日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年1月24日水曜日

◇1 級審判員今季引退者と新 1 級審判員を併せて発表…W杯担当の名木など(サッカーキング)






 日本サッカー協会(JFA)は23日、2017シーズン限りで引退することになった1 級審判員と、新1 級審判員を併せて発表した。

 扇谷健司は、これまでJ1レフェリーとして222試合、J1アシスタントレフェリーとして23試合、J2レフェリーとして101試合、J2アシスタントレフェリーとして14試合を担当していた。

 また、名木利幸はこれまでJ1アシスタントレフェリーとして326試合、J2アシスタントレフェリーとして120試合を担当。2014FIFAワールドカップでもアシスタントレフェリーとして活躍した。

 引退発表された1 級審判員と新1 級審判員は以下のとおり。

 名前(フリガナ) 生年月日/登録年

■サッカー1 級審判員引退者
藤田稔人(フジタトシヒト) 1977年12月24日生まれ/2005年
宮島一代(ミヤジマカズシロ) 1967年12月17日生まれ/1998年
前之園晴廣(マエノソノハルヒロ) 1967年6月4日生まれ/2001年
扇谷健司(オオギヤケンジ) 1971年1月3日生まれ/1999年
名木利幸(ナギトシユキ) 1971年11月29日/1996年

■サッカー女子 1 級審判員引退者
今泉奈美(イマイズミナミ) 1978年11月6日生まれ/2004年
間渕三香子(マブチミカコ) 1993年6月15日生まれ/2015年
樽本好美(タルモトヨシミ) 1981年2月26日生まれ/2002年
河添三代子(カワゾエミヨコ) 1980年2月8日生まれ/2008年

■サッカー新 1 級審判員
荒上修人(アラガミシュウト) 1995年9月2日生まれ
高橋悠(タカハシユウ) 1984年10月23日生まれ
清水拓(シミズタク) 1984年11月3日生まれ
松尾明徳(マツオアキノリ) 1988 年 9 月 13 日生まれ
長嶺滉希(ナガミネコウキ) 1991年11月1日生まれ
田邉裕樹(タネべユウキ) 1990年2月3日生まれ
舟橋崇正(フナハシタカマサ) 1987年7月6日生まれ
原田雅士(ハラダマサシ) 1992 年 5 月 27 日生まれ
廣瀬成昭(ヒロセナリアキ) 1989 年 8 月 25 日生まれ
高崎航地(タカサキコウジ) 1992 年 10 月 25 日生まれ
原田大輔(ハラダダイスケ) 1985 年 4 月 3 日生まれ

■サッカー新女子 1 級審判員
上田千尋(ウエダチヒロ) 1990年11月28日生まれ
山口鈴佳(ヤマグチスズカ) 1996年6月24日生まれ
中本早紀(ナカモトサキ) 1989年11月13日生まれ
廣田奈美(ヒロタナミ) 1997年11月19日生まれ
赤木陽美(アカギミナミ) 1995年9月2日生まれ

■フットサル新 1 級審判員
伊豫永守(イヨナガマモル) 1984年10月20日生まれ
高木秀信(タカキヒデノブ) 1978年11月30日生まれ

1 級審判員今季引退者と新 1 級審判員を併せて発表…W杯担当の名木など


◆鹿島・内田篤人も実践した「縄跳びトレーニング」がなんだか楽しそう!(CYCLE)


鹿島、内田もやった「縄跳びトレーニング」がなんだか楽しそう!

2週間近くにわたる宮崎キャンプの真っ最中である鹿島アントラーズ。

内田篤人の加入によって注目を集めているが、4日目のトレーニングでこんなシーンがあったようだ(01:47から)。



ファンクショナルトレーニングの後に行われたのは、なんと縄跳び!

一人で跳ぶものだけでなくチームメイトと3人一組になって通り抜けるメニューなど、なんだか皆楽しそう!レクリエーション的な意味合いもあるのかもしれない。

また、目を引くのは鹿島がこの映像を「宮崎4日目〜叱る篤人さんに、みんな楽しい縄跳びトレ〜 2018」というタイトルで紹介したことである。

Jリーグの各クラブもキャンプの様子を映像で紹介しているが、「○○キャンプ××日目 午前トレーニング」といったように無機質なタイトルが多い。これでは情報量があまりにも少なく、やはりユーザーの興味を引くことはできない。

鹿島は他にも「〜ハジける夢生さん、ドリブル競争も全力〜」といったようにキャンプ映像を紹介しており、いずれも1万回以上の再生数を記録している。こうした工夫は素晴らしい!

鹿島・内田篤人も実践した「縄跳びトレーニング」がなんだか楽しそう!


◆鹿島復帰の内田が右SBで復帰後初実戦 JFLテゲバジャーロ宮崎と(サンスポ)


鹿島復帰の内田が右SBで復帰後初実戦 JFLテゲバジャーロ宮崎と

 J1鹿島は23日、キャンプ地宮崎でJFLのテゲバジャーロ宮崎と練習試合を実施。

 今冬、ブンデスリーガ2部ウニオン・ベルリンから完全移籍し、2010年以来8季ぶりに古巣に戻った元日本代表DF内田篤人が、右サイドバックの位置で復帰後初の実戦に臨んだ。

 試合はFW土居聖真の先制点など、前半を終えて鹿島が3-0でリードしている。

鹿島復帰の内田が右SBで復帰後初実戦 JFLテゲバジャーロ宮崎と

【参考】
ANTLERS TODAY(2018/01/23)
photo
テゲバジャーロ宮崎と練習試合を行い、土居選手、昌子選手、安部選手、レアンドロ選手、金森選手、山口選手のゴールで6-0と勝利しました。 

◆鹿島・ウッチー、井手口にエール「試合に出て自分の居場所をつくればいい」(サンスポ)




 鹿島の元日本代表DF内田が22日、“欧州組”の後輩にエールを送った。スペイン2部、クルトゥラル・レオネサに移籍したMF井手口が21日にデビューを飾った。同じ21歳でドイツに渡った自身と重ね合わせ「僕は多くの人に支えられた。言葉ができなくても試合に出て自分の居場所をつくればいい」。合宿中のチームは、約2時間の調整。23日にはJFL宮崎と練習試合を行う。 (宮崎市)




◆“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(サンスポ)




 【思い出の地/ザ・ミュージアム】 各界で活躍するプロたちの軌跡をたどる『思い出の地』の第4回は、サッカーJ1鹿島の主将MF小笠原満男(38)が高校3年間を過ごした岩手・大船渡市を紹介。部活や恋愛など青春の思い出が詰まった港町は、2011年の東日本大震災で大きなダメージを受けた。苦難を乗り越え、復興の道を歩む大船渡は、不屈の闘将の原点だ。 (取材構成・一色伸裕)

 入り組んだリアス式の海岸線が風光明媚(めいび)な陸前。三陸海岸から吹きつける冷たい海風に、吐息も白く曇る。

 「ここ(大船渡市)の復興は早い方だけど、陸前高田とかにはまだ津波の跡が残っているんだ」

 小笠原が寂しそうに語った。生まれ故郷・盛岡市の親元を離れ、大船渡高サッカー部の斎藤重信監督(70)=現盛岡商高総監督=の自宅に下宿した。大船渡市は「育ててもらった場所」であり、特別な町だ。2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた。小笠原は高校3年間を過ごした“第二の故郷”の復興を強く願う。

 高校時代は朝から晩までボールを追いかける日々。「サッカーの思い出しかない」と小笠原は話すが、そこは高校生。甘酸っぱい青春の記憶もいっぱいだ。00年8月に結婚した夫人のかおりさんは、当時のサッカー部マネジャー。電車で約1時間の隣町、陸前高田市から通学していた同級生だった。

 部活に熱中していた2人にとってデート場所は学校だった。同僚の今野当(あたる)さん(38)は「よく2人でいましたね。もう時効だからいいますけど、部室で仲良く話していましたよ」と当時を懐かしむ。

 練習に真剣に打ち込み、終了後はかおりさんを最寄り駅まで送ると、下宿の門限に間に合うように帰宅。会えないときもあったが、そんなときは今野さんの実家が経営する旅館に仲間で集まり、恋愛話やサッカー話で盛り上がった。

 思い出が詰まった町を襲った大震災。大船渡、陸前高田はその面影すら失った。あれから間もなく7年。復興へ一歩ずつ歩みを進める一方、被災地にも当時を知らない子供たちが増えている。時間とともに記憶が風化しつつあるのも現実だ。長年、被災地の支援を続ける小笠原は「地震、津波を語り継いでいく必要がある」と強く説きつつ、「サッカーができる喜びを感じてくれている」とボールを蹴る子供たちに優しい視線を送る。

 自身を育んでくれた大好きな大船渡の町で、サッカーで思い出をつくり、巣立っていく。小笠原は子供たちと自身を重ね合わせ、これからも故郷を見守り続ける。

★恩師は見た

 小笠原の恩師・斎藤重信監督は、下宿していた複数の生徒をわが子のように育てた。自ら朝昼晩の食事をつくり、サッカーや恋愛、進路など「人生の壁」にぶつかる子供たちを支えた。“父親”として小笠原のこともすべてお見通しだった。「こそこそやっていたつもりだろうけれど、知っていたよ。送られてくる電話の明細をみるとマネジャー(かおりさん)の家の番号ばかりだった」。“息子”の恋愛の行方をそっと見守っていたという。

★人工芝のグラウンド作りました

 東日本大震災後、小笠原は大船渡高時代に苦楽をともにした同僚・今野さんらと『東北人魂・岩手グラウンドプロジェクト』を立ち上げた。津波で被災した大船渡市旧赤崎小跡地に、昨年12月27日、天候に左右されない人工芝のグラウンドをオープンさせた。「被災地を見ることのない全国の子供たちも招待し、なにかを感じてほしい。地元の活性化につながればと思う」と復興への熱い思いを語った。

★取材後記

 多くを語らない不言実行の男。それが小笠原だ。内に秘めた闘志を持ち、ピッチでは体を張ったプレーで仲間を鼓舞する。

 口数は少ないが、勝負にこだわるその言葉には力がある。昨年9月のJ1新潟戦。2点を追うハーフタイムの更衣室で「相手の方が勝ちたい気持ちを出しているし、そこからして相手に負けている」と発破をかけた。すると、チームは4-2の逆転勝利を収めた。

 万事において妥協を許さない。勝利のためには己にも仲間にも高い要求をする。小笠原の“闘将”たるゆえんがそこにある。 (伸)

小笠原 満男(おがさわら・みつお)

 1979(昭和54)年4月5日生まれ、38歳。岩手・盛岡市出身。大船渡高3年時に全国高校選手権で16強に入り、大会優秀選手に選ばれる。98年Jリーグ鹿島に入団。同年4月15日のG大阪戦でリーグ戦初出場。2006年8月に当時セリエAのメッシーナへ移籍。07年鹿島に復帰し、リーグ3連覇などに貢献。09年にはJリーグMVPを獲得した。日本代表としてW杯には02、06年大会に出場。J1昨季19試合3得点、同通算511試合69得点。代表通算55試合7得点。1メートル73、72キロ。

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(1)

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(2)

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(3)

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(4)

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(5)

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(6)

“不屈の闘将”鹿島・小笠原の原点 青春の記憶が岩手・大船渡市に凝縮(7)


◆鹿島に“新キャラ“誕生!新DF安西幸輝、「サンシャイン池崎」の一発芸が凄い(CYCLE)


鹿島に“新キャラ“誕生!新DF安西幸輝、「サンシャイン池崎」の一発芸が凄い

宮崎県で行われている鹿島アントラーズのキャンプ。

7日目を迎えた21日(日)には、地元の小学生を集めてのサッカー教室が開かれた。

その冒頭、柳沢敦コーチが子供たちに挨拶すると、その後20歳のDF町田浩樹にマイクをパス。「サンシャイン町田選手」と呼び開会宣言を託すと…



この無茶振りに対し、町田は全力の「ジャスティス」で対応!85名にも及ぶ参加者の心をしっかりと掴んだ。

そして、この盛り上がりを見た柳沢コーチは新加入のDF安西幸輝を呼び、一発芸をお願い!

すると安西は町田をも凌ぐハイテンションで登場し、「サンシャイン安西」になりきってみせた。それにしても、「ちょっと休憩」はオリジナルすぎる!

鹿島に“新キャラ“誕生!新DF安西幸輝、「サンシャイン池崎」の一発芸が凄い


◆鹿島宮崎キャンプ セットプレーに重点(茨城新聞)


23日練習試合


J1鹿島の宮崎キャンプは22日、宮崎市のKIRISHIMAハイビスカス陸上競技場で午後練習を行った。今キャンプで初めてコーナーキックやフリーキックに取り組み、本番さながらの集中した雰囲気でゴール前の攻防を繰り広げた。

キャンプは前半戦を折り返し、小田は「みんな、モチベーションとコンディションが上がってきている。これからも新しい選手と戦術を擦り合わせていきたい」と表情を引き締めた。

23日にはJFLのテゲバジャーロ宮崎と今季初の練習試合を行う。開幕スタメン確保に向け燃える小田は「チームのやるべきことを意識しつつ、自分のプレーもアピールもしたい」と意気込んでいた。 (岡田恭平)

鹿島宮崎キャンプ セットプレーに重点

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