表情が柔らかくなった。
キリンチャレンジカップのパラグアイ戦後のミックスゾーン。久しぶりに植田直通を取材して受けた印象だ。
植田は右CBとして後半の45分間をきっちりとプレーし、2-0の完封勝利に貢献した。
振り返ると植田との出会いは彼が大津高校に入学したころだ。最初は寡黙な男だと思っていたが、取材を重ねるごとに素直に思いを口にしてくれる好青年だと感じるようになった。少しシャイだが、愛すべきキャラクターであった。
だが、高校選手権や年代別代表、そして鹿島アントラーズに入団するにつれて、試合後のミックスゾーンで会話をした植田の表情は、こわばり、なにやら構えているように感じた。それはA代表に選出されてからも同じだった。オープンではなかったと言うべきか、来るものに対し、未然に跳ね返していた印象だった。
しかしこの日は、質問を一度受け止めて、そこからしっかりと噛み締めて返答する余裕があったように思う。
この変化を彼に伝えると、柔らかい笑みを浮かべてこう語った。
「海外に行ったからかもしれないですね。日本にいたままでは分からなかったと思う」
ベルギーで求められた「変化」。
植田は2018年7月、5年半在籍した鹿島からベルギー1部リーグのセルクル・ブルージュへ移籍した。今季は開幕戦からCBとしてスタメンフル出場をするなど、守備の要として活躍している。
だが現在、チームはリーグ第6節終了時点で1勝5敗と大きく負け越している。苦しい状況の中で彼は「変化」を求められていた。
「どれだけ日本がやりやすかったかを痛感しています。言葉もそうだけど、日本人選手は言うことをしっかりと聞いてくれる。でもベルギーリーグは『自分が、自分が』で、自分がステップアップしてやるという欲望が強い選手が多い。それがいい方向に出るときもあれば、悪い方向に出るときもある。
そういう選手たちを束ねる難しさを日々感じていて、CBの重要性を改めて実感しています。もっともっとチームのためにやらなきゃいけないのに、それをチームに伝えきれていない自分に今、むしゃくしゃしています」
植田の口から出てきた「束ねる」という言葉。これまでの植田はどちらかというと、「束ねられる」CBであった。
DFにコンバートされたのは大津高に入ってから。しかも、中学時代までテコンドーの世界大会に出場するなど、サッカーとの二足のわらじを履いていた。
U-16日本代表に大抜擢された時も、U-17W杯に出場した時も、CBコンビを組む岩波拓也(浦和レッズ)がDFリーダーだった。抜群の対人能力と空中戦の強さ、キック力を誇る植田を岩波がコントロールする関係性だ。
大津高では1年のときから先輩の車屋紳太郎(川崎フロンターレ)とCBコンビを組み、巧みなラインコントロールや指示を受けてプレーした。高3時こそキャプテンとしてDFリーダーを務めたが、鹿島に入団してからは昌子源が最終ラインを統率。もちろん、日本代表では吉田麻也、昌子がいる。
当時、昌子は植田について「ナオはまだ試合中に静かなところがある。自分の判断を周りに伝えずに動いてしまうときがあるので、そこは僕が本当に『これでもか』というくらい声をかけています。正直、僕も自分が寄せている時は周りの状況が分からないこともあるし、その時はナオにも声を出して欲しいと思っているので、それも伝えています」と語っていた。
彼は自分がやるべきことをやる職人気質というべきか、黙々と己の任務を遂行するタイプであった。
ところがベルギーへ渡ると状況は一変した。多くが自分より年下の選手で、さらに成り上がりを望む我の強い選手も多い。
「今までは周りがちゃんとやってくれるので、僕は普通に自分の長所を出せばいいなと思っていましたが、ここでもっと自分が引っ張らないといけないという気持ちが芽生えました。今のチームだと僕は年上の方だし、やっぱり経験がない選手が多くて、失点をする度にどんどん落ちて行ったり、気持ちで左右される選手が多い。
そういうのを見ていると、僕が引っ張らないといけないし、そうしないと評価されないと思うようになった。ただ、やっていることはそこまで変わっていない気はするんですよね。気持ちの問題かなと僕は思っています」
束ねられる側から束ねる側へ。チームにおける立場が変わったことで、彼の中に大きな変化が生まれたのだった。
「リーダーになる以上、守備の狙い目をより共有しないといけないし、周りと連動しないといけない。やっぱり味方に狙わせたいし、僕自身も狙いたいポイントがある。そこをいかに周りを動かしながらやっていけるか。自分が狙いたいポイントを周りの状況を整えてから自分が行くこともしますし、もう1人のCBに狙わせることもする。それを形にするために必要なのはやっぱり『声』ですね。一番はそこです。
最初は当然言葉も分からなかったのですが、喋れないからって黙っていたら話にならないし、分からないなら分からないなりに最初から精一杯伝えていた。今は言葉も徐々に分かるようになってきたからこそ、細かい部分も伝えられるようになってきた。サッカー面でコミュニケーションに問題はないので、ベルギーに行って、『人を動かす力』は身についたと思っています」
人を動かす力。これこそ、彼がミックスゾーンで見せた「柔らかさ」の要因であった。
そして、自身が実感する成長を、代表のピッチでもしっかりと表現した。
パラグアイ戦、植田はアクションを交えながら指示をするシーンが目立った。パラグアイが移動の疲れか精彩を欠いていたことは事実だったが、植田と吉田がコントロールする守備は非常に安定していた。
「僕はブルージュでラインの上げ下げだったり、コントロールを細かくやってきた自負もあったし、前半から出ている麻也くんよりも、僕の方が途中出場でフレッシュだったこともあって、意識的に声かけをしたり、僕が中心となってコントロールをする部分が出てきたという手応えはあります。
これからアジアの戦いが始まります。自分たちが押し込む時間帯は増えるけど、相手には一発がある。必ず1回はピンチがあるからこそ、CBのリスクマネジメントは本当に重要。周りが気づけなくても、僕が気づけるようにしたいと思います」
そう話す植田の目は、高校時代から変わらない鋭さがある。だが、口調はすぐに柔らかくなった。
「やっぱり同じ日本人ってだけで、本当にやりやすさが違いますね。話も密な部分ができるし、『こうしたい』と自分の意思を確実に伝えることができる。そこは凄くやりやすいし、楽しかったです」
思わず「成長したね」と問いかけた。
「はい、成長しましたね(笑)。僕ってやっぱり話しかけづらかったと思うんですよね(笑)」
筆者との会話を終えた後、先に進んだミックスゾーンの端っこで、再びメディアへの質問にハキハキと答えていた。気がつけば、ミックスゾーンを通過した全選手の中で最後まで残っていたのが植田だった。
その姿を見ながら、改めて筆者は初めて会ったときとのことを思い出していた。
高校1年生とは思えない身体能力を持ちながらも、ここまで荒削りな選手はなかなか見たことがなかった。これから磨かれようとしているダイヤの原石は、いびつな形だったが、とても眩しく見えた。本当に素直な少年だった。
その要素は現在も持ち合わせながら、彼は大人になった。
ミックスゾーンで醸し出した柔らかさは、まさに成長の証でもあった。吉田、昌子だけではない。新たなDFリーダーはここにいる。彼は今、その主張を表現しようとしている。
◆吉田麻也、昌子源だけじゃない。 植田直通に芽生えたリーダーの自覚。(Number)