日刊鹿島アントラーズニュース
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2015年12月9日水曜日
◆北九州、長崎MF石神を獲得「J1昇格のために貢献したい」(ゲキサカ)
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?178041-178041-fl
ギラヴァンツ北九州は8日、V・ファーレン長崎のMF石神直哉(30)を完全移籍で獲得したことを発表した。同選手は今季リーグ戦に11試合出場していた。
退団する長崎を通じて石神は、「長崎での2年間はなかなかチームの力になれませんでしたが、良い経験になりました。長崎という素晴らしい土地での生活、そこで出会った人々、共に戦った仲間たち、すべてが私の人生において大切なものになりました」と挨拶。
来季からプレーする北九州を通じては「J1昇格のために、自分の力、経験、すべてを出し切りチームに貢献したいと思います。応援よろしくお願いします」とコメントしている。
以下、クラブ発表のプロフィール
●MF石神直哉
(いしがみ なおや)
■生年月日
1985年3月2日(30歳)
■身長/体重
181㎝/75㎏
■出身地
茨城県
■経歴
鹿島高-神奈川大-鹿島-C大阪(期限付き)-C大阪-湘南-大分(期限付き)-東京V(期限付き)-湘南-長崎
■通算出場記録
J1リーグ:28試合1得点
J2リーグ:177試合9得点
カップ戦:7試合
天皇杯:6試合
◆さまざまな状況に対応する柴崎岳選手の戦術眼(フットボールチャンネル)
http://www.footballchannel.jp/2015/12/08/post125099/
12月7日(月)に発売となった、『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.39』(カンゼン刊)では、柴崎岳選手(鹿島アントラーズ)の戦術に対する考えをインタビューでお届けしている。ここでは、その一部を抜粋して掲載する。
プロに入ってから守備戦術の大切さを知る
――柴崎選手の中で、“サッカーの戦術”とは、どういうものだと捉えていますか?
さまざまな状況に対応する柴崎岳選手の戦術眼
もちろん、試合に勝つためのものですね。サッカーは11人なので、11人の色があり、そこに監督がいて、チームの戦い方があります。個人戦術もあるけど、11人がそれを合わせるのは、すごく難しいこと。でも、それができたら、すごく強いチームになります。
――鹿島アントラーズでは、どうやってチーム戦術にフィットしたんですか?
僕はどちらかというと、守備の戦術を詰め込むことが多かったです。守備はリアクションなので、相手がこう来たら、こうしましょうと、リアクションを整理できているほうが、チームとして動きやすい。そういう意味で、守備戦術があります。僕はもともと、そんなに守備の戦術を持っていなかったので、プロに入ってから覚え始めました。アントラーズというチームが、僕の守備像を作ってくれたという感じですね。
――アントラーズで身につけた守備戦術とは、どういうものですか?
基本的には、良いポジショニングですね。1年目や2年目は、先輩からもポジショニングのことをよく言われました。良いポジションからでしか、良い守備はできない、と。
――その良いポジションは、どうやって決まるんですか?
ボールの位置とか、相手がどこにいるかによって、1メートル寄るか、2メートル寄るかも変わってきます。僕は、それは“整理”の部分だと思っていて、場面ごとにどうすればいいのか、整理がうまくできていると、守備をする中でも選手は慌てないし、パニックになることもないですね。攻めている相手を“手のひらで転がす”、そういうイメージですよ。自分が思っている範囲で、すべて事が進むことが、守備にとってはいちばんやりやすい。逆に、そこからはみ出したプレーをされると、「あれっ?」と驚いて、パニックになるんですね。だから、リアクションを整理して、幅を広く持つことが大事ですね。
続きは『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.39』にてお楽しみください。
◆鹿島アントラーズ昌子源、本山雅志の退団に「練習、試合と一緒にできて嬉しかった」(CYCLE)
http://cyclestyle.net/article/2015/12/08/30600.html
J1・鹿島アントラーズに所属するDF昌子源が12月6日、インスタグラムを更新。11月26日に同クラブを退団することを発表したMF本山雅志とのツーショット写真を投稿している。
今シーズンを年間5位で終えた鹿島。昌子は、声援を送ったファンへ感謝の言葉を書き込んだ。続けて、「誰もが一目見たら天才と思うサッカープレーヤー!」と今季限りで、18年在籍した鹿島を退団する本山とのツーショット写真を載せた。
本山は1998年に東福岡高校から鹿島へ入団。獲得したタイトル数はJリーグ優勝6回を含める合計21個で、J1通算365試合、38得点を挙げた。また、1999年に行われたワールドユース(現・U-20W杯)では、U-20日本代表として準優勝に貢献。自身は大会得点王に輝いた。その後U-23日本代表としてシドニー五輪に出場し、A代表にも選出された。
昌子は、「練習、試合と一緒にできて嬉しかった。また一緒にしたい!サッカー選手として、人間としてこんな素晴らしい人は本当にいないと思う。」と本山を賞賛し、感謝の言葉を続けている。最後に、「来年鹿島にモトさんいないの寂しいな…」と鹿島一筋18年の本山がクラブを去ることに、寂しさをつづっている。
ファンからは、「本さん居なくなるの、ほんとに寂しいです。18年って長いよね。」「心の底から大好きな鹿島の10番。」「本山くんの居ない来季はまだ想像つかないけど、残りの選手で必ずタイトルをとりましょうね!」「モトの分まで頑張ろう!」などのコメントが寄せられていた。
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