日刊鹿島アントラーズニュース
Ads by Google
2016年7月15日金曜日
◆浦和興梠、遠藤“壮行試合”大宮戦前売り5万枚突破(ニッカン)
http://www.nikkansports.com/soccer/news/1678597.html
17日の「さいたまダービー」浦和対大宮戦の前売り発券が5万枚の大台を突破した。14日午前の集計で、通算5万500枚に到達。両チームのサポーターを分ける緩衝帯を設ける関係で、浦和のホーム埼玉スタジアムのリーグ戦満員は5万5000人強だが、早くもそれに迫る売れ行きを示している。
浦和は13日のアウェー仙台戦で、後半ロスタイムにFW興梠が劇的な決勝弾。1-0で、鬼門と呼ばれ続けてきたユアテックスタジアムでの初勝利を挙げた。これで9年ぶりのリーグ戦5連勝。快進撃は、大宮戦入場券の売れ行きにも直結しているようだ。クラブスタッフは「ありがたいことです」と話し、当日券は販売できない見込みだとした。
小中高生は全席種550円で購入できる「Go(5)Go(5)Reds!(0)デー」に指定したことも実り、1試合平均約3500人の同世代入場者も倍増する見込みだ。大宮戦は第1ステージでも屈指の好内容。クラブは今回も両チームがスペクタクルな戦いを展開することで「またJリーグを見たい」という新規サポーター獲得につながることを期待している。
大宮戦で勝利すれば、10年ぶりのリーグ戦6連勝。10年前のシーズンは年間優勝していることもあり、ペトロビッチ体制悲願のタイトルへ向けた大きな1歩にもなる。この試合を最後に、リオデジャネイロ五輪に出場するDF遠藤、FW興梠は手倉森ジャパンに合流する。
メダルを目指し、最大で1カ月間チームを離れる2人の“壮行試合”という意味でも、大宮戦は注目の一戦になる。遠藤は「たくさんのお客さんに来場していただくこともあり、絶対に負けられない試合になると思います。しっかり勝って結果を出したいです」と話した。
◆小笠原“お休み”でキャプテンマークを巻いたMF永木亮太「アントラーズらしいサッカーができた」(the WORLD)
http://www.theworldmagazine.jp/20160714/03domestic/74968
ハイレベルなレギュラー争い勃発
13日に開催されたJ1リーグ2ndステージ第3節で名古屋グランパスと対戦した1stステージ覇者の鹿島アントラーズは前節からスターティングメンバーを5人入れ替え。キャプテンの小笠原満男やコンディションが万全ではない金崎夢生が出場を回避した。
今季、鹿島は小笠原不在の試合ではDF西大伍がキャプテンマークを巻いていたが、名古屋戦は西も欠場。ゲームキャプテンは、今季から鹿島に加入した永木亮太が務めた。その永木は名古屋戦、立ち上がりからボール奪取を連発するなど印象的なパフォーマンスを披露。試合終了間際に訪れた決定機でのシュートは枠を捉えることができなかったが、今季リーグ戦2度目のフル出場で3-0の完勝に貢献している。
名古屋戦後、永木はクラブ公式サイトを通じて「守備が良くて前からコースを限定して奪うことができていた」とコメント。「90分通して0で抑えられたのと、最後にセットプレイから点を取れ、アントラーズらしいサッカーができたと思う」と試合を振り返った。
また、自身の決定機については「あれは決めないといけなかった」と話し、「ヤス(遠藤康)がいいボールを出してくれたのに抑えることができなかった。あれは悔しい」と今季のリーグ戦初ゴールを逃したことを悔やんでいる。それでも、永木のパフォーマンスは素晴らしく、ベンチに控えていた小笠原がこの日ピッチに立つことはなかった。1stステージを制した鹿島は2ndステージが始まり今一度、小笠原満男、柴崎岳、永木亮太によるハイレベルなレギュラー争いが繰り広げられようとしている。
◆鹿島FW鈴木優磨、ゴールのほとんどが「85分以降」のもの(Qoly)
http://qoly.jp/2016/07/14/yuma-suzuki-scoring-times
今シーズンのJ1ファーストステージ王者、鹿島アントラーズ。
セカンドステージでは初戦のガンバ大阪戦に敗れはしたものの、続くサンフレッチェ広島との第2節は敵地で2-4と勝利している。
“オリジナル10”との試合はまだ続き、13日にはホームで名古屋グランパスと対戦。
前半のうちに中村充孝、山本脩斗が得点をあげ試合を優位に進めると、終了間際の87分に鈴木優磨がダメ押しとなる3点目を決めた。
鹿島アントラーズのアカデミーで育った鈴木。
かつてはJリーグユース選手権で優勝を経験しており、鹿島ファンからの期待も高い選手だ。
そんな鈴木といえば今シーズンの開幕戦であるG大阪戦で決めた決勝ゴールが記憶に新しいが、試合終盤によく点を取る選手だ。
2015年のプロデビュー後、公式戦でここまで6点をあげているのだがゴールした時間帯を見てみると…
2016 J1 2ndステージ 第3節
鹿島アントラーズ 3 - 0 名古屋グランパス
鈴木 優磨(87')
2016 J1 1stステージ 第15節
浦和レッズ 0 - 2 鹿島アントラーズ
鈴木 優磨(88')
2016 J1 1stステージ 第13節
名古屋グランパス 2 - 3 鹿島アントラーズ
鈴木 優磨(86')
※同点ゴール
2016 J1 1stステージ 第1節
ガンバ大阪 1 - 0 鹿島アントラーズ
鈴木 優磨(72')
※決勝ゴール
2015 J1 2ndステージ 第14節
鹿島アントラーズ 3 - 2 柏レイソル
鈴木 優磨(90'+1)
※決勝ゴール
2015 J1 2ndステージ 第10節
鹿島アントラーズ 1 - 2 ガンバ大阪
鈴木 優磨(90')
6点のうちなんと5点が85分以降のもの!ここまで続くのはスゴい…。
鈴木のゴールは終盤に多いだけでなく、同点弾と決勝弾が半分を占める。サポーターとしては心強い存在だ。
ちなみにこの鈴木、シーズン開幕前のプレシーズンマッチでも2点を奪っているのだが、それらの時間帯を見てみても…
いばらきサッカーフェスティバル2016
鹿島アントラーズ 2 - 1 水戸ホーリーホック
鈴木 優磨(87')
※決勝ゴール
レクザム presents 2016 Jリーグプレシーズンマッチ inさぬき
カマタマーレ讃岐 1 - 2 鹿島アントラーズ
鈴木 優磨(85')
※決勝ゴール
どちらも85分以降のもの!勝負強すぎ!!
◆日立・鹿島ダブル出場/中 1975年「住友金属鹿島硬式野球部」誕生 知事の一言で決意/茨城(毎日新聞)
http://mainichi.jp/ama-baseball/articles/20160714/ddl/k08/050/005000c
アントラーズから刺激
あの日の面会がなければ、チームは誕生していなかったのかもしれない。日鉱日立(日鉱)の休部から約1年半が経過した1974年7月。59年から16年間知事を務め、鹿島臨海工業地帯の開発に力を入れた岩上二郎知事は、知事室で住友金属工業(住金)鹿島製鉄所の赤羽正輝所長に声をかけた。「日鉱が休部になって、県内の社会人野球は寂しくなるね」
岩上知事は赤羽所長と面会する直前、その年の都市対抗野球への出場を決めた日立製作所(日製)野球部関係者から表敬訪問を受けていた。社会人野球が話題になったのは、その流れだったのか。知事との面会後、赤羽所長は「鹿島にも野球部をつくらないといかん」と思った。
だが本社からは反対された。企業スポーツに理解はあったが「1競技1チーム」が原則だったためだ。野球は51年創部の名門「住金野球団」(和歌山、99年解団)が存在しており、新たなチームをつくるという発想はなかった。
そこで赤羽所長が考えたのは、本社ではなく鹿島製鉄所がチームを持つこと。74年9月、創部を決め、75年1月に正式に発足した。住金が鹿島に進出してから約7年がたち「地域に根ざしたチーム」を目指した。発足当時、コーチ兼マネジャーを務めた松本桂一・県野球連盟副理事長(74)は「地元の高校生を中心に選手を集め育成を試みた」と振り返る。和歌山の野球団などからも選手に来てもらい、形を整えた。本社のチームは「野球団」だが、それと区別するため「野球部」とした。
チームは徐々に力をつけた。創部2年目の76年には社会人野球の日本選手権に出場。9年目の83年には都市対抗野球に初出場した。
□ □
チームが成長する中で大きな刺激を受けたのは、J1鹿島アントラーズの前身、住金蹴球(サッカー)団だ。戦後間もない47年、大阪本社の同好会として発足し、56年部(団)に昇格。野球部が誕生した75年に鹿島に本拠地を移した。
野球部も蹴球団も「地域を活性化させる」という使命があった。蹴球団はサッカープロリーグ創設の流れとマッチし、地元自治体や企業の支援を受け、91年にJリーグ入りが決定。輝かしい戦績を残している。
93年から4年間野球部監督を務め、現在は鹿島アントラーズFCの関口一行取締役(58)は「お互いの活動が刺激になっている。スポーツで地域を盛り上げていきたい」と語る。競技は違うが流れる精神は同じ。それぞれ子供たち向けの野球、サッカー教室を開くなど、地域貢献活動を欠かさない。
□ □
今月2日、J1の試合前に鹿嶋市の県立カシマサッカースタジアムで新日鉄住金鹿島野球部の壮行会が行われた。青と白のユニホームに身を包んだ選手たちは、真っ赤に染まったアントラーズのサポーターの前に立ち、3年ぶりの都市対抗野球大会出場を報告した。
アントラーズも第1ステージで優勝を決めている。両チームが結果を出し、地域は沸いている。【加藤栄】
■住金鹿島の誕生と発展
1968年 住友金属工業(住金)鹿島製鉄所開設
72年 日鉱日立(日鉱)野球部休部
75年 住友金属鹿島硬式野球部創部。住金蹴球(サッカー)団が大阪から移転
76年 社会人野球日本選手権に初出場
83年 都市対抗野球に初出場
91年 J1鹿島アントラーズ発足
2000年 都市対抗野球4強(10、11年も)
12年 新日鉄と住金が合併。チームは新日鉄住金鹿島に
登録:
投稿 (Atom)
Ads by Google
日刊鹿島
過去の記事
- ► 2024 (1106)
- ► 2023 (1261)
- ► 2022 (1152)
- ► 2021 (1136)
- ► 2020 (1404)
- ► 2019 (2168)
- ► 2018 (2557)
- ► 2017 (2892)
- ▼ 2016 (2193)
- ► 2015 (1859)
- ► 2014 (2464)