある種のトレーニングになっていたのかもしれません。

それは間違いなく良いトレーニングですし、再現性ありますよね。今の子どもたちも、そういう意識でやってみたら、同様の能力が磨かれる可能性は十分ありますよね。続いて、守備の時は何を意識してますか?

柴崎:守備で気をつけていることは、自分のところで取るのが主のシチュエーションの時と、自分のところじゃないところで取るシチュエーションの時があるので、今はこうしたほうがいいっていうのは考えてやっていますね。だから、取るのはいつも目的なんですけど、取れる可能性が低い時に取ろうとするのではなくて、違うところに出させることがプライオリティな時もあるので。

スペインでプレーするようになってから、個人でボールを奪う能力が磨かれたように思えます。

柴崎:それは実感もありますし、周りから言われることもあります。

ラ・リーガの1部と2部では、どういう違いがありますか?

柴崎:2部のほうが、より競争的ですよね。毎年けっこう混戦になりやすいんですよ。そこまでチーム間にレベル差がないというか、1部と比べると。戦術的にはやっぱり1部のほうが上回っていると思います。

最後に、現段階で、選手としてここまで行きたい、というような目標はありますか?

柴崎:野望みたいなものですかね? 今は良くも悪くも、目の前のことにフォーカスしている感じではあります。昔はけっこう、理想や野望が先に来ることが多かったんですが。もちろん今でも、選手としてこうなりたいという理想はありますけど、そこに行くための過程の部分に、よりフォーカスして毎日を過ごしたいという部分があって。ただ、野望があるとすれば、それはやっぱり、日本代表ですかね。日本代表として、W杯の舞台で、より継続的に力を発揮していく。そこで成果を出すために、自分はどういうふうになっていくべきか。自分がやりたい、なりたいものを重ねながらイメージしています。


【前編はこちら】柴崎岳が期待する化学変化。「『1+1=2』じゃなくて、自分が感じたことを伝えていきたい」


<了>


◆柴崎岳のプレーのキーワードは「ぼんやり理解する」。日本が誇る司令塔の頭の中を読み解く(REALSPORTS)


◆内田篤人が明かす、32歳の本音「サッカー選手として、終わる年齢ではない」(REALSPORTS)



内田篤人 Atsuto.Uchida


まんが NHKアスリートの魂 サッカー内田篤人 野球上原浩治 チアリーディング日...


8年間離れた古巣・鹿島アントラーズに復帰して3シーズン目。内田篤人は、無冠に終わった昨シーズンの悔しさを抱えながら、今、どのようにサッカーと向き合っているのか。数々の試練を乗り越えながら、トップレベルで走り続けてきた彼が、胸のうちを明かしてくれた――。

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=大竹大也)


「プロ選手になるためというより、サッカーが楽しくてやっていた」


内田選手は、いつからサッカーを始めたのですか?

内田:小学1年生の時に、地元のサッカー少年団で始めました。

少年団での練習以外にも練習はしていたんですか?

内田:学校の昼休みや放課後、みんなでサッカーをやるくらいでした。サッカー選手になるためというよりは、サッカーが楽しくてやっていたし、「サッカー選手になる」という夢はありましたけど、みんなが子どもの頃思っているのと同じような感覚でやっていましたね。

特別なわけでなく、どこにでもいるサッカー少年と同じような感じだったのですね。

内田:そうです、中学までは。それが高校の時にサッカー強豪校の清水東高校に入ってから、大きく変わりました。

それから3年後に、鹿島アントラーズ加入直後2006年の開幕戦で、クラブ史上初となる高卒ルーキーでのいきなりのスタメン出場って、すごいことですよね。

内田:運も、タイミングもあったと思います。

日本代表選手の中でも、高校のタイミングでスイッチが入ったという選手はなかなかいないです。

内田:やっぱりみんな、小学校の時に全国大会に出ていたりするんですよね。僕は、高校生の時も(鹿島から)オファーがくるまでは大学に行くつもりでしたし。清水東高校では、入学してすぐに入りたい学部と大学の希望を書き出すんです。でも、僕はそんなこと考えていなくて、適当に隣の同級生のを見て、早稲田とか書いて。それでその時に「俺って本気でプロサッカー選手になりたいって思っているわけじゃないんだ」って思いました。そこで貫いている人なら、「俺、鹿島アントラーズに入ります」とか、「Jリーガーになります」って書くと思うんですけど。

大学へ行ったとしても、サッカー部に入ろうと思っていたのですか?

内田:そうですね。サッカーをやれればどこの大学でも行けるよ、とは言われてました。

つまり、サッカー推薦ということですね。

内田:そうです。U-16代表に招集されて月1で海外遠征や練習に行っていたので、帰ってくる頃には教科書が変わっていたりして、勉強についていけなかったんですよね、高校生の時は。だから勉強で大学に入るのは無理だと思いました。同級生で、センター試験を受けずに就職したのは僕だけです。

Jリーガーになることを「就職した」という響き、新鮮でいいですね(笑)。高校でスイッチが変わったというのは、やっぱり強豪校だったからですか?

内田:そうですね。(全国高校サッカー)選手権に出たいという生徒たちが集まってくる高校でしたし、サッカーの基本から、厳しさまで学びましたね。

清水東のサッカー部に入った当初は、レベル的にはどうだったのですか?

内田:1年生の選手権の時に、ベンチ入りしていたくらいですね。僕は足が速かったので、先生が途中出場で使ってくれて。

でも実際、高校からいきなり厳しい環境でサッカーをやるのって、大変ですよね。

内田:そうですね。でも、自分でその環境を望んで、親も朝4時に起きてお弁当を作ってくれて、始発に乗って通っていましたから。やめたいと思ったことはないし、仲間に恵まれていたので、このメンバーとずっとサッカーをやれたらなって思っていました。1年生の時は、3年生の先輩と口きけなかったですけど、怖くて。

そういう時代だったのですね。

内田:はい。説教とかもありました。でも、そういう経験をしている部活出身の選手のほうが、社会に出てから根性あるとは思ってます。

中田英寿さんにインタビューをした時も、自分の会社で採用する際、根性があるから体育会系の人がやっぱりいいって言っていました。

内田:なんだかんだ、ユース出身のほうが技術はあるのでアンダー世代は多いですけど、生き残るのはやっぱり、部活上がりの選手だと思います。

清水東では居残り練習をやったと聞きました。

内田:通学にめちゃめちゃ時間がかかるので、たまにしか参加できませんでしたが。

その練習内容は、どんな感じだったのですか?

内田:すごいですよ、本当に。コーナーからコーナーまで走って、先生が真ん中ぐらいにボールを出すので、それにギリギリ追いつくのに必死になる……。

(笑)。内田選手のキャラクター的には走力系ではないのに、走るスタイルをやれるようになったのは、その時のおかげなんですね。

内田:そうだと思います。「ケンタリング(右足から繰り出される正確なクロスボール)」といって(清水東サッカー部OBである)長谷川健太さんのセンタリングを真似しろって言われて。ひたすらケンタリングの真似していました。

ケンタリング(笑)。たしかに、内田選手がプロになった当初のプレースタイルはそんな感じでしたね。

内田:そうなんですよ。


「早生まれ」が運を引き寄せた、U-16入りからサッカー人生が一変


でも、居残り練習や個人トレーニングをあまりしていなかった中で、代表レベルで活躍できる技術が身についた理由は何だと思いますか?

内田:U -16に入ったことがきっかけだと思います。僕、たまたま早生まれなので(編集部注:2004年にAFC U-16選手権に向けて日本サッカー協会が主催した早生まれの選手を対象としたセレクションがあった)、ラッキーだったんです。高校のトレーナーがU -16のトレーナーを兼任していて、その人が「サイドでめちゃくちゃ足速いヤツがいる」って推してくれたんですよ。

すごいことですよね。

内田:そこから、みんなに「ウッチー、なんかパススピード上がってない?」って言われるようになりました。

トップレベルを経験して、意識が変わったと。

内田:県選抜も通り越して、急にポンってU-16に入っちゃったので。そこから良い仲間や良い指導者にも巡り合えて、本当にありがたいです。

そこからプロになり、どうやっていろいろなものを身につけていったのですか?

内田:例えば、監督の反応をよく見るとか。こういう時にこういうプレーをしたら怒られるんだなとか、逆に褒められるところを意識したり。

内田選手は、観察力があるなと感じます。

内田:自分で言うのもなんですけど、吸収は早いほうだと思います。ドイツへ行った時も、言葉はわからないけれど、同じく監督のことをよく見ていました。

これまでのサッカー人生において、挫折や試練を感じた時期はいつ?

内田:ケガをした時ももちろんそうですけれど、体調不良やボールにあまり触れていなかったプロ2、3年目くらいの時かな。

ケガとの闘いは長かったですよね。ケガをしている間、不安もある中で前を向いてやるために、どういう気持ちで乗り越えてきたのですか?

内田:変な話、仕事って捉えると、契約をしている以上はやらなきゃいけない。自分の体の感覚というのはだんだんわかってくるので、自分の中では引退はそう遠くないなと。

内田選手は、試合中に緊張しているような印象がまったくないですが、緊張することはあるんですか?

内田:昔はしていましたけど、たぶん場慣れなんでしょうね。今はないです。それを見せないというのも、プロとして大事だというのもあると思います。岩政(大樹)さんとか緊張しいで、恥ずかしがり屋だし、緊張しているのが隣で見ていてよくわかります(笑)。そういうところが僕から見ても、あれだけいろいろ教えてもらったけどかわいいなと(笑)。


監督目線でチームを見るようになった


「引退はそう遠くない」と思うようになってから、見える景色の変化を感じたりはしますか?
内田:今シーズンが終わる時に、クラブから来年契約延長しないよって言われても全然不思議には思いません。そういう中で、今若い選手がけっこう入ってきましたけど、そういう選手と練習するのがすごく楽しくて。

そうなんですね。

内田:例えば、僕が「あそこ見えてた?」と言って「見えてないです」とか、「見えてたけど、蹴れないもんな」みたいな話になって。「動けるヤツいいよなー」と言っている僕と、「見えている人いいなー」と言ってくる若手、そういうバランスが、けっこう面白いなと。今までは自分が試合に出るために、というのが第一でしたけど、「今の練習どんな感じなんだろう?」って監督目線で考えたり、「なんでアイツと交代したのか」と監督に聞きに行ったり。

サッカーとの向き合い方が少しずつ変化してきたと。

内田:少しずつ。

あと、鹿島に戻ってきてから、よりチームのことを考えるようになったように思えます。

内田:アイツはこういう性格だからとか、外国人はこうだからとか、バランスは考えるようになりましたね。





ネイマールには苦手意識がない


内田選手がこれまで対戦した中で、すごいなと思った選手は?

内田:その質問はよく聞かれるんですけど、ネイマールとか(クリスティアーノ・)ロナウドとか答えたら普通なので、イスコや、(エデン・)アザール、ラウル(・ゴンサレス)とか。あとは一緒にプレーしてた(クラース・ヤン・)フンテラールも。

ネイマールやロナウドと対峙した時には、どうやって止めに行くんですか?

内田:例えばネイマールは、適当にぱぱって遊んで、仕掛ける時は結局縦一本じゃないですか。FIFAコンフェデレーションズカップ2013の時にもネイマールと対戦したんですけど(2013年6月15日/第1ステージ グループA ブラジル対日本)、僕、ほぼ負けてなかったと思うんですよね。自分で言うのもなんですけど。ネイマールが試合開始3分で1点目をボーンって決めましたけど、その試合に関しては、勝率では勝っていたんじゃないかと。

ネイマールに関しては、苦手意識がないということですね。

内田:あまりないですね……って言ったら、アホかって思われるかもしれませんけど(笑)。

いえいえ、そんなことないですよ。

内田:ただ、ロナウドを止めるのは大変でした。日本人が真似するとしたら、イスコやアザールのように、相手を見ながらボールを扱える選手になら、なれるかもしれないですね。

でも、内田選手たちがつないできたように、日本人選手がヨーロッパのトップリーグでプレーするようになり、ついには南野(拓実)選手がヨーロッパ最高峰クラブのリヴァプールで活躍するような道も開かれてきましたね。

内田:ただ、活躍し続けないと意味がないので。

そうですね。そこで主力になったら、本当にすごい。

内田:南野選手がもし(モハメド・)サラーとかからポジションを奪って、4、5年リヴァプールでスタメンを張れるようになったら、本当にすごいと思います。

そう考えると、海外チームの顔の一人になれるっていうのは、すごく大事ですよね。

内田:たぶん、それが本物かなと。変な話、海外で2、3年活躍することはできると思う。そう考えたら、長谷部(誠)さん、あの人すげーって思うんですよ。移籍して、今はフランクフルトにいますけど、評価は安定しているし。

しかも、途中で監督が代わったりして試合になかなか出られない時期が何度もあった中で、いつも乗り越えていますよね。やっぱり長谷部選手は、内田選手にとっても特別な存在なんですね。

内田:あの人は、すごいです。


「引退後は、監督も強化部もやりたい」


先ほど引退という言葉が出ましたが、引退後は、どんなビジョンを持っていますか?

内田:ざっくりですけど、最近、監督をやってみたいなってすごく思います。強化部もやってみたい。

「チームを強くする」というところに、目線が行ってるんですね。

内田:そうなんですよ。コーチの立場で、強化部まで全部やらせてくれたら面白いのに。チームのルールもあると思うけれど、そういうのを全部変えてみたい。僕は幸運なことに、代表も含めいろいろな監督を見てきましたから。20人前後は。つまらない練習や、面白いけれど勝てない監督とか、いろいろ見てきましたし。

鹿島は、Jリーグの中でもトップレベルのクラブで、“常勝軍団”として勝者のメンタリティーがあると思うんですけど、そのカギとは何だと思いますか?

内田:選手の質だと思います。

結局、スカウティングの部分がすごく大事ということでしょうか。

内田:日本人選手に関しては、外れがない、良い選手を取ってくるなと思います。目立たなかったり、大丈夫かな?と思っていたような選手でも、結局チームに入ってきたら仕事するし。

鹿島の場合、以前よりも海外に行ける選手が増えて、世代交代の早さを感じます。

内田:そうですね。そこは(フットボールダイレクターの鈴木)満さんも言っていました。(鈴木)優磨もそうですし、(安部)裕葵も(安西)幸輝もそうですが、20代前半の若さで海外に行く。そういう中でチームを作っていくというのは、すごく難しいことだと思います。今回も、高卒で良い選手が入ってきましたけど、その選手たちがまた、活躍したら2、3年で海外に行くかもしれないし。10年鹿島に居続ける選手のほうが、もう少なくなっているので。

今はもう、5年すらいないですよね。

内田:そのようにチームの入れ替わりがある中で、一本筋が通っていたのは(小笠原)満男さんのような存在だと思うんですよ。曽ヶ端(準)さんとか。僕もそういう存在にならなきゃいけない。

そういう意味では、引退はちゃんとチームに貢献してから?

内田:そう。頑張ってやれるところまではやるけど、鹿島がもういらないってなったら終わりですし、ちゃんと貢献できなかったなって思うと思います。

でも、まだまだ現役ですし。

内田:まだ32歳ですからね。サッカー選手として、終わる年齢ではないです。

<了>


PROFILE
内田篤人(うちだ・あつと)
1988月3月27日生まれ、静岡県出身。ポジションはディフェンダー、右サイドバック。Jリーグ・鹿島アントラーズ所属。清水東高校卒業後、2006年のJリーグ開幕戦で鹿島アントラーズ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たし、プロデビュー。鹿島アントラーズでは主力選手として活躍し、07年~09年のリーグ3連覇に貢献、自身も2年連続でJリーグベストイレブンに選出。代表では、FIFA U-20 ワールドカップカナダ2007、北京オリンピックなどに出場し、キリンチャレンジカップ2008 チリ戦でA代表デビュー。2010年7月、ドイツ1部リーグのシャルケに移籍。2017年8月、出場機会を求めブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍後、2018年より鹿島アントラーズへ復帰した。




◆内田篤人が明かす、32歳の本音「サッカー選手として、終わる年齢ではない」(REALSPORTS)


◆【鹿島】地元紙に異例の全面広告掲載「いまできることをみんなで」クラブ主導で実現(報知)






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 鹿島は9日、本拠地を置く茨城県の地元紙「茨城新聞」に全面広告を掲載した。

 中断期間中に茨城・鹿嶋市内のクラブハウスで撮影された集合写真を使用。「いまできることをみんなで」「ともに乗り越えましょう。フットボールのある日常を取り戻す、そのときまで」といったクラブからのメッセージを発信した。公式戦の中断により露出機会が激減している状況を踏まえ、クラブ主導で茨城新聞とのタイアップを提案。掲載の運びとなった。

 新型コロナウイルスの感染が拡大する中、クラブは「いまできることをみんなで」をキーメッセージに、様々な取り組みを行っている。3月下旬には、全クラブに先駆ける形で札幌との練習試合をDAZNで生配信する異例の取り組みを実施。また「鹿行の『食』を届けるプロジェクト」と題し、クラブのホームタウンである鹿行地域及び近隣の魅力的な「食」を通販できる事業者と外出を制限されている消費者を結ぶプロジェクトを行うなどしている。クラブによると、公式戦再開までに追加の全面広告掲載も計画中だという。

 Jリーグは5月末までの全公式戦延期が決定し、再開の見通しは立っていない。鹿島は19日までトップチームの活動休止を発表しており、20日以降は政府見解や感染症の発生状況を考慮しながら対応するとしている。


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