日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年8月5日土曜日

◆【インタビュー】Fuku Spo – アビスパ福岡/小田逸稀(FukuSpo)



小田逸稀


DF 小田逸稀(背番号16)

今こそ、覚醒のとき。
今年のアビスパ福岡は何かが違う。
J1リーグで3位まで浮上するなど、
誰も予想していなかった事態が起きている。
今季から加入した小田逸稀もその立役者の一人。
ここに来て水を得た魚のように躍動する彼の素顔に迫る。
 
取材・文/岩井咲里香(編集部)


可能性を感じたセレッソ戦


「適材適所」という四字熟語があるように、人にはそれぞれ輝ける場所がある。特にサッカー選手にとって、どこで、誰とプレーするのかが、その後の人生を大きく左右すると言っても過言ではない。

宮崎キャンプ真っ只中の1月26日。小田逸稀が鹿島アントラーズから完全移籍加入することが発表された。

「去年、レンタル先から鹿島に戻りましたが、手応えを掴めなくて。『今年こそは』と意気込んでキャンプ入りしましたが、自分の立ち位置に悩んでいました。そこでのオファーだったので、即決でした」。

そんな彼にとって、アビスパ福岡はまさに“適所”だったのだろう。昨季、鹿島アントラーズでリーグ戦に出場できたのは、わずか2試合。しかし、今シーズンは第2節でスタメンに抜擢されて以来、既に左サイドバックとして欠かせない存在になりつつある。第8節・アルビレックス新潟戦では、中村駿のCKに得意のヘディングで合わせ、移籍後初ゴールを決めた。

サポーターたちもこう口を揃える。「なんでこんなにいい選手を鹿島は手放してくれたんだ?」と。

加入後間もない彼をそこまで評価するのには、やはりセレッソ戦での活躍があったからに違いない。昨季までアビスパで共に戦っていたジョルディ・クルークスを、敵として迎えた一戦。彼の凄さは福岡サポーターが一番よく知っていた。しかし、その日、彼に仕事をさせることはほとんどなかった。幾度となくマッチアップした小田が、悪魔の左足を徹底的に封じ込めていたのだった。

「左足が特に素晴らしい選手っていうことは知っていて、そこを抑えられたら有利に戦えると思ったので、最初の一発目はバチンと行こうと決めていました。それが決まって、自分の流れに持っていけたと思います。相手によって変えますが、一発目はカードを貰わない程度の強さで相手に嫌な印象を与えるようにしています。ただ、マテウス・サヴィオ(柏レイソル)の場合は強めにいくとスルっと抜けられるので、そこは詰めすぎないようにとか、色々と考えて試合に臨んでいます」。

ヘディングなどの思い切りのいいプレーが注目されがちだが、こういった分析も怠らない頭脳派な一面もあるようだ。


真っ白なユニフォームに記した、DFとしての覚悟


幼稚園でサッカーを習い始め、点を取ることがとにかく楽しかった。憧れは、日本の10番を背負う中村俊輔。中学生になり、サガン鳥栖のジュニアユースに入団するが、3年生の時、監督が変わったタイミングで突然SBにコンバートされたという。

「結構点も取ってたし、FWで選抜にも入っていたので、『なんで僕がSBをしないといけないんだ』って、受け入れるまでに時間がかかりました。まあ、SBでもディフェンスのことは任せて、点を取りに行ってましたけどね…(笑)」。

その後、小学生の頃から行くと決めていた東福岡高校に進学。そこで、サッカー人生の分岐点を迎えることとなる。

「高校入学してすぐは、名前を覚えてもらうために“ネームT”を着て練習するんです。真っ白の練習着を買って自分の名前とポジションを書くんですけど、FWとDFのどっちにするか迷って…。悩んだ結果、DFって書いてました。そこでやっと、覚悟が決まった気がします」。

県内屈指の強豪校で、彼は2年生にしてスタメンの座を獲得。主力として高校総体、全国高校サッカー選手権大会の2冠に貢献した。

「高1から試合に出るつもりで入部したし、同級生で3年の試合に出ている選手もいたので悔しい1年間を過ごしました。でも、2年で試合に出られるようになって、2冠も達成できて! やっぱり頂点からの景色は気持ちよかったですね。また味わいたいです、福岡で」。

選手権の後、鹿島からオファーを貰い入団が内定。’17年に加入してからは、トップレベルの選手たちに揉まれながら、刺激的な日々を過ごしていた。しかし、なかなか彼の出番はやってこなかった。

プロ4年目となる’20年にFC町田ゼルビア、翌年にはジェフユナイテッド千葉へ武者修行に出た。

「J1で試合に出られない選手が、J2でも出られないということは全然あります。この2年で、J2では試合に出られるという自分の立ち位置がわかったのは大きかったですね。経験と自信を得て鹿島に戻りましたが、置かれている状況は厳しかったです。試合に出られない時期が続いていたので、筋トレやランニング、自主トレを黙々とやっていました。いつ来るかわからないチャンスに賭けて」。


自分の決断は間違ってなかった


「今かもしれないです」。

サッカー人生におけるターニングポイントは? という質問に、彼は少し考えてこう答えた。

「J2でやれる自信はあったけど、J1では試合に出られなくて。ここに来てJ1での自信がつきはじめています。長谷部監督も、自分の長所と短所をよく理解してくれていて、それをしっかり言葉にして伝えてくれるので、やるべきことがより明確になりました」。

J1でやれるという自信を手にした先に、目指すのはやはり日本代表だ。

「同い年の選手も活躍しているし、アビスパで結果を出し続ければ実現できると思っています。そのためにも、ビルドアップの部分を強化していきたいです」。

常にレベルの高い環境に身を置いてきた彼には、どんなに苦しい状況下でも努力し続けられる強さがある。その弛まぬ努力が日の目を見る日は、もうすぐそこまで来ている。


【プライベートQ&A】


Q.今ハマっていることは?

A.読書かな…? 月に5冊くらい読んでいます。自分を高めるために勉強したくて。やっぱり知識って財産じゃないですか! あと、4月から一人暮らしの予定なので、ゲームできるのが楽しみですね。スイッチ入ると止められなくて、10時間くらいやっていた時もありました(汗)。いつもAPEXとかDead by Daylightをしているんですけど、ケネ(三國ケネディエブス)もやっているらしいので、一緒に遊びたいですね。

Q.やっぱり佐藤凌我選手とずっと一緒にいるんですか?

A.そうですね。一緒にカフェとかサウナに行ったり、高校に挨拶に行ったり…。(編集部:特に女性サポーターは、2人のストーリーを楽しみにしているみたいですが…?) そうだろうなと思います(笑)。こういうのが見たいんだろうなって、わかってあげてますね。


〈PROFILE〉
小田逸稀
ディフェンダー 背番号16
生年月日 1998年7月16日
身長173㎝ 体重68㎏
出身地 佐賀県

中学からサガン鳥栖の下部組織に入団し、東福岡高校へ進学。高校2年の時に高校総体、全国サッカー選手権大会で2冠を達成した。’17年に鹿島アントラーズへ加入後、’20年にFC町田ゼルビア、その翌年にジェフユナイテッド千葉にレンタル移籍。そして今季、宮崎キャンプ中にアビスパ福岡への完全移籍が発表された




◆【インタビュー】Fuku Spo – アビスパ福岡/小田逸稀(FukuSpo)




◆【鹿島】プロ2年目の19歳DF溝口修平が札幌戦で初先発へ、チーム競争激化の火を付ける(ニッカン)



溝口修平


鹿島アントラーズのプロ2年目のDF溝口修平(19)が、6日のホームでのコンサドーレ札幌戦で初先発する可能性が高まった。

左サイドバックのDF安西が出場停止で、右サイドバックのDF広瀬は別メニュー調整をしており、溝口に先発のチャンスが回ってきそうな状況だ。

4日、オンライン取材に応じた溝口は「このチャンスをつかみたい」とギラギラ感をあらわにし「守備で失点0で終わらせること、自分の中でやられないことは大前提。クロスやビルドアップの部分で結果につなげて定位置をつかむことを目標にしている」と強い決意を口にした。

22年に鹿島ユースからトップに昇格。プロ1年目はルヴァン杯で1試合出場で、出場時間は7分だった。プロ2年目の今季はルヴァン杯4試合で先発し、リーグで1試合途中出場している。豊富な運動量を武器にした攻撃参加が持ち味だ。「ゴール前ではダイナミックに飛び出して左足の特長を生かしたクロスでアシストしたい」とイメージを膨らませる。

今季、岩政大樹監督はチームとして「競争と成長」を掲げる。溝口は「(負傷者や出場停止で)厳しい状況と思われるかも知れないけど、自分みたいな若い選手が活躍することで勝っていければいいし、競争を激しくしていけたら」と、チーム競争激化の火を付けることを誓った。





◆【鹿島】プロ2年目の19歳DF溝口修平が札幌戦で初先発へ、チーム競争激化の火を付ける(ニッカン)




◆全国高校総体 サッカー男子 明秀日立初V 茨城県勢44年ぶり(茨城新聞)



明秀日立高


全国高校総体(インターハイ)は4日、北海道旭川市でサッカー男子の決勝が行われ、茨城県代表の明秀日立が桐光学園(神奈川)をPK戦の末に破り、初優勝した。2―2のまま延長を終え、PK戦を7―6で制した。茨城県勢の優勝は1979年の水戸商以来44年ぶり2度目。

明秀日立は前半、FW柴田健成(2年)が先制を含む2ゴールを決め、2-1で折り返したが、後半同点に追い付かれた。延長戦でも勝敗がつかず、PK戦に突入。先攻の明秀日立が7人まで成功した後、GK重松陽(2年)が相手シュートを止めて決着した。

4大会ぶり4度目出場の明秀日立は、1回戦で優勝候補の静岡学園、3回戦で2大会ぶりの頂点を狙う青森山田を破り、初の8強入り。その後も勢いは止まることなく、決勝進出を果たした。

優勝杯と金メダルを手にしたDF山本凌主将(3年)は「このカップとメダルを手にできるのは全国で一つの高校だけ。うれしい。冬の選手権でも明秀日立の強さを示したい」と話した。萬場努監督(39)は「応援してくれている人たちにいいニュースが届けられて良かった」と喜びを語った。

■サッカー(花咲スポーツ公園陸上競技場)
▽決勝=35分ハーフ、延長は10分ハーフ
明秀日立(茨城) 2ー2 桐光学園(神奈川)
2-1
0-1
延長
0-0
0-0
(PK7-6)

▽得点者
【桐】宮下(前32分)松田(後16分)
【明】柴田2(前11分、同19分)








◆全国高校総体 サッカー男子 明秀日立初V 茨城県勢44年ぶり(茨城新聞)




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