日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年6月25日木曜日

◆【奥野サッカー道】「思い」が「確信」に変わった柳沢の笑顔(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20150623-OHT1T50193.html

 鹿島アントラーズで活躍した中田浩二、柳沢敦、新井場徹(敬称略)の合同引退試合が、7月5日にカシマサッカースタジアムで行われます。今回は私もアントラーズOBとして引退試合に参加させていただくことから、思い出を振り返ります。

 柳沢くんが入団1、2年目の頃でした。私はディフェンスラインから、彼に対して「気にするな。次のプレーだ。頑張れ」と、いつも声をかけていました。ところが、わずか数年後には「奥野さん、今、集中。頑張りましょう」と、手を叩きながら励ましてくれました。彼が自分を励ましてくれる存在へと成長した時のうれしさは、今も脳裏に焼き付いています。人情味にも厚く、私の結婚式では涙を流していました。また2000年、私が鹿島から川崎に移籍する際には、涙を流して別れを惜しんでくれたことを今でも鮮明に覚えています。

 私が鹿島でコーチを務めていた07年のオフ、彼が京都に移籍することになりました。その際に渡した餞別(せんべつ)を、今も財布に入れてくれているそうです。昨年末に「これを励みにしています」と、屈託のない笑顔で教えてくれました。その時、私がサッカーを通して学んできたチームワークを、次の世代に伝えることができたという「思い」が「確信」に変わりました。

 中田くん、新井場くんのいずれも「ワンフォーオール・オールフォーワン」の実践者で、ともにサッカーから学び、喜び、そして数々のタイトルを獲得しました。今後、彼らは様々な形でサッカー界に関わってくれます。サッカーの持つ魅力を、それぞれの分野で世界に発信してくれることを楽しみにしています。(前山形監督・奥野僚右)

◆7月5日に引退試合。日本代表から経営者を目指す中田浩二の現在位置(ハフィントンポスト)


http://www.huffingtonpost.jp/repucom-japan/koji-nakata-company-manager_b_7650432.html?utm_hp_ref=japan

13年前の2002年6月、日本は熱狂の中にいた。FIFAワールドカップ日韓大会で日本は初勝利をあげ、さらにベスト16に進出したのだった。

当時のフィリップ・トルシエ監督が採用した戦術は「フラットスリー」。そして、その左センターバックにはいつも中田浩二選手の姿があった。



中田選手は昨年、34歳で現役を引退。その後、プロのキャリアをスタートし、また最後となった鹿島アントラーズで「クラブ・リレーションズ・オフィサー」(C.R.O)に就任していた。

仕事内容は「スポンサー企業・団体や地元行政などのステークホルダーと連携を取る役割です。普段から、いろいろな人に関わって、アントラーズを知ってもらう、より良くしていくために活動をしています」と中田C.R.O。

「引退時には指導者も考えていて、現役時代に指導者のライセンスも取りに行きました」。そんな中田C.R.Oに、アントラーズは今のポジションを打診したのだった。

「一度現場を離れるのもおもしろいのかなと。選手をずっとやってきましたが、どうやって試合が成り立っているのか興味が出てきて、そこを学んでからもう一度自分の進路を考えようと思いました」。

毎日9時にはクラブのオフィスに出社して業務。現在は研修中だが、「選手時代は自分中心で、試合をするためにどれだけの人が動いているのか、どれだけ大変かを知らなかった」。

このことは中田C.R.Oに大きな影響を与え、「今後どうなるかは分からないですが、選手を支える側に回ることを目指してみる気持ちも強くなった」。

欧州では代表経験のある選手が、経営に携わっている例は多く、バイエルン・ミュンヘンの代表取締役はワールドカップに3回出場したOBのルンメニゲ氏、そして、欧州サッカー連盟の会長はフランス代表のエースだったプラティニ氏だ。

クラブの経営に関わることも視野に入れた中田C.R.Oは、5月14日からTwitter(@nakata_cro)を立ち上げた。今年2月からレピュコムも協力し、スタートした鹿島アントラーズの公式SNS(TwitterFacebook)と同じく、サポーターとの関わりを強化することを目指し、中田C.R.O自らの発案で取り組みを開始したのだった。

「Twitterは難しいですが楽しい。反応がダイレクトですごいし、まだ慣れてないので、つぶやくのが怖い(笑)」とのこと。それでも「手応えはあります。サポーターとうまく関わって、声が聞けるよう、もっとチャレンジしたい」と意欲を見せている。

そのTwitterをうまく使いたいと考えているのが、7月5日(日)に行われ、自らも主役の一人である「ENCORE(アンコール) ~中田浩二、柳沢敦、新井場徹 合同引退試合」

中田C.R.Oは立ち上げの会議から参加。「僕ら3人だけでなく、参加してくれた選手、サポーターが一体となって楽しめるように」。自身のTwitterでサポーターへ引退試合のアイデアを聞いている。



試合は稲本潤一、森島寛晃、小野伸二、戸田和幸選手ら、2002年ワールドカップを共に戦った代表メンバーが中田C.R.O自身も含め、12名参加する予定(6月20日現在)。

2002年のことを聞くと「日本代表は刺激しあえて、一体感があって、楽しかったし、いいグループだった。そういうメンバーと、もう一度、一緒にやれるのが楽しみ」。

選手という立場を昨年で終えた中田C.R.Oが「アンコール」で、束の間だけ選手に戻る。サッカー界で次の役割を模索する彼の目に、それはどのように映るのだろうか。

Photo:(C)Kashima Antlers

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