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前半に2失点し、無得点のまま敗色が濃厚だった。そんな中で、74分にピッチへ送り込まれたのが、ユースから加入したばかりの鈴木優磨だった。
彼がアディショナルタイムで決めたゴールだけでは勝ち点を得るには至らないし、首位陥落という結果も変わらない。それでも若武者のゴールは、チームに光明をもたらした。
2015年9月12日、ガンバ大阪戦。鹿島アントラーズはホームで1-2と敗戦したが、試合後には多くの記者が鈴木の周りに集まった。
「岡崎慎司さんが目標です」
クラブOBやチームメイトの選手ではなく、プレミアリーグ、レスターへ移籍したばかりの岡崎の名を口にした。まっすぐで純粋な想いが詰まった言葉や、動じない姿が強く記憶に刻まれている。
そんな鈴木が、2019年7月15日、ベルギーのシント=トロイデンVVへの移籍を発表。翌日に思いのたけを語った。
「複数のクラブからお話を頂いた中で、自分にとって最適なクラブだと決めました」
23歳の夏、鹿島から出ることは決意していた。それが自分にとっての「ラストチャンス」だという危機感があったからだ。
実は1年前にもシント=トロイデンVVからオファーがあったが、そのときは残留した。
「まだレギュラーで試合に出始めたばかりで、鹿島でやるべきことがあると思ったし、タイミングじゃないなと考えていた」
昨シーズン、ACLを制覇した鹿島にあって鈴木はエースと呼べる存在となった。しかしリーグ戦終了と同時に、怪我で離脱。年末のクラブW杯にも出場できず、今季は出場試合のないまま、移籍することになった。
23歳にして「ラストチャンス」。
23歳の年齢で「ラストチャンス」と話す鈴木に対して、違和感を抱く人もいるかもしれない。しかし彼が描くキャリアのビジョンを聞くと、その決断の意味がわかる。
「ヨーロッパへ行くのに、若ければ若いほうがいい。過去の例から考えても23歳というのがラストチャンスだと考えている。海外へ行くだけが目標ではなくて、最終的にはチャンピオンズリーグの舞台に立ちたいし、プレミアリーグでプレーできるようになりたい。
とはいえ、僕は目の前のできることを少しずつやりながら、上へ行きたいタイプ。それに、移籍した最初のクラブで試合に出られないとその後が難しくなる。日本へ戻ってくるというケースが多いという印象がありますしね。
本田圭佑選手のように、オランダ2部からでも試合に出て活躍すればステップアップできる。だからこそ、最初のクラブで土台を作ることが重要だと考えていた。(金崎)夢生くんも同じことを話してくれたので、シント=トロイデンVVがベストだと思った」
20点という目標とステップアップ。
ベルギーリーグとはいえ、出場機会が保証されていないことは、鈴木も理解している。それでも、半年近く試合に出ていないにもかかわらず、再度オファーをくれたクラブの自分への評価は大きな信頼感を生んだはずだ。
シント=トロイデンVVのCEOはFC東京などで強化責任者を務めた立石敬之である。同じ日本人だからこそ、分かり合えることも多かった。またこの夏、冨安健洋のボローニャ移籍やドイツへの移籍が噂される遠藤航の存在も、欧州でのファーストステップを選ぶ上での後押しになった。
「ヨーロッパの1部リーグでやれば成長も速いですし、(他のクラブなどに)見られている数も違う。ステップアップもできるというのは見てとれたので、この決断をさらに後押しするものになりました」
ストライカーは、その力量をゴール数で評価される。ベルギーリーグのストライカーならば、2桁得点ぎりぎりでは物足りない。シーズン20得点に迫る数字が求められるだろう。
「それは理解しているし、覚悟も持っています。たとえば20得点など、数字が大事なのと同時に、ステップアップするというのがもっとも重要。たとえ、いきなりプレミアへ行けなくても、もう1つクラブを挟むというのは当然のことだと思っています」
茶髪の外見だけでなく、プレーからもヤンチャさ、ふてぶてしさも漂わせる鈴木だが、移籍会見では発言を選ぶし、周囲に繊細な心配りできる男だ。
また選手としてのクレバーさは、彼の成長曲線を見れば理解できるだろう。
鹿島アントラーズのサッカースクールに参加したのは、小学1年生の頃。そこからジュニア、ジュニアユース、ユースと鹿島のアカデミーで育った。
ユース時代にはトップチームの合宿や練習に参加する機会もあったが、「鼻をへし折られただけだった」と鈴木本人が振り返ったことがある。そう年齢の変わらない植田直通にすら、はね飛ばされた。そんな経験があったから、自分がトップチームに昇格してプロになれるとは思えなかった。トップチーム昇格の可能性を打診されても、即決はできなかったという。
「プロでやっていけるとは思えず、1年でクビになるかもしれない」
そんな不安を打ち消したのは、長年鹿島のシャツを着てプレーしてきたという事実があったからだ。何度かやめたいと考えて、練習を休んでクラスメイトと遊んだこともある。でも結局は物足りず、「サッカーをやりたい」とグラウンドへ戻った。
そんな過去を振り返ったとき、やっと鈴木は気がついた。
「僕がサッカーを続けてきたのは、プロになりたいから。やれるかやれないかじゃない。今、目の前にそのチャンスがあるのだから、ここで挑戦するしかないだろう」
2015年にプロサッカー選手になったものの、練習の紅白戦すら出られない状態が続き、ファーストステージはベンチ入りすらできなかった。
状況が一変したのは、石井正忠監督(当時)が就任したタイミングだった。冒頭で紹介したガンバ戦後にはベンチに定着し、優勝争いをするチームの戦力に食い込んだ。2016年にはクラブW杯でも活躍した。
しかし2017年、大岩剛監督に交代してからは、先発から控えの立場になった。
「今思えば、コンディションも悪く、精神的にもクラブW杯を経験し、調子に乗っているわけじゃないけれど、燃え尽き症候群みたいなものがありました。身体を強くしたくて、体重を重めに設定したことで動けなくなっていたんです。何もできず、監督の信頼を得るにふさわしい仕事もできなかった。本当に不甲斐ないシーズンでした」
クラブW杯で垣間見たワールドクラス。そのレベルに近づきたいとの思いが強くなり過ぎて背伸びした結果、空回りしてしまったのかもしれない。
プロ意識を学んだ金崎を超えたい。
そんな鈴木にとってライバルであり、プロとしての基軸を示してくれたのが金崎だった。
「海外も経験しているし、本当に本当に真面目な人。朝何時に起きているんだっていうくらい誰よりも早くクラブハウスに来て、体幹トレーニングをしていた。鹿島アントラーズ自体も、あの人が来てから変わったと僕は思っている。当時の鹿島には、ああいう、感情を表に出すタイプの人間が必要だったから。
夢生くんを見て、俺だけじゃない選手も絶対何かを感じたと思う。夢生くんからプロとは何なのか、というのを学んだ。俺のなかで金崎夢生というストライカーの存在は大きいですね。必ず、超えます。あの人はなかなか認めてはくれないので、必ず」
昨季、金崎が移籍したあとも、「夢生くんみたいにチームを勝たせなくちゃいけない」と鈴木は何度も口にしていた。それほどまでに秘めた思いがあったのだ。
新天地となるシント=トロイデンVVのCEOが日本人だとしても、ピッチ上での戦いでそれは無関係だ。
「またゼロから周囲の信頼を得られるようにやっていかなくちゃいけない。その戦いは厳しいかもしれないけど、そういうのも楽しみですね、そういう場所に身を置くことも楽しみ。プロ1年目のように、周りから見れば『誰だよお前』みたいな感覚だから。
もちろん鹿島時代よりも激しいし、厳しいだろうけれど、そういうのを経験して強くなりたい。本田さんも岡崎さんも、欧州で活躍している人は何度もそれを経験し、ステップアップしている。僕はその第一歩だから」
日本を代表するストライカーたちも、欧州ではFWでプレーするのは容易ではない。2列目やサイドなど、さまざま場所で起用されてゴール数を伸ばせず、評価を上げられないケースも少なくない。
「FW、トップでやりたい気持ちはあります。でも、2列目なら2列目でも点は獲れるし、前線のどこでもやれる自信がある。鹿島でも点を獲ってきたから、問題はない。前へのこだわりは強いですけど、“やれ”と言われたポジションでやっていきます」
下部組織を含めて、鹿島には17年間在籍した。そこで学んだことは何かを訊いた。
「本当にヤンチャだったし、自分さえよければいいっていう想いが強かった。でも、いろんな人に出会う中で、自分だけが点を獲ればいいという気持ちはなくなったし、周りをうまく使って、うまくアシストだったりしていけば、必ず自分にもいいことが跳ね返ってくる。そういうことを徐々に学べたし、周囲から信頼を得られるようになったんだと思います」
ただもちろん、欧州の点取り屋たちは、強烈に我が強いことも承知している。
「PKは蹴りたいですし、譲らないです。まず最初は絶対に譲らないという姿を見せないと、相手にスキを与えてしまうから。ガツガツとやっていきたいです」
2016年のチャンピオンシップでは鈴木がファールを受けて得たPKで、キッカーを巡って金崎と言い合い、金崎に譲ったことがある。しかしもう、譲りはしない。笑みを交えながら語る鈴木の姿から、彼の決意と覚悟が伝わってきた。
「鹿島のFWは走らないとダメなんです。実際、チームメイトのためにプレーをしていると、(ボールが)こぼれてくるんですよ。こぼれ球で1本ゴールを決められたら、乗っていけるんです。
だから、そのためには走らなくちゃいけない。先のことを考えすぎたらいいプレーはできないし、先を見て逆算するのは向いていない。目の前のことや足元を見て、進んでいくというタイプですから」
昨年6月にインタビューをしたとき、鈴木はこう話していた。
その際、小さな声で「チャンピオンズリーグに出場したい」とも言っていた。そして欧州での第一歩を踏み出す今、胸を張って大きな目標を口にしていた。
そこへ向かうレールは敷かれていないし、自らが切り開くしかない。そんなとき、鹿島で築いたプロとしての土台が彼を支えてくれるに違いない。
◆鈴木優磨、鹿島での17年間と別れ。 手本の金崎夢生を「必ず超えます」。(Number)