日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年9月7日水曜日

◆9月11日スカパー!が高円宮杯の注目カード、鹿島ユースvs市船を無料生中継(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/youthstudent/hs/20160905/489636.html?cx_cat=page1



 高体連とクラブユースが東西2つのリーグに分かれて戦うU-18年代最高峰のリーグ戦『高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ』。日本サッカーの未来を担うユース・育成年代を徹底応援するスカパー!は、このリーグ戦の試合を厳選して放送している。

 9月11日、夏の高校サッカーインターハイを制し、全国高校サッカー部の頂点を取った市立船橋高校と、昨年チャンピオンシップを制した鹿島アントラーズユースが高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグEAST第12節で激突。スカパー!は、この注目の一戦を無料生中継することを発表した。

 放送日時、視聴方法は以下のとおり。

■高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグEAST
【無料生中継】第12節 9/11(日)11:00KO 鹿島アントラーズユースvs市立船橋高校

<視聴方法>
TV:スカチャン1(スカパー!CS801/スカパー!プレミアムサービスCh.581)
スマホ・PC・タブレット:こちらへアクセス(http://r.ca-mpr.jp/s/315/?i4a=3855
放送スケジュール・出演者情報詳細はこちら(http://r.ca-mpr.jp/s/315/?i4a=3279

◆Jリーグ、来季から1ステージ制に逆戻りへ(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1706105.html



 Jリーグ実行委員会が6日、東京・本郷のJFAハウスで行われ、来季から1ステージ(S)制に再移行する案が確認された。収入増を目的に15年から「2S+ポストシーズン制」を復活させたが、3季ぶりに1S制に戻して年間王者を決める。

 英パフォーム・グループと10年2100億円の放送権料契約を結んだことで財源を確保。順位決定法や過密日程で不満の声が上がっていた2S制にこだわる必要がなくなった。外国人枠の拡大も議論された。

◆中田浩二「チャレンジは成功してこそ意味がある」(R25)


http://r25.jp/entertainment/00052628/



9月1日(木)からスタートしたサッカー「ロシアW杯アジア地区最終予選」。第1戦でまさかの敗北を喫した日本代表は6日(水)にアウェイでタイとの一戦に臨む(テレビ朝日系列で地上波生中継)。厳しい戦いが予想されるが、元日本代表で、現在は鹿島アントラーズCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)を務めている中田浩二さんは「高い壁にこそ挑む価値がある」とエールをおくる(前編記事はこちらから)。

日本のW杯初勝利を呼び寄せたゴールの“真実”。

中田さんが日本代表に定着したころ、ナカタと言えば当時イタリア・セリエAで活躍していた中田英寿さんを思い浮かべる人が大多数だった。いわば、“じゃない方のナカタ”としてネタにされることも、しばしば。しかし、それに対しても中田さんは持ち前の「こだわりのなさ」を発揮して、いい具合にいなすのだった。

「そもそも、なんで、俺だけユニフォームのネームに『K.NAKATA』って“K”が入っているんだろうって。ヒデさん(=中田英寿)はシンプルに『NAKATA』なんですよ(笑)。冗談はともかく、苗字のおかげで自分のことも知ってもらえたし、ナイジェリアのワールドユースでも『ナカタ、ナカタ』って応援してもらえたし、なんか“役得”だったかなって。のちに代表でヒデさんと一緒にプレーすることになった時も、ヒデさん本人から同じようにイジってもらえましたから、つかみとしてはOKだったんじゃないかなと」

2人のナカタがともに名を連ねた日本代表は、2002年に日韓で共催されたワールドカップに出場。日本中の期待を背負って果敢にグループリーグを戦い、見事に2勝1分けで決勝トーナメントに進出するという快挙を成し遂げた。その一戦一戦はワンシーンごとに、中田さんの記憶に刻まれている。

「自分にとって遠くて憧れだった日本代表に入ってプレーすることもそうですし、まさか自分がワールドカップでプレーするというのは…まさしく夢のようでしたね。しかも日本で開催された大会ですから、1試合ごと鮮烈に覚えていますよ。ロシア戦でゴールにつながるクロスを入れたこともそうですけど、初戦のベルギー戦でFIFAアンセムを聴きながら入場してきた時の緊張と興奮は、今も生々しい感覚で残っていますね。ちなみに、ロシア戦のイナ(=稲本潤一)のゴールシーンって、ダイジェストだと僕のクロスから流れるんですけど、蹴るところはカットされちゃっていて、それが個人的には残念で(笑)。まあ…今だから白状しますけど、そのゴールの場面で蹴ったクロス、実はヤナさん(=柳沢敦)を狙ったわけじゃないんですよ。あの密集した中をピンポイントでヤナさんにグラウンダーのクロスが通ったというのは、偶然なんです。それをヤナさんが絶妙なタッチで落として、イナがいいタイミングで受けてゴールを決めてくれたという…。でも、自分の中では一生忘れられないワンシーンですね」

自国開催だった2002年は予選を免除されていたので、中田さんがワールドカップのアジア最終予選に挑んだのは、2006年のドイツ大会のみ。日本代表はアジアカップを連覇するなど屈指の強豪となっていたが、それでも簡単に突破できるほど予選は楽じゃなかった。

「アジア予選は、アウェイが厳しいんです。1~2週間しっかり準備して本番に臨めるわけでもないし、ピッチコンディションも日本とは全然違いますから。日本だとすごくいい環境でサッカーができるんですけど、アウェイは必ずしもそうじゃない。その中で慣れなくちゃいけない気温や湿度、いろいろなものが積み重なっているので、楽な試合は1試合だってないですよ。僕が参加したドイツ大会の最終予選はチーム数こそ4チームと少なくて、しかも2位までが本戦に出場できるというレギュレーションでしたけど、それでも楽ではなかったですね。そう考えると、今回はすごく厳しい戦いを強いられると思います。オーストラリアがいて、イラクがいて、UAEも強いし、タイも侮れない。ホームだと強いんですよね。湿度や暑さも日本とは質が違っているので、その辺りも敵になってくるんです。何が起こるかわからないのがアジアの最終予選ですけど、何が起こっても選手たちにはたくましく対処してもらって、壁を乗り越えてほしいですね」

いい意味でこだわりのない男のチャレンジは、まだまだ続く。

さて、中田さんは2014年限りで現役を引退し、現在はクラブ経営という立場から鹿島アントラーズにかかわっている。選手としてのキャリアを終えた後は、監督やコーチ、解説といった道へ進む人が多いなか、チャレンジ精神旺盛な性格からか、新たな道を選んだ。

「引退して現場(=監督や指導者)をやりたい人はたくさんいるんですけど、選手も事業や経営者的な観点でやっていくことが、日本のサッカーがこれから成長していくためには必要なことなのかなと考えていて。なので、ちょっと現場とは距離を置いて、経営や事業の面で、自分の培ってきたものを反映していけたらいいなと思っています。とは言え、まだまだ知らないことの方が多いので、とにかくたくさん勉強して、引退後の新たな選択肢をつくっていきたいですね。現在、岡田(武史)さんがFC今治のオーナーでいらっしゃいますけど、そういう人がもっともっと出てこなくちゃいけないですよね。コンサドーレ札幌の野々村(芳和)さんのように、選手からクラブの社長になった人もいますけど、基本的には親会社から来ている人の方が多いというのが現状なので、これからはワールドカップに出場した人がサッカークラブを経営する時代になっていかなきゃと思っています。選手はどんどん海外に行く、ワールドカップを経験した人が監督にもなっている、となると経営者もそうなっていくのが普通じゃないかなと。(ドイツのフランツ・)ベッケンバウアーや(フランスのミシェル・)プラティニみたいに、一流選手だった人が運営や経営に携わっているヨーロッパとの差はそこですよね。なので、日本のサッカーをもっと良くするために、新たなチャレンジをしているところですね、大げさに言うと(笑)」

サッカーに限らず、アスリートのセカンドキャリアは多くのスポーツで課題とされていること。そういった意味でも、中田さんの選択は注目を集めているのだ。

「Jリーガーにも様々な潜在的な能力があると思うんですよ。ただ、サッカーしかやってこなかった、勉強してこなかったからわからない、やりづらいという意識があると思うんですけど、やってみれば意外と…サッカー選手の方が試合を通じて修羅場をいくつも経験しているから、ある程度の猶予を与えてもらえれば、しっかりノウハウを習得していけると思うんですよね。勝負強さはみんな持っているし、人生経験も濃厚だと思うので、時間はかかるかもしれないですけど、可能性はあると思う。なので、僕のチャレンジは成功してこそ意味がある…と、自分にプレッシャーを掛けながら日々奮闘しています」

フィールドが違うところへ迷いなく飛び込んでいく姿は、それこそユーティリティープレイヤーだった現役時代と重なるところがある。積み重ねたキャリアのなせる業、と言っていいだろう。

「ポジションを変えられても、それをこなそうとすることで必ず学べることがあるんです。高校の時からずっとそういうカタチで成長してきたという実感があるので、今もいろいろなことに挑戦したいという気持ちが強いんでしょうね。これだけをやりたい、というのではなくて、様々なことに挑戦することで自分の幅が広がるし。それが良いのか悪いのかはわからないですけど、中途半端で終わりたくないんです」

その思考法は、30オトコにとっても役立つはず。たとえば、会社で異動を命じられて腐るのではなく、その先で何かが得られそうという発想に変換していけば、とらえ方も変わってくるだろうから──。

「正直、僕も現役の最後の方でサイドバックになった時は、『そんなに走りたくないなぁ』と思いましたよ(笑)。でも、チームのためにやらなきゃと思うし、いざやってみるといろいろなものが見えてくるので。だから、本当にマイナスなことってないと思うんですよね。でも、その人がネガティブに考えちゃったら、どんどんマイナスになっていく。そうじゃなくて、ほんの小さなところでもいいからいいところを見つければ、それがフックになって楽しくなっていく可能性も出てくるんじゃないか──そんなふうに考えているんです」

◆中田浩二「武器がないなかで生き延びていくには」(R25)


http://r25.jp/entertainment/00052627/



中田浩二(なかた・こうじ)
1979年滋賀県出身。小学校時代にサッカーをはじめ、帝京高校の3年時には全国高校サッカー選手権で準優勝。1998年、Jリーグの鹿島アントラーズに加入し、数多くのタイトルを獲得。その後、オリンピック・マルセイユ(フランス)、FCバーゼル(スイス)を経て、2008年7月に鹿島復帰。2014年シーズンをもって現役引退。日本代表では、国際Aマッチ57試合に出場し2得点。ワールドカップは2002年日韓大会、2006年ドイツ大会に出場。引退後は、鹿島アントラーズのCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)に就任するとともに、解説者として『やべっちFC』などに出演。

9月1日からスタートしたサッカー「ロシアW杯アジア地区最終予選」。第1戦でまさかの敗北を喫した日本代表は6日(水)にアウェイでタイとの一戦に臨む(テレビ朝日系列で地上波生中継)。厳しい戦いが予想されるが、元日本代表で、現在は鹿島アントラーズCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)を務めている中田浩二さんは「高い壁にこそ挑む価値がある」とエールをおくる。

高校入学と同時に、いきなり試練が訪れた。

1993年10月28日、いわゆる「ドーハの悲劇」が起きた日。中田さんは鳥取県でサッカーに打ち込む中学2年生だった。日本代表があと一歩で夢に届かなかった現実を、多感な時期に目の当たりにしたことで感じたことも多かったのでは…と思いきや、なんと見ていなかったと明かす。正確にいうと、地上波の中継がテレビ東京系列、NHKはBSでの放送だったため、視聴する環境になくて見ることができなかったのだ。

「鳥取にいた時は、日本代表はすごく遠い存在でした。確か僕が中学2年の時にJリーグがスタートしたんですけど、そのころは自分が将来プレーするイメージなんてまったくなかったんですよ。華やかな世界だなとは認識していましたけど、自分が足を踏み入れることはないだろう、と思っていましたね」

小学生からサッカーを始めて、中学生まではFW(フォワード)としてプレー。鳥取で指折りの点取り屋だった中田さんは、名門の帝京高校に進学する。まだネットがない時代、情報を得るのはテレビや雑誌がメイン。良くも悪くも“何も知らない強み”を胸に上京してきたが、全国から集められたチームメイトたちの実力を思い知り、さっそく苦みを味わうことになる。

「鳥取県の中学生の中では足も速かったですし、技術もそれなりにあった…と思っていたんです。言ってみれば、“お山の大将”だったんですけど、僕自身は帝京でもやれる自信があった。それが実際に行ってみると…推薦で入ってくる選手が20〜30人いて、しかも、ほとんどがFWなんですよ。みんな体も大きいし、足が速くてボール扱いも巧い。その連中と紅白戦をやらなくちゃいけない。さて、どうしようかと。真っ向勝負をしても埋もれるだけだと思いましたし、何が何でもFWをやりたいというこだわりもなかったので、『俺、中盤でいいよ』って折れたんです。その方が試合に出られるし。FWにこだわって20~30分で交代というよりも、競合の少ないポジションでフルで出た方がいいやって(笑)」

だが、その時から自分の強み=ストロングポイントは何だろうと模索する日々が始まった。足が図抜けて速いわけでも、卓越したテクニックがあるわけでもない。だから、とにかく努力を惜しまない。その姿勢が評価されたのか、最上級生時にはキャプテンに任命されている。

「自分の実力をわかっていたから、チームメイトたちへの敬意や感謝が常にありましたし…その気持ちが自然と態度に表れていたんでしょうね。でも、とにかく必死でしたよ。地方から出てきているので、諦めて帰るわけにもいかなかったですし。親にも迷惑を掛けているし、友達には大見得を切って上京してきたわけですから、そこで何とかしなくちゃなって、いろいろと考えながらやっていました。今思うと、そんなふうに自分の状況を客観的に見つめて受け入れられたことが良かったのかなって。思春期って特に、こだわりが強かったりするじゃないですか。でも、僕にはそういうのがなかった。ポジションはどこでもいい。とにかく試合に出ることが大事で、出場したら頑張るというスタンスだったんです」

まずはチャレンジ。先のことは後から考えればいい。


結果、中田キャプテン率いる帝京高校サッカー部は、第76回全国高校サッカー選手権大会で決勝に進出。九州の雄・東福岡に惜しくも敗れたものの、中田さんの献身的なプレーと存在感は多くのサッカーファンの目に留まった。そして、高校卒業と同時に強豪・鹿島アントラーズに加入する。

「実は当初、大学へ進学しようと思っていたんですよ。大学で4年間サッカーをして、プロになれたらいいなって。そもそも、帝京に入学する時、大学に進学することを親と約束してきて家を出てきたんです。でも、鹿島から声を掛けてもらって…進路に悩みました。(帝京高校サッカー部顧問だった)古沼(貞雄)先生にも『お前は普通の選手だから』と言われていたんです。プロになった選手を何十人も見てきて、礒貝(洋光)さんのように天才と称された人を教えた古沼先生からすると、僕のように特徴のない選手が心配だったんでしょうね。ただ、それでもチャレンジしてみたいという気持ちがあった。元々、チャレンジするのが好きなんです。中学から高校へ行く時もそうでしたし、高校からプロに入る時もそう。とにかく3年間プロとしてチャレンジしてみて、ダメだったらその先を考えればいいかなと。別に甘く見ていたわけじゃないんですけど、やるからにはレベルの高いところでサッカーがしたかったんです」

同期はともに鹿島の第二次黄金期を築き、今も重鎮としてチームを支える小笠原満男、曽ヶ端準、本山雅志(現在はギラヴァンツ北九州所属)ら“ゴールデンエイジ”の面々だった。早くもJリーグで頭角を現した中田さんは、20歳以下のワールドカップ(いわゆるワールドユース選手権)の日本代表として、アジア予選に臨む。だが、またも挫折が待っていた。

「正直、僕たちの世代はいい選手が揃っていて、強かったじゃないですか。僕もユース代表には選ばれたけど、アジアユースの予選では1試合も出られなかった。そういう意味では悔しさが残る大会ではありました。ただ、見方によってはエリートだって言われるんですよ。帝京から鹿島へ行って、ナイジェリアで行われたワールドユースで準優勝して、シドニー五輪でベスト8にも入って。でも、試合にはあまり出ていなかったりもするので、その結果を受け止めながら、自分が何をやらなきゃいけないのかを考えながら、努力を重ねていったという感じですね」

ここで、高校時代に身につけた「こだわりのなさ」が、いい方向に作用する。試合に出られればポジションはどこでもいい、というスタンスが重宝されるようになっていくのだ。

「アジアユースを勝ち上がってワールドユースに行く時、監督が(フィリップ・)トルシエに替わりディフェンスにコンバートされたんですけど、別に抵抗なくできて。強いていえば、そこがストロングポイントなんでしょうね。自分の現状を知って、そのうえでプレーするという。当時はそんなふうに客観的に分析していたわけじゃないですけど、これといった武器がないなかで生き延びていくにはどうすればいいのかを模索していった結果、自分の居場所を見つけられたのかなって」

どんなポジションでもやる、という姿勢は、やがて「ユーティリティー」や「ポリバレント」というフレーズで語られるようになる。逆転的な発想が、中田さんを唯一無二の選手に押し上げていった。

(後編に続く)

◆金崎 代表復帰の可能性“反抗的態度”で落選もクラブ内で解決済み(デイリー)


http://www.daily.co.jp/soccer/2016/09/07/0009463855.shtml

 スルガ銀行杯・サンタフェ戦の後半、PKを蹴るも止められた鹿島のFW金崎(左)

 「W杯アジア最終予選、タイ-日本」(6日、バンコク)

 サッカー元日本代表のFW金崎夢生(27)=鹿島=が、W杯アジア最終予選のイラク戦(10月6日・埼玉)、同オーストラリア戦(同11日・メルボルン)で代表復帰する可能性があることが6日、分かった。8月20日のリーグ湘南戦で途中交代に激高。鹿島・石井監督との握手を拒否するなどした行動が日本代表・ハリルホジッチ監督の逆鱗(げきりん)に触れ、懲罰的に代表落ちとなった。しかし、クラブ内でも既に解決していることから、日本協会側は招集に支障がないとの見方を示した。

 金崎が代表から落選した原因となったのは、8月20日のリーグ湘南戦。途中交代を命じられた際に不快感を示し、チームを率いる石井監督との握手を拒否。ベンチに下がった後も激高状態は収まらず、指揮官に詰め寄るシーンがあった。

 これに反応したのがハリルホジッチ監督。同月25日の代表メンバー発表時には「受け入れがたい行為。日本代表の候補選手が、あのような態度を取ってはいけない。あれが若い選手の例となるのか。これはA代表の基準として、全選手に伝えたい」と苦言を呈し、代表メンバーから落選させたことを明かした。

 ハリルは、反省を促す期間については目前のW杯予選が迫っていることを理由に「先のことは全く考えていない」と語っていたが、協会幹部は「監督が怒っているのは行為そのもので、金崎本人がどうということはない」と代弁。その上で「鹿島でも謝罪も済ませて終わったこと。またバンバンとゴールを取れば、復帰することはある」。“退学”ではなく、“停学”だったことを明かし、既にみそぎは済んでいるという考えを示した。

 10月のイラク、オーストラリアとのアジア最終予選2戦に関しては、金崎のほかにも前線の顔ぶれが変更される可能性もある。ハリルホジッチ監督は、今遠征の予備登録メンバーに元代表FW斎藤(横浜M)をリストアップ。協会幹部は「対戦国に合わせた選手を選ぶやり方もある」と話す。大柄なオーストラリア守備陣をかいくぐるためには、細かなタッチと初速から速いドリブルが持ち味の斎藤はうってつけの人材で、抜てきする可能性は十分にありそうだ。

◆鹿島・金崎 体調不良で静養も…全体練習に合流 次戦復帰へ(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/09/07/kiji/K20160907013309150.html

湘南戦で石井監督(左)に不満をあらわにした金崎を止めるスタッフ

 FW金崎が全体練習に合流した。8月27日の横浜戦後に体調を崩して静養。3日に行われたJ3富山との天皇杯2回戦を欠場していた。4日の練習で復帰し、6日は一部別メニューだったが、チームメートとともにようやくピッチで汗を流した。リーグ再開戦となる10日の柏戦には間に合う見込み。

 途中交代に不満を見せた態度が問題視されて日本代表招集を見送られるなどの騒動もあったが、今季チーム最多の9得点を決めているエースの復帰は心強い。

◆“造反行為”のFW金崎が10月代表復帰へ ハリル監督「招集問題ない」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20160907/jpn16090705010009-n1.html

 J1鹿島での“造反行為”などで日本代表から外されたFW金崎に6日、復帰の可能性がでてきた。ハリルホジッチ監督は“無期限追放”を示唆していたが、「基準を示しただけ。金崎はチームに謝り、解決したと聞いている。10月の招集は問題ない」と、代表チーム付きの霜田正浩技術委員が6日、説明した。2次予選で2ゴールの金崎。貴重な戦力でもあり、チャンスが与えられそうだ。

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