日刊鹿島アントラーズニュース
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2016年2月7日日曜日
◆【神戸】伊野波を4年ぶりに再獲得、近日中にも合意へ(報知)
http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160207-OHT1T50017.html
神戸が、2012年に在籍していた元日本代表DF伊野波雅彦(30)を、4年ぶりに再獲得することが6日、決定的になった。チームがJ2降格したのに伴い、わずか1年だけ在籍して13年に磐田へ移籍した伊野波。しかし今オフ、契約満了により退団となり移籍先を探していたところ、実力のあるセンターバック(CB)を探していた古巣が異例の“出戻りオファー”を送った。近日中にも合意する見込みだ。
神戸は昨季、柏で11年にJ1優勝経験のあるネルシーニョ監督(65)を招へいしたが、J1ではリーグワースト6位タイとなる49失点を喫し、12位に終わった。さらに今オフにはDF増川が札幌、DFブエノが鹿島へ移籍してCBの数が不足となり、U―23日本代表DF岩波らとポジションを争える選手を探していた。
今オフは司令塔のMF森岡がポーランド1部のブロツワフに移籍するなど主力の流出もあった神戸。14年ブラジルW杯の日本代表でもある伊野波は、守備的なポジションならCB、サイドバック、ボランチもこなす万能型選手。悲願の初タイトルへ、守備陣に安定感を与えるプレーが求められる。
◆伊野波 雅彦(いのは・まさひこ)1985年8月28日、宮崎市生まれ。30歳。鹿児島実から阪南大を経て、大学3年時の2006年にF東京入り。08年に鹿島に移籍。11年にクロアチアのハイデュク・スプリト、12年に神戸に移籍。13年から3年間、磐田でプレーした。179センチ、75キロ。
◆「FKの壁が上手いのは鹿島」「比嘉は太陽」俊輔がツイッター企画で回答(ゲキサカ)
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?182448-182448-fl
横浜F・マリノスのMF中村俊輔が6日、Jリーグの公式ツイッターアカウントで募集した質問に答える企画を実施した。同日昼にガンバ大阪のMF遠藤保仁も実施した企画(記事はこちら)で、ハッシュタグ「#俊輔質問」で寄せられた様々な質問に回答した。
俊輔と言えばやはりFK。FKについての質問が多く見受けられた。「どうしたらあんな綺麗にFKがけれますか?」という質問には、「蹴り方とか球質の問題ではなく、決めたいという気持ちの強さが大事。負けないと思うこと、どの年代でも責任感・プレッシャーがあったから、練習もするし、いつでも同じキックができるようになると思う」と回答。
壁の作り方が上手いJリーグクラブはあるかとの問いには、「鹿島アントラーズです。全員が頭で止めてやろうという気合いが違う、伝わってくる。一瞬でもそういうのが見えたら気になります」と興味深い答えを返した。
自分より上手い選手はいたかには、「僕がヨーロッパでたら中の下くらいだと思っています。Jリーグの中では、こいつはセンスがずば抜けていると思ったのは小野伸二(札幌)だけです」と返信。長く現役を続けるコツについては、「生活リズムが規則正しく、パターンを作るといいと思う。栄養士やトレーナーの意見を聞き、取り入れていく。何年も続けるとメンタルもパフォーマンスも安定すると思います」と説いた。
動画でも質問に答え、「あのときこうしていればなど今だから言えることはありますか?」との質問には、「(日本代表で)トルシエ監督の時に左サイドをやることが多かったんですけど、自分は中で勝負したいから、ヒデ(中田英寿)さんと森島(寛晃)さんと勝負させてくれと言っていたら、どうなっていたかなと思う」。
また“鉄板”の仲の良さを公言している、今季よりジェフユナイテッド千葉でプレーすることになったDF比嘉祐介についても言及。「比嘉さんの後を継ぐポジションの人は誰かいますか?」という問いに、「いや、いないですね。無理やり彼のようには誰もマネは出来ない。彼は太陽だと思います」と返すと、動画ではフクダ電子アリーナに応援に駆け付ける可能性も示唆した。
同日、同様の企画を行った遠藤から「ちゃんと真面目に受けることと、ちょこちょこ笑いを取れるように!」などとメッセージを送られたことに対し、俊輔も動画内でコメントを返信。「ヤットにメッセージ?ちょっと年俸が高いかな。そろそろ落ち着いていいんじゃないですか」と笑いを取ると、「一緒にJリーグを盛り上げていきましょう」と今季の共闘を呼び掛けた。
◆鹿島DF植田 ドーハ帰りで変わった(ニッカン)
http://www.nikkansports.com/soccer/column/akita/news/1601316.html
<熱血秋田塾・九州キャンプ編/鹿島>
鹿島の宮崎合宿で、DF植田直通選手(21)の「変化」が目についた。前に出て相手のパスをインターセプトし、攻撃の起点になっていた。去年までは見られなかった姿だ。
中盤より前の選手とうまく連動して、裏を取られるリスクを冒さず、前に出てボールを奪う。鹿島のセンターバックに代々求められる仕事だ。昌子選手らはこのプレーをきっちりとこなし、攻撃の起点にもなる。しかし昨年までの植田選手は思い切りの良さ、判断の速さが足りず、インターセプトの動きをためらいがちだった。
U-23日本代表での活躍で、自信を得たことは大きいのだろう。今年の植田選手は、前に出てボールを奪う意識が確実に強まっている。プレー以外にも変化はあるという。周囲は「ドーハから帰ってきたら、立ち居振る舞いから変わった」と話す。五輪出場権を争う戦いは、彼にとって貴重な経験だったのだと思う。
クラブ関係者とも話をした。五輪本大会への出場を後押しするため、植田には出場機会が得やすい他クラブへの期限付き移籍も提案していたという。実際にいくつかのクラブが、このプランに乗り気だったとのことだ。しかし最後は、植田本人が鹿島に残ることを選んだ。私はこの決断を好ましく感じた。
鹿島はいつも、日本を代表するセンターバックを擁してきた。その中に期限付き移籍を経験した選手はいない。何度もタイトルを勝ち取ってきた、ハイレベルな選手の中に身を置くことで「鹿島のDNA」のようなものを受け継ぐ。そうすることで、多くの代表クラスが育ってきた。植田もしかりだ。厳しい競争を勝ち抜けば、五輪本大会出場、さらには日本代表入りも、必ず見えてくるはずだ。(日刊スポーツ評論家)
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