日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年4月24日水曜日

◆あのとき僕は移籍を我慢すべきだった……本田拓也を涙ながらに引き留めた監督と運命の分かれ道(ぐるなび)



本田拓也 Takuya.Honda


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北京オリンピックでは本田圭佑、香川真司、長友佑都らのチームメイト
アルベルト・ザッケローニ監督からは日本代表にも選ばれた
2011年カタールのアジアカップでは優勝メンバーとなり
本田拓也の前途は洋々と見えた

ところがアジアカップから戻ると本田はピッチから遠ざかる
善意の行動が本田の順調な歩みを遮ることになった
ピッチに戻る日はなかなかやってこず、
その後は日本代表のユニフォームを着ることはなかった

その後もいろいろな苦労を重ねながら
本田の現役生活は続いている
今年は5年ぶりに体調もよくなったそうだ
今回の話はきっと本田の第一章ということになるはずだ


近くにいて凄さがわかる、伊東テルさんのプレー


2011年のアジアカップ、懐かしいですね。暑かったなぁ。結構厳しい試合やったけど、優勝できてよかったですね。僕はグループリーグ第3戦のサウジアラビア戦で先発の出番が来て。5点も入ったの、あれも不思議でしたけどね。サウジアラビア強かったのに。

アルベルト・ザッケローニ監督からの信頼を勝ち取るとか、そういう余裕はなくて、もうその時々で必死でしたよ。日本代表って2008年北京オリンピック以来でしたから国際試合も久しぶりでしたし。ましてそのアジアの頂点を決める大会でしたからね。

だから監督の信頼がどうのこうのというよりも、とにかく勝たなければと必死で。準決勝の韓国戦は途中出場したのですが、深くチャージにいってファールを取られて、そこから失点もしたし。自分の気持ちとプレーがまだ一致してなかったと思います。今考えると若かったかなって。

それからの8年、いろいろありましたね。そのなかで一番大変だったのは……やっぱりその2011年に鹿島に移籍した時の軟骨の手術ですね。あれは1番しんどかった。

僕は、あそこまではうまく行ってたと思うんですよ。アジアカップでは苦しいこともあったし、出た試合もあまり感触は良くなかったんですけどいろんな経験はできたと思いました。日本代表には入りたてぐらいだったけど、自分ではこれからもっといいプレーができると思ってたんです。

2008年、法政大学を卒業して清水に入ったときって、人にチャレンジには行けてたんです。ところがチャレンジに行かないときのポジショニングがすごく悪かった。それで、開幕から半年ぐらいは試合に出てたんですけどオリンピックが終わってチームに戻ってきたら出られなくなって。

そのときにポジショニングとか、チャレンジに行くタイミングとか、行かないときの自分の後ろへのパスコースの消し方とか、そういう部分の課題を田坂さん(田坂和昭コーチ)に指摘されたんです。僕がチャレンジに行くタイミングが早すぎて、自分の後ろにスペースができて、そこにパスが入っちゃったりしてたんです。

そういうポジショニングはテル(伊東輝悦)さんがすごくうまかったですね。田坂さんに教えてもらいながら、テルさんはあまり話すタイプじゃないから近くでプレーを見て学んでました。近くにいると、これがまた凄いんですよね。タイミングとか、相手に寄っていきながらでも後ろのコースを消したりしてるんで、後ろの選手はすごく守りやすかったと思います。

僕はもし、テルさんと一緒にプレーしてなかったら、チャレンジしに行ったっきりの選手で、今はもうプレーできてないと思います。そういう経験が自分のプラスになって、結局オリンピックの1年後の2009年の夏ぐらいからまた試合に出られるようになったんですよ。テルさんと一緒にダブルボランチを組ませてもらって。

実は出られなくなった2008年の終わりごろって、出場できないのなら移籍しようかと考えたりしたんです。その時ケンさん(長谷川健太監督)に「残って踏ん張れ」と言われもしましたんで、ちょうど1年がんばってみたのがよかったですね。そこは運命の分かれ道だったと思います。


移籍を伝えたとき、セレーゾ監督は涙ぐんで引き留めた


それでアジアカップ後に鹿島に移籍するんですけど、その年は東日本大震災があったんです。開幕戦はベンチだったのですが、オズワルド・オリヴェイラ監督から「2節目は古巣の清水だけど行けるか?」と聞かれて、「はい、大丈夫です」って。出るはずだったんですけど、清水に行く途中で地震がありました。

土曜日の試合のために金曜日に東京駅に向かってたんです。バスに乗って千葉県の習志野ぐらいまで行ったときにすごい揺れて、そこから大渋滞になって。鹿島に帰ったんですけど、寮を出たのが14時ぐらいだったんですけど、帰ってきたら夜の2時でした。

 帰ったら家の中がぐちゃぐちゃでした。運良くうちの地域は水が出たので何日かは過ごせたんですが、物資とかがなくて。すぐチームが活動停止ということになったので、東京から静岡までは一般道を走って太田宏介の家に泊めてもらってました。

 それで清水にあるトレーニングセンターのJ-STEPで体を動かしてたんです。そうしたら3月29日に「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」が大阪であるということで呼ばれて行ったんですよ。

 その練習のときですね。接触プレーだったと思うんですけど、右足首を痛めてしまって。だから僕はチャリティマッチではベンチにいて試合に出てないんですよ。

やったときからすごく痛かったんですけど、4月にはJリーグが再開するということで鹿島に戻って庇いながらトレーニングしてました。でも、なかなかよくならない。トレーニングをやったりやらなかったりだったと思います。ちょっとよくなって練習して、やっぱり痛くて、毎日練習できるか、できないか、という感じでした。よくなって、またダメだ、という繰り返しです。

それで8月ぐらいですか検査をしたんですよ。そうしたら軟骨が剥がれかけているということで、手術をして足首の前のほうの軟骨にドリルで穴を空けて、再生を促すということになったんです。

 そこから1年ぐらいプレーできなかったですね。当初の予定だと、夏に手術をして翌年のキャンプぐらいからプレーできるということだったんです。でも次の年になってもなかなか痛くて。ちょっと練習しては止めて、という繰り返しでした。6月ぐらいですかね、よくなり始めたのは。

 ケガをする前のサッカー人生は結構いい時期だったし、鹿島に行って活躍して代表にも定着して、という夢を描いていたのでショックが大きく……ショックというか「自分は何をやってるんだろう」という気持ちになりましたね。他の選手はみんな活躍してるのに。

 辛い時期はいろんな人に助けてもらいました。あのときは(中田)浩二くんとかとよく話をしたりして。浩二くんもケガをしてたし、あのときは田代有三もケガをしてたんで、3人でリハビリしてましたね。2人とも僕より年上なんで兄貴分みたいな感じで面倒みてもらってました。

 他の鹿島のメンバーも気遣ってくれて、仲良かった遠藤康や西大伍たちとよくリフレッシュがてら釣りに行ったりしてました。鹿島のそういうファミリーっぽいところが助けてくれたと思います。

 食事は、家の近くに定食屋さんがあって、もう火事でなくなっちゃったらしいんですけど、そこでよくお世話になってたんです。だから本当にカシマとかチームも地域もいいところでした。

 それからその時のトレーナーの安藤貴之さん、今はJFAアカデミー福島のフィジオセラピストとして御殿場にいる方ですね、その人と二人三脚で、病院に行ったり、横浜に靴のインソールを作りに行ったりしてました。

 みんなといるときは明るくできてたんですけどね。家に帰ったら1人なんで、落ち込んだりもしました。前向きになれたのは、サッカーしかなかったからです。早く復帰するにはどうしたらいいかなと考えたり、他の部位を鍛えたりとかしてました。

 大きなケガをしたときは、やっぱり1人じゃ無理ですね。1人じゃなかったからピッチに戻れたと思うし。鹿島以外だったら、もう終わってたかもしれないですね。サッカー選手で、しかもプロで、こうやって1年半プレーできなかったのかまたピッチに戻るだというのはスゴイと思うんです。

 ケガが治って自分のコンデションも上がってきたところで鹿島の3年目に入りました。そこでもやっぱり試合に出たり出なかったり、出ても途中からとかでしたね。自分が納得いくプレーをしても監督のファーストチョイスにはならなかったんですよ。それで、どうしようかなって移籍したんです。我慢できなかったですね。今思えば我慢したほうがよかったと思います。

 トニーニョ・セレーゾ監督にはよく面倒見てもらってたんですよ。僕が移籍するとなったときにセレーゾはちょっと涙ぐんで止めてくれましたね。「お前のポジションを確保しているわけではないし、掴み取らなければいけないけれども、俺は本当に残ってほしいから考え直してくれ」と。……若かったです、俺が。


自分を必要としてくれる山形への移籍


そのとき、いくつかのクラブに声をかけてもらったんですが、やっぱり自分が大学から最初に入ったクラブということでお世話になった清水に戻りました。大学のとき一番最初に声をかけてくれてたから、義理みたいなものを感じてたんです。

2015年にはキャプテンを任されたんですけれども、それも苦しかったですね……。その年は小さなケガもあってコンディションがなかなか上がらなくて……結果的にはJ2に落としたことになりますからね。

その年までは、妻と一緒にご飯を食べに行ってたんです。そうしたら知らない人が急に近づいてきて「今日のつまんない試合ありがとうね」と言ってきたことがありました。あのときの成績だったら言われても仕方がないと思います。でも、あのときはプライベートの空間だったんで……。

それで妻が「もう外にはご飯食べに行きたくないね」と言って、外食を控えるようにしてました。妻には申し訳ないと思いましたね。グラウンドで言われるぶんには問題がないんですけれども。本当に妻に悪いことをしたと思いました。

 2016年、清水がJ1に復帰して、2017年はどうするか考えたときに、清水に残るという選択肢もありました。でも清水では戦力として考えてないと言われて。そんなとき1番最初に山形が声をかけてくれて、自分を必要としてくれたというのが大きかったですね。それが移籍した理由です。

 これまでいろいろ辛いことありましたけど、逆にいい思いは……いろんな人と知り合えたことですね。それが1番よかったかな。この仕事をしなかったら、周りのすごい人たちと出会いでもなかっただろうし。

 プロ生活12年で監督は日本代表まで含めると10人経験できたと思います。いろんな指導を受けたことも自分の財産になってますね。まだ将来のことを決めてないですけど、もし僕が監督になったとしたら、これまでの監督のいいところを全部見習って、いい指導者になれればいいと思います。

 山形は大変なこともいろいろありますが、でも環境もどんどんよくなってますから。J1に上がることがチームとしての目標だし、自分ももう一回J1でプレーしたいというのもあります。個人的な目標としては今年1年ケガなく乗り切りたいなと。今年は久しぶりに体の調子がいいんです。5年ぶりぐらいですかね。自分でも期待しています。


2日間のオフがあるとき泊まりで食べに行くことも


山形はみんな牛肉がおいしいと言うんですよ。でも僕は海産物が好きなので、海産物のおいしい店を紹介しておきます。

まず酒田市にある「寿し割烹 こい勢」というお寿司屋さんです。山形市から1時間半から2時間かけて行くところで、僕は2日間のオフがあるとき泊まりで食べに行ってます。夜食べて泊まって、次の日は市場にでまた海鮮料理を食べて、というコースですね。

それから山形市では「そば処 庄司屋」ですね。ここにはいくらがたっぷり乗った蕎麦があるんですよ。シンプルな感じだけど、蕎麦そのものがおいしいのもあって、ものすごくうまいんです。大好物です。ここは「そば処庄司屋 御殿堰七日町店」といってもう1店舗あります。試合に来たら、ぜひどうぞ。

今はもう妻と一緒に外食に行ってます。山形ではお蕎麦屋さんにいても誰にも話しかけられないですね。それって、もしかしたら誰も僕のことをわからないからかもしれないです。だから頑張って山形をもう1回J1に昇格させて、お蕎麦屋さんでサインを求められるようにならなきゃいけないと思ってます。


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◆あのとき僕は移籍を我慢すべきだった……本田拓也を涙ながらに引き留めた監督と運命の分かれ道(ぐるなび)





◆けが人続出の鹿島に朗報、DF伊東が復帰へ秒読み(ニッカン)



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けが人続出の鹿島アントラーズに、右サイドバックのDF伊東幸敏(25)が帰ってくる。

昨年8月に右膝前十字靱帯(じんたい)を損傷し、今季始動後は屋外での別メニュー調整が続いていたが、今月から部分合流していた。22日の練習では全メニューをこなし、ファンにも元気な姿を見せた。

まだゲーム形式の練習には参加していないものの「今やっている練習メニューでは問題なくやれている。スタッフと相談になるが、個人としては早く(ゲームに)入れて欲しい」と話しており、復帰もそう遠くはなさそうだ。

DF内田、山本らサイドバックにけが人の多い現状をもどかしく見ているといい「早く試合に出たくてウズウズしている」と伊東。貴重な本職右サイドバックに、復帰の足音が聞こえてきた。【杉山理紗】




◆けが人続出の鹿島に朗報、DF伊東が復帰へ秒読み(ニッカン)





◆【鹿島】関川郁万、大迫抜きACLクラブ史上最年少先発へ「やっと来た」“CB1人”危機救う(報知)



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◆アジア・チャンピオンズリーグ2019 1次リーグ第4節E組 鹿島―慶南(24日・カシマスタジアム)

 アジア連覇を目指す鹿島は23日、慶南戦に向けて茨城・鹿嶋市内で最終調整を行った。慶南に勝利し、同日開催のジョホール(マレーシア)―山東(中国)でジョホールが引き分け以下に終わった場合、1次リーグの突破が決定する。大岩剛監督(46)は「自信を持って選手たちを送り出したい」と意気込んだ。

 DF犬飼智也、DF町田浩樹の出場停止やけが人の続出により、出場可能な本職のセンターバックが流通経大柏高から加入のDF関川郁万の1人だけという非常事態。それでも関川は「やっときたなという感じ。空回りしないように、いつも通りにやりたい」と闘志を燃やした。関川がスタメンに名を連ねれば、2009年のFW大迫勇也(18歳10か月0日)を抜き、ACLにおけるクラブ史上最年少・18歳7か月11日での先発出場となる。

 関川とコンビを組む“相方”にはボランチが本職のMF三竿健斗の起用が濃厚。DF安西幸輝やMF永木亮太は、20日の仙台戦からの連続先発出場が見込まれる。


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◆鹿島、慶南戦は関川&三竿がセンターバックへ(サンスポ)



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 J1鹿島は23日、明日24日のアジア・チャンピオンズリーグ慶南(韓国)戦に向け、約1時間半の調整を行った。

 DF犬飼智也(25)とDF町田浩樹(21)のセンターバック2人が出場停止。代わって今季、流経大柏高(千葉)から加入したDF関川郁万(18)と元日本代表のボランチ、MF三竿健斗(23)がセンターバックに入る見通しで、冒頭15分以降非公開とされた練習でも両者が最終ラインの中央でプレーしたようす。

 関川は「(三竿が)声をかけてやってくれるのでやりやすい。相手はロングボールを入れてくるのではね返したい。自分の武器(空中戦の強さ)を発揮できればと思う」と言葉に力を込めた。




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◆クラブ史上初 鹿島 関川 24日慶南戦で初陣濃厚(スポニチ)






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 鹿島は24日、ACL1次リーグ第4節で慶南(韓国)と対戦する。勝てば他会場の結果次第で1次リーグ突破が決まる重要な一戦で、高卒ルーキーのDF関川郁万(18)がプロ初出場することが濃厚となった。

 「やっと来たなという感じ」。センターバック(CB)は犬飼、町田がそろって出場停止で、ブエノはACL登録外。唯一の本職CBの関川は先発でMF三竿とコンビを組むとみられる。クロスやロングボールを多用する相手に、持ち味のヘディングは強力な対抗手段。「はね返したい。俺の武器が発揮されると思う」。高卒ルーキーがACLでプロデビューを飾るのはクラブ史上初。鹿島の壁として敵前に立ちはだかる。

 《FW邦本が鍵 浦和ユース出身》慶南の金鍾夫(キムジョンブ)監督は「ここまで良い準備ができた。試合に全てを懸けて臨みたい」と勝利を期した。9日のホームゲームは2点を先行しながらも逆転負け。その2得点に絡んだ浦和ユース出身のFW邦本について、指揮官は「彼はチームにおいて重要な役割を果たしている」と期待した。


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◆クラブ史上初 鹿島 関川 24日慶南戦で初陣濃厚(スポニチ)





◆鹿島三竿健斗1年半ぶりCBか 新人関川とコンビで(ニッカン)






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鹿島アントラーズのMF三竿健斗(23)が、約1年半ぶりにセンターバックとして試合に出場する見込みとなった。

24日のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)慶南戦(カシマ)で、DF関川とコンビを組むとみられる。大岩監督は23日の前日会見で、センターバック起用について明言は避けたが「どのポジションで出場しようとも、全幅の信頼を置いて送り出す。ポテンシャルや代表経験も含めてチームの中心となる選手」と三竿を高く評価した。

三竿がセンターバックで出場すれば、公式戦では17年9月3日のルヴァン杯準々決勝仙台戦以来、約1年半ぶりとなる。犬飼、町田の両センターバックを出場停止で欠く鹿島だが、文字通りの総力戦でアジア連覇に向けて突き進む。




◆鹿島三竿健斗1年半ぶりCBか 新人関川とコンビで(ニッカン)





◆【鹿島】勝利でACL1次リーグ突破の可能性 慶南戦へ指揮官「自信を持って送り出す」(報知)






FOOTBALL PEOPLE 小笠原満男特集号 レジェンドの物語。〜鹿島アント...


◆ACL▽1次リーグ第4節 鹿島―慶南(24日・カシマスタジアム)

 鹿島は23日、ACL1次リーグ第4節の慶南(韓国)戦に向け、茨城・鹿嶋市内のクラブハウスで最終調整を行った。公式会見に出席したMF三竿健斗は「(試合に)出た選手が局面局面で勝つことが良い攻撃につながり、得点につながる」と見据えた。

 ここまでアウェー2試合を含む3試合を2勝1分けで終え、勝ち点7を積み上げた。慶南に勝利し、同日開催のジョホール(マレーシア)―山東(中国)でジョホールが引き分け以下に終わった場合、4節にして1次リーグ突破が決定する。

 アウェーで行われた前節の慶南戦(3○2)で退場処分のDF犬飼智也、通算2枚目の警告を受けたDF町田浩樹が出場停止となる。流通経大柏高から加入した高卒1年目のDF関川郁万の鹿島デビューが濃厚。相方はMFが本職の三竿健斗となる見込み。大岩剛監督は「我々のチームカラー、伝統は、守備も攻撃も全員でやるというもの。誰かが出場停止やけがでも、代わりに入った選手が良いプレーをすることはもちろん、それを補うように一体となってプレーしていく。自信を持って選手たちを送り出したい」と語った。




◆【鹿島】勝利でACL1次リーグ突破の可能性 慶南戦へ指揮官「自信を持って送り出す」(報知)






◆ACL1次L 24日、慶南戦 鹿島、突破へ勝利狙う(茨城新聞)






二十冠 アジアの頂、世界の壁。鹿島アントラーズ激闘録 [ 田中滋 ]


関川「チャンス手中に」

アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)1次リーグ第4戦は24日、各地で行われ、E組首位の鹿島はカシマスタジアムで3位の慶南(韓国)と対戦する。キックオフは午後7時。通算成績は2勝1分け、勝ち点7。

鹿島が勝ち、同日午後9時45分キックオフのジョホール・ダルル・タクジム(マレーシア)-山東(中国)戦で山東が引き分け以上の場合、2試合を残して鹿島の1次リーク突破が決まる。

注目となるのはセンターバック。第3戦で犬飼が退場し、町田は累積警告により出場停止。鄭昇〓(火へんに玄)は別メニュー調整が続く。本職は高卒ルーキーの関川のみで、プロデビュー戦となる18歳は「このチャンスを手にすれば、俺のサッカー人生がこの試合から変わったと言える」と鼻息が荒い。

センターバックの相方は三竿になりそう。サイドバックに小田と安西が入れば、最終ラインの平均年齢は21歳と若い選手がそろう。小田は「若いメンバーになるが、誰が出てもアントラーズのサッカーをやらないといけない。周りの選手を信頼している」と言葉に力を込めた。

慶南との前回対戦では2点を先行され、苦しい状況から逆転勝利を収めた。金森は「相手は対人に強い。誰かが釣ったスペースを使って流動的な攻撃をしたい。先に点を取って、いい状態で試合を進める展開にできればいい」と先制ゴールを狙う。(岡田恭平)





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