日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年7月15日土曜日

◆真のグリーンは曽ヶ端(日刊鹿島アントラーズニュース)

◆讃岐、Jリーグ在籍15年のDFアレックス獲得を発表「期待してください」(サッカーキング)

アレックス

 カマタマーレ讃岐は14日、昨シーズンまで徳島ヴォルティスに所属していたブラジル人DFアレックスの獲得を発表した。

 アレックスは1983年生まれの34歳。ブラジル、クルゼイロから2002年に川崎フロンターレに加入し、アビスパ福岡、ジェフユナイテッド千葉、などJ1、J2の各チームを渡り歩き、咋シーズン徳島ではリーグ17試合に出場していた。通算ではJ1で142試合9得点、J2で298試合50得点を記録している。

 アレックスは讃岐の公式サイトを通じ「チームのために勝点を多く取れるように自分のできることを全力でやりたいと思います。一回、生で試合を観させてもらいましたが、サポーターはチームのために最後までに応援してくれていました。自分がピッチに入ったときにしっかり頑張って走るので、期待してください」

https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20170714/612595.html?cx_cat=page1

◆韓国サッカー界で尊敬を集める鹿島クォン・スンテが、常に笑顔を絶やさない理由/独占インタビュー(GOAL)


Jリーガーの転機になった瞬間や人となりに迫るインタビュー連載企画『Goal Moment』。今回は鹿島アントラーズの守護神、クォン・スンテ本人に“微笑みのGK”誕生の深層を語ってもらった。

kashima-Sun-Tae Kwoun

韓国Kリーグの全北現代でプロキャリアをスタートさせ、当時は弱小チームだった全北をリーグ制覇、AFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)王者にまで導いたクォン・スンテ。韓国代表GKとしても大きな尊敬を集める彼は、2017シーズンにJリーグでの挑戦を決意し、常勝・鹿島アントラーズへの加入を果たした。彼がサッカーを始めたきっかけ、プロサッカー選手としての処世術、そして常に慈しみの心を備えて周囲と接することになった理由とは? ”微笑みのGK”誕生の秘密を本人に語ってもらった。(取材日:2017年6月27日)

■GKを始めることになったきっかけ

――クォン・スンテ選手は2006年から全北現代でプロ生活を始めました。

「06年当時、全北現代は『勝点自動販売機』と呼ばれるくらい弱いチームでした。また、私は全北以外にもいくつかのクラブからオファーを受けていたのですが、なぜかはわかりませんが、このチームでプレーすることに心が動き、全北でキャリアをスタートさせることにしました」

――サッカーを始めたのは何歳からでしたか?

「ちゃんと始めたのは中学1年生のときです。ただ、小学校1年生の頃からサッカーが好きだったので、親の知らないところで隠れてプレーしていました。当時はピアノの習い事などもしていて、いまはこういう見た目ですが、小さい頃はピアノが弾けたんです(笑)」

――ご両親はあまりサッカーをすることに賛成していなかったんですね。

「両親は私がサッカーをすることにとても反対していて、その許可を得るのに5年くらいの月日がかかりました。また、小学校の先生にもサッカー選手になることを反対されましたね。プロサッカー選手になることの大変さもあったと思いますが、なによりもケガをする可能性が高いので反対されたのだと思います。韓国では、サッカーは、いったん始めると全てを懸けることになるエリートスポーツです。サッカーを辞めたあとの人生を考えたら大変なリスクを負う部分があるので、両親や先生から反対されたのだと思います」

――スンテ選手はサッカーをプレーし始めたときからGKだったのですか?

「最初はフィールドの選手としてプレーしていました。GKを正式に始めたのは中学1年生のときです。実は、親から承諾をもらうために”ある”勝負をしたんです。それは、『大会に優勝したらサッカーをやらせてもらえる』という条件でした。自分がサッカーを続けるためには勝たなければならなかったので、大会の準決勝でPK戦まで進んだとき、自分から『GKをやります』と言いました。それを勝ち上がり、決勝戦に行ったらまたPK戦までもつれました。そのときも自分がGKを志願して優勝することができ、そこから正式にサッカーを始めることができました。サッカーをプレーするためには好きなポジションでプレーすることよりも、まずは試合に勝たなければならなかった。そこで必然的にGKになったということです。大会後に当時の監督から『GKをやった方がいい』と言われました。私は『GKじゃなきゃダメですか?』と聞いたのですが、なかば強制的にキーパーにさせられてしまいました」

――いまでもフィールドプレイヤーをやってみたいと思いますか?

「常にそう思っています。でも、もう体力が保たないので無理でしょうね(笑)。GKはシュートを止める喜びはありますが、ゴールを決められた後のストレスも大きく、勝った試合でも1失点したらストレスになりますから、そこから自由になりたいとも思います。また、今は鹿島アントラーズという名門クラブで常に優勝争いをしなければならない。自分は外国人選手としてここで活躍しなければならない気持ちが強いので、それが見えない形としてストレスになっているのだと思います。しかし、このようなプレッシャーは負担になるだけでなく楽しめる要素でもあるので、できるだけ楽しもうと努めています」

■常に笑顔を絶やさない、と決めた理由

――スンテ選手は練習でも試合でも、常に笑顔で周囲を盛り上げようとしています。そのスタイルはGKになったときからそうだったのですか? それともなにかきっかけがあったのでしょうか?

「プロになったばかりの新人のとき、韓国では上下関係がとても厳しく、ピッチの中でも気を遣い過ぎて、自らの能力を出し切れていないと感じていました。その後、徴兵を終わらせて全北に戻ったとき、自分は27、28歳だったのですが、キャプテンをやらせてもらうことになりました。そのときにベテラン選手の立場から若手選手に対して笑顔で接すると、彼らは能力を100パーセント発揮できるとわかったのです。そこで私はGKとして、後ろからみんなを盛り上げる役目を担おうと思い、今もそれを意識しながら練習しています」

――笑顔でいると、どんな変化が起きましたか?

「当時の全北は強豪ではなかったのですが、自分がそのような雰囲気作りをしたいと思ってやってみたところ、チームに変化をもたらして勝てるチームになっていきました。ベテランとしてできる仕事を果たせたと思います。だから鹿島に来てからも後ろからみんなの応援をし、サポートをしながら、若手を中心にそれぞれの持っている力を100パーセント発揮させたいと思うんです。それが外国人選手としての今の役割なのではないかと思っています。ただ、無理に笑顔を作っているわけではありませんよ。今は鹿島でプレーできて幸せですし、鹿島の選手としてプレーするのは楽しいので、自然に出る笑顔だと思っています」

――徴兵を経験したことは、何かの影響を与えましたか?

「徴兵というのは、言葉で表現するのはとても難しいですが、1回は経験しても良いかもしれません。でも2回は嫌ですね(笑)。徴兵されている間は部隊での生活で、その中ですべてを解決しなければなりません。上司の命令は絶対ですし、決められたことは必ず守らなければなりません。イライラしても、それを抑えなければならないし、良くないことがあっても我慢しなければならない。ただ、当時の経験は今の人生にとても役立っていると思います。韓国のプロサッカー選手は25、26歳くらいの年齢で軍隊へ入ります。でも、一般の方の場合は20歳前後で徴兵をされます。ですから当時は、異なる年齢層のひとたちとの関わり方や接し方は難しかったですね」

――年齢差が大きいのですね。

「軍隊では年齢ではなく、先に入隊した者が上司になるという環境なので、年下の上司が私に命令しなければならない立場にもなります。自分もそれを受け入れてやらなければならない。そのような経験を積むことで歳下との接し方、そして組織を円滑に動かす方法を学んだと思います。ただ、徴兵期間のすべてが悪いわけではなく、楽しいこともいろいろありましたよ。ちょっと悲観的に言い過ぎてしまったかもしれませんね(笑)」

■韓国ではアウェイのサポーターからも尊敬を集める存在

――スンテ選手は先日、お子さんが生まれましたね。しかし、お子さんにはサッカーをさせたくないと聞きました。それはなぜですか?

「自分のために親がどれくらい献身的に尽くしてくれたのかを見てきました。サッカー界は競争が激しい世界です。趣味でプレーする分には構いませんが、選手としてはちょっと……(笑)」

――ご家族はまだ韓国にいるんですよね?

「そうですね、韓国にいます。子どもがまだ小さくて飛行機に乗ることができないので。ただ、来年には日本へ来ることができると思います。自分は今回、徴兵期間以外では初めての移籍を経験しました。新たなチームで活躍するためには環境に慣れなければならないため、サッカーだけに集中できる環境を作りたかった。家族と離れることの寂しさはありますが、サッカー選手としてのパフォーマンスが落ちることの方がもっと辛い。鹿島の一員になった以上、私はチームで活躍して優勝を果たさねばならないと思っていますので、家族には申し訳ないのですが、今の環境は必要なことだと思っています」

――日本の文化でもともと知っているものはあったのですか?

「一番好きなのは食べ物です。日本食ならなんでも好きですが、中でも納豆はとても好きです。韓国にいるときも納豆を買って食べていました。意外と日本人の方でも納豆が苦手な人はいますよね。宮崎キャンプで自分が納豆を食べていたら、他の選手がびっくりしていました(笑)」

――納豆との出会いはいつなのですが?

「全北では常に食堂に納豆が置いてありましたよ。いろいろな種類の納豆が置いてあって、すぐになくなっていました。チームが用意してくれるので、全北にいる選手はみんな納豆が好きで、人気があるので食べられないこともありました」

kashima-Sun-Tae Kwoun

――ACLで蔚山に行ったとき、どこへ行っても現地の方々がスンテ選手に寄ってきたのを見て、とても尊敬を集めていることが感じられました。全北ではレジェンドのひとりですが、他の地でもそれだけの尊敬を集めていることに感銘を受けました。スンテ選手はどのようなことを心がけてプレーされていたのですか?

「全北のときは、まず自分たちのサポーターに90度頭を下げて挨拶して、後半戦開始前にはアウェイチームのサポーターにも挨拶していました。サッカー選手は商品だと思っているんです。試合を観に来てくれるサポーターがいなければプレーパフォーマンスが落ち、プロとして生活もできません。それを心がけていたことを、韓国のサッカーファンの方々がよく見てくれていたのかなと思います。ただ、鹿島に来てからはひとつ悩みがあって、前半に鹿島のサポーターの皆さんに挨拶したあと、後半に相手のサポーターへ挨拶をすると鹿島サポーターの皆さんに怒られるのではないかと思って、いまは少し様子を見ています(笑)」

――このインタビューが掲載されると、スンテ選手の思い、意図を知ってもらえると思いますので、大丈夫だと思います。

「そうですね、ありがとうございます」

インタビュー・文=田中滋


韓国サッカー界で尊敬を集める鹿島クォン・スンテが、常に笑顔を絶やさない理由/独占インタビュー


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