日刊鹿島アントラーズニュース
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2017年6月29日木曜日
◆「ガクとは話し合ったけど…」 主力引き止めに頭を悩ませるテネリフェSD(ゲキサカ)
昇格プレーオフ決勝でヘタフェに敗れ、1部昇格を逃したテネリフェは来シーズンの陣容編成に向けて動き出しているが、多くの選手がチームを離れる可能性があるようだ。
スペイン『アス』によると、契約を更新していないMFアーロン・ニゲスはクラブに残留しないと見られ、1年契約を残しているDFヘルマン・サンチェスにはグラナダからオファーが届いているようだ。さらに、FWアントニー・ロサノ、FWタイロン・デル・ピノ、MFアマト・ディエディウ、そして柴崎の去就も不透明とされている。
アルフォンソ・セラーノSDは「ガクやアマト、ロサノのような選手は我々も引き止めたいが、彼らには1部からオファーが来るであろうことも理解している」と語ると、「ガクとは話し合ったけど、彼は我々にとても感謝していたんだ。彼の場合、残ってくれるとしたら経済的な理由というよりもセンチメンタルな理由になるかもしれない」と続けている。
昇格プレーオフの4試合で1得点2アシストと結果を残した柴崎にはベティス、アラベス、マラガ、セルタなどが興味を示していると報じられている。
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?219900-219900-fl
◆柴崎岳、来季もテネリフェ残留か。会長が明かす「彼は幸せ。残りたがっている」(フットボールチャンネル)
スペイン2部のテネリフェの首脳陣が、元日本代表MF柴崎岳の去就について言及している。スペイン紙『アス』が伝えている。
柴崎は今年2月に鹿島アントラーズから完全移籍で加入。契約期間は今年6月末までとなっており、今夏でフリーとなる。
一部報道ではテネリフェが1部昇格を遂げた場合には契約延長するともいわれていたが、昇格プレーオフ決勝でヘタフェに敗れている。
テネリフェは今季リーグ戦で13得点を挙げたセネガル人FWアマト・ヌディアイェがアトレティコ・マドリーから、9得点を挙げたホンジュラス代表FWチョコ・ロサーノがホンジュラスのオリンピアからの期限付き移籍であるため、来季はそれぞれの所属クラブに戻ることになる。
多くの選手を他クラブからの期限付き移籍で獲得しているテネリフェにとっては、主力選手がこの夏に相次いでクラブを去る可能性もあるが、アルフォンソ・セラーノSDは「我々は柴崎、アマト、ロサーノを残したいと思っているが、彼らが1部からのオファーを期待していることを我々は理解している」と記者会見で語っている。
一方、テネリフェのミゲル・コンセプシオン会長は「彼は幸せを感じており、ここに残りたがっている。我々はすでに彼の代理人と交渉している」と、柴崎との契約延長を希望していることを明かした。
報道によれば、柴崎にはベティス、アラベス、セルタ、マラガといったリーガエスパニョーラのクラブが興味を示している。
【了】
https://www.footballchannel.jp/2017/06/28/post219439/
◆ケルンが異例、“交渉決裂”を公式発表…大迫の相棒FWの中国移籍は破談に(ゲキサカ)
日本代表FW大迫勇也が所属するケルンは28日、中国スーパーリーグの天津権健への移籍が報じられていたフランス人FWアントニー・モデスト(29)について、交渉が決裂したことをクラブ公式サイトで発表した。
モデストはドイツ『ビルト』などで移籍金3500万ユーロ(約44億6300万円)での完全移籍が濃厚と伝えられていたが、クラブによると、天津権健と合意に達することなく、28日に交渉が中止されたという。
大迫の相棒としてケルンの攻撃をけん引するモデストは、今季のブンデスリーガでチームトップ(リーグでは3位)の25得点を記録。ケルンとの契約は2021年6月30日までとなっている。
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?219941-219941-fl
◆カシマスタジアム「完全分煙」 東京五輪へ改革1歩(ニッカン)
鹿島アントラーズの本拠カシマスタジアムが、20年東京五輪に向けた改革の第1歩を踏み出した。先月の日本協会理事会でサッカー競技の追加開催地に承認され、来月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で正式決定する見込み。IOCは「たばこのない五輪」を推進しており、茨城県、鹿島、JTの3者で協議を重ねて、今季開幕から「完全分煙」を実現している。
昨年2月、茨城県議会で、公共施設の喫煙環境について議論されたことも発端となった。昨季までは屋外コンコース内に数十カ所、灰皿が設置され、ハーフタイム時などは煙が立ち込めることもあった。家族連れから「子どもが多く訪れる場所として改善してほしい」の声も届いた。県事業推進課担当者も「吸う方、吸わない方それぞれを尊重する上で、場所や規模を考えた」として、ゲートを出ることなく移動できる、隔離された5カ所に喫煙所を新設した。
Jリーグの本拠としては12年に日産スタジアムで競技場内完全禁煙に移行してから、全国で急速に分煙が進んでいる。JTによると現在の成人日本人男性喫煙率は29・7%。ピークだった66年の83・7%からは激減したが、約3分の1は喫煙者だ。国会でも受動喫煙防止対策などを盛り込んだ健康増進法の改正が進められている。マナーを守る日本人の特性を生かした「分煙」も、日本流のスポーツ観戦の楽しみ方かもしれない。
https://www.nikkansports.com/soccer/news/1846846.html
◆鹿島庄野新社長が抱負「世界に勝てるチーム作りを」(ニッカン)
J1鹿島アントラーズは28日、茨城・鹿嶋市内で臨時株主総会ならびに取締役会を行い、庄野(しょうの)洋氏(64)の新社長就任が決定した。
庄野社長は「さらに、みんなに愛される強いビッグクラブにしたい。世界に勝てるチーム作りをしていきたい。サッカーもビジネス。良い選手を集めて、良い結果を出して、良い利益を出す」と抱負を語った。
庄野社長は1953年(昭28)4月21日、福岡県北九州市生まれ。八幡中央高-九大を経て、76年4月に住友金属工業入社。今年4月から鹿島の非常勤取締役に就任していた。
前社長の井畑滋氏は、クラブに残り、取締役に就任した。
また、役員も以下の通りに決定した。
※代表取締役社長 庄野洋
常務取締役 鈴木満(強化部長委嘱)
取締役 鈴木秀樹(事業部長委嘱)
取締役 関口一行(総務部長委嘱)
※取締役 井畑滋(相談役委嘱)
取締役(非常勤) 錦織孝一(鹿嶋市長)
取締役(非常勤) 保立一男(神栖市長)
取締役(非常勤) 原浩道(潮来市長)
取締役(非常勤) 鬼沢保平(鉾田市長)
取締役(非常勤) 鈴木周也(行方市長)
取締役(非常勤) 塙秀雄(鹿島都市開発・代表取締役社長)
取締役(非常勤) 大久保和行(三菱ケミカル・常務執行役員鹿島事業所長)
取締役(非常勤) 友野宏(新日鉄住金・相談役)
取締役(非常勤) 竹中弘明(新日鉄住金・執行役員鹿島製鉄所長)
取締役(非常勤) 小松美裕(日鉄住金ビジネスサービス鹿島・代表取締役社長)
※監査役 木村敬一(常勤監査役)
監査役(非常勤) 津加宏(新日鉄住金・関係会社部長)
監査役(非常勤) 有田進之介(新日鉄住金・鹿島製鉄所総務部長)
※は新任
https://www.nikkansports.com/soccer/news/1847105.html
◆鹿島、社長交代を正式発表、井畑氏の後任は庄野氏に決定…チームはリーグ戦3連勝(サッカーキング)
鹿島アントラーズは28日、取締役会の決議によって代表取締役社長に庄野洋氏が就任したことを発表した。
3月30日に庄野氏の次期代表取締役社長に就任が予定されていたが、今回正式にその任にあたることになる。
これに伴い、前社長の井畑滋氏は同日付で取締役相談役に就任する予定だ。
鹿島は明治安田生命J1リーグで10勝5敗の勝ち点「30」でリーグ3位につけている。5月31日に石井正忠前監督が解任、後任として監督業に就任した大岩剛監督がチームを立て直しリーグ戦3連勝を達成した。
鹿島は次節、7月2日に柏レイソルとアウェイで対戦する。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20170628/606034.html?cx_cat=page1
◆鹿島土居、新婚初弾でアウェー4連戦に勢いつける(ニッカン)
鹿島アントラーズは28日、茨城・鹿嶋市内で約1時間半の練習を行い、FW土居聖真(25)がアウェー4連戦全勝を誓った。
7月2日の柏レイソル戦(柏)から、ガンバ大阪戦(5日、吹田S)、FC東京戦(8日、味スタ)、天皇杯モンテディオ山形戦(12日、NDスタ)と続くが「相手が強いし、日程も厳しいし、全部アウェーだし、これ以上厳しいことはない。でも逆に一丸となって良い成績が出せれば勢いがつくし、首位も見えてくる。今後に関わってくる重要な試合なのは確か。歯をくいしばって戦いたい」と力強かった。
まずは2日の首位柏戦。昨季はホーム、アウェー2戦とも0-2で敗れている。柏の守備に対し「ガツガツというより、クールな感じ。バランスがすごく良い」と警戒した。今季チームの攻撃陣で唯一、リーグ全試合出場も、わずか1得点には満足していない。今月7日には一般女性との結婚を発表したばかり。新婚初弾でアウェー4連戦に勢いをつけるつもりだ。
https://www.nikkansports.com/soccer/news/1847145.html
◆【黄金世代】第3回・小笠原満男「18歳の決断~なぜ常勝・鹿島を選んだのか」(#3)(サッカーダイジェスト)
どことやっても上回れた。大きな自信になったよね。
ワールドユース開幕を目前に控え、小笠原満男はフィリップ・トルシエ監督の信頼を得て、先発の座を確保していた。
フラット3の前にアンカーを置き、ダブルトップ下と両ウイングバックが横一線に並び、最前線には2トップが構える。その3-1-4-2システムで、小笠原は小野伸二とともに、2列目でコンビを組んだ。
「大会が近づいても、いいのかな俺でって感じだった。もちろん嬉しいんだけど、先発を獲ったって実感はなかったんだよね。で、トルシエはこう言った。『小野は攻撃が7、守備が3。お前は攻撃が3、守備が7だ』って。
まあ逆じゃ守備は成り立たないと思ってたし、シンジのチームだから、俺はその周りを動きながらってイメージはできた。ちょうど鹿島で、ビスマルクとやってたしね。彼を押し立てるようにプレーしてたから、同じような関係だなと思って。違和感はなかったし、異議もなかった。チームのためと思って納得してたよ」
U-20日本代表はグループリーグ初戦でカメルーンに逆転負けを喫したものの、その後はアメリカとイングランドを連破し、決勝トーナメントに進出。快進撃は止まらず、ポルトガル、ウルグアイ、メキシコと強豪をなぎ倒し、ついに決勝にまで駒を進めた。
「結果を見てもそうだけど、ボール回しとか試合内容でも上回れたというところで、すごく充実感があった。それまで日本が世界で戦う時って、なんとか耐えて耐えて1点取って勝つってのがイメージとしてあった。アトランタ五輪でブラジルに勝った時とかもそうだったよね。試合内容で勝ったかというとそうではない。それがワールドユースでは、どことやっても内容でも上回れた。あれは俺らにとって本当に大きな自信になったから」
そんななか、小笠原はひとりの選手の振る舞いに感銘を受けていたという。鹿島アントラーズで僚友となっていた曽ケ端準だ。
彼は3番手のGKとして帯同していたが、唯一のバックアップメンバーだった。つまり、榎本達也か南雄太が怪我でもしないかぎり、大会にはエントリーされない。メンタル面で相当に追い込まれていたはずだ。
「ベンチにさえ入れないから、最初は早く帰りたいって感じだったけど、本当によく俺らを盛り立ててくれてさ。準々決勝の前だったかな、『ここまで来たら絶対勝てよ』ってみんなに言ってて。あいつのためにも頑張らないとなって思ったよね。勝てば勝つほどチームがひとつになっていった。勝ってまとまっていくってこういうことなんだって、実感できた」
おめでとうって言われて、すごく違和感があった。
だが、決勝のスペイン戦は惨敗に終わった。
「(出場停止だった)シンジがいればちょっと変わってたかもしれないけど、やっぱり強かったよ。トルシエが『シャビはバルセロナでレギュラー獲ってんだぞ』とか言ってて、みんなで嘘でしょ、どんなもんなのって疑ってた。イナがガッツンガッツン行けばなんとかなるだろうって。大間違いだったね。あのイナをもってしても止まらなかった。身体はどっちかって言うと華奢でしょ。日本人が目ざすプレー像なのかもしれないなって思った。フィジカル勝負じゃなく足も速くないけど、判断と技術が図抜けてたよ。
決勝は、個人としてもチームとしてもなにもできなかった。ただただ圧倒された。トントントンって勝ち続けて、行ける、強いぞって思ってたところで、ガツンとやられた。でもさ、俺らが成長するためには、すんなり勝つより良かったのかもしれない」
大会を終えて、成田空港に降り立った彼らを待っていたのは、熱狂的なファンによる手厚い出迎えだった。健闘を称えてもらうのは、素直に嬉しい。だが、どこかで違和感を覚えていたという。21人のメンバーすべてがだ。。
「まだ決勝で負けた悔しさが残ってて、誰ひとり準優勝で『よくやったな』とは思ってなかったから。おめでとうって言われて、すごく違和感があったのを覚えてる。上には上がいるってのを噛み締めながら、もっとやらなきゃって思ってた。みんな一緒だよね」
あの銀色の進撃から、18年が経った。ナイジェリアで戦った伝説の21名で、いまでも現役を続けているプレーヤーは12名にのぼる。いまでもやはり、気になる存在だ。
「俺らの世代は互いに負けたくないし、意識し合う。いい意味でね。俺なんかはみんなが活躍したら本当に嬉しいし、その一方で、活躍すればするほど俺も負けてられないって気持ちにもなる。ずっと刺激し合ってきた。周りがどう見てるかは分からないけど、俺はみんなをそういう目で見てる」
ドラフトで言えば6人中6位。補欠だよ。
とりわけ小笠原にとって、鹿島で同期の本山雅志と中田浩二は、スペシャルな存在であり続けた。
1998年、鹿島の新卒入団は、後にも先にもないスーパータレント6人衆だった。小笠原、本山、中田はもとより、ユースチームから昇格の曽ケ端、熊本の大津高校からきた天才肌のプレーメーカー・山口武士、そして、奈良育英高校の攻撃的な左サイドバック・中村祥朗という顔ぶれ。いずれも清雲栄純監督が率いるU-18日本代表の常連だった。
わたしは絶対に同意しないが、そこでも小笠原は「6番目だった」と主張する。
「ドラフトで言えば6人中6位。最後に決まったからね。豪華だったのはモトと中田なのであって、俺は注目選手でもなんでもない。補欠が獲れちゃったんだよ」
高校・ユース担当だったわたしは、当時の鹿島の名スカウトコンビと懇意にさせてもらっていた。平野勝哉さん、椎本邦一さんのふたりだ。
20年前のスカウト事情は、いまほど成熟していなかったかもしれない。ヤングタレントの潜在能力と伸びしろを見極め切れず、評判なり知名度、あるいは全国大会や世代別代表での経験を基本情報に、容易くプロの世界に導いていたクラブが少なくなかった。入団から1、2年で放出されるティーンネイジャーを何人も見ていた。
そんななか、鹿島は段違いの価値基準を持ち、高校生たちに個別の近未来設計を提示していたのだ。小笠原はこう証言する。
「正直、何チームかが声をかけてくれた。10番を用意して待ってるとか、レギュラーとして即戦力で迎えるとか、俺の中ではなんでそうなるのかなって不思議だった。でも、鹿島の平野さんと椎本さんだけは、はっきり言ってくれたんだよね。うちは来てもそう簡単じゃないよって。
ただ、きっとやりがいはある。数年かけてこのチームでレギュラーを獲れれば、間違いなく代表にもつながる。それだけのチームで、可能性があるから声をかけたんだって。そこにグッと来たわけ。そういうチームでやりたいって思った」
モトが「みんなで一緒に強くしよう」って言ってきてくれた。
だが、小笠原は決心できずにいた。秋を前に中田が決まり、本山が決まり、「これは試合に出れないなぁ」と考え始めていたからだ。
そんな折、U-18日本代表の合宿で本山に掛けられた言葉が、背中を押したという。
「すごい迷ってて、やっぱり厳しいかなと思ってたところで、モトが『みんなで一緒に強くしよう』って言ってきてくれた。ちょっと軽い感じでね。心が動いたというか、みんなで競争しながら成長していくってのが、イメージできたんだよね。
まさか現実になるなんてあの時は思ってもみなかったけど、結果的にはライバルがいて良かったんだと思う。中田が最初に出始めて、その後でモトが活躍したり。シンジとの関係もそうだったけど、いい距離感、いいライバル心でお互い切磋琢磨できたから、ここまでやってこれた」
みずからを「6番目」と話した男は、やがて、常勝軍団のシンボルになっていく。
<♯4につづく>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
※7月4日配信予定の次回は、鹿島アントラーズにおける20年間の波乱万丈を紐解き、ひとりのプロフットボーラーの成長の記録を追います。イズムの継承者としての矜持とは──。ディープトーク満載です。こうご期待!
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PROFILE
おがさわら・みつお/1979年4月5日生まれ、岩手県盛岡市出身。地元の太田東サッカー少年団で本格的にサッカーを始め、小6の時には主将としてチームを率い、全日本少年サッカー大会に出場。中学は市立大宮中、高校は大船渡に進学。インターハイや選手権など全国の舞台で活躍し、世代別の日本代表でも常連となり、東北のファンタジスタと謳われた。1998年、いくつかの選択肢から鹿島アントラーズに入団。翌年にはU-20日本代表の一員としてナイジェリアでのワールドユースに主軸として臨み、準優勝に貢献する。鹿島では在籍20年間(2006年8月から10か月間はイタリアのメッシーナにレンタル移籍)で7度のリーグ優勝を含む16個の国内タイトルをもたらし、Jリーグベストイレブンに6回選出、2009年にはJリーグMVPに輝いた。日本代表ではワールドカップに2度出場(2002年・06年)し、通算/55試合出場・7得点。Jリーグ通算/507試合・69得点。173㌢・72㌔。O型。データはすべて2017年6月27日現在。
http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=27260
◆鹿島・昌子、小学生との交流に笑顔 「将来、一緒にプレーする選手が出てきてほしい」(サンスポ)
サッカーJ1鹿島の日本代表DF昌子源(24)とDF小田逸稀(18)が28日、茨城・神栖市立柳川小を訪れ、全校児童110人と交流を深めた。
選手たちがホームタウンの小学校を訪問する活動の一環で、この日は昌子と小田が同校へ、FW鈴木優磨(21)とMF安部裕葵(18)が同じ神栖市の市立太田小を訪れた。
約1時間、ミニサッカーなどで交流。昌子が「元気をもらえ、次の試合も頑張ることができる。将来、鹿島で一緒にプレーする選手が出てきてほしい」と話せば、小田は「チームでは僕は若いのに、みんな元気で疲れた。子供たちの笑顔を見られてよかった」と振り返った。
中には鹿島のユニホームを着用して参加した児童もおり、同校の方波見諭(かたばみ・さとる)校長(53)は、「地元鹿島の選手たちがくるのをみんな楽しみにしていた子がほとんど。サッカーやっている女子も多くなっており、いい交流になった」と話した。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20170628/jle17062816560007-n1.html
◆鹿島・昌子らが小学校訪問、ミニサッカーなどで交流(サンスポ)
鹿島の日本代表DF昌子とDF小田が28日、午前の練習後にホームタウン活動の一環で茨城・神栖市の市立柳川小を訪問。1~6年までの110人と約1時間、ミニサッカーなどで交流した。子供たちと汗を流した昌子は「アウェーの連戦を前に元気をもらえた。将来、鹿島で一緒にプレーする選手が出てきてほしい」。小田は「みんな元気で疲れた。子供たちの笑顔を見られてよかった」と満足そうだった。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20170629/jle17062905010001-n1.html
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