遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(32)
山本脩斗 前編
◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で 号泣。「あのとき覚悟が決まった」(Sportiva)
◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)
◆鹿島一筋12年の遠藤康。 「小笠原満男の跡を継ぐイメージはないです」(Sportiva)
◆熊谷浩二は鹿島入団をすぐ後悔した。 「ここに来なければよかった」(Sportiva)
◆熊谷浩二は選手たちに伝えている。 ジーコスピリッツは人生にも必要だ(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)
◆鹿島一筋12年の遠藤康。 「小笠原満男の跡を継ぐイメージはないです」(Sportiva)
◆熊谷浩二は鹿島入団をすぐ後悔した。 「ここに来なければよかった」(Sportiva)
◆熊谷浩二は選手たちに伝えている。 ジーコスピリッツは人生にも必要だ(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)
◆安部裕葵は断言。「環境や先輩が 僕をサッカーに夢中にさせてくれる」(Sportiva)
◆ジーコは意気込む。鹿島のために 「現場に立ち、構築、修正していく」(Sportiva)
「やはり、負けない」
93分、コーナーキックから犬飼智也が鮮やかなヘディングシュートを決め、1-1の同点に追いついたとき、そう思った。
9月1日から11試合目となるルヴァンカップ準決勝第1戦(10月10日)ホームに横浜Fマリノスを迎えた鹿島アントラーズ。連続出場を続けていた鈴木優磨をベンチ外として挑んだ試合は、横浜の勢いに押されるような展開となった。それでも両サイドで高い位置を取る横浜の攻撃にも耐えた。
「サイドを突破されても中でいい対応ができていた。我慢しながらできていた」と語るセンターバックの犬飼は若い町田浩樹と共にゴールを守った。そして、ポストプレーヤーの鈴木が不在ながらも、チャンスも作れた。
「ボールを獲ったあと、相手のプレッシャーを1個外せれば、サイドチェンジしたときに、結構チャンスになっていた。優磨がいないからといって、それしかできないという戦い方はうちにはないので、臨機応変に戦えていた。あとは僕が、ラストパスとか、決め切るところだけだったと思うので、本当に今日は責任を感じている。反省もするけれど、次の試合へ向けて自分にいい意味でプレッシャーをかけて取り返せればいい」と振り返る土居聖真は、34分に得たPKを外している。
77分に直接FKを決められて、リードを許す。そして、80分内田篤人がピッチへ座り込む。腕に巻いたキャプテンマークを外し、交代を申し出た。この日、中村充孝に続く負傷退場だ。
「つったかなと思ったけど、(左モモ裏の)肉離れだと思う。調子がいいときに肉離れは起きてしまう。週1で試合に出られるようになって、これからというときだったので、残念。チームに迷惑をかけてしまうことになる。申し訳ない」と内田。長期離脱からの復帰途中。もどかしさを打ち消すように「しかたがない」と言った。
公式戦9戦負けなし。4つの大会で戦っている鹿島に久しぶりに黒星がつくかと思ったアディショナルタイムでの犬飼の同点弾。その勢いのまま、追加点を狙おうと前へ出た。しかし、ゴールを決め切れず、相手ボールに。そこからの横浜のカウンター攻撃を阻止しようとしたプレーでファールを取られた。鹿島の選手が抗議したがジャッジが覆ることはない。ゴール前のFK。曽ヶ端準が止めるが、こぼれた球を押し込まれ、95分勝ち越し弾を許してしまう。もう時間は残っていなかった。 試合終了を告げる笛が鳴る。
「僕自身のミスで負けたのは事実。最低、引き分けることができた試合を負けている」と曽ヶ端は悔いた。
ピッチを後にする審判団の元へ遠藤康が向かい言葉を発したが、レフリーが足を止めることはなかった。無視された形の遠藤が下げた両手を力なく広げた。10月7日に行われたJリーグ川崎フロンターレ戦に続き、レフリングにストレスを感じる試合だったことが伝わってきた。
しかし、それでも、負けた事実は変わらない。「決められるところで、ゴールを決め切れなかったら、こういう結果になる」と内田。当然の結果だったのかもしれない。
「もったいないっちゃ、もったいない試合だった。次は点を獲らなくちゃいけない。わかりやすくていいんじゃないかな。2点くらいなら獲れる実力は持っていますし、切り替えてやるだけかなと思います。けが人も多いけれど、ここからまた一致団結して向かっていきたい」
そう言って遠藤は前を向く。中3日で第2戦を迎える。2点差以上で勝てば、決勝へ進める。ズルズル後退するわけにはいかないことは、選手誰もがわかっている。
山本脩斗が鹿島アントラーズのユニフォームに袖を通したのは、2014年28歳のときだった。大岩剛監督が現役時代30歳で加入した例はあるが、20代後半、30歳手前の移籍は鹿島では異例とも言える加入だった。長く左サイドバックを務めていた新井場徹氏が2012年までプレーし2013年に移籍。その代わりを期待され、当時指揮を執っていたトニーニョ・セレーゾ元監督に見出された結果だった。
岩手県盛岡市出身、盛岡商業高校から早稲田大学へ進学し、大学時代には北京五輪代表候補にも選ばれている。そして、2008年ジュビロ磐田入りを果たした。しかし、原発性左鎖骨下静脈血栓症を患っていることが判明。治療に専念するまでプロ契約ではなく、契約社員としてのスタートを余儀なくされた。そして、夏前には完治し、プロの戦線に立った。
――改めてプロフィールを確認し、鹿島に来て、まだ4年目だということに少し驚きました。もっと長く在籍している印象が強くて。
「有り難いことに、よくそんなふうに言われます。周りのサポートもあり、加入した年から、すぐチームに馴染むことができました」
――磐田には6シーズン在籍したわけですが、レギュラーとプレーしたのは1シーズンくらいで、試合出場数は88試合ですが……。
「多くが途中出場です。だから、出場時間は短いと思います」
――2013年は8試合。チームもJ2降格が決まります。それもあって鹿島への移籍を決断されたのでしょうか?
「チームの降格が一番の理由というわけではなく、鹿島からオファーを頂いたことが大きかったです。僕自身、選手としてステップアップしたいという気持ちがもっとも強かったですね」
――それこそかつて、タイトルを競い合ったライバルチームへの移籍となったわけですが、そのことについては?
「歴史的に考えて、そんなふうに言われるのかもしれないとは思いましたが、僕のなかでは、ライバルチームへという意識は正直あまりなかったです。磐田であまり試合に出られていなかったので、新天地で新しいチャレンジをするという決意でした。東北出身の僕にとって、鹿島アントラーズといえば(小笠原)満男さんがいるチーム。満男さんの恩師が、僕の高校時代の恩師なので、いろんな話を聞いていましたから。満男さんに限らず、鹿島には数多くの日本代表選手がいたので、いっしょにプレーすることで自分もステップアップできるんじゃないかとも思っていました」
――2013年に行われた「東日本大震災復興支援 2013 Jリーグスペシャルマッチ」へ出場したときに、トニーニョ・セレーゾ元監督から見初められたというのは本当ですか?
「本人から訊いたことはないですが、きっとそうだと思います。ジュビロでほとんど試合に出ていなかったですから。鹿島の強化部も僕のことはよく知らなかったと思うので」
――ベガルタ仙台と鹿島、そして東北出身の選手で構成された「Jリーグ TEAM AS ONE」の監督がトニーニョ・セレーゾ元監督でした。すごい縁ですよね。
「そうです、縁ですね。チャリティマッチというのは、だいたい45分くらいで選手が交代するじゃないですか? でも、サイドバックで出場予定だった選手が足を痛めていたんです。そこで、トニーニョから『75分くらい出場できるか?』と言われて、『もちろん大丈夫です!』って。僕にとっては、こんなに大きなチャンスはないですからね。『よっしゃ』って感じでしたね」
――アピールの場として考えていたのですか?
「そこまで意気込んでいたわけではないけれど、何が起きるかわからないぞというふうには思っていました。だからとにかく、最後まで走りきってやるんだとは思っていました」
――そして、鹿島からのオファーが届いたと。鹿島アントラーズ合流直後の緊張感はすごかったのではないでしょうか?
「もう4年も前のことですからね。でも、緊張感は覚えています。アントラーズへ来て、『ここから始まるな』と開幕したときに意気込んでいましたね」
――28歳でのプロとしての再出発ですからね。
「シーズン前のキャンプで怪我をしてしまい、復帰したのが開幕1週間前くらいだったんです。それでも開幕戦で起用してもらい、監督からの信頼も感じましたし、『やらなくちゃいけない』という気持ちでした。僕の力だけではないけれど、開幕3連勝したことで、気持ち的に乗れた手ごたえがありました」
――結果を残せたことで、新しい環境に馴染めた部分もあったのではないですか?
「そうですね。チームにうまく入っていけたな、スムーズにいったというのは感じました。自分の性格を考えると、移籍したら最初は苦労するかもと思っていたので(笑)」
――ピッチ内外で、自信を手にできた3連勝だったんですね。
「確かにそうなんですが、選手としての自信は、ひとつ勝ったからといって、すぐに身につくものではないと思います。本当に少しずつ積み重なっていくものだから。ジュビロ時代は、なかなかコンスタントに試合に出られなくて、チャンスをもらってもそれを活かせなかった。それは自信なくプレーしていたからなんだなと、今は思っています。アントラーズへ来て、試合に出て、勝つことによって、いろんな自信が身についてきたんだと実感できるんです」
――自分を信じる力ということですね。
「試合に出たい、そのための準備を日々行っています。以前はそこでチャンスが来て、試合に出ても、自分の力を出しきれていないなという感じでした。自分のプレーに納得が出来ず、しかもチームとしても負けてしまう。やられたのは自分のところから……ということもありました。自信がないからミスをすると下を向いてしまい、またミスをする。ジュビロ時代はそういう選手だったから、監督から信頼も得られず、試合に出られなかったんです」
――そういう意味でも勝つことは、本当に大事ですね。たとえ、個人的には納得できないプレーでもチームが勝てば、その反省も前向きにできるだろうから。
「そうですね。そういう部分があるかもしれません」
――チームとして結果を残す、勝つことで、選手たちの成長を促し、自信をつけていくというのは、当たり前の話ですが、山本選手の話を聞くと、改めて「勝つことへこだわる重要性」を実感します。しかし、今季リーグ戦では苦戦が続きました。逆に「勝利へのこだわり」という哲学は、若い選手たちのプレッシャーになっているのでは? と感じる試合もあります。
「今季は得点した直後に失点してしまったり、開始直後や終了間際の失点も少なくありません。勝っているときというのは、完封で勝ちきるということが続くし、その積み重ねがあるから、自信も持てる。でも逆の状況だと、同じように失点してしまう。『失点なしで行くぞ』と思っていても、結果的にそういう空気が生まれてしまう部分があるのも事実だと思います。ひとつのプレーでの小さなミスや隙があれば、そこを突かれてしまう。そういう1プレーの甘さが、勝負を分けるのだと思います」
◆山本脩斗の鹿島加入時の逸話。 「強化部も僕をよく知らなかったと思う」(Sportiva)