日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年3月12日水曜日

◇勝ち点剥奪か無観客試合…浦和に厳罰も(デイリー)


http://www.daily.co.jp/soccer/2014/03/12/0006772926.shtml



 サポーターがまた問題を起こしたJ1浦和に対し、Jリーグが最大15点の勝ち点剥奪か無観客試合という史上初の厳罰を検討していることが11日、分かった。問題視されたのは8日の鳥栖戦(埼玉)で、浦和サポーター席へ入るゲートに「JAPANESE ONLY」の横断幕が掲げられたこと。Jリーグは浦和に報告を求めているが、Jリーグ規約に差別的行為撲滅が明記されていることに加え、サポーターが過去にトラブルを連発しているのを問題視。厳罰も視野に入れている。

 「もう、お金(制裁金)で済む問題じゃない」。サポーターがまたも問題を起こした浦和に対して、Jリーグのある関係者は、制裁金ですまさず、さらに踏み込んだ罰則をクラブに科す考えを示した。

 問題となった鳥栖戦の「JAPANESE ONLY」と書かれた横断幕。これは、日本人以外お断りと解釈することもできる。Jリーグ規約の第3条4項に差別的行為の撲滅が明記されている。事態を重く見たJリーグは、すぐに浦和に報告を求めた。10日は浦和の淵田敬三社長がJリーグを訪れて村井満チェアマンに謝罪し、調査結果の報告もした。だが、内容が不十分として、村井チェアマンは今週中の再報告を命じている。

 浦和サポーターは過去に再三トラブルを起こしてきたばかりでなく、昨年8月24日のアウェーの清水戦では、浦和サポーターを乗せたバスから、爆竹、発炎筒、ロケット花火などを清水の選手を乗せたバスに投げつける威嚇行為があり、4人の逮捕者が出た。

 昨年の清水戦での騒動では、浦和に制裁金1000万円の処分が下されている。ただ、このときは浦和の再発防止確約を信じて制裁金にとどめた部分もある。制裁金以上に重い処分として、最大で15点の勝ち点剥奪か、無観客試合を視野に入れているもようだ。このような処分が下されれば、史上初となる。

 今週中の浦和の再報告を待った上で、村井チェアマンは来週、裁定委員会を開催し、浦和への処分を決める予定だ。

◆J1鹿島、ジャイール獲得(茨城新聞)


http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13945506824414



鹿島は11日、J2千葉からMFジャイール(25)=本名ジャイール・エドゥアルド・ブリト・ダ・シルバ=が期限付き移籍で加入すると発表した。期間は今シーズン終了まで。背番号は7。

ジャイールは1988年6月10日生まれ、ブラジルのリオグランデドスル州出身。179センチ、76キロ。2013年に千葉へ加入後、7月からはアラブ首長国連邦(UAE)のエミレーツに期限付き移籍していた。スピードのあるドリブルが持ち味のアタッカーで、千葉では16試合に出場し4得点を挙げた。

ジャイールはクラブを通して、「伝統あるビッグクラブのユニホームに袖を通すことができたことを誇りに思う。プレッシャーもあるが、自信を持って自らのサッカーを表現し、勝者としてこのクラブに新たな歴史を刻みたい」とコメントを出した。午後の練習から合流しランニングで体調を整えた。

鹿島は昨季リーグ戦で19得点を挙げた大迫の穴を埋めることが最大の補強ポイントだった。ジャイール獲得で得点力向上につながるか注目される。

◆鹿島にMFジャイールが期限付き移籍…千葉からの加入、背番号7(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20140311/174304.html


鹿島への期限付き移籍が決まったMFジャイール(右) [写真]=Getty Images


 鹿島アントラーズは11日、ブラジル人MFジャイールの期限付き移籍加入を発表した。ジェフユナイテッド千葉からの加入で、背番号は7に決まった。

 ジャイールは1988年生まれの25歳。ブラジル国内のクラブを渡り歩いた後、2011年に韓国の済州ユナイテッドFCに加入した。2013年に千葉へ移籍し、J2で16試合に出場して4得点を記録。同年7月からUAEのエミレーツ・クラブに期限付き移籍していた。

 加入にあたり、ジャイールは鹿島に対して、「鹿島アントラーズはブラジルでも広く認知されているクラブで、幼い頃からリスペクトしてきました。ジェフユナイテッド市原・千葉に加入してからも、J1の試合を見るときはいつもアントラーズが絡む試合でした。いつかJ1でプレーすることができれば、アントラーズで自分の力を試したいと家族にも夢を語っていました。この度、その夢を実現するチャンスを与えていただき、本当に光栄です。伝統あるビッグクラブのユニフォームに袖を通すことができたことを誇りに思います。もちろんプレッシャーもありますが、自信を持って自らのサッカーを表現し、勝者としてこのクラブに新たな歴史を刻みたいと考えています。サポーターの皆さん、熱い応援をお願いします」 と、抱負を語った。

 なお、ジャイールは11日の午後にチームに合流したことが、併せて発表されている。

◆ジャイール選手が加入(オフィシャル)


http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/release/42208

ジェフユナイテッド市原・千葉より、ジャイール選手が期限付き移籍で加入することが決定しましたのでお知らせいたします。

■登録名:
ジャイール
JAIR

■本名:
ジャイール エドゥアルド ブリト ダ シルバ
Jair Eduardo Britto da Silva

■生まれ:
1988年6月10日、リオグランデ・ド・スル州出身

■国籍:
ブラジル

■ポジション:
MF

■背番号:
7

■サイズ:
179センチ、76キロ

■経歴: ※カッコ内は加入年
SCインテルナシオナルU-20(2008、ブラジル)─ECぺロタス(2009、ブラジル)─AAポンチ・プレッタ(2010、ブラジル)-済州ユナイテッドFC(2011~2012、韓国)─ジェフユナイテッド市原・千葉(2013、日本)─エミレーツ・クラブ(2013、UAE)

■ジャイール選手コメント
「鹿島アントラーズはブラジルでも広く認知されているクラブで、幼い頃からリスペクトしてきました。ジェフユナイテッド市原・千葉に加入してからも、J1の試合を見るときはいつもアントラーズが絡む試合でした。いつかJ1でプレーすることができれば、アントラーズで自分の力を試したいと家族にも夢を語っていました。この度、その夢を実現するチャンスを与えていただき、本当に光栄です。伝統あるビッグクラブのユニフォームに袖を通すことができたことを誇りに思います。もちろんプレッシャーもありますが、自信を持って自らのサッカーを表現し、勝者としてこのクラブに新たな歴史を刻みたいと考えています。サポーターの皆さん、熱い応援をお願いします」

<特記事項> 
※同選手は2013シーズンにエミレーツクラブに期限付き移籍していたため、移籍元クラブはジェフ千葉、前所属クラブはエミレーツクラブとなります。
※同選手につきましては、本日午後の練習よりチーム合流しております。

◆震災から3年…小笠原もっと伝えなきゃ(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20140311-1268580.html



 東日本大震災から3年。岩手出身の鹿島MF小笠原満男(34)は、被災地の現状を伝える活動にあらためて力を入れる。毎年オフは「東北人魂を持つJ選手の会」の仲間と被災3県でサッカー教室を開催しているが、今年1月は熊本で復興支援について講演。12年7月に広域大水害に襲われた場所で、気付いたという。

 小笠原 正直、熊本の現状を知らなかった。東北は見てるから分かるけど、違う地域までは…。逆に言えば、東北の現状も全国に知られてない可能性がある。

 1日の開幕戦で戦った甲府は雪害に遭った。小笠原は同僚から集めた見舞金を贈ったが、同時に思った。「正直、甲府の状況も詳しく分からない。全国どこでも自然災害が起こる今、発信できる人が伝えなければ伝わらない」。故郷を見て「変わらない、進まない」ともどかしく思うたびに発言してきたつもりだったが、もっと活動し、もっと発信する必要性を痛感した。

 そのため、6~7月のW杯中断期間中も動く。「大船渡に造ったグラウンドでの大会、被災地でのスポーツ教室…。東北のためになることを考えていく」と言う。もちろん、その思いをピッチでも表現する。「試合で苦しい時に『もっと苦しんでる方がいる』と自分に言い聞かせて頑張ります」。決意新たに4年目の復興支援に入る。【木下淳】

◆震災から丸3年…復興支援続ける鹿島の小笠原満男「東北のために恩返しを」(サッカーキング)


http://www.soccer-king.jp/news/japan/japan_other/20140311/174211.html


2013年に行われた国立競技場でのチャリティーマッチ [写真]=山口剛生


 東北人らしく朴訥した口調ながら、発せられる言葉からは思いが溢れ、目には力が宿っていた。

「震災からもうすぐ3年ということで、Jリーグがこういうカードを組んでくれて、少なからず色んな方にメッセージが届くと思う。決して震災は過去のことではないし、まだ大変な思いをしている方々が数多くいるので、早く日常を取り戻せるように願っています」

 東日本大震災から丸3年を迎えた3月11日の3日前。鹿島アントラーズは、ホーム開幕戦となったJ1第2節で、ベガルタ仙台と対戦した。被災したクラブ同士が3月に激突するのは、2012年から3年連続。震災を決して忘れないというメッセージが込められ、様々な思いが交差した一戦は、ホームの鹿島が2-0で勝利を収めた。

 キャプテンマークを巻いて勝利のために走り回った鹿島の小笠原満男は試合後、身を切る寒風の中で、溢れ出す感情を抑えるかのように言葉を選び、被災地への思いを続けた。

「なかなか思うように復興していかないですし、風評被害という問題もある。震災があったのは3年前ですけど、まだ本当に大変な思いをしている方々が少しでも早く日常を取り戻せるように、もう少し何とかならないかなと」

 未曾有の災害から3年を経たが、今なお仮設住宅での暮らしを余儀なくされている被災者がいる一方、東北を訪れるボランティアの人数が震災発生後の一割超にまで減っているという現状がある。岩手県出身である自らも、発起人の一人として2011年5月に設立した東北出身のJリーガー有志による任意団体「東北人魂を持つJ選手の会」を通し、東北への支援活動を続ける小笠原の言葉は、重い実感を持って迫ってくる。

 彼自身、思うように進まない復興を歯がゆく感じるのか、「複雑」という言葉を口にする。仙台戦では、福島県楢葉町で被災して避難生活を余儀なくされている被災者を招待していたが、「勝っている試合を見せることができて、喜んでもらって良かったけれど、今から帰ってまた大変な生活があると思うと、ちょっと複雑ですね」と胸の内を明かし、3年という月日についても、「僕らの3年と子供達の3年は違う」と語り、声を絞り出した。

「成長を遂げる3年間で、自分の住んでいた家に帰れない現実がある。なんていう表現がいいのかわからないですけど、少しでも早く日常を取り戻せたりとか、大変な思いが少しでも減るように、何とかそういう日が早く来ることを望んでいます」

 今も苦しみ続ける被災者への思いや、復興が進まないもどかしさもあるのであろう。言葉を紡ぐ小笠原の表情は冴えなかった。ただ、彼が3年に渡って支援を継続してきたからこそ、形になってきたものもあるはずだ。

 震災後、練習が終わった鹿島のロッカールームには、被災地への支援物資をダンボールに詰め込む小笠原の姿があったという。陰に陽に支援を続けてきたキャプテンの影響やクラブ自体が被災したこと、夏の中断期間には福島のJヴィレッジで毎年キャンプをやっていたこともあってか、鹿島での復興支援は広がっている。仙台戦でも選手側の発案により、募金活動が実施された。ベンチから外れた中田浩二や本山雅志らがコンコースに並び、東北人魂と茨城県震災復興に加え、今冬に降雪災害を受けた山梨県への復旧祈念の募金を呼びかけた。

 小笠原はかつて、「自分も小学校時代に釜本(邦茂)さんのサッカー教室に参加してふれあったことは今でも自分の心のなかにある。『ああいう選手になりたい』と思ってここまで頑張ってきたということもあるので、僕達がそういう存在でありたい」と明かしていた。

 そして、仙台戦後には招待された被災地の子供達は口々に、「カッコ良かった」、「将来は小笠原選手のようなサッカー選手になりたい」と話す姿があった。

 実のところ、「僕らの3年と子供達の3年は違う」からこそ、多感な時期だからこそ、ヒーローは必要なのではないか。本人は「地味な選手達ですけども」と語ったが、子供達の向ける羨望や憧れで輝く眼差しは、東北が生んだスター選手の献身があってこそだろう。自身がかつて抱いたように、被災地の子供達も小笠原を通じて夢を描いているはずだ。

 もちろん、復興支援だけではない。鹿島のキャプテンとしての責務もしっかりと果たしている。

 昨年10月19日のJ1第29節の浦和レッズ戦で、退場者を出しながらチームをけん引した小笠原に対して、トニーニョ・セレーゾ監督が絶賛したことがあった。

「“サッカーはこうするんだ”というものを見せてくれた。技術でも、体力的な部分でも、戦術的な部分でも、サッカーを深く理解している者であれば、すばらしい高レベルな無料レッスンを受けることができた。以前にも彼にいろんなことを学ばさせてもらったが、今回もまた、新たなボランチ像というか、選手としての能力の高さを見受けることができた」

 かつて、ブラジル代表の一員として、ジーコ氏らとともに黄金のカルテットを構成した指揮官からの最大級の賛辞である。小笠原は4月で35歳を迎える今もなお、支援活動を続けながら日本のトップレベルを走り続けている。

 雪は豊年の瑞(ゆきはほうねんのしるし)という言葉がある。

 雪がたくさん降ることは、その年が豊作になる前兆だということを表現した故事だが、東北人はおそらく本能として知っているのだろう。一寸先も見えない吹雪に襲われようとも、必ず雪解けを迎えることを。どんな厳冬に見舞われようとも、耐え抜いた先には輝かしい春が訪れることを。

 日本プロサッカー選手会の主催で昨年末に行われたチャリティーサッカーの際、「まだまだスタートし始めたところ」と語ったように、復興への長い道のりはまだまだ続く。ただ、必ず戻ってくる日常が再び訪れるまで、小笠原の支援活動は続くはずである。

「育った場所がなくなってしまったので、自分はサッカーだけをやってればいいとは思わないし、お世話になった東北のために少しでも恩返しをしたい」

 小笠原はこれからも走る。鹿島のキャプテンとして、復興支援を繋ぎ止める存在として、被災地に夢を届ける存在として。

 小笠原満男は、走り続ける。東北人の誇りと魂とともに。

文=小谷紘友

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