遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(19)
遠藤康 前編
7月5日、ワールドカップロシア大会を終えた日本代表が帰国。そのなかに植田直通の姿はあったが、残念ながら彼がその大会のピッチに立つことはなかった。大会中選手への取材は時間が限定されるため、なかなか彼の話を聞くことはできなかったが、6月27日グループリーグ最終戦となるポーランド戦前日に訊いた。
「今までとやることは変わらない。(試合に)出ようが出まいが、もう総力戦だと思う。明日もチーム一丸となって戦うことには変わりはない。どの立場でもしっかりとチームをサポートしたい。僕もしっかりと準備をしたい。ピッチに立ちたいという気持ちのない選手はいないと思います。でも、そういうベンチの選手が大事だと僕は思っている。そういった選手たちの気持ちの持ちよう次第で、チームの方向性が変わると思うし、なんで自分が試合に出られないんだと、どこかに当たってしまうようなことがあれば、チームも必ず悪くなると思う。僕もいままでそういう経験をし、やっぱりベンチメンバーに戦える選手たちが揃えば、チームもかなり上のほうまで行ける。だから、自分たちは気持ちを高く持ち、日々の練習を100%で取り組みたい」
植田自身、鹿島アントラーズではベンチを温める時期を過ごしている。
「あのときの経験は非常に生きている。(ロシアで)思い出すこともあります。ネガティブな感情の自分を押し殺して、チームのために働くことが、どれだけ大事かっていうのをわかっている。だからこそ、今の自分があると思う。同時に試合に出ている自分も知っている。出られない悔しさもわかるし、どっちも経験しているからこそ、今があると思います。常に悔しい気持ちはある。歯がゆいというか、試合に出たいという気持ちが一番強い」
その想いをエネルギーにベンチでやるべきことを果たせた。そんな植田たち控え組への賛辞も忘れてはいけない。
綺羅星(きらぼし)のごとく、将来有望と言われる10代のスター選手が数多く、プロデビューを果たしてきた鹿島アントラーズ。強豪クラブであるがゆえ、そんな選手でも出場機会を得るためには時間を要する。ベンチ入りや途中出場を何度も繰り返し、力を認められたものだけが、先発の座を手にできる。もちろん、ベンチ入りとて容易ではない。自身の力不足を痛感し、トレーニングを重ね、競争を勝ち抜く術を模索する。じれったさと悔しさ、無念。そういうネガティブな感情と戦いながらも、なんとか、闘争心を維持しなければならない。
そんな作業を繰り返すうちに、気づくことがある。
たとえ試合には出ていなくとも、自分の存在が「チームの勝利のため」に有益であり、その犠牲心が、チームだけでなく、自分をも成長させてくれるということに。
昔から、高卒でJリーグ入りを果たした若手の賞味期限は3年と言われている。そのクラブで3年間は育てます。しかしそこでポジションを摑めなければ、移籍やむなし……と。近年ではそういう猶予すらないクラブも多いのが現実だ。
そんな厳しい競争を強いられるのがプロ選手だが、2007年塩釜FCユースから鹿島入りした遠藤康が、チームの主力と呼ばれるようになったのは2010年ごろだった。4年目にしてやっと花開く準備が整った。
――遠藤選手は塩釜FCユース時代から、トップチーム(東北社会人サッカーリーグ1部)でもプレーした経験を持ち、U-18代表候補でもあったわけですが、鹿島からオファーが届いたときの心境を覚えていますか?
「スカウト担当だった熊谷浩二(現・鹿島ユース監督)さんとは話をする機会はあったのかな? でも、正直、鹿島から正式なオファーが来るなんて思ってもいなかった。他のチームのことも検討していたし、大学進学も含めて、進路に迷っている状態でした。そんなときに、鹿島から話をもらい、練習にも参加させてもらって、『これは鹿島へ行くしかないな』と思いましたね」
――他の進路が色あせて見えた?
「そうですね、鹿島の練習は楽しかったですから」
――しかし、練習が楽しいチームというのは、それだけレベルが高くて、ライバルも強敵ということでもあるのでは?
「それはもちろん想像していました。当時、(小笠原)満男さんは、メッシーナ(イタリア)でいなかったけれど、モトさん(本山雅志)、(野沢)拓也さんをはじめうまい選手がたくさんいたから。いっしょにやって、あらためて『こんなレベルの高いチームで僕がやっていけるのかなぁ』という気持ちは正直ありました。
でも、そこに至るまでの学生時代の僕は、どのチームでも中心としてプレーさせてもらってきた。いわゆる『できる環境やれる環境』だったので。せっかくプロになるんだし、今まで経験したことのなかった厳しい場所に身を置いたほうが成長できると思ったんです」
――鹿島以外で、試合に出られる可能性の高いクラブもあったと思いますが……。
「このチームで試合に出て、活躍したいし、しないとダメだと思いました。鹿島で試合に出るほうが、価値があるだろうと」
――しかしというべきか、やはり鹿島では時間がかかりましたね。
「はい。かかりました。今となっては、その時間が非常に重要だったと思えます。試合に出られない選手の気持ちは、同じことを経験している試合に出ていない人にしか、わからないところもあると思います」
――そういうサブ組の時期がなにを教えてくれました?
「試合に出られないという悔しさは、どんなクラブに所属していても年齢に関係なく、持っているべきです。悔しさがあっても腐らずにやることがチームのためになる。そして、選手自身のためにも。そういう『サブ組』の姿勢がチームに影響するし、サブ組の前向きにひたむきに頑張っている姿がやっぱりチームにとって大事かな。試合で活躍するのももちろん重要ですけど、それ以上に試合に出ていない人たちの目に見えない頑張りが、チームにとって一番の土台になる」
――トップチームが輝くのも、レギュラー選手が大輪の花を開かせられるのも、サブ組が作るチームの土台があるからだと。
「僕はそうだと思いますね」
――遠藤選手ご自身がサブ組だったときは、どんなことを考えていましたか?
「大丈夫かなぁという不安ばかりでしたよ。試合に出ていないとクラブと契約が結べなくなる可能性もある。自分の将来が本当に見えないから。だけど、そこで腐っていても意味はないから」
――自分の未来は自分で切り開くしかない。
「レギュラー組のグループに割って入っていくには、試合に出ている選手以上の気持ちで、常に練習をしなければ、評価もされない。爪痕を残して、監督の目に留まらないと話は始まらないわけだから」
――下積みとも呼べるそういう時間は、やはり我慢の時間なのでしょうか?
「我慢ではなかったかな。今思うと、すごく楽しかったから。紅白戦でダニーロと激しくぶつかり合ったり。BチームはどうにかしてAチームに勝ちたいと思っているから、それが一番のモチベーションだった。試合に出るにはAチームよりもいい試合をしなくちゃいけない。そして、Bチームの中心的な存在にならないと、たとえ試合に出ても、Aチームでは絶対にボールが回ってこないから」
――ベンチに入り、徐々に出場を重ねるという過程を経て、レギュラーとなるわけですが、うまくいかないことも多いし、そうなるとベンチからも外される。ある意味非常に不安定な状態だと思うのですが……。
「うまくいかないときはたいてい、自分に腹を立てていましたね。なんとかしなくちゃいけないという気持ちが強かった。だから、たくさんの先輩に相談しましたよ。聞いて回っていましたね」
――聞いて回る(笑)。
「はい。周りにいい先輩がたくさんいましたから。それは非常に恵まれた環境でしたね。中田浩二さんや(岩政)大樹さん……。名前を挙げたらきりがない。それくらいいろんな人の意見を聞いていましたね。当時、浩二さんがBチームでボランチをしていたので、いろいろ教えてもらった。たとえば、監督の求めていることだけをやっていても勝てないこともある。とにかく、いろんな対処法を知っている先輩に話を聞きましたね。
どうすればいいのかと僕はずっと考え続けていた。そういうときにチームメイト、先輩のアドバイスは重要です。いくら自分に厳しくといっても、自分だけでは限界があるから。そういう仲間の声を素直に受け入れることもまたとても大事だと感じます」
――今は質問を受ける逆の立場ですね。
「でも、僕はあまり言わないほうだと思います。もちろん、訊ねられたら話しますけど」
――それこそ、試合に出られない経験を長くしてきたから、遠藤選手の言葉にはリアリティがあると思います。
「まあそうですね。たとえに出しやすいんですよ。試合に出ていない選手や試合に出たけど、次の試合に出られなくなった選手に『いいじゃん。お前は試合に出られるだけ幸せに思えよ。お前の歳のころなんて俺はまだ、試合に出られなかった。4年目、5年目まで試合に全然出られなかったんだから、お前はいい経験をしているんだよ』って、話がしやすい(笑)。
やっぱり、今思うとあの時間はすごくいい経験だったので。(力をこめて)若いころにしかできないプレーというのはたくさんあるから。だから無理をしてでも、若いやつには頑張ってほしい。多少チームのバランスが崩れたとしても、ゴールに直結するようなプレーも若い時期なら許されるから。もちろん、あまりやりすぎるのも問題だけど(笑)。
学生時代はたくさん叱られて育った。自分から動き出さなくて、監督やコーチがいろいろと教えてくれた。でも。プロになると、誰も何も言ってはくれないし、手を差し伸べてくれるわけでもない。そんな甘い世界じゃない。だから、選手自身が考えなくちゃいけない。そのうえで、僕のアドバイスがその選手の力になれたら嬉しいですよ」
――ピッチ外での時間が選手としての引き出しを増やしてくれるのかもしれませんね。そういう意味では、ベンチに座る時間、試合に出られない時間は本当に大事。
「選手なんだから、試合に出たいのは当然。でも、たとえ試合に出られなくとも、築けるものはある。僕は鹿島にしかいないから、他のクラブのことはわからない。ただ、長い目で選手生活を見たとき、いわゆる勢いだけで走れる時間は非常に短いと思う。試合に出られない間にその土台を作る時間があって、僕は恵まれていました。いいチームメイトがいて、厳しさもあり、鹿島は選手が育つうえでの環境は整っている。だからこそ、あとは自分次第。今をどう感じ、何をするのか? サッカーで一番大事なのは、気持ちの部分。そこが大きい」
――「気持ちって、具体的にはなんでしょうか?」という選手もいるかもしれない。
「そこは自分で考えてほしいなと思います(笑)。言葉だけじゃなくて、先輩の背中や振る舞いにも学びのヒントはたくさん隠されているから。それに気づき、自分で考えないと力にはならないから」
(つづく)
塩釜FC時代の遠藤康は「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」