日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年1月19日金曜日

◆浦和痛っ ACL制覇の原動力ラファエルシルバが中国移籍へ(東スポWeb)




 沖縄で合宿中のJ1浦和は17日、FWラファエルシルバ(25)が中国2部の武漢卓爾からオファーを受け、メディカルチェックのためチームを離脱すると発表した。

 浦和は「先方クラブからのオファーが、設定されている移籍補償金を支払う条件となっていることや選手がオファーを受け入れる意思を強く示していることなどから、これを受け入れることといたしました」との談話を発表した。

 昨季浦和に加入したラファエルシルバはJ1で12得点。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)では得点ランキング2位タイの9得点を積み重ね、アジア王座へ導く原動力となった。そのACLの舞台で大活躍し「中国や中東からすごいオファーが来る」と言われていたが、実際に争奪戦に発展。移籍金も約10億円近くまで上昇した模様だ。

 これまでもACLで活躍したJ1広島のDF塩谷司(29)、J1鹿島のMFカイオ(23)が、ともにアルアイン(UAE)に好条件で引き抜かれたが、ラファエルシルバの新年俸は2億円超とみられ、本人が移籍を希望するのも無理はない。

 ただ昨季7位から復権を目指す浦和にとっては、超優良助っ人の流出は大きな痛手。特にシーズン終盤は、試合を決定づける大車輪の働きを見せた。すでに新シーズンに向けて始動している中、その穴をどう埋めるのか。

浦和痛っ ACL制覇の原動力ラファエルシルバが中国移籍へ

◆元鹿島・浦和の阿部敏之氏がフットゴルフ参戦「どんな競技でも代表は目指したい」(サッカーキング)




 鹿島アントラーズや浦和レッズなどで活躍した元Jリーガーの阿部敏之氏が、2018年フットゴルフジャパンツアーの開幕戦となる第34回ジャパンオープン(3月24日、栃木県小山市、TBC太陽クラブ)に出場することが決まった。

 これまで元浦和の堀之内聖氏、中田英寿が認めた天才財前宣之氏らプロサッカー選手もプレーしているフットゴルフに、今度はサッカー日本代表候補となり名門クラブを渡り歩いた阿部氏が参戦する。

 フットゴルフはFacebookで知ったという阿部氏は、これが初の実戦となるが「不安も沢山ありますが、楽しみながら手ごたえを掴める大会にできたらと思います」とコメント。ピッチからゴルフコースにプレーの場は変わるが、「魔法の左足を持つ天才」と言われた男の華麗なキックが飛び出すか注目される。

 今年のフットゴルフは、12月にモロッコで第3回ワールドカップの開催が決定。日本フットゴルフ協会が主催するジャパンオープンの各大会はその日本代表を選出する舞台となる。それだけに阿部氏も「サッカーでは代表候補止まりだったので、どんな競技でも代表は目指したい」とフットゴルフの日本代表入りに意欲的。同代表経験がある堀之内氏、財前氏に対しては「お互いに本気を楽しめるように頑張りましょう!」と話していた。

 阿部氏が出場する第34回ジャパンオープンは、フットゴルフの経験を問わず誰でも参加可能。同協会のウェブサイトから出場を受け付けている。

元鹿島・浦和の阿部敏之氏がフットゴルフ参戦「どんな競技でも代表は目指したい」


◆鹿島宮崎キャンプ ゴール前の連係確認(茨城新聞)



J1鹿島の宮崎キャンプは17日、宮崎市のKIRISHIMAハイビスカス陸上競技場で2部練習を行った。

午前は低い位置からの攻撃の組み立てを目的とした練習を紅白戦形式で取り組んだ。大岩監督は「グループでいかに崩していくか。一本のパスにこだわってほしい」と選手に声を掛け、ゴール前の連係向上を求めた。

昨季のリーグ戦は得失点差で優勝を逃し、涙をのんだ。2トップの一角に入った土居は、前線の動きについて「攻撃はもっとバリエーションを増やさないといけない。個人やコンビでいろんな攻めができるように(連係を)合わせていきたい」と課題を話した。(岡田恭平)

鹿島宮崎キャンプ ゴール前の連係確認

紅白戦でレオシルバ(右)と競り合う土居=KIRISHIMAハイビスカス陸上競技場

◆涙で引退の鈴木隆行、シンデレラストーリーの原点は奥野僚右の言葉(報知)



 鈴木隆行の涙を、初めて見た。13日にJ2水戸の本拠地であるケーズデンキスタジアム水戸で行われた引退試合、最後のセレモニーの途中で言葉を詰まらせた。

 引退試合に出場していた元日本代表FW柳沢敦(現鹿島コーチ)や同MF藤田俊哉(現英リーズ・コーチ)でさえも「(涙は)見たことがない」と驚き、満席に近い9155人の大観衆がもらい泣きした。

 鈴木は95年に鹿島アントラーズへ入団したが、厚い選手層に阻まれほとんど出場機会のないまま6年目の00年を迎えた。初めてJ1に昇格した川崎フロンターレにレンタル移籍したが、結果を残せず夏場には“戦力外”のような立場になった。ちょうどそのころ、シドニー五輪にFW柳沢、平瀬智行、MF本山雅志らが出場した鹿島が、手薄な攻撃陣を補うため鈴木の復帰を要請した。普通なら大喜びするところだが、鈴木はともに移籍したDF奥野僚右(現福岡コーチ)に告げた。

 「奥野さんたちと一緒に頑張ろうと移籍してきたのに、自分だけが鹿島に戻ることはできないよ」

 奥野は答えた。

 「お前と俺の人生は違う。戻れと言われていることは、多少なりともチャンスがあるはずだ。ここに残って才能を発揮しないのはもったいない。鹿島に帰るべきだ」

 プロとして自分の甘さに気がついた。鹿島への復帰を決めると、鬼気迫るプレーを続けてブレイクした。11月のナビスコ杯(現ルヴァン杯)制覇に貢献し、リーグ第2ステージでは柳沢との2トップで得点を量産して優勝。横浜F・マリノスとのチャンピオンシップも制した。天皇杯も獲得してJリーグ史上初の3冠を達成。01年4月に初めて日本代表に選ばれ、02年日韓W杯ベルギー戦で伝説の「つま先ゴール」を決めた。出来すぎているほどのシンデレラストーリーの原点は、奥野の言葉にあった。

 涙の後に「奥野さんの言葉があったから代表にまで行くことができた。現役生活は辛いことばかりだったけど、いろんな人に助けられて続けられたんです」と感謝した。私は99年~00年に鹿島と川崎の担当を務めており、奥野と鈴木の深い絆を目の当たりにしてきた。鈴木はシャイで口ベタでやんちゃだったけれど、自分に正直で芯の強い選手だった。奥野は父親のような温かい目で鈴木の成長を見守り、ことあるごとに相談に乗っていた。

 引退試合が終わった夜、奥野に電話をかけた。福岡で仕事があったため試合には来場できなかったが、鈴木の涙の件を伝えると「心が温まりますね。うれしい、としか言いようがない。これから指導者として彼の活躍が始まると思うと感慨深いですよ。いつか一緒に仕事をしたいですね」と喜んでくれた。

 鈴木は現在、弊紙の評論家を務めている。私と原稿の打ち合わせを行う時は、現役時代さながらの熱い口調で「球際の強さ」や「戦える選手」の重要性を説くだけでなく、代表への誇りも口にする。初代表の選手に対しては「チャンスは1回あるかないか。そこを死にもの狂いでモノにしないと」と話したことも。崖っぷちから数少ないチャンスをつかんだ男の言葉には説得力がある。

 Jリーグの監督就任に必要なS級ライセンスは今年度中に取得できる見込み。引退セレモニーは「人生をかけて戦っているプロの世界に、監督として戻りたい。選手に愛され、選手を愛せるような監督になりたい。みなさん、いつかまたピッチでお会いしましょう」と締めくくった。5か国10クラブを渡り歩いた激動の現役生活に別れを告げ、再び戦いの場に戻ってくる日が待ち遠しい。(記者コラム・岩崎 敦)

涙で引退の鈴木隆行、シンデレラストーリーの原点は奥野僚右の言葉


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