日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年12月24日月曜日

◆25年で進歩したとは言えない/セルジオ越後J語る(ニッカン)






ワールドカップ(W杯)ロシア大会を中心にサッカー界でさまざまな話題があった2018年も終わりが近づき、新年早々には「森保ジャパン」がアジア王座奪回に挑む戦いが始まる。Jリーグについて今年の総括と、将来に向けての課題は何か。セルジオ越後氏(73=日刊スポーツ評論家)に語ってもらった。

   ◇   ◇

今年のJリーグは大味だったという印象だ。2連覇した川崎フロンターレの強さより、前半戦に独走したサンフレッチェ広島の終盤の失速ぶりが目立った。ルヴァン杯は残留争いをしていた湘南ベルマーレが優勝し、天皇杯では川崎Fが準々決勝でJ2モンテディオ山形に敗戦。こうした波乱が起こるのは、全体のレベルが拮抗(きっこう)しているからではなく、本当の強さを持ったチームが少ないからだ。

その意味で最も安定した強さ、総合力があるのは鹿島アントラーズだ。J1、ルヴァン杯、天皇杯すべてで4強入りした上、ACLも制した。まず補強がうまい。DF植田が欧州に渡ると、韓国代表チョン・スンヒョンを獲得して穴を埋めた。昨季入ったGKクォン・スンテもうまく曽ケ端と入れ替わったし、FWセルジーニョは勝負どころで得点を決めた。

一方で下部組織出身の鈴木や若い安部が台頭して、金崎が出ていったことを忘れさせた。ジーコも戻ってきたし、以前からブラジル人を重用するなどブレないクラブの理念がある。だからかつて欧州に出た柳沢や小笠原、内田らも戻って来られるのだろう。

ヴィッセル神戸にイニエスタ、サガン鳥栖にフェルナンドトーレスが来たのも話題になったが、やはり1人ではチームは変えられなかった。どちらも1歩間違えばJ2降格だった。確かに宣伝にはなったとは思う。「では、うちもビッグネームを呼ぼう」と動いた他クラブはあった? 結局、日本のクラブは親会社の予算次第、まだ「企業スポーツ」の域なんだ。名古屋グランパスが強くなってトヨタ車がさらに売れるなら、親会社も本腰入れるけど、現実はそうじゃない。

今年は93年にJリーグが開幕して25周年の節目だった。開幕後数年はジーコ、リネカー、リトバルスキー、ストイコビッチ、レオナルド、ジョルジーニョ、ドゥンガら本当のスターがたくさんいた。日本選手の1億円プレーヤーだっていた。それが今はどうだろう? スター選手の数も選手の年俸もがた落ちだ。これではレベルアップしたとか進歩したとか、言えないんじゃないかな。




◆25年で進歩したとは言えない/セルジオ越後J語る(ニッカン)





◆日本代表・森保一監督、鹿島・安部の活躍絶賛「多くのチャンスを作っていた」(報知)



安部裕葵 Hiroki.Abe


 日本代表の森保一監督(50)が23日、クラブW杯で1得点を挙げた鹿島MF安部裕葵(19)を高く評価した。

 順天堂大さくらキャンパス(千葉・印西市)で行われた第16回日本フットボール学会のオープニングセッションに出演後「(安部は)攻撃の起点となり多くのチャンスを作っていた」と絶賛。東京五輪に出場するU―21日本代表と合わせ、順調に成長していけばA代表入りを期待されるアタッカーだ。準決勝のRマドリード戦に1―3で完敗し、涙した姿に「一番は成功体験だけど、悔しさが成長するきっかけにもなる。(今の姿勢を)継続してほしい」とエールを送った。




◆日本代表・森保一監督、鹿島・安部の活躍絶賛「多くのチャンスを作っていた」(報知)





◆鹿島、リバープレートに守備能力で大差/秋田豊(ニッカン)






<クラブワールドカップ(W杯):鹿島0-4リバープレート>◇3位決定戦◇22日◇アブダビ

差を挙げるとしたらキリがない。個の能力、キックの質、スピード、タッチ数、テンポなど、サッカーにかかわるほとんどの能力がリバープレートは優れていた。アジアと南米トップクラブの実力差だろう。

最も差を感じたのは守備能力だ。特に相手DFピノラ。マークする選手への距離感が日本と違っていた。わずか10~15センチの差だが、ボールが入った瞬間、厳しいチェックが入る。距離が近い分、少しのミスも逃さずボールを奪い、逆襲につなげていた。マークする選手の距離を縮めることは容易ではない。予測能力や相手のちょっとした動きを察知する能力があるから、それができる。

ただ、鹿島アントラーズもけが人が出て、海外移籍で主力が抜けてもトップのレベルを維持できている。これこそがクラブ力。営業部門も含め、すべての人がチームが勝つことを最優先に考えている。0-4大敗で4位。だが、ここから日本に持ち帰るものは、計り知れないと確信している。(日刊スポーツ評論家)




◆鹿島、リバープレートに守備能力で大差/秋田豊(ニッカン)





◆【鹿島】「個」の能力差は当然も「チーム力」にも大きな差 クラブW杯担当記者の目(報知)






 ◆クラブW杯 ▽3位決定戦 リバープレート4―0鹿島(22日、UAE・アブダビ)

 南米王者は憎らしいほどにしたたかで、強かった。DF安西幸輝は私が見た限り、鹿島の選手の中で最も存在感を出していたように見えた。それでも口から絞り出した言葉は「サッカー人生の中で一番つらかったというか…。同じ人間が11対11でやってるのに、ここまで差があるとは」という受けたショックの大きさを物語るものだった。

 相手FWに縦パスが入ると、鹿島の4人のDFのうちの1人が鋭く寄せる。これはサッカー界の定石だ。しかし一時的に3人となった鹿島DFラインに、リバープレートの3人の選手が一気に飛び出してきた。ポストプレーが成功しそうだと判断すると、「今がチャンス」という感覚を全員が共有し、実行に移す。定石通りの守備の形を取ったはずの鹿島は、数的同数のピンチを作られてしまった。犬飼は「日本やACLではなかなか経験できないレベルだった」と振り返った。

 個々の能力に差があるのは当然のこと。世界屈指のメンバーが並ぶRマドリードはもちろん、新旧アルゼンチン代表を多くそろえるリーベルプレートも力のある選手が多くいた。

 一方で、チーム力に大きな開きがあったのも事実。3本のシュートをバーに当てた鹿島と4得点を挙げたリバープレートの差を「決定力の差」と表現するのは簡単。だが鹿島は攻守に連動した動きが見られず、戦術の引き出しも少なかった。個人能力の差を埋めるだけの組織力を持ち合わせていなかった。

 点数以上の実力差を痛感させられた準決勝・Rマドリード戦(1●3)に続く大敗。内田は「ここから先は、選手それぞれ次第。忘れちゃいけないよ」と語った。映像では感じることができない「世界」を体感した経験を生かさなければならない。16年大会で3勝して決勝に進出し、Rマドリードを相手に健闘したのはもう過去の話。北中米カリブ海王者に鮮やかに逆転勝ちし、欧州王者に鼻をへし折られ、南米王者にたたきのめされたこの貴重な経験を、来季以降につなげなければならない。(鹿島担当 岡島智哉)




◆【鹿島】「個」の能力差は当然も「チーム力」にも大きな差 クラブW杯担当記者の目(報知)




◆鹿島、南米王者に歯が立たず 小笠原「情けない」(ニッカン)



曽ヶ端準 Hitoshi.Sogahata


<クラブワールドカップ(W杯):鹿島0-4リバープレート>◇3位決定戦◇22日◇アブダビ

アジア王者の鹿島アントラーズは南米王者リバープレート(アルゼンチン)に0-4で完敗し、大会を4位で終えた。準決勝で負傷したDF昌子を欠き、前半6分には守護神GKクォン・スンテが相手FWとの接触で負傷。同23分にGK曽ケ端と交代するアクシデントから、直後のCKで先制され、そのまま差を広げられた。

歯が立たなかった。準決勝ではレアル・マドリードに完敗。欧州と南米の王者に粉砕された。クラブの象徴であるMF小笠原は「最後の2つは非常に悔しい、情けない試合をしてしまった。悔しい思いでいっぱい。残念です」。MF遠藤は「個人の能力が全然違う」。打ちのめされた。

60もの試合を戦い抜いた今季、最後は笑えなかった。小笠原は「たくさん試合はしたけど、それが勝つチームの日程。世界を見たらこれが普通。そういうチームになっていかないといけない」。来季は新戦力として横浜FW伊藤、清水MF白崎を完全移籍で獲得することが濃厚。戦力強化に悔しさという糧を重ね、鹿島はふたたび前を向く。




◆鹿島、南米王者に歯が立たず 小笠原「情けない」(ニッカン)





◆鹿島が体感した「世界との差」。この衝撃は選手たちをどう変えるのか?(GOAL)



安西幸輝 Koki.Anzai

鹿島アントラーズは22日、FIFAクラブワールドカップ3位決定戦で南米王者リーベル・プレート(アルゼンチン)と対戦し、0-4で完敗した。アジア王者として20冠を誇る“常勝鹿島”が直面した屈辱。この衝撃を選手は、クラブは、そして日本のサッカーはどう受け止めていくのか。


■個だけでなく、チームとしても

リーグ戦3位。天皇杯、ルヴァンカップベスト4。ACL優勝。そして、世界クラブW杯4位。今季60試合目となるCWC3位決定戦で、南米王者のリーベル・プレートに0-4と粉砕された鹿島アントラーズ。

「自分たちのサッカー」を出させてももらえず、90分が過ぎていく。

この虚しさを味わった鹿島の選手たちは、個の違いだけでなく、組織としての差について語っている。土居聖真が準優勝した前回大会と比較した。

「前回大会と違うのは決められる時間帯。ゼロで抑えている時間が短かった。前回はCS(Jリーグチャンピオンシップ)からずっと、拮抗した試合展開に持ち込めていた。でも、今回は『ここはやられたらダメだよね』という時間帯で、やられてしまった大会。自分たちで苦しくした大会だった」

「個人としての力というよりチームとしての力の差を感じた。選手一人が代わったところで、チームは変わらない。どれだけチームとして練習から要求し合っていくか、ミスをミスにしないところだったりを要求できるか。僕らにも勝つチャンスはあったけどそれを自分たちで逃した。やっぱりやるべきことをやらなかったということ。パス1本、シュート1本、練習から高いモチベーションでやっていけるか、そうしなければ、試合ではできない」

準決勝でのレアル・マドリー戦の1-3に続く、この結果には、サポーターからも非難の声が上がっている。たとえ相手が世界の名門クラブであっても敗戦は許されないという鹿島が鹿島たる所以なのだろう。国内無冠に続く、この惨敗では世界大会であっても「善戦した」ということにはならない。アジアを制し20冠目を手にしたという喜びすら消え失せたようだ。

しかし、そのアジアを制して手にした世界大会が実に貴重な経験をクラブにもたらしたことも事実だ。


■ここで今、気づけたこと

レアル相手に受けた衝撃から立ち直ろうともがき、3位決定戦のピッチに先発として送られた安西幸輝の言葉は、UAE遠征の重要性を物語ってくれる。今季J2の東京ヴェルディから加入した安西にとっては飛躍の舞台だった。レアル戦でも途中出場している。

「2部からスタートして、プロのキャリアが、それでここまで来て、もっと早く来たかったなっていうのが本音だし、でも今気づけたということは、ここからのサッカー人生をプラスに変えることは絶対できると思っているし、変えなくちゃいけないと思っている。鹿島に来て、もちろん、伸びたと思っているけど、最後にこれだけ大きな衝撃があるとね。まだ上には上があったって気づけた。もっと自分が成長していく姿を見据えないといけないし、サッカー選手としての覚悟が必要だなって思いました」

東京ヴェルディユースからプロに昇格しても、ポジションを奪われることがなかった。そんな安西は、鹿島で初めてベンチスタートも経験し、悔しさを味わったと話している。しかし、シーズン最後のクラブW杯での経験は別格だった。

「今回の衝撃というのは、サッカーをやってきて一番大きかった。レアルから始まって、今日のリーベルがあって、この2戦は、サッカー人生のなかでも一番つらかったというか……同じ人間が11人対11人でやっているのに、ここまで差があると、難しいものがある。できるところもあるんだろうけれど、結果を見ると、細かいところは全部負けている。1プレーだけじゃなくて、全体として。その差を埋めなくちゃいけないなってなったら、もっと覚悟が必要だなって思いました」

そんな衝撃を今後の日常のなかでも忘れないでいることはできるのか?

「明日からオフですけど、もう休めないですね。無理です。(休んだら)厳しいです。もちろん、身体を休めることもサッカー選手として大事なんだけど、24時間サッカーのことを考えていたいなと思う。もう一度この舞台に戻ってこられるように、ここだけじゃないですけど、国際大会にどんどん出られるように頑張っていきたい。(内田)篤人くんはこれが普通だと思ってやっている。だから、日々の要求が高いし、篤人くんがいつも言っていることがよく分かる。来シーズンから、リーグ戦を戦うのはもちろんですけど、もっと上を見てサッカーをしたいなって思いました」

サッカー選手として、日本代表を目指す想いは今までもあった。だから、鹿島へ来た。しかし、クラブW杯を終えた今、その想いはよりリアルなものに変わった。目指すべき「上」が明確に目の前に提示されたのだから。

長谷部誠が欧州移籍を現実のものとして目指したのは、2004年に英国マンチェスターで行われたボーダフォンカップの対ボカ・ジュニオルス戦だった。2-5で敗れた試合で長谷部は世界へ出ていこうとするボカの選手たちを目の当たりにし、このままではこの差は埋まらないと痛感したのだ。安西だけでなく、安部裕葵が受けた衝撃もこのときの長谷部と同様だったんだろうと思う。

安西や安部が欧州へ行くかどうか、それはまだ分からない。

けれど、映像では絶対に感じることのできない「世界」を体感できたのは、日本サッカー界にとっても非常に大きな財産になるはずだ。

「ここからは、選手それぞれ次第」

内田篤人の言葉が重く響いた。

文=寺野典子




◆鹿島が体感した「世界との差」。この衝撃は選手たちをどう変えるのか?(GOAL)



◆鹿島昌子の仏移籍決定的「活躍してほしい」と幹部(ニッカン)



昌子源 Gen.Shoji


J1鹿島アントラーズのDF昌子源(26)が今オフにフランス1部リーグ、トゥールーズに移籍することが決定的となった。クラブ幹部が23日、アブダビで「詰めは残っているが、ほぼ決まり。スピードとドリブルへの対応力という武器を生かし、活躍してほしい」と話した。

兵庫県出身の昌子は、鳥取・米子北高から2011年に鹿島入り。守備の要に成長し、今年のワールドカップ(W杯)ロシア大会で日本の主力として16強入りに貢献した。国際Aマッチは15試合出場1得点。

鹿島をアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初制覇に導いた大岩剛監督(46)の続投も決まった。




◆鹿島昌子の仏移籍決定的「活躍してほしい」と幹部(ニッカン)






◆鹿島 大岩監督続投“2つのてこ入れ”明言「絶対的な存在」の獲得 「メディカル」の改善(スポニチ)



大岩剛 Go.Oiwa


FIFAクラブW杯3位決定戦   鹿島0―4リバープレート(アルゼンチン) ( 2018年12月22日    ザイード・スポーツシティ・スタジアム(アブダビ) )

 鹿島の強化部長の鈴木満常務取締役が、リバープレートとの3位決定戦から一夜明けた23日、大岩剛監督(46)の来季続投を表明した。「今までなかったタイトルでもあるし、ACLを獲れたのは評価も感謝もする。ただ、他のタイトルを全部失っているのは事実。総合的に評価をする」とした上で「続投してもらうという方針は変わらない」とした。また、大詰めの昌子のフランス1部トゥールーズ移籍が「間違いない」とも明かした。

 欧州王者、南米王者に力の差を見せつけられた今大会。来季もテクニカルディレクターを継続するジーコ氏と「ドメスティックな基準で見ないようにしないといけない」と世界基準の視点を持ってチーム編成することを確認したという同氏は来季に向けて2つのてこ入れを明言。1つ目は世界に通用する武器を持った「絶対的な存在」の獲得。ジーコ氏とともに外国人新戦力の選定を進めている。2つ目は「メディカル」の改善。過密日程でケガ人が続出した反省を生かす。

 リバープレートには0―4で完敗。Rマドリード戦に続いて力尽きた。05年のFW三浦知良(当時38歳)を抜いて後半31分から歴代日本人最年長出場を果たした39歳の小笠原主将は「相手どうこうより、自分たちの力を出し切れたかといったらそうではない。そこが心残り」と言い、ドリブルから好機をつくった最年少の19歳、安部は「こういう雰囲気は絶対に忘れちゃいけない。僕一人でチーム全体が動くくらいの力を付けたい」と意気込んだ。本気で世界を狙いにいく鹿島の戦いが、この日から始まった。




◆鹿島 大岩監督続投“2つのてこ入れ”明言「絶対的な存在」の獲得 「メディカル」の改善(スポニチ)





◆【鹿島】大岩剛監督に続投要請へ 参加全5大会で4強以上、選手からも信頼厚く(報知)



大岩剛 Go.Oiwa


 鹿島が大岩剛監督(46)に対し、来季の指揮官続投を要請する方針を固めたことが23日、分かった。UAE・アブダビで取材に応じたクラブ幹部が「続投の方針は変わらない。(帰国後に)考えを擦り合わせていく」と明かした。

 17年途中に就任し、今季クラブ史上初のACL(アジア・チャンピオンズリーグ)制覇を達成。国内タイトルは2年連続の無冠に終わったが、リーグ戦3位、ルヴァン杯4強、天皇杯4強、クラブW杯4位と、公式戦60試合の過密日程を戦う中で一定の成績を収めたことが評価された。

 主力選手はもちろん、控え選手や外国人選手とも積極的にコミュニケーションを取る姿勢でチームに一体感を醸成。選手からも信頼を寄せられている。




◆【鹿島】大岩剛監督に続投要請へ 参加全5大会で4強以上、選手からも信頼厚く(報知)





◆大岩監督続投へ J1鹿島方針固める(茨城新聞)



大岩剛 Go.Oiwa


クラブワールドカップ(W杯)で4位に入ったJ1鹿島は、来季も大岩剛監督(46)を続投させる方針を固めた。23日、クラブ幹部の話で分かった。今後、クラブの強化方針と監督の意向を擦り合わせていく。

大岩監督は昨年5月にコーチから昇格。今季はクラブ初のアジア・チャンピオンズリーグ制覇を成し遂げ、年間アジア最優秀監督賞を受賞した。国内大会ではリーグ3位、天皇杯とYBCルヴァン・カップは4強入りにとどまった。

クラブ幹部は「今まで取れなかったACLで優勝してくれたことは評価と感謝をしている。他のタイトルを失っていることは事実だが、総合的に評価して続投する方針は変わらない」と話した。




◆大岩監督続投へ J1鹿島方針固める(茨城新聞)





◆大迫、数字も物語る代表での「半端ない一人二役」(ニッカン)



大迫勇也 Yuya.Osako


<2018ニッカン・フットボール・アウォーズ:日本代表編>

「ニッカン・フットボール・アウォーズ」の第2回は日本代表編。サッカー分析会社「データスタジアム」のデータを使って、代表のこの1年を振り返る。3人の監督が指揮した今年は計48人が出場した。FW大迫勇也(28)が、シュート数とラストパス数で最多。「半端ない」活躍で、今年の日本サッカー界の顔になった。

大迫が今年の主役を張った。そのプレーはまさに「一人二役」。1トップとして積極的にゴールを狙うだけでなく、チャンスメーカーとしても2列目の攻撃陣に好パスを供給し続けた。シュート数は今年の代表で最多の24本。シュートに結びついたラストパスも18本で、MF香川の12本を上回り最多だった。不動のセンターFWは、役者の違いを日本中に知らしめた。

味方のサポートが少なくても前線できっちりボールを収めた。力強く、巧みなポストプレーは輝きを放った。「ワールドカップでできると、自分でも手応えはすごくある。そこは続けて、そこからの展開を大事にしたい」。ポストプレー後に限らず、パスの成功率が昨年の69・3%→今年は74・7%にアップした。プレーの幅は、さらに広がっている印象だ。

所属のブレーメンでもセンターFWだけでなく、左サイドFW、トップ下と複数のポジションで起用されながら、柔軟に対応した。森保監督は「大迫は非常にいい選手で、彼に代わる選手がいない現状」と話していた。前線でタメを作り、南野、中島、堂安という20代前半の若手アタッカー陣のプレーを加速させた。現状では大迫とタメを張れる選手はいない。来年1月のアジア杯でも日本の最前線を駆ける。【石川秀和】




◆大迫、数字も物語る代表での「半端ない一人二役」(ニッカン)





◆植田直通は「いつも難しいほうを選ぶ」 だから鹿島入りを迷わなかった(Sportiva)


遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(41)
植田直通 後編


植田直通 Naomichi.Ueda


「何度も何度も第4審判が、もうアップをやめろと言ってきた。確かにもう3人の交代枠は使っていたけれど、延長になれば、4人目の交代が認められる。その4人目の準備を続けなくちゃいけない。そういう気持ちで選手たちにアップを命じていました。でも、第4審判には僕らの気持ちが伝わらなかった。だから、数名だけ残して、あとはベンチに引き上げるよう選手たちに伝えました。非常に悔しかったですね」

 そう語る羽田憲司コーチからは勝負を諦めない想いが伝わってくる。

 2018年12月19日。クラブW杯準決勝の対レアルマドリー戦で、鹿島アントラーズは1-3で敗れた。前半終了間際に失点し、後半開始から10分間で2失点を喫した。土居聖真のゴールで1点を返したものの、それ以上挽回する時間も力も鹿島には残ってはいなかった。

 1-3というスコア以上にピッチに立った選手たちが味わった屈辱は大きい。

 試合開始直後に2度の得点機はあったが、決め切れなかった。その後レアルはギアをあげることもなく、ゆっくりとパスを回し続けるだけだった。ボールを獲りに行けばかわされるかもしれない。かといって、距離を保てば、好きにやられ続けるだけだ。ゆったりとゲームを進めようとする相手をねじ伏せるべきだったのかもしれない。仕掛けてはこない相手にどうするべきかという迷いがチーム内に漂っていた。相手に合わせるつもりはなくとも、合わせざるを得ない、そんな時間が続いた。そして後半、ミスからの2失点目が大きく響き、続けざまに追加点を許すことになった。

「勝ちに行く」

 その想いを結果に繋げられなかった。対応力も組織力もそして選手個人の力、プレースピードや技術精度、戦略、あらゆることが足りなかった。

「チームとしてももう少しいろんなバリエーションというか、懐というか、幅というか、どういう言葉が適切なのか今はわからないけれど。いろんなものに対応できる大きさ、チーム力の大きさ、幅の大きさ。レベルが上がれば(それらが)もっともっと必要になってくる。これは選手だけじゃなくて、スタッフも含めてね。だからこそ無駄にしたくない。この悔しさだとかは、僕にとってはエネルギーになる。今後の監督人生もそうだし、このチームを率いている上では絶対に忘れてはいけない試合のひとつになった」

 12月20日の練習後、大岩剛監督はレアル戦をそう振り返った。見せつけられた力の差は選手個人だけでなく、監督やコーチ、そしてフロントなど、鹿島アントラーズに関わる様々な人間たちにとっても同様なのかもしれない。

「どんな試合でも100点満点なんてない。悔しさはサッカー選手にとって必要なことだけど、僕は勝って成長したい」

 レアル戦後、泣き崩れるようにして感情を発露させた安部裕葵はそう言って前を向いた。

 負けることを許さず、たとえ相手が欧州王者であってもその姿勢は変わらない。鹿島アントラーズもまた、勝つことで、成長し続けたクラブだ。しかし、勝利の美酒だけで成長してきたわけじゃない。

 白い巨人と言われる名門中の名門チームと対戦した。選手個々の力の差、歴史の差、クラブの格の違い。それは試合前から自覚していたはずだ。日本のクラブが負けるのは、世界的に見れば当然の結果だろう。それでも、これほどまでに悔しいと感じられることが選手やチームの可能性を示しているのかもしれない。

 中2日で今季60試合目となる南米王者リバープレートとの3位決定戦が待っている。多分この試合でもまた、悔しさを味わうに違いない。勝利したとしても多くのことを気づかされる一戦になるだろう。その気づきがまた鹿島を強くすると願う。




 ベルギーリーグ1部のセルクル・ブルージュでプレーする植田直通。U-17W杯に出場するなど各年代の日本代表として活躍を続けてきた植田にとって、2018年夏、念願の海外移籍が実現した。リーグ戦第3節にはスタメンデビューも飾り、現在では先発に定着したと言ってもいいだろう。

 中学生時代にはテコンドーで日本一に輝いたという異色のCBは、高校時代から”超高校級”と注目を集めた。熊本県大津高校卒業時には、数多くのJクラブから獲得のオファーがあった。そして、植田は「一番、試合に出るのが難しそうだったから」という理由で、鹿島アントラーズ入りを決めた。

――鹿島アントラーズからのオファーをどう受け止めましたか?

「実は、高校時代は、自分がプレーすることに夢中で、(他チームの)サッカーを見ていなかったので、鹿島がたくさんタイトルを獲っている強豪だっていうこともあまり知らなかったんです。でも、先生やチームメイトがいろいろ教えてくれたんですよ」

――いくつものクラブからオファーがあるなかで、鹿島に決めた理由は?

「5チームくらい、練習に参加させてもらったんですが、そのなかで、鹿島が一番試合に出るのが難しいだろうなと感じたんです。CBの選手を見ても、(岩政)大樹さん、青木(剛)さん、ヤマ(山村和也)さん、(昌子)源くんがいて、それに(中田)浩二さんもいましたからね」





――自身は6番手くらいですか?

「ほかのチームの中には、試合に出られそうだなというチームもありましたけど。今までの僕の人生はいつも、難しいほうを選ぶという選択をしてきたので、迷わず鹿島に決めました」

――加入早々のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でデビューしたものの、そのシーズンはカップ戦3試合に出場しただけで、リーグ戦には1試合も出場していないですよね。

「そうなんです。ゼロです(笑)」

――そこは覚悟していたとは思うんですが、それでも……悔しさもあったんじゃないんですか?

「悔しさは多少ありましたけど、腐ったりすることはなかったです。紅白戦には出させてもらっていたし、そこで学ぶことがたくさんあったので。当時は紅白戦にも出られない選手がいたし、1年目なんてそれが当たり前というような環境でしたから」

――Jリーグでそういう下積み時代を過ごしたことは、海外でプレーするうえで重要な忍耐力を培ってくれたのではないでしょうか?

「それは間違いなくそうですね。僕もそう思います」

――ポジションを獲っていくという意味では今も鹿島時代と同じような立場を経ていると思うのですが。

「僕は1年目だけじゃなくて、ベンチのシーズンがたびたびあったので、そういうときの経験が活きていると思います。当時の気持ちは今も覚えています。普段の練習から、相当必死でした。そして今、気づくことは、そういうときこそ、あまり自分の考えを変えないほうがいいのかなって。自分がやっていること、やってきたことを継続してやり続ければ、必ず結果に結びついている。だから、試合に出られないから、なにかを大きく変えるとかじゃなく、今までやってきたことをずっと続ける。そのうえで必要なことはプラスしていくという方法でいいんだと考えています。必ず結果が出るという想いを信じて、結果を出してきた。もちろん、そういうときのつらい経験もいい経験だったなって思います」





――試合に出たり、出なかったりというのは、メンタルを保つのも難しいでしょうね。

「鹿島時代には前日練習ではスタメン組だったのに、試合当日ベンチ外というのもありました。監督から何かを説明されることもなかった。当時はまだ、僕が幼かったのもありますけど、かなりイラついたこともありました。時にはそれが態度に出てしまったこともあった。そういう経験があって、自分のメンタルも強化されました」

――2015年のナビスコカップ優勝のときは、決勝でまさかのベンチ外でしたね。

「ガンバ大阪相手に3-0で勝ちましたけど、僕はスタンドで観戦していました。遠征メンバーにも選ばれて、突然のベンチ外でしたから、優勝しても嬉しくなかったです。逆にセレモニーのときにはちょっと気持ちが荒れました。ピッチに出てみんなで喜ばなくちゃいけないのに、喜べなくて。そしたら当時コーチだったヤナ(柳沢敦)さんに『今は我慢して、こういう場所に相応しくふるまえ。次タイトルを獲るときは、必ずピッチに立っていろ』と言われたんですが、その言葉が僕のなかに刺さったというか、すごい思い出として残っています。最初は厳しい口調で、『お前が悔しいのはわかるけど』みたいな感じでしたね。そんなヤナさんの言葉を、選手としてだけでなく、ひとりの人間として大切なことだと受け止めました。だから、それ以降、自分がベンチだとしても、チームが勝てば自分が出たかのように喜ぶようになりました。そういうのは、『こいつはチームのために戦っている。チームとともに戦っている』とチームメイトにも伝わるし、監督にも伝わると思うんです。それが信頼に繋がる。だから、ヤナさんに言ってもらえて本当によかったですね」

――先輩たちに声をかけてもらったことは?

「それはまったくなかったですね。鹿島はそんなに先輩が声をかけるタイプのチームじゃないから。それは自分で乗り越えろ、みたいな感じがあるので。でも僕は、それは最大のやさしさだと思っています。そっと見守るじゃないけれど、そういう感じで接してくれるというのは。何かを質問すれば、答えてくれる。でもそのときも、すべてを教えるわけじゃない。やっぱり、自分で気づくというのが一番大事なことだから。そういうことを教えてくれたり、気づかせてくれたりしたのが鹿島の先輩たちです。本当にすごい人たちがたくさんいて、いろいろ学ぶことも多かった。気づかせてくれる人の存在が僕にとっては重要だったと思います」

――鹿島はなぜこんなに多くのタイトルを獲れるのでしょうか?

「僕も何個かタイトルを獲りましたけど、そこはよくわからないところですね。やっている僕ら自身は、ただ必死に戦っているだけだから。とにかく無失点で試合を終えたいと。1-0の勝利というのは、燃えますね。そこにこだわりを持っているDFは鹿島には多いと思うし。ゼロというところにはかなり執着しているというか。後ろが必ずゼロで終われば、あとは前の選手が得点をすれば勝てる。無失点であれば、負けないから」

――鹿島のCBが持つ、独特な雰囲気の源ってなんでしょう?

「鹿島の歴代のCBの選手というのは、誰が見ても本当にすごい方たちばかり。そういう方たちと比べられる機会がたくさんあります。そういうのもあって、今までの選手を越えたいという気持ちはずっと持っていました。もちろん、鹿島アントラーズのCBということに誇りを持っていたし、鹿島のエンブレムを背負うというのは日本を背負うことでもあるというのは、鹿島に入ったときからずっと言われてきましたから。そういう想いで僕はずっとやってきました」

――鹿島のCBのほとんどが日本代表ですからね。鹿島で培ったもののなかで、今後も大事にしていきたいものとは?

「試合に出られないときの悔しさというのが、今の僕を作っていると思うし、そういうときの悔しさを忘れないということが、今の僕の教訓です。これから先、試合に出られないとか、そういう立場、壁にぶち当たったとしても、鹿島での経験があるから、これからもやっていけると思うので、それはすごく大事にしていきたいです」

――試合に出られないところから始まるというのは、レベルアップの必須条件?

「そうですね。欧州にはいろんな選手がいますからね、そして、いろんな監督もいる」

――いい出会いが最高な状況を生み出すこともあれば、逆もある。巡り合わせでうまく行くこともあれば、巡り合わせが悪くて、最悪な状況になることもある。欧州では「絶対」がないし、とにかく猛スピードでいろんなことが起き、変わります。

「でも、それが面白いと思います。いろんなことが起きるけれど、それを面白がれないと、こっちではダメだと思っています。とにかく、僕は今までどおり、這い上がっていくだけです」


◆植田直通は「いつも難しいほうを選ぶ」 だから鹿島入りを迷わなかった(Sportiva)


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◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
◆森岡隆三が鹿島で過ごした日々は 「ジレンマとの闘いだった」(Sportiva)
◆清水への移籍を迷った森岡隆三。 鹿島と対等での戦いに違和感があった(Sportiva)
◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)
◆安部裕葵は断言。「環境や先輩が 僕をサッカーに夢中にさせてくれる」(Sportiva)
◆ジーコが鹿島を称賛。「引き継ぎ、 やり続けたことが成果になっている」(Sportiva)
◆ジーコは意気込む。鹿島のために 「現場に立ち、構築、修正していく」(Sportiva)
◆山本脩斗の鹿島加入時の逸話。 「強化部も僕をよく知らなかったと思う」(Sportiva)
◆鹿島で優勝する術を学んだ山本脩斗。 「満男さんがそれを示してくれた」(Sportiva)
◆鹿島のスカウト担当部長は、 「安部裕葵に柴崎岳と似たものを感じた」(Sportiva)
◆鹿島の選手のJデビュー時。椎本 邦一は「親みたいな気持ちになる」(Sportiva)
◆鹿島から獲得話があった当時、 昌子源は「ダブル浩二」を知らなかった(Sportiva)
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◆鹿島以前はMFだった西大伍。 「中盤でプレーしたい欲は消えない」(Sportiva)
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◆レアルとの対戦を振り返る植田直通。 善戦との評価は「本当に嫌だった」(Sportiva)


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遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(40)
植田直通 前編

植田直通 Naomichi.Ueda


 UAEアルアイン。日中は暑いくらい日差しが強いが、陽が落ちると内陸に位置するアルアインは急激に気温が下がる。12月13日、クラブW杯を準々決勝から戦う鹿島アントラーズはキックオフの時間に合わせた夕刻、市内でトレーニングを行った。

「昨日、初めてこっちで練習したときは、『空気が乾いているな』とか、日本とは違う感覚があった。こういうのは久しぶりだね」

 今季ACLでのアウェー戦での帯同がなかった内田篤人は久しぶりの国外ゲームを前にその違いについて語っている。シャルケ時代には毎シーズンのようにチャンピオンズリーグや欧州リーグなどクラブでの国際試合を経験している男は、初戦の重要性を認めながらも、今大会の特長を踏まえて話す。

「どんな大会でも初戦は重要。W杯(ロシア大会)でも(初戦の)コロンビア戦に勝ったことで勢いに乗れた部分はあったはずだから。でもそれは、グループリーグでの話。今回はトーナメントだからね。すべての試合を決勝戦のつもりで戦わなくちゃいけない」

 現地時間12月15日、鹿島は初戦でメキシコの名門クラブ・グアダラハラと対戦する。

「メキシコのチームと戦ったことはないけれど、上手い選手は多いはず。今大会には、力的に考えて、俺らよりも下のチームはいないから」と言う。「いつも通りにやるだけ」と平常心の重要性を口にしながら、警戒心、危機感は失ってはいない。それでも若手の活躍を促したあと「うちらは挑戦者だから」とも話した。

「あとは怪我をしないことだよね」

 鹿島復帰後最初のシーズンとなった今季。負傷やコンディション不良を繰り返し、連戦に耐えたのは2か月にも満たなかった。

「これじゃあ、帰ってきた意味がないよ」

 内田が吐き捨てるようにこぼしたのは、ホームでのACL決勝戦前日だった。悲願のアジア王者に繋がる道程で、水原三星戦では貴重なゴールも決めている。それでも、「4つのタイトルを獲るために」とドイツから帰還した男にとって、この結果だけでは満足とはほど遠い。結局、国内タイトルはいずれも手にできなかった。

 短期決戦を走り切り、クラブW杯決勝戦を目指す。今季最後の戦いで内田篤人は自身の存在価値を証明する。そんな意欲が彼の奥底に隠されているはずだ。

「こういう賞をいただけて、本当に嬉しいですし、光栄です。でも自分は満足していない。もっと得点という『数字』を残したい」

 この日、Jリーグのベストヤングプレーヤー賞を受賞した安部裕葵。目に見える結果、ゴールへの意欲は消えない。

 タイトル、そしてゴール。

 飢えた男たちの意地に期待したい。




 中世の街並みが残る中心地は、世界遺産に指定されている。欧州有数の観光地でもある、ベルギー・ブルージュ。その町をホームタウンとするクラブが今季ベルギー1部リーグにふたつ存在することになった。ひとつは欧州チャンピオンズリーグ常連クラブでもある強豪クラブ・ブルージュ。そして、もうひとつは、2014-2015シーズン以来の1部復帰となったセルクル・ブルージュ。両クラブは同じスタジアムを使っているだけでなく、普段からスタジアム内のロッカールームを使用し、隣接したグラウンドでトレーニングしている。





「僕は見たことがないんですが、聞いたところによると、クラブ・ブルージュとセルクルとでは、ロッカー内の施設などがまったく違うらしいんですよ」

 この夏、セルクルの一員となった植田直通が教えてくれた。

 2018年夏、W杯ロシア大会終了直後、鹿島アントラーズから植田は移籍している。

 12月2日。そんな植田に会うためにブルージュへ足を運んだ。日曜日ということもあって、多くの観光客が訪れる中心地のはずれのカフェに現れた植田は、肩の力が抜け、はつらつとした明るいオーラを身にまとっている。リラックスした表情が柔らかい。

――欧州生活はいかがですか?

「本当に居心地がいいです。周りを気にしなくてもいいし、確かに観光地だから人は多いですけど、あんまり気にならない。食事する店もあるし、ちょうどいいですね。こっちへ来てから、できるだけ外出するようにしているんです。せっかくの海外ですから。やっぱりよりアクティブに暮らしたいなと思って。知り合いも結構増えましたから」

――社交的なんですね。

「でも、気がつくと、豊川(雄太/オイペン)とばっかり会っていますね。豊川のところへは列車で3時間くらいかかるんです。でも、ここから列車1本で行ける。だから、あいつは2回もブルージュへ来たし、ふたりでデュッセルドルフに出かけて日本食を食べたりもしました」

――豊川選手は鹿島でも同期でしたが、なにより大津高校時代の同級生ですよね。

「まさか、ですよね。ベルギーで対戦しているんですから」

――高校時代とかにふたりで「いつか、欧州で」なんて話は?

「まったくしていないですよ。あいつが海外へ行くなんて思ってもみなかったから」

――植田選手が海外でプレーしたいというふうに考えたのはいつ頃だったんですか?

「高校を卒業する頃には、将来海外へ行きたいと考えてはいましたね。その前に鹿島へ入って、成長して、それから海外へ行こうという気持ちでした」

――U-17W杯やリオ五輪と世界大会を経験されてきたからこその想いもあったのでしょうか?

「そうですね。誰かに憧れてということはなくて、自分自身がいろんな選手と戦って、こういう選手たちに負けないように成長するには、同じ環境でやりたいなと感じるようになったんです。その想いはクラブにも伝えていました。だんだん時間が経ち、そろそろ行かなくちゃいけないなという気持ちが高まってきました」





――2016年のクラブW杯でファイナリストになり、レアル・マドリーと対戦した経験で自信を得たこともあったのではありませんか?

「あの決勝戦は4失点もしているので、ポジティブな気持ちにはならないです。相手がどこであっても4失点もしていたら、DFとしては話にならない」

――善戦したという評価もありましたが……。

「それは本当に嫌でしたね。相手に関係なく、僕らは負けているわけだから。実際に対戦した実感としては、個人としてもチームとしても、結構差があったと感じています」

――じゃあ、危機感しかなかったと。

「クラブW杯だけじゃなくて、ロシア(W杯)も含めて、いろんなものを経験して、やっぱり常に世界の強い人たちと戦える環境にいなければいけないと思ったし、そういう環境に身を置けば、自分がもっともっとレベルアップできると思ったんです」

――そして、W杯ロシア大会終了後の7月に移籍。5年半過ごした鹿島アントラーズを離れるというのは……。

「海外移籍できるという嬉しい気持ちと同時に鹿嶋を離れる寂しさが大きかったです。鹿嶋、大好きだったんで、僕は。町もそうだし、チームもそうだし。あんなに居心地のいいところはなかったので。町の人は温かいし、仲のいい人もたくさんいたので。でも、そういう寂しさも含めて、海外移籍なんだなと思っています」

――セルクルでも試合出場時間が増えていますが、監督の信頼を勝ち取ったという手ごたえはありますか?

「うーん。どうですかね。まだまだだと僕は思っています。自分のプレーにもまだ納得していないところがあるので。もっとやらなきゃいけないという想いが強いですね。対戦相手のデータが何もない状態で、どんな選手かなぁというのを確かめながらプレーしなくちゃいけないので。そのうえで、今チームとしてやっていること、やろうとしていることを自分のなかに落とし込んでいる状態で、それを最近やっと自分で表現することができるようになったと思うので、本当にこれからだと考えています」

――欧州のディフェンダーは、まずは1対1勝負が求められ、身体能力の高いFWとの勝負はJリーグとも違うと思うのですが。

「今まで自分がやってきたサッカーとは、全然違うと感じています。今までやってきたセオリーみたいなものを、全部ぶっ壊されたというか。僕が日本でやってきたサッカーを考えると、滅茶苦茶だなというようなこともいっぱいあります。だから、自分のなかで、困惑というか、悩むところもあります。でも、それをやっていかなくちゃいけない。日本と同じじゃなくても、まずはやってみようという気持ちですね。じゃないとここに来た意味がないから」

――自己主張の強い人間が多いでしょうから、文句を言われることも多いんじゃないですか? 言葉ができないと言い返せないから、言われっぱなしになるのでは?

「そうですね。でも、僕は言わせないようにしています。態度で示して。そこが大事だと思います。だから楽しくやっています。キレるし、めっちゃ怒りますから、僕。言葉ができなくても伝わりますよ。それにピッチの上で多少険悪になっても、こっちではそれを引きずることがないので。とにかく、言葉ができなくても主張しないとダメなんです。こっちへ来て、より深く考えないようになりましたね。全部を楽しめるようにしました」

――考えてもどうしようもないことが多いから?

「そうですね。すごい、理不尽なこともいっぱいあるし。なんで?と思うことがこっちではたくさんあるけど。それにひとつひとつ対処して、落胆したり、怒ったりとか、いろいろ気持ちに変化が生まれたら、それは僕にとってのストレスだし。日本では当たり前だったことが、こっちでは当たり前じゃないので。深く考えないで、笑うくらいにします」

――ベルギーリーグというのは、欧州リーグの中では中級レベルというイメージなんですが、ここからのスタートをどんなふうに捉えていますか?

「僕らしいと思います。下から這い上がっていくというこのやり方が気に入っているから。というか、僕の人生はずっとそうだったので」

――エリート選手というイメージが強いですけど。

「まったく、全然ですよ。僕が鹿島を選んだのも、一番試合に出るのが難しそうなチームだったからなんです」


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