日刊鹿島アントラーズニュース

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2021年5月16日日曜日

◆柳沢敦、大迫勇也、鈴木優磨「鹿島産FW選手の流儀」とは?(FOOTBALL TRIBE)





J1リーグ8回、天皇杯5回、Jリーグカップ6回、AFCチャンピオンズリーグ1回の主要タイトル20冠を獲得してきた常勝・鹿島アントラーズが完全復調の気配だ。

昨年に続く2年連続の開幕からの成績不振が続いた4月14日、アントニオ・カルロス・ザーゴ前監督を解任し、クラブOBの相馬直樹コーチが昇格。元日本代表の左SBにしてクラブの“レジェンド”である相馬新監督の下、J1リーグは5試合で4勝1分無敗。YBCルヴァンカップも1勝2分無敗。流れは完全に変わった。

鹿島はJリーグ創設元年の第1ステージ(サントリーシリーズ)で優勝以来、強豪の地位を確立し続けてきた。接戦を勝利で締め括る勝負強さを指して「鹿島る」という造語が生まれるほどだ。




常勝・鹿島を支える2トップ


鹿島の黄金期はJリーグ創設から世界的名手のジーコやジョルジーニョ、レオナルドが在籍した1998年頃まで、トニーニョ・セレーゾ監督の就任初年度で3冠を達成した2000年~2002年頃、オズワルド・オリベイラ監督就任からリーグ3連覇を含む5年連続主要タイトルを獲得した2007~2011年頃(2012年にもJリーグヤマザキナビスコ制覇で6年連続タイトル獲得)、7年ぶりのJ1制覇を達成した2016年~初のアジア制覇となった2018年頃までの4回ほどに分かれている。創設29年目のJリーグに置いて、すでに黄金期を4度迎えているのだから「1人勝ち状態」である。

もちろん、世代交代を必要とする主力の入れ替えの時期にタイトルから遠ざかる時期はあったものの、無冠期間は2003年から2006年までの4年間が最長だ。その期間は日本人選手が初めて欧州各国リーグへ移籍する流れが出来始めた頃で、鹿島の場合もその影響が強かったと考えられる。

全てを勝ち取って来た鹿島だが、実は鹿島に在籍した選手で得点王を獲得したのは、2008年に21得点を挙げたマルキーニョスただ1人である。

そのマルキーニョスが歴代フォワード(FW)陣の中でも最も守備に運動量を割いたハードワーカーだった事が象徴しているように、鹿島のFWには攻守に渡って運動量を要求される。その負担が個人としての得点量産にはあまり繋がらず、得点王どころか1シーズンで15得点を越える選手も少ない傾向にあるのだろう。実際、鹿島でのマルキーニョスは得点王を獲得したシーズン以外は15得点以下に終わっている。

鹿島の日本人FWは日本代表の主力に抜擢されるケースが多い。しかし、J1で2桁ゴールを記録した回数は、柳沢敦(現鹿島ユース監督)が2回(後に京都サンガ時代に1回)、大迫勇也(現ブレーメン・ドイツ)も1回である。2002年の日韓W杯の開幕戦でベルギー相手に貴重なゴールを決めた鈴木隆行氏にいたっては、キャリアを通してJ1通算17得点のみに終わっている。





日本人に大きな影響を与えたマジーニョ&マルキーニョス


鹿島は伝統的に2トップを採用し「外国人+日本人」の構成をしてきた。日本人の選手を育成しながらチームの強化を図る策は、サッカー発展途上国であった日本にとっては理想的な強化策だ。

「アルシンド&黒崎久志(長谷川祥之)」「マジーニョ&柳沢」「柳沢&鈴木」「マルキーニョス&興梠慎三(田代有三)」「金崎夢生(現・名古屋グランパス)&土居聖真」は、クラブの歴史に残る2トップだ。

特に後続の選手にまで影響を与えた印象の強いFWとしては、マジーニョ(1995~2000年に在籍)とマルキーニョス(2007~2010年に在籍)の両ブラジル人が挙げられる。特にJリーグの多くのクラブに在籍し、鹿島が来日7年目で5チーム目だったマルキーニョスの影響は、共にプレーした当時の若手であった興梠や田代、大迫にまで強烈な影響を与えている。

また、鹿島だけに限らず日本人のFW選手に「誰をFWとして参考にしていますか?」との問いで最も名前が上がる柳沢は、「マジーニョから受けた影響が強い」と語る。地味ながらもFWがチーム全体を助けるキープ力や攻撃の起点となる動き出しの数々は、マジーニョから伝統的に伝わる「鹿島産FWの流儀」になっている。

マジーニョ退団後は柳沢と鈴木による日本代表2トップが誕生し、マルキーニョスの退団前後にも興梠や田代、大迫という3人の代表FWを続けて輩出している事も、このブラジル人FW2人の影響力の大きさを感じさせる。また、金崎も欧州移籍を経験した「海外組」であったため、彼の存在も若手には大きな影響力があっただろう。

そうは言っても、2トップが2人とも生粋のFWだった時代とは異なり、以前とは運用形態には時代によって変化はある。セレーゾ体制第2政権となった2013年頃からは、主力を張るMF土居が2トップの1角に入っている。スポーツ専門チャンネルだけでなく、NHKでの中継でも土居は1.5列目に表記されて紹介されている。本人はちょっと嬉しいのではないか?





鹿島産FW動き出しの優先順位


そんな鹿島のFWの動き出しには特徴がある。特徴があるというより優先順位があって、相手や試合展開を見ながら的確に動き出しを行っている。以下にそれを優先順位で整理したい。

【鹿島産FWの動き出しのルーティーン】
1.クサビとなる縦パスを受ける。
2.中盤に引いてシンプルにボールを捌く。
3.サイドに開いて起点となる。
4.サイドに開いたポジションから裏のスペースへ抜ける

カウンターや速攻時には相手DFライン裏へ抜ける事を優先するが、基本的にはまずは①最前線でパスを受ける事を模索し、クサビとなる縦パスを足下で受けてワンツーの的や自ら攻撃の起点になろうとする。そこでパスを受けられなかった場合、次は、②中盤へ降りてワンタッチやツータッチでシンプルにボールを捌く。

それでもボールを受けられなかった場合は、③サイドへ開いて足下へ受け、味方が攻めあがるタメを作るため、あるいはサイド攻撃で数的優位を作る仕掛けに関与する。

そこでも受けれなかった場合は、④サイドに開いたポジションから相手DF裏へのスペースへ走り込む。すでに自分がいったん中盤へ引いてからサイドに開く動きをしているため、相手DFライン裏にはたいていスペースが拡がっているからだ。そのためスペースを自ら作る予備動作は必要がない効率の良さが際立っている。と言うよりも、通常の動きが全てスペースを作るための予備動作となるよう、その動き出しの順番や組み合わせに一切の無駄がない抜け目のない動き方が備わっているのだ。

ちなみに④の動きをしてもボールが来なかった場合は、オフサイドラインに入ってしまうのだが、オンサイドに戻った場合に次は、①のクサビのパスを受ける動きに戻りやすくなる。

以上の①~④を順番に繰り返し、④が終わると①に戻る。

    


完成形の万能型・大迫勇也


また、鹿島はチームとしてカウンター攻撃を必殺の武器として常備しているため、FWには水準以上のスピードは必要不可欠だ。2011年に大型補強で注目を集めたブラジル人FWカルロンを始めとした典型的なポストプレイヤ    ーはフィットできないのは歴史が証明しており、田代や長谷川のようなストロングヘッダーでもスピードは兼備している。

「FWも11人の1人」としての守備参加はもちろん、組織的な攻撃の一部として機能性を求められるのはサッカーという競技が進めば進むほどに、その度合いは増している。全員守備が当たり前の現代サッカーだが、鹿島はFWも組織的な守備戦術に組み込んだ日本では最初のチームだろう。鹿島の戦術は先進性があるようには見えないが、FWの守備タスクに関しては時代を先取りしていたように見える。

鹿島産FWは動き出しに鋭さがあり、相手との駆け引きに優れている。自らの得点はそれほどでもない。でも代表クラスのFWは輩出していて、何よりチームは歴代で考えると他クラブに比類なき強さを見せている。鹿島産FWは「得点」を奪う事よりも、「勝点」を奪う事に長けている。

2列目の選手が欧州クラブに高く評価される日本では、FW以上に得点力のある彼等を活かすことが求められる。ポストプレーに長けて万能型の大迫はまさに日本代表の軸となる鹿島産FWだ。





柳沢敦+鈴木隆行=異端児・鈴木優磨


ところが、近年になって異端児が現れた。今季ベルギーで17得点と量産したFW鈴木優磨(現シント・トロイデン)だ。

鹿島のアカデミー出身で“純鹿島産”なのだが、得点に特化したような生粋のFWであるため鹿島のトップチームでは異端児だった。それゆえにスーパーサブ起用が多かった。しかし、動き出しや身体を張れる部分に着目すると柳沢敦と鈴木隆行が組み合わさったような選手で、それを1人でこなせるFWである。今夏に欧州のトップリーグ移籍が注目されているが、高次元のリーグでどう適応するのか?それとも貫くのか?楽しみだ。

昨季後半戦に巻き返した鹿島は、2トップの存在が頼もしかった。

東京五輪代表の上田綺世は大学経由のアカデミー出身。柳沢のように動き出しが鋭く駆け引きも巧みだが、鈴木優磨のように得点に特化した点取り屋タイプでもある。昨季18ゴールを挙げてJリーグのベストイレブンに選出されたブラジル人FWエヴェラウドはハードワークとサイドMF起用にも応えられる万能型。鈴木優磨や上田よりも、実は彼の方が“純鹿島産FW”に近いのが面白い。

今季は彼等2人が怪我などで揃わないことが多く、開幕からの不振の要因だったのは間違いない。1.5列目で輝く荒木遼太郎、最前線でも引いた位置でも輝く染野唯月は共に19歳。ポジション“土居”の後継者となれそうなだけに、全員が揃った状態でクラブOBの相馬監督がどういった起用法や若手の抜擢を考えているのか楽しみだ。




◆柳沢敦、大迫勇也、鈴木優磨「鹿島産FW選手の流儀」とは?(FOOTBALL TRIBE)


◆鹿島の再建を託された相馬直樹という男。「常勝」のマインドを受け継ぐ智将の根源を探る(THE DIGEST)






 シーズン途中に解任されたザーゴ前監督のあとを受け、チーム再建に取り組む鹿島アントラーズの相馬直樹新監督の手腕に注目が集まっている。

 指揮を執るようになってから公式戦8試合を終えた時点で、5勝3分け負けなし。「アグレッシブに戦うこと。チャレンジすること。そして、持てる力を出しきること」を選手たちに求め、開幕当初の停滞ムードを一掃した。

 5月12日、前倒しとなったJリーグ第21節の名古屋戦では、アウェーゲームにもかかわらず、相手に1本もシュートを打たせず、2-0の完勝。次から次へとボールホルダーに襲い掛かる強度の高い守備と、変化に富んだ攻撃で圧倒した。

 クラブOBであり、常勝・鹿島のマインドを受け継ぐ相馬監督は現役時代、右利きの左サイドバックとして名をはせた人物だ。

「走ってナンボ、使われてナンボ」

 左SBである自身のモットーを尋ねたとき、こういう答えが返ってきたが、理論派で鳴らす相馬ならではの気の利いたポジション取りは秀逸だった。刻一刻と変わっていく状況に応じて、きめ細かく自分の立ち位置を修正する。それによって守備においても攻撃においても先手を取っていた。

「いてほしいところに、いつもいてくれる」

 同時にピッチに立つチームメイトからこうした声がよく聞かれたが、これほどのほめ言葉はないだろう。かゆいところに手が届く。献身的で、誠実なパフォーマンスは相馬の真骨頂でもあった。

 子どもの頃は真ん中でプレーするのが好きだった。周りを生かし、自分も生きるようなディフェンシブハーフ(今でいうボランチもしくはアンカー)になりたいと思っていた。

 ところが、高校1年生の時に左SBを任されて以降、いつしかそこが主戦場になった。

 大きなきっかけは静岡県のインターハイ予選だったそうだ。対戦相手の強烈な右ウイングを抑えるために“限定起用”されたことがその後のサッカー人生を大きく変えていく。

 高校サッカー界の名門のひとつ、清水東が相馬の母校だが、当時から“キヨショウ”こと清水商(現・清水桜が丘)や東海大一(現・東海大府翔洋)、静岡学園など強豪としのぎを削り合っていた。

「サッカー王国の静岡を制するものは全国を制す」と言われ、県内の高い競争力は全国レベル。厳しい環境のなかで、研鑽を積んだ。当時をこう回想する。

「僕らの高校時代は4-3-3システムで戦うチームがほとんどだったので、左SBなら相手の右ウイング、右SBなら相手チームの左ウイングというように、マークすべき選手がハッキリしていました。サイドでの1対1で、どれだけ優位に立てるか。そこがポイントのひとつでもあったわけです」

 インターハイ予選で難敵の清水商とぶつかったとき、守備力を買われていた高校1年生の相馬は左SBで起用された。

「“キヨショウ”の右ウイングは、僕のひとつ上の(三浦)文丈さんでした。世代別の代表チームで活躍していたと思いますけど、そこを何とか抑えたいというプランからその役割が自分に与えられました。結構、うまく対応できたこともあって、その後も“キヨショウ”と当たるたびに、監督から左SBをやってくれ、と。ディフェンシブハーフでプレーさせてもらう試合もありましたけど、気づけば(左SBに)定着していましたね(笑)」

 清水東を卒業後、早稲田大に進み、さらに1994年から鹿島に活躍の舞台を移し、プロ選手としてのキャリアを積んでいく。在籍中に大怪我を負い、長期離脱を余儀なくなされるなど、苦しいシーズンもあったが、トータル8回の優勝を経験。サイドアタックを基調とする鹿島の攻撃スタイルを左から支えた。

 日本サッカー界にとって初のワールドカップとなった1998年のフランス大会の代表メンバーに選ばれ、グループリーグ全3試合にスタメン出場。記念すべき日本の初ゴールは左アウトサイドの相馬のインスイングクロスから生まれている。

 長年、左SBとしてプレーしてきた自身の立ち位置は監督である今、タッチラインの外になった。現役時代と見える風景にずいぶん違いがあるだろうが、さまざまな“気づき”を選手たちに伝えていることだろう。

 相馬新監督に率いられた鹿島が開幕からの出遅れたぶんを取り戻し、どこまで巻き返していけるか。今季の大きな関心事になっている。

文●小室功(オフィス・プリマベーラ)




◆鹿島の再建を託された相馬直樹という男。「常勝」のマインドを受け継ぐ智将の根源を探る(THE DIGEST)





◆ハットトリック達成の土居聖真 イエローハット賞100万円ゲット(報知)






◇J1第14節▽鹿島5―3横浜M(15日・カシマスタジアム)

 MF土居が横浜M戦で自身初のハットトリックを達成した。前半40分にCKからのこぼれ球をボレーで決め、後半にはGKとの1対1、PKを決めた。チームをリーグ戦4連勝に導くとともに、相馬直樹監督就任後、公式戦9試合無敗(6勝3分け)と記録を伸ばすことに貢献した。

 鹿島は2012年5月より、ホームの公式戦で3得点を挙げた選手を対象に「イエローハット ハットトリック賞」を実施。達成した選手には、チームスポンサーのイエローハットから現金100万円、イエローハット(黄色い帽子)が贈呈される。土居の受賞は、2012年の28節FC東京戦で、MFドゥトラが達成して以来、2人目となった。




◆ハットトリック達成の土居聖真 イエローハット賞100万円ゲット(報知)





◆鹿島・土居“神様のお告げ”で初ハット、5・15「Jリーグの日」降格未経験同士“伝統の一戦”制す(スポニチ)






明治安田生命J1第14節   鹿島5ー3横浜 ( 2021年5月15日    カシマ )


 明治安田生命J1リーグは15日、各地で8試合が行われ、鹿島が横浜を5―3で下し、リーグ戦4連勝で6位に浮上した。1993年5月15日の開幕から28周年の「Jリーグの日」に28歳のMF土居聖真が自身初のハットトリックを達成した。ともにJリーグ発足時に加盟した「オリジナル10」で、J2降格を経験していないのはこの2チームのみ。最多8度の優勝を誇る常勝軍団が「伝統の一戦」を制し、復活を印象づけた。

 試合前、土居は“神様”に声を掛けられていた。ジーコ・テクニカルディレクター(TD)から「点取れよ」。短い言葉だが、「普段、点に関しては何も言わないジーコさんが言ってくれた」。何かが起きる予感がした。

 1―1の後半開始直後。スルーパスに抜け出すと、右足でゴール左隅へ決勝点となるゴールを決めた。前半40分の1点目はこぼれ球を押し込んだ同点弾で、後半8分にはPKを決めて自身初のハットトリックだ。93年のJリーグ開幕から28周年の「Jリーグの日」。同年の開幕戦でハットトリックを決めたジーコTDからも「ボクは1点と言ったけど、3点も取るとは」と驚かれる活躍ぶりだった。

 「和製ジーコということで喜びたい」とおどけた土居は学年は違えど、Jリーグと同じ28歳。小学校卒業後、地元山形を離れ、鹿島のジュニアユースに入った生え抜きだ。記念日弾は「縁を感じる」と不思議な感覚だった。

 国内最多20冠を誇る名門も、16年を最後にタイトルから遠ざかる。今季も開幕ダッシュに失敗し、シーズン途中にザーゴ監督が解任。再建を託されたOBの相馬監督は「93年のファーストステージで優勝した姿。それが強かった鹿島ではないのか」と選手に説いた。謙虚に泥くさく戦い、下馬評を覆した当時の強さを伝えてきた。

 93年の開幕節と同様に5発大勝。「オリジナル10」でも2チームのみ、降格経験のない伝統のカードで、今季初の逆転勝ち。土居は「監督が代わるのは僕らの責任。それをピッチで表現できなければ、代わった意味がない」と姿勢を正した。

 “誠実・尊重・献身”のジーコスピリット。鹿島が、その原点に立ち返りつつある。

 ▽鹿島の93年Jリーグ初戦 リーグ開幕の翌5月16日、ホームのカシマスタジアムで名古屋と対戦。背番号10のジーコは前半25分に右足で先制弾を決めると、同30分に芸術的な直接FKを沈めて追加点。後半18分には左足でボレーシュートを決め、40歳にしてリーグ1号のハットトリックを達成した。同僚アルシンドも2得点し、5―0で快勝した。

 ▽ハットトリック 鹿島MF土居が横浜戦で3得点。自身初。J1今季3度目、通算244度目。




◆鹿島・土居“神様のお告げ”で初ハット、5・15「Jリーグの日」降格未経験同士“伝統の一戦”制す(スポニチ)





◆“神様”の予言的中…鹿島FW土居が初ハット「和製ジーコということで喜びたい(笑)」(ゲキサカ)






[5.15 J1第14節 鹿島5-3横浜FM カシマ]

 メモリアルマッチの主役となったのは、Jリーグ創設初年度に生まれた28歳の生え抜きアタッカーだった。試合後、鹿島アントラーズのMF土居聖真はプロ入り後初のハットトリックに「サッカー人生でもいつ最後にしたのか覚えていないし、プロでは生涯することないと思っていた。サポーター、家族、チームメート、スタッフに感謝したい」と喜びを語った。

 この日は1993年5月15日に開幕したJリーグの28回目の記念日。国内に二つだけしかない降格未経験のオリジナル10同士で組まれた注目の一戦は、国内最多タイトルを誇る鹿島が横浜F・マリノスとの打ち合いを制した。

 1点を先行される苦しい展開の中で逆転に導いたのは、1992年にリーグ戦に先行されて行われたナビスコ杯開幕年に生まれた土居だった。

 このメモリアルマッチに「縁を感じる」と臨んでいたという土居。まずは前半40分に「コースを目掛けて上に蹴れたのがイメージどおり」という同点ゴールを突き刺すと、後半開始直後にはGKとの1対1を「一回身体を開いてファーサイドに蹴る場所をつくって、ニアサイドに振れた」と冷静に沈めた。

 さらに後半8分には今月1日の横浜FC戦で相手GKに止められた嫌な記憶も残るPKを、今度は自らのキックで決めた。「スンテさん(GKクォン・スンテ)から相手GKの情報も入っていた。PKになる前に決めますと言っていたけど、どっちも取れて良かった」。これで土居はプロ初のハットトリック。鹿島の日本人選手では2006年のMF野沢拓也以来となる快挙となった。

 またメモリアルマッチでのハットトリックといえば、28年前のJリーグ開幕節(同年5月16日に開催)にクラブレジェンドの“神様”ジーコ氏が名古屋戦で成し遂げた偉業がいまも語り継がれている。地元記者にそのことを問われた土居は、試合前のジーコ氏とのエピソードを次のように明かした。

「ジーコさんから試合前、聖真が点を取るよって言われていて、これは本当の話で。普段は点に関しては言われないけど、今日はたまたま『取るよ』と言ってもらっていた。終わった後に抱き合って喜びましたし、『僕は1点って言ったんだけどまさか3点取るとは思わなかった』って言ってもらえて嬉しかった」。

 その上で土居は「ジーコさんも28年前にここでそういう歴史をつくってくれたことがありがたいことです」と感慨深げ。さらに続けて「今日は“和製ジーコ”ということで喜びたいと思います」と笑顔も見せた。

 山形県出身の土居は中学時代から鹿島の育成組織に入り、そこからクラブ一筋18年。これまでJリーグで積み重ねてきた歴史の象徴的な選手だ。

「下部組織から鹿島でお世話になっているけど、学生の時から口酸っぱくどんな時も90分間勝利のために犠牲心を持って戦えと言われていたし、表現できているかわからないが、引っ張っていかないといけない自覚は増している。今日も負けている状況だったが、自分がチームを勝たせられればと感じていた。たまたま今日は3点決めたけど、苦しい状況でチームを救える選手になっていきたい」。記念すべき一戦で大活躍を見せた28歳は、新たな決意を語った。




◆“神様”の予言的中…鹿島FW土居が初ハット「和製ジーコということで喜びたい(笑)」(ゲキサカ)





◆鹿島土居プロ初ハット 試合前にジーコ氏が「今日は点を取るよ」と予言(ニッカン)






<明治安田生命J1:鹿島5-3横浜>◇第14節◇15日◇カシマ

「Jリーグの日」に鹿島アントラーズが、FW土居聖真(28)のハットトリックなどで、横浜との“オリジナル10対決”を制した。

土居は試合前、1993年にJリーグのハットトリック1号を記録したジーコ・テクニカルディレクターから得点を予言されていた。プロ初の1試合3得点に「和製ジーコとして喜びたい」。チームは4連勝で6位に浮上。相馬体制後、不敗の鹿島が勢いを増している。

    ◇   ◇   ◇

Jリーグ誕生から29回目の記念日。鹿島で下部組織から育った土居が、プロ初のハットトリックを決めた。28年前の開幕節でハットトリックを決めたジーコ氏から試合前、「ショウマ、今日は点を取るよ」と予言を受けた。土居は「普段、ジーコさんからは点に関して言われないんですけど。たまたま、言ってもらっていて」。

0-1の前半40分にCKの流れから同点弾、後半1分にはMF白崎のスルーパスに抜け出して右足シュートで2点目を決めた。後半8分にはMF松村が倒されて得たPKを冷静にゴール右に決めハットトリックを達成した。鹿島の日本人選手のハットトリックは、06年12月の野沢拓也以来となった。

土居 終わった後、ジーコさんと抱き合って喜びました。「3点取るとは思わなかった」と言われてすごくうれしかった。ジーコさんもこのスタジアムで28年前に歴史をつくってくれた。不思議な縁を感じますし、今日は「和製ジーコ」ということで喜びたい。

前節名古屋戦から中2日の過密日程だったが、選手を入れ替えながら「だれが出ても鹿島」のチーム層の厚さで連勝を4に伸ばした。味方と助け合いながら複数人が相手を囲んでボールを奪う球際の強さは、クラブの伝統そのもの。鹿島一筋の土居は「学生の時から口酸っぱく、どんな時も90分、勝利のために犠牲心を持って戦えと言われてきた。表現できているか分からないが、鹿島を引っ張っていかないといけない自覚は年々、増している。苦しい状況でチームを救える選手になっていきたい」と、生え抜きの自覚を口にした。

相馬監督が就任後、公式戦は6勝3分けと不敗で、リーグ戦も6位に浮上した。上位との連戦が続くが、相馬監督が掲げる「チャレンジャー精神」で、今月末の首位川崎F戦まで駆け抜ける。




◆鹿島土居プロ初ハット 試合前にジーコ氏が「今日は点を取るよ」と予言(ニッカン)





◆好調横浜FMを5発撃破! 鹿島・相馬監督が語った感謝「マリノスのサポーターも含め…」(ゲキサカ)






[5.15 J1第14節 鹿島5-3横浜FM カシマ]

 28回目のJリーグ開幕記念日。国内に二つだけしかない降格未経験のオリジナル10同士で組まれた注目の一戦は、圧巻の5ゴールを挙げた鹿島アントラーズに軍配が上がった。直近リーグ戦11試合で無敗が続いていた横浜F・マリノス相手の快勝劇に、ホームに集まったサポーターは歓喜に沸いた。

 試合後、就任後の戦績を5勝1分けとした相馬直樹監督は「マリノスのサポーターも含め、声はなく手拍子だけだが、我々の声が届かないこともあるくらいの素晴らしい雰囲気をつくってくれた。選手たちが集中できる状況を作ってくれて感謝している」とコロナ禍最多となる11630人の来場者に感謝。「そういった後押しもあり、選手たちが出し切って、躍動してくれた」と選手たちを称えた。

 鹿島は3日前にも2位の名古屋と対戦(○2-0)していたため、前節神戸戦(○2-0)から中5日の横浜FMに比べて苦しいスケジュールだった。それでも選手たちは前半から運動量を落とさず、相手のスピーディーな攻撃に対応。先制点こそ奪われたものの、前半のうちにセットプレーから1点を返し、後半開始から10分間で一気にたたみかけて3ゴールを奪った。

「コンディション的にはわれわれが不利な状況にあったが、それを前提とするのではなく、自分たちがやれることを全てぶつけよう、チャレンジャーとしてやれることを全てぶつけようと送り出した」。

 その結果の5-3での勝利。指揮官は「選手たちは期待を超える表現をしてくれている。一つ一つのボールへの反応、球際の争い、前に出ていく意志、何か起きた時に助ける部分も含め、すべて重なって、簡単なゲームではなかったが勝利することができた」と述べ、「できることを全てやった結果、勝ち点3を自分たちのものにすることができた。実行することができた選手に感謝をしたい」と選手たちをねぎらった。


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◆好調横浜FMを5発撃破! 鹿島・相馬監督が語った感謝「マリノスのサポーターも含め…」(ゲキサカ)




    

◆土居ハットトリックで鹿島4連勝 相馬監督「選手たちが期待を超える表現」(ニッカン)






<明治安田生命J1:鹿島5-3横浜>◇第14節◇15日◇カシマ

鹿島アントラーズが横浜F・マリノスを下し4連勝で6位に浮上した。

前節名古屋グランパス戦から中2日。過密日程の中で迎えた好調・横浜をホームで迎えた一戦に、1万人を超えるサポーターが駆けつけた。

4月14日に相馬直樹監督が就任。名古屋戦は、メンバーを大幅に入れ替えて快勝。この日は、GK沖、DF犬飼、町田、常本、FW土居の5人が2戦連続で先発し、残る6人は体力的にもフレッシュな状態でピッチに向かった。先制を許しながらも、土居のハットトリックなど5発で逆転勝ち。相馬監督は「選手たちが出し切って、躍動してくれた。チャレンジャーとして自分たちがやれることをすべてぶつけようと送り出したが、期待を超える表現をしてくれた」と選手の奮闘をたたえた。

指揮官は、同点弾を含む3発を決めた土居の活躍にも触れ「非常に駆け引きがうまい選手。駆け引きだけでなく、特に前への推進力を出してくれた。直近の3戦で前(FW)でプレーしていますが、ゴールに向かうところで今日は特に素晴らしいプレーをしてくれた。前半のうちに追いついた1点は大きかった」と振り返っていた。




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