http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20140729-1342230.html 元日本代表監督で「神様」と称されるジーコ氏(61)が、アギレジャパンにメッセージを送った。先の来日時に日刊スポーツのインタビューに応じ、W杯ブラジル大会を振り返り、世界のサッカーの潮流、日本代表への思いを率直に語った。日本代表監督として日本を06年W杯ドイツ大会に導くなど、日本への愛着は人一倍。期待の裏返しとして厳しい言葉も贈った。
日本サッカーへの思いがあふれた。日本代表監督の重責を背負い、重圧も何もかもを知り尽くすからこそ、「神様」と称された男は時に温かく、時に厳しく言葉を続けた。就任が決まったアギレ新監督と新たに船出する日本代表へ、メッセージを色紙に記した。
「Que o Futuro da Selec ao Japonesa Joga otimo resultado(日本代表の未来に輝かしい結果がもたらされますように)」
ジーコ氏の母国ブラジルで開催されたW杯。思い入れの強い日本の活躍を期待していた。ただ、そこにあったのは惨敗という結果。自身が監督を務めていた時から強く感じていた、日本人のメンタリティーの課題を再確認した。
ジーコ氏 日本は勝っている時はすごくいい。ただ、1点を取られると別のチームになる。短い時間でトントンと失点してしまうところだ。私も日本代表監督としての4年間で「そういうメンタルを捨てろ。君たちは力がある」と伝え続けたが、変わらなかった。文化的なのか、学校教育からなのか、他の人と違うことをやることや、ミスを極端に恐れることがある。それが出てしまった。
初戦のコートジボワール戦は先制しながら、追いつかれると100秒で逆転された。技術的なレベルは上がっているにもかかわらず、肝心要の精神面の課題は変わらなかった。
ジーコ氏 やはり初戦だった。相手は香川のサイドから攻めてきていた。それをハーフタイムでなぜ修正できなかったのか。勝ちを意識せざるをえなかったギリシャ戦では数的有利を生かせず、最後は放り込むだけ。もう少し自分たちの形を出しながらバランスを保てば、違った形になったと思う。初戦を落とし、勝たなければいけないという気持ちが自分たちの形を忘れさせてしまったんだと思う。
ドイツの優勝で幕を閉じたW杯。ドイツは質実剛健さに激しいプレスとパスサッカーを加え、世界のサッカーに新たな潮流をつくりつつある。一方でブラジルは準決勝で惨敗した。
ジーコ氏 ドイツは素晴らしかった。カウンターを狙わず、攻撃サッカーを貫き優勝した。個々の能力が高い攻撃サッカーのドイツが優勝して良かったし、次の4年間だけでも世界のサッカーに良い影響を与えて欲しい。ブラジルはネイマールとチアゴシウバがいてもドイツ戦の結果は変わらなかっただろう。世界のビッグクラブでプレーしていれば世界一だという認識は捨てないといけない。
「ドイツ-ブラジル戦を見て、どちらがブラジルかが分からなかったほど」と言う攻撃サッカーを貫いたドイツを高く評価し、今後への影響に期待を寄せた。そして、今大会は結果を出せなかったものの、パスをつないで主導権を握るという日本の方向性は、継続すべきだと強調した。
ジーコ氏 監督が誰というのではなく、日本はこれまでの細かいパスをつなぐことを生かすべきだ。質の高い選手もいるし、良い土壌もある。海外で経験を積んでいる選手も増えた。日本人の特徴を生かすサッカーだとは思う。ただ、チームというのはどんな選手がいるのかで目標を決めるべきだとも思う。理想は大事だが、監督が選んだ選手の特性を見て柔軟に「自分たちのサッカー」を決める。それもまた大事だ。
遠くブラジルから常に日本のことを思う「神様」の提言は、最後まで重く響いていた。【取材・構成=菅家大輔】
◆ジーコ(アルトゥール・アントゥネス・コインブラ)1953年3月3日、リオデジャネイロ生まれ。フラメンゴの主軸として81年トヨタ杯(現クラブW杯)を制覇。4度のブラジル全国選手権優勝を達成した。83年にセリエAウディネーゼに移籍。得点ランク2位となった。76年にブラジル代表に初選出。78年、82年、86年と3度W杯に出場したが最高順位は8強。91年に現役復帰して住友金属(鹿島の前身)に入団し94年までプレー。02年に日本代表監督に就任し、日本を06年ドイツW杯に導いた。