鹿島アントラーズの昌子源は、間違いなくワールドカップ(W杯)ロシア大会で成長した選手の1人だろう。自身にとって初となったW杯において、いわゆる国内組で唯一、コロンビア戦に先発出場。初戦の勝利に貢献すると、続くセネガル戦、そしてラウンド16のベルギー戦と、3試合でピッチに立った。
コロンビアのラダメル・ファルカオ、セネガルのエムバイエ・ニアン、そしてベルギーのロメル・ルカクと、世界の名だたるFWとしのぎを削るたびに彼は成長した。Jリーグのピッチで培ってきたものを示すことはできたのか、そして初のW杯で得たものとは――あらためて激闘のロシアW杯を振り返ってもらった。(取材日:2018年7月23日)
――W杯ロシア大会が終わり、しばらく時間が経ちましたが、あらためて西野朗前監督が「46日間」と表現した活動期間を振り返ってもらえればと思います。昌子選手は本大会直前のパラグアイ戦(6月12日)に先発出場しましたが、本大会を迎えるまでは、いわゆる先発候補ではなかったわけですよね。
実は(6月9日の)スイス戦当日にメンバーが変わったんです。試合当日、ミーティングルームに入って(メンバーが貼られた)ボードを見たら、先発のところに自分の名前があったんです。でも、その後、西野監督が部屋に入ってきて、いざミーティングを始めるぞとなったとき、僕と槙野(智章)くんのネームプレートをパッと入れ替えたんです。
正直、自分の中では「えっ?」となりましたし、落胆もしました。それを見ていた周りも「気にするな」と声を掛けてくれて、すごく気を遣ってくれていたのも分かりました。パラグアイ戦はもともとメンバーを入れ替えるという話だったので、その試合で頑張ろうと思いましたけれど、正直、自分の中でもW杯本番は(吉田)麻也くんと槙野くんのセンターバック(CB)で行くんやろうなと思っていました。
ただ、その後、ロシアに移動してからは自分がずっとスタメン組やったんです。でも、そのスイス戦のことがあったから、たとえ自分が先発しようが、槙野くんが先発することになろうが、もう本番だしと思って、一切、気を緩めずに練習に取り組んでいました。だから、自分が持っている力を100パーセント出し切ろうという準備はできていたんです。それが西野さんの作戦だったとしたら、ちょっとゾッとするというか、すごすぎますけどね(笑)。
――もともと気を緩められない状況だったと思いますが、スイス戦の一件があったから、なおさらスタメン組で練習していても気を引き締めることができた、と。実際、初戦のコロンビア戦では先発出場。自身にとって初のW杯のピッチはどうでしたか?
これまで自分が経験したことのない特別な雰囲気でしたね。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)で中国勢とアウェーで対戦したときとも、FIFAクラブワールドカップでレアル・マドリーと決勝を戦ったときとも違う、比べものにならない雰囲気でした。少し間違えば、その雰囲気にのまれそうな舞台でしたけれど、あらためて思い出しても、意外と自分は冷静だったなと思います。
――2−1で勝利したコロンビア戦を振り返ると?
今、振り返っても、よう勝ったなと思いますよね。僕ら日本はグループHで、W杯の初戦を戦ったのは最後だったじゃないですか。それまでにいろいろなチームの初戦を見て、強豪が苦戦している様子も知っていた。僕らの組ではコロンビアが一番の強豪だと思っていたし、逆にそれが良かったというか、自分たちの中でも「何かが起こるぞ」と話をしていたんです。しかも、実際、それが起きたわけですからね。ただ、開始3分で相手が退場した後も「本当にこいつら10人なのかな」と思いましたけれどね。僕らがボールを持っているときは引いていましたが、攻撃のときは必ず誰かが1人少ないのを補っていた。その状況に、これはコロンビアにボールが渡ったらやばいなと、ずっと思っていました。
――実際に前半は追いつかれて1−1で折り返しました。ハーフタイムの雰囲気はどうだったんですか?
同点に追いつかれはしましたが、きついのは絶対に向こうやし、こっちは11人で戦っているんだから、絶対に強気で行こうという話はしていました。ベンチメンバーも、明らかに相手のほうが疲れているという声も掛けてくれた。自分としては、次の1点が絶対に勝負を決めると思っていたので、守備の選手として、とにかくこれ以上失点しないようにと思っていました。
――その後、大迫勇也選手のゴールが決まり2−1で勝利しました。
初戦に勝ったことでチームは乗りましたね。僕、コロンビアに勝利していなかったら、次のセネガル戦は同点に追いつけていなかったと思うんです。それまでのチームには追いつく力や雰囲気がそれほどなかったですから。正直、それまでの日本代表なら(セネガルに)1−2にされたあの流れは、負けてしまう展開だったと思うんですよ。でも、初戦に勝って勢いに乗れたから、追いつくことができた。その後もチャンスを作りながら勝ち切れなかったのは、もしかしたら日本の足りない部分なのかもしれないですけれど、1−2から同点に追いつけたというのは、初戦を勝利できた賜物(たまもの)だったと思います。
――初戦を終えて個人的に感じたことはありましたか?
コロンビアが開始早々に10人になったことが間違いなく勝因だったと思います。試合後、退場になった(カルロス・)サンチェス選手には殺害予告があったというニュースを見ました。実際、過去にコロンビアではW杯で致命的なミスをした選手が、ファンに殺害されたという歴史もありますし、サンチェス選手にもそうした殺害予告があったということを知り、W杯とはそこまで影響の大きい大会なんだということを思い知らされました。日本でも致命的なミスをすれば批判されますし、もちろん大前提としてスポーツによって誰かが殺害されるようなことはあってはならないですけれど、W杯はそれくらいの大会というか、それくらいのものなんだなと。
W杯のすごさは、プレーの質や大会の規模と、いろいろなところで感じましたが、自分はそういう戦いに身を置いているんだと思ったら、W杯を戦う覚悟と同時に、怖さも知りました。それを考えたら、第2戦に向けて、一気にプレッシャーを感じたというか。ただ、だからこそ「ここで弱気になったらすべてに負ける」と思ったし、セネガル戦は特に自分がニアン選手に狙われていたこともあって、強気でプレーしてやろうと思いました。
「Jリーグでやってきた感覚をそのまま出した」
――確かにセネガル戦では、昌子選手の縦パスを入れる回数や頻度など、第1戦以上に積極的な姿勢を感じました。
試合が始まってすぐ、自分がニアン選手に狙われていることが分かりました。だから、これは弱気な部分を見せたらあかんなと思ったんですよね。バックパスはもちろん、麻也くんへのリターンパス、(長友)佑都くんへの横パスと、近いところばかりにパスしていたら(相手に)弱気だと思われてしまう。それこそ(CBの)自分から、(SBの)佑都くんにパスをすれば、相手は連続で追うことができますからね。だから、ひとつふたつ(ポジションを)飛ばすことを意識して、僕は左利きではないですけれど、左足でも強気にガンガン(パスを)入れてやろうとしたことが良かったのかもしれません。
――そのニアン選手のマークをして体感したことは?
正直、ニアン選手に対しては、最初の10分、15分は「どうやって止めたらいいんやろう」と思っていました。近づきすぎたらスピードでぶっちぎられるし、遠かったら好きなところにボールを出されてしまう。やっぱり、相手は足もリーチも長くて、懐が深い。こっちが足を伸ばしても届かないし、最初は自分のサイドからやられそうになるシーンが多かった。でも、20分を過ぎてからは、自分の中で感覚がつかめてきたというか、慣れてきて、より強気なプレーができるようになったかなと。
――2失点しましたが、結果的にニアン選手には得点を許しませんでした。試合中に対応できたというのは自信になったのでは?
そこはJリーグで積み重ねてきたところが大きいと思います。Jリーグの試合でも、初めて対戦する外国籍選手はうまいと思いますし、自分の間合いが確認できるまでは、まずゴールを奪われないことを意識したプレーをしている。そうしたJリーグでやってきた感覚を、W杯のピッチでもそのまま出したら、ある程度やれた部分があったんですよね。それが大きかった。これがもし、全く歯が立たなかったとしたら、心が折れていたかもしれませんが、Jリーグでやってきたことが通用した部分と通用しなかった部分がはっきりしたので、それはひとつ自信になりました。
――セネガル戦の同点ゴールにつながったプレーしかり、コロンビア戦のPKを獲得する契機となったプレーしかり、振り返ると昌子選手は得点に絡んでいるんですよね。
(セネガル戦の)2点目は、サコくん(大迫勇也)が前からアプローチしたことで、GKがキックミスをしました。(ボールの落下地点に近いところに)ハセさん(長谷部誠)がいたから、最初は「ハセ!」って声をかけたんです。でも、動かないから、これは自分が出て行くしかないなと思って出て行きました。それでボールを左足でトラップして、2タッチ目でパッと周囲を見たときは、縦も横もいろいろな選択肢があった。でも、そのとき、前にオカちゃん(岡崎慎司)が見えたから、とにかくあそこに入れてやろうと。質が悪くても、とにかくスピードだと考えて、ボールを蹴ったんです。
そうしたら質の悪い僕のパスをオカちゃんはピタッと収めてくれて。それがサコくんにつながって、その流れから(本田)圭佑くんが決めてくれた。もちろん前線の選手たちのクオリティーもありますけれど、自分の強気なプレーも少しは得点に貢献できたかなと。あそこで弱気になって、消極的なプレーを選択をしていたら、同点ゴールは生まれていなかったかもしれない。まあ、日本で流れたハイライト映像には、ほとんど僕のプレーは映ってないんですけれどね(笑)。できれば、もう少し前から放送してほしかったなと(笑)。
――セネガル戦は2−2でしたが、その結果をどう捉えていましたか?
個人的には勝ちたかった。チームとしても同じだったと思います。ただ、試合後、大先輩たちから「ナイスゲーム」「よく追いついたよ」というポジティブな声を聞いて、「これで良かったんやな」と思えましたね。
もちろん、勝ちたかったのはみんな一緒だけれど、ハセさん、佑都くん、圭佑くん、麻也くん、(川島)永嗣さんら経験ある選手がみんな「次があるから、また準備しよう」って言ってくれたことで、最低限の仕事はできたんだと思うことができた。僕もJリーグでは中堅と言われるようになりましたが、W杯に関しては初めて。そうした中で経験のある選手たちのポジティブな声というのは、本当に救いというか、頼りになりました。
――第3戦のポーランド戦は出場機会がありませんでしたが、どういう思いで決勝トーナメント進出を見届けましたか?
初めてW杯のピッチを俯瞰(ふかん)して見ることができて、それはそれで勉強になりました。特に槙野くんのプレーを見て、(ロベルト・)レバンドフスキ選手との駆け引きや、インターセプト、足の出し方は参考になりました。あの試合は6人先発が代わりましたが、あらためて日本にはすごい選手がたくさんいることを証明できたのではないかと思います。
ポーランド戦の終わり方に対しては、いろいろと言われましたし、(次の)ベルギー戦で結果を残せなかったら、日本中の人に日本代表はやっぱりダメじゃないかと思われるだろうとも考えました。ただ、ここ(ベルギー戦)で勝利できれば、ポーランド戦もこのためにあったと思ってもらえるだろうし、だからこそやってやろうという決意で次の試合に入りましたね。
鹿島・昌子源インタビュー<前編>「弱気な部分を見せたらあかん」