内田篤人 悲痛と希望の3144日 [ 了戒 美子 ]
鹿島アントラーズのDF内田篤人が、ブンデスリーガのシャルケに移籍してから、今季主将に就任するまでの8年半を描いた『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(了戒美子著、講談社刊)が好評発売中だ。発売を記念して、書籍の一部を公開! 時の代表監督に直談判するという衝撃的"プロローグ"の全編をお届けする。
プロローグ
ドイツの秋は気まぐれだ。晴れたと思えば冷たい雨が降り、うっすら汗ばむ日があったと思えば、信じられないような寒さに凍える。一進一退を繰り返しながら、ただ一つ確実なのは、間違いなく厳しい冬に向かっているということだ。日照時間は目に見えて短くなり、我々のような在独外国人の気を滅入らせる。冬の暗闇を楽しめるのは、ネイティブかドイツ生活の上級者だと思う。
ベルリンにいる内田篤人から、あるテキストメッセージが入ったのは2017年10月のことだった。私はドイツ・デュッセルドルフに暮らし、ブンデスリーガなどを取材して執筆しているのだが、取材のない平日の午前中、原稿を書くため近所のカフェでパソコンに向かっている時だった。情報収集のためのネットサーフィンがあらぬ方向に向かいそうになり、キッカー誌かビルト紙のサイトに戻ろうとしていた時だったかもしれない。つまり、なんの変哲もないある日のことだった。
「今、ハリルさんと話したよ」
スマートフォンの画面にはそんな文章が浮かび上がっていた。言うまでもないだろうが、ハリルさんとは、当時日本代表の監督を務めていたヴァヒド・ハリルホジッチのことだ。
内田はロシア・ワールドカップ(W杯)に行くことを、18年5月にメンバーが発表されるまで、本気で狙っていた。この17年10月の時点では、当然ながらベンチ入りを含めた全23人ではなくて、スタメン11人に返り咲くことを目標に、というよりも心に決めて日々を過ごしていた。それでも、内田が日本代表として最後に試合に出場したのは15年3月。2度のW杯経験者とはいえ、日本代表から縁遠くなって長い時間が経っている。そんな元代表選手が、現・日本代表監督とコンタクトを取ったと言っている。
通常、選手が監督と、個人的にコンタクトを取るのは特別なことだ。クラブチームにおいてさえ、選手が監督に連絡を取ったという話は、あまり聞いたことがない。よっぽどの相談事がある時に限られる。例えるなら、直接は一緒に仕事をしていない会社の上司に、業務外の時間帯に個人的に連絡を取るようなものだろうか。内田のさらっと爽やかなパブリックイメージや、それまで感じていた性格的なタイプからすると、ちょっと想像がつかない行動のように思えた。でも、そういえばその頃、「ハリルさんと話そうと思っているんだよね」と、ちょっとした雑談の中で話していた気もしてきた。だが、なぜだか私はさほど重く受け止めなかったのだと思う。だからとても驚いた。
ただ、どう返事をすれば良いのか分からなかった。「えー、まじで?」と返すのは軽すぎる。かといって真面目に返して重くなるのはいやだ。
「そっか。なんて?」
そんな薄ぼんやりとした返答をした気がする。それくらいのことしか返せなかったはずだ。正確な記録は消えてしまった。
「今、ちょっと話せる?」
そうメッセージが来た直後、通信アプリが通話の着信を知らせる。一瞬にして様々な考えが頭を巡った。今この瞬間に話す相手が他にいないから、同じドイツに暮らす私にかけてきているのだろう。内田の友人知人たちは忙しい時間帯なのだろう。きっと、誰かに話を聞いてもらいたいのだ。というより誰かに話したいだけだ。では、私自身はどうだろう。一取材者としてこのやりとりを、"そういえば珍しい電話がかかってきたんだよねー"という、うろ覚えのエピソードレベルで終わらせていいのか。いや、いいはずはない……。
結局、急いでイヤフォンマイクの用意をしてから応答した。つまり、両手があいている状態をつくり、メモを取りながら話すことにしたのだ。たとえメモが残っていたとしても、内田は許してくれるに違いない。そう勝手に判断した。
「お疲れ。何してるの? 話してても大丈夫?」
内田の第一声はこちらの状況を気遣うものだった。
「近所のカフェで仕事……のような(笑)」
「いいねー、いい職業だ」
ゆるゆると会話は始まった。なぜだか、暇で時間的にも精神的にも余裕があることをアピールするようにだらだらと私は話した。内田の報告に、少しテンパっていることを悟られたくなかったのかもしれない。だが、どこかでスイッチを入れなくてはならない。
「で、ハリルさんとは何を?」
「いや、軽く話したって感じなんだけどさ……」
前置きしつつ、本題に入った。
「ハリルさんにね、冬に日本に帰ろうと思うんだけど、そうしたらW杯に行く可能性は減る? って聞いたの。そしたらね……」
どうしても代表に戻り、ロシアW杯に出場したい。そのために何をするべきか考えてきたし、それをハリルホジッチにも伝え、話しあった。やりとりを説明する内田の口調からは、W杯への思いと同時に、7年半にわたるドイツでの生活を終えようとしていることが伝わってきた。
近年の、ドイツ・ブンデスリーガにおける日本人ブームを作った立て役者の一人が舞台から去ろうとしている。それは日本サッカーの一時代の終焉を意味すると同時に、内田自身のサッカー人生においても大きな一つの区切りである。内田は次のステップに進もうとしていた。
かたかたとキーボードに指を滑らせながら話に耳を傾けた。すごく寒いけれど空は澄み切っている。そんな秋の一日だった。
■書名:内田篤人 悲痛と希望の3144日