日刊鹿島アントラーズニュース

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2024年7月17日水曜日

◆鹿島に復帰のMF三竿健斗がチームに合流!「勝つために帰ってきた。自分ができることを全て出す」と意気込み(サッカーダイジェスト)






「今回、勝つために帰ってきたので、自分ができることを全て出して、目の前の1試合、1試合、チームとして勝っていけるように力を尽くしていきたいと思います。スタジアムで、皆さんの声援を聞けるのが楽しみです」


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◆鹿島に復帰のMF三竿健斗がチームに合流!「勝つために帰ってきた。自分ができることを全て出す」と意気込み(サッカーダイジェスト)







「まずは自分のコンディションを高めることが一番大事」


 鹿島アントラーズは7月16日、公式YouTubeチャンネルに最新コンテンツを公開。約1年半ぶりに復帰したMF三竿健斗の合流初日の様子を公開した。

 東京ヴェルディの下部組織出身の三竿は、2015年にトップチームに昇格すると、翌年に鹿島に加入。その後、22年12月にポルトガルのサンタ・クララに移籍し、23年7月からはベルギーのルーベンでプレーしていた。

 そんな28歳は合流初日、鈴木優磨らに歓迎され、談笑。ランコ・ポポヴィッチ監督から紹介され、選手やスタッフの前で「ピッチのなかで、みんなの信頼をまた、勝ち取れるように。そして、このチームのために頑張ります。お願いします」と挨拶する。

 また、トレーニング後には、久しぶりの鹿島の印象や自身の状態についてこう語った。

「素晴らしい環境ですし、素晴らしい選手がたくさんいると思いました。僕自身、まだ時差ボケだったり、コンディションがトップではないので、練習のなかで自分のパスの感覚だったり、ボールも違うし、ピッチも違うので、そこに少しずつ慣れていって。周りがどうこうより、まずは自分のコンディションを高めることが一番大事だと思うので。日々、ちょっとずつ調整して良くしていきたいです」

 そして、ファン・サポーターには「今回、勝つために帰ってきたので、自分ができることを全て出して、目の前の1試合、1試合、チームとして勝っていけるように力を尽くしていきたいと思います。スタジアムで、皆さんの声援を聞けるのが楽しみです」とコメントした。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

◆「(内田)篤人さんの“SB絞りすぎるな論”、よくわかります」日本代表DF町田浩樹の守備哲学が面白い「欧州に来てからもずっと鹿島の…」(Number)





鹿島のサポーターからしたら『タイトルを置き土産にして、海外へ行けよ』という気持ちは少なからずあったと思うんです。
 それはヨーロッパに来てからもずっと頭の中にあって……。


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◆「(内田)篤人さんの“SB絞りすぎるな論”、よくわかります」日本代表DF町田浩樹の守備哲学が面白い「欧州に来てからもずっと鹿島の…」(Number)




 日本代表DF町田浩樹インタビューの第3回。自身のSNSで結婚発表した翌日の6月13日、ディフェンダーとしての興味深い守備哲学を語ってもらった。<全3回の第3回/第1回第2回も配信中>


 2023年10月13日。次回のW杯開催国カナダとの試合で、日本はホームゲームであるにもかかわらず、劣勢を強いられていた。昨年6月から今年1月アジアカップ初戦までの10連勝した試合のなかで、もっとも苦しい立ち上がりだった。

 理由は、守備が上手く機能しなかったからだ。

 そのせいで、前半20分過ぎにはVARのチェックが入った末にPKを取られてしまった。ただ、主審が映像を確認している間に、守備をどうすべきかを選手たちはピッチ上で話し合った。

 そこで挙がった改善点をプレーで表現し、試合の流れを変えたのが町田浩樹だった。


トミなら後ろを任せても大丈夫だろうと


 前半32分、相手陣内まで出ていき、縦パスをカット。味方につないだシーンは敵・味方の双方に大きな影響を与えた。

「マンツーマン気味にマークをつかみに行ったほうが、自分たちの守備がハマる感覚がありました。それにセンターバックでコンビを組んでいたのがトミ(冨安健洋)だったので、後ろを任せても大丈夫だろうと考えて。それで計2本くらい良い形でボールが取れたから、『これで行けるな』という感じになりました」

 センターバックが後方に構えてロングボールを跳ね返していれば良い時代は、とうの昔に終わった。時に、勇気をもって前へ出ていき、相手の攻撃の芽を刈りとり、自分たちの攻撃につなげていく。それが現代のセンターバックには求められている。あのプレーのように。

「やはり、前からのプレッシングを上手にはめられるチームは、強いと思います。もちろん、前からプレスに行く分、後ろが数的に同数になるので、広大なスペースを守らないといけないので大変ですよ。ただ、高い位置で取れれば取れるほど、自分たちの攻撃を高い位置からスタートできるというのもまた事実なので」

 実は、こうしたプレーは町田が23-24シーズンのユニオン・サンジロワーズで求められてきたものでもあった。


ベルギーで体感した「プル型」のプレス


 ライプツィヒの育成年代を網羅する形で指導してきたブレッシン監督は、オーステンデとジェノアを経て、ユニオンへやってきた。

 彼が求めてきたのが、前線の選手からスタートする「プル型」のプレスだった。

 これについては説明が必要だろう。

『ナーゲルスマン流52の原則』(ソル・メディア)のなかで、ドイツ代表監督のナーゲルスマンが現オーストリア代表監督のラングニックから〈プレスには2種類あると教えられた〉というエピソードが出てくる。

 1つが、後方の守備組織を整えてからDFが前線に指示を出してプレスをかける「プッシュ型」。もう1つが、前線の選手がプレスをかけるのに合わせて全体で連動していく「プル型」だ。

 ブレッシン監督は「プル型」をつきつめる指導者だった。

 昨シーズンのユニオンでいえば、プレスに行くための合図は主に2つ。2シャドーの選手がプレスをかけに行ったときか、サイドハーフの選手がプレスをかけに行ったときだった。彼らのプレスが合図となり、彼らにプルされる(引っ張られる)ようにチーム全員でプレスをかけていく。


「やられても大丈夫」くらいの心持ちの方が


 町田は鹿島アントラーズのユース出身だが、ユース年代ではそのような守備はほとんど求められなかった。ただ、その後に変化を感じた。

「(2020年に指揮した)ザーゴ監督はレッドブル系のチーム(*レッドブル・ブラジル)を率いた経験があって。あのあたりからヨーロッパの現代サッカーを学べました。今シーズンのユニオンではドイツ人のブレッシン監督の下でプレーしました。彼もレッドブル系のクラブ出身でプレッシングをだいぶ重要視する監督なので。そこでさらにブラッシュアップできたと感じます」

 ただ、センターバックである以上はデュエルの能力を上げなければいけない。

 2023-24シーズンの収穫はデュエルの部分でも手応えがあったことだ。一対一の局面で良い対応をすれば良いか。そのコツがつかめてきた。今では、以下のように言語化できるようになった。

「守備ってやはり、心持ちの方が大事だなと考えるようになりました。一対一になったときに、焦って『ヤバい』と思って取りに行くと、大体、抜かれるんですよね(苦笑)。逆に『やられても大丈夫だ』とか『相手の攻撃を遅らせらればいいんだ』というくらいの気持ちでやるとボールを取れたりするんですよ」


適切なポジションを“あえて取り続けない”ワケ


 それが成熟なのかもしれない。8月25日、27歳になる町田は「ようやくベテランのマインドを持てるようになったということですかね」と笑顔を見せる。

 昨シーズンは大きな怪我もなかったため、所属クラブでは国内のリーグやカップに加えて、ヨーロッパの大会にも参加した。リーグ戦はプレーオフも含めて31試合。国内カップが3試合で、ヨーロッパの大会は、ELプレーオフやカンファレンスリーグも含めて11試合。そして日本代表戦では10試合にプレーしたから、1シーズンで計55試合に出場したことになる。

 コンディショニングには気を配っていたが、1年間のなかでは良い時期も悪い時期もあった。ただ、思うようにコンディションが上がらない試合や疲労が抜けきれない状況で中心選手としてピッチに立ったからこそ、発見があった。

「『効率性』を学べました。どこで、“良い意味で”手を抜けるのかが大事だなと」

 適切なポジションを、あえて“取り続けない”ことも大切だと町田は気づいた。具体的にはどういうことか。本人の解説を元にまとめると以下のようになる。


篤人さんの「SB絞りすぎるな論」、わかります


 3バックの左センターバックに入った町田をイメージしてほしい。

 相手が右ウイングの選手を起点とした攻撃を繰り返してくると、町田を含めたユニオンの左サイドの選手は、その対応に追われる。それが続けば乳酸がたまり、疲れてくる。そんなとき、町田はあえて、セオリーから外れたポジションを取ることがあった。

 たとえば、相手のボランチがボールを持っているとする。その際、町田は右ウイングにボールが入ったときに対応する上で最適なポジションから〈少し右ウイングに近いポジション〉を取るのだ。こうなると、相手はパスを出すのをためらい、逆サイドからの攻撃などを模索する。そうなれば、相手の攻撃が続いて苦しんだユニオンの左サイドは、少しだけ息をつける。

 90分、もっと言えば長いシーズンのなかでは、そういう細かい駆け引きが必要なのだ。実際、町田が尊敬する鹿島の先輩・内田篤人などは「逆サイドにボールがあるときに、あえて内側に絞りすぎない」ような工夫も必要だと唱えているが、「篤人さんの『サイドバック絞りすぎるな』論などはよくわかりますよね」と町田は言う。


相手のレベルが高いリーグでどう改善していくか


 そうした駆け引きをしていくべきだと考えたきっかけは、過密日程以外にもある。

「一つあるとしたら……」

 町田が例に挙げたのは、2022-23シーズンのEL、シャビ・アロンソ監督率いるレバークーゼン戦である。対峙する右ウイングはディアビだった。23-24シーズンはアストン・ビラに移籍し、マンチェスター・ユナイテッドやチェルシーを抑えてCL出場権獲得の原動力となった選手だ。

「前半に一度、ディアビに縦へ突破されてしまったんです。そのシュートは外れたのですが、縦への突破を何度も許したらまずいと考え、ポジションを少しディアビ寄りに変えました。そうやって工夫するだけでもだいぶ変わりましたから」

 こういった手ごたえを積み重ねていく一方で、ステップアップが確実視される今後にむけて、課題もある。

「正直(レギュラーシーズンで1位だった)ユニオンの場合、ベルギーリーグでは下位チームが相手だと、ある程度手を抜いてもやれてしまうところがあって。ただ、相手のレベルが高いリーグではそうはいかなくなります。そこをどう改善していくかですよね」

 課題はあるが、ハッキリと認識できているからこそ、克服にむけて取り組むことができる。サッカー選手としての成長はその繰り返しだ。


鹿島への思いがあるからこそ、カップ戦制覇は…


 そんななかで、一つだけ、嬉しかったことがある。

 鹿島サポーターへの後ろめたさや申し訳なさを少しだけ克服できたかもしれないと感じられたからだった。

 かつて常勝軍団としてならした鹿島の先輩である内田は、Jリーグ3連覇を含めた4つのタイトルを置き土産にヨーロッパへ渡った。それに引き換え、自分は……。

「JリーグやACLを取ったときにはピッチに立っていなくて。2020年の1月1日、国立競技場のこけら落としの試合では左サイドバックとして先発しましたけど、ヴィッセル神戸に負けてしまいましたから。鹿島のサポーターからしたら『タイトルを置き土産にして、海外へ行けよ』という気持ちは少なからずあったと思うんです。

 それはヨーロッパに来てからもずっと頭の中にあって……。だからこそタイトルを取りたくて、(23-24シーズンの)ベルギーカップ優勝は個人的にも意味のある1つのタイトルでした。しかも、カップ戦の決勝では自分のゴールでチームを勝たせられたので、この上ない喜びでした」

 町田は今夏に移籍する可能性が高い。

 所属するユニオンは名選手の宝庫で、2年前には三笘薫がレンタル元のブライトンへ戻り、大活躍をした。昨年は、エースのボニフェイスがレバークーゼンへと移籍して、初優勝の原動力となった。ブレッシン監督などはわずか1年で引き抜きにあい、新シーズンからブンデスリーガ1部に昇格したばかりのザンクト・パウリを率いることになった。

 地元メディアなどからは、次は町田だと見られている。本稿執筆時点では移籍先は未定だが、新しいサイクルを迎え、成長するスピードをさらに上げたとしても決して不思議ではないのだ。

第1回第2回からつづく>



◆「妻も幅広く…」新婚・町田浩樹26歳が語る“起業と日本代表DF”の二刀流「英語の契約書チェック」「最近は“マチなら大丈夫だろう”と」(Number)






「アジアカップのときは『コイツをこの場面で使うのは怖いな』と考えられていたのだと思います。でも、最近は『マチなら大丈夫だろう』と森保監督やコーチのみなさんが思い始めてくれているのではないかとも感じていて。」

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◆「妻も幅広く…」新婚・町田浩樹26歳が語る“起業と日本代表DF”の二刀流「英語の契約書チェック」「最近は“マチなら大丈夫だろう”と」(Number)






 日本代表DF町田浩樹インタビューの第2回。自身のSNSで結婚発表した翌日の6月13日、知られざるオフザピッチの素顔に迫った。〈全3回の第2回/第1回第3回も配信中〉


 6月12日、26歳の町田浩樹はインスタグラムで結婚を発表した。

 そこに添えられていたのが、現在住むベルギーにある世界遺産グランプラスの前で撮った、純白のウエディングドレスを着た妻との写真だった。

「あそこに人がいない時間は早朝しかないので。あれを撮ったオフの日は朝の3時起きでしたね」



 早朝3時に起きてヘアメイクをしてもらい、5時に撮影は始まった。「世界で最も豪華な広場」と称される広場で、2人きりで撮った写真はきっと一生の記念になる。


妻も事業を…すごく理解してくれるんです


 鹿島時代の先輩である西大伍のYouTubeで〈僕はベルギーにいたので、1年間LINEと電話だけで〉とハートを射止めるまでの経緯を明かしているが……。

「妻も、幅広く事業をやっていたりするので。自分の活動にもすごく理解をしてくれるんです」

 これまでにプレーしたチームのカラーを中心に作られた花束を受け取った町田は、パートナーへの思いをそう明かした。

 ヨーロッパのカレンダーに合わせて、7月に始まり、6月に終わった2023-24シーズンを漢字一文字で振り返ると、こうなる。

「『充実』の『実』ですかね」

 種をまき、芽を出して、花が咲き、実がなった。そして今度は、その実が種となって次のサイクルを始める。そんな循環を想定しているからこそ『実』を選んだ。心から『充たされた』と感じるのはまだ先でいい。

 なぜ、そう考えるのか。

「ベンチャー投資もしたし、会社も設立しました。何より、日本代表にデビューして、アジアカップにも参加した1年でしたから」

 サッカー選手としての学びは後ほど詳しく触れるが、町田は、ピッチを離れたところでも2つの新しい取り組みをスタートさせた。

 1つ目が、ベンチャー投資だ。

 投資先となったのはスタートアップ企業のMurasakiだ。ブロックチェーンゲームを開発する会社で、GameFiを扱っている。GameFiとは、あるゲームをプレーすることで、NFTや仮想通貨を得られる。スポーツベッティングの新しい形とも言える。

 GameFiとして代表的なのがファンタジースポーツのゲームだろうか。スポーツ界に実在するアスリートをゲーム上で集めてチームを作る。それは仮想のチームであるが、登場する実在する選手たちの現実世界での成績やパフォーマンスがリアルタイムに連動して反映されるのがポイントだ。


なぜ町田は投資をしようと決断したのか


 Murasakiの代表取締役の一人である村田晋之佑は、ベルギーのシント・トロイデンで、かつてCOO(最高執行責任者)として働いていた経験がある。

 村田と知り合ってから投資を決めたのには、明確な理由があった。

「日本と海外のスポーツ界とを比較して、日本が追いついていない分野がありますよね。そういうところで何か手助けできればなということでジョインしたんです。スポーツベッティングについては色々な意見はありますけど、近年はカナダでも合法化され、G7ではスポーツベッティングを合法化していない国は日本だけらしいんですよね。

 そういう規制によって……たとえばホリエモン(堀江貴文)などもよく主張されていますけど、『富の海外への流失』が起きてしまっていますよね。それはやはり、もったいないじゃないですか? 僕が投資することで、注目も集まれば良いなと思ったんです」


契約書を一つひとつ英語でチェックしていった


 スポーツベッティングはもはや、サッカー界と切っても切れない関係にある。ベルギーのジュピラーリーグでもおよそ半分のチームで、スポーツベッティングの会社がユニフォームの胸スポンサーを務めている。先日、日本代表の鎌田大地が移籍したことで注目を集めるイングランドのクリスタルパレスの胸スポンサーも、ベッティングの会社だ。そうした状況を知ることで、町田は投資する意味を感じていった。

 ただ、投資を決めてから思わぬ苦労があった。契約書は全て英語だ。契約の際には弁護士に間に入ってもらうとはいえ、契約書を一つひとつ英語でチェックしていった。

「さすがに大変でした」と振り返るが、それでも最後まで頑張ろうと思えたのには理由がある。

「日本を出て海外で暮らすことで、日本の良さがわかりますけど、逆に、日本に物足りなさを感じる部分も出てくるじゃないですか。今回のことはそれを感じたからなんですよ」


サッカー少年少女のために…起業もした


 そんな町田がこの1年でスタートさせたもう1つの取り組みが、未来のサッカー少年少女たちの支援をするプロジェクトだ。この活動を始めるために、自身の会社も立ち上げた。

 まず、アンバサダーという形で関わることにしたのが「UNLIMITED GOALS 2024」というプロジェクトである。

 これは12月にバルセロナで行なわれる国際大会に、山梨県の小学5年生を無償で派遣するプロジェクトである。彼らが参加するのは一部では「小学生年代のチャンピオンズリーグ」とも言われる「TICTAC CUP」だ。U11やU10の子どもたちが参加する大会で、EURO準決勝で衝撃ゴールを決め、中学を卒業したばかりのヤマルや、カタールW杯メンバーのガビもかつて参加した。

 鹿島アントラーズユースの先輩から誘われ、町田が参画を決めたのには理由がある。

「僕は、小学6年生のときにオランダで行なわれるサッカー大会に出てチェルシーやアヤックスの下部組織のチームと対戦して、1-8で負けた経験もあります。中学生のときにはブラジルで『ジーコカップ』という大会に参加しましたし、高校ではスペインへ行き、バルセロナB(バルセロナのセカンドチーム)と試合をしたことがありました。

 ただ、それは鹿島のバックアップがあったから経験できたわけで、僕は恵まれていた方だと思うんです。だから今度は、Jリーグの下部組織に入れていないような子たちに似たような経験をさせてあげたいんですよね。僕もそういう経験を通して、身体の大きさや脚の長さ、技術レベルの違いを本当に、身に染みて痛感しましたから」


無償派遣にディテールまで…お飾りの参加ではない

 ポイントとなるのは、「無償派遣」だ。

「海外留学や海外の大会に参加しようとすると、普通に考えて、親御さんにかなりの負担がかかりますよね。だから、子どもの実力というより、家庭環境に左右されることになってしまう。才能があったとしても経済的な理由で参加できない子がいたら、やはり、もったいないじゃないですか。だから、スポンサーの方々にも協賛していただいて、こういう活動になりました」

 大会に派遣されるのは、山梨県内のチームに所属する10人程度の子たち。選手のセレクションは8月末から9月2週目までに始める予定になっている。そして、協賛スポンサーの「星野リゾート リゾナーレ八ヶ岳」の施設を借りて10月に最初の合宿を行ない、そこから月に1、2回集まって練習をした後、12月中旬にバルセロナで行なわれる大会に参加する予定だという。

 ただ、町田は単なるお飾りとして参加するわけではない。サッカー選手としての立場からディテールにもこだわった。

「山梨県で活動する1つのサッカーチームをそのまま派遣するほうが、ひょっとしたら手間がかからないかもしれません。でも、プロサッカーの世界では、パッと集まったときに、自分の能力を発揮したり、周りの良さを引き出すことが求められますよね。代表チームの活動などはまさにそうですし。だから、このような形にさせてもらったんです」

 まずは山梨県でスタートさせるものの、将来的には町田の故郷である茨城県をはじめとして、この取り組みを全国に広げていこうとしている。夢はふくらむばかりだ――。


アジア杯で味わった「歯がゆさ」


 ただ、町田がそうやって様々な取り組みに身を投じることができるのも、本業であるプロサッカー選手としての活動で結果を残しているからに他ならない。

 この1年を振り返ると、9月に日本代表デビューを果たし、今ではDFの定位置をめぐってチームメイトと日本史上最高レベルのレギュラー争いを繰り広げるまでになった。

 しかし、今年のアジアカップでは、最終戦となった準々決勝のイラン戦で、最後までピッチに立つ機会を得られなかった。

 練習からそれなりの手応えもあったし、その前の2試合では安定したパフォーマンスを披露していた。クラブレベルでも、アジアカップのおよそ1年前に行なわれたELのレバークーゼン戦では、イランのエースストライカーであるアズムンが途中出場してきたが、しっかり対応できた感覚があった。「アズムンとはいつかアジアで戦うことになるはずだ」と意識しながらプレーしていた。

 あれから時間が経った今、町田はこう振り返る。

「感じたのは悔しさというより、歯がゆさというか。ピッチに立たないと何もできないので。ただ、あの状況で、自分をピッチに立たせるという選択肢が監督の頭になかったということですから。自分は、まだまだ、だったなと……。信頼が足りなかったということですよ」

 ピッチに立った者には悔しさが残った。それとともに、1分もピッチに立てない者として、直接チームの役に立てない無力さや歯がゆさを覚えた。


森保監督やコーチが「マチなら大丈夫だろう」と


 苦い経験をさらなる成長のためのモチベーションに変えているわけだが、あの大会以降は変化も感じている。

「アジアカップのときは『コイツをこの場面で使うのは怖いな』と考えられていたのだと思います。でも、最近は『マチなら大丈夫だろう』と森保監督やコーチのみなさんが思い始めてくれているのではないかとも感じていて。何か明確なキッカケがあったわけではないですけど、雰囲気などから感じ取れるものがあるというか。

 なんだろうな……。練習での序列とかもあるかもしれないですね。今まではずっとサブ組にしかいなかったのに、たまに、スタメン組に入るとか。そういう変化はあるかもしれないです」

 この1年で、代表デビューを果たし、そこから出場試合数も10まで伸ばした。プレーの精度も上がったし、最先端のサッカーについて学んだ。この1年で、周囲にそう思わせるだけのものは積み上げてきたという自負がある。

 そして、日本にいたときに置き忘れてきたものも……。

つづく



◆結婚発表翌日、町田浩樹26歳に直撃「めっちゃ大変でしたよ」6年半かけて早大卒業…日本代表DFの文武両道記「特に芸術系の授業ですね」(Number)






 2021年、東京五輪での活動が予想されていた年には履修申請する授業の数を減らしたりするなどして、6年半かけて2022年に卒業。そして、早稲田の学生に与えられる最高の名誉、小野梓記念賞の2022年度のスポーツ賞も手にした。


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◆結婚発表翌日、町田浩樹26歳に直撃「めっちゃ大変でしたよ」6年半かけて早大卒業…日本代表DFの文武両道記「特に芸術系の授業ですね」(Number)





 日本代表のDFがヨーロッパ各国で存在感を見せる中、ベルギーの地で開花したのが町田浩樹だ。190cmの雄大な体格とともにインテリジェンスを感じさせるレフティの守備者は、オフザピッチを含めて理知的な一面を持っている。自身のSNSで結婚発表した翌日の6月13日、知られざる素顔に迫った。〈NumberWeb日本代表インタビュー、全3回の第1回/第2回第3回も配信中〉


 あなたにもしもプロサッカー選手の子供がいたら、きっと彼は自慢の息子だろう。

 つい先日、結婚を発表した町田浩樹は、現在の日本代表で“唯一の”大卒組だ。

「めっちゃ、大変でしたよ」

 カラッとした笑顔とともに、町田は当時を振り返る。相手のドリブルやクロスに対応したり、攻撃でも前にいる味方選手をサポートするために泥臭く走り回るのがディフェンダーだ。そんなポジションの選手らしく、明るい口ぶりだった。


勉強するために早稲田大学に入学した


 日本代表の歴史に詳しい人ならば、Jリーグ誕生に伴い一時は減少した大卒選手が、近年になって再び増えていることを知っているかもしれない。守田英正や三笘薫などは、高卒後すぐにJリーグ入りした選手がプロの壁に直面している期間に、大学で成長を遂げた。そして、プロ入り後すぐに主力となり、現在は海外で活躍している。

 町田が守田と三笘らと違うのは、大学のサッカー部に所属したわけではないことだ。サッカーをするためではなく、勉強をするために大学生になった異色の経歴の持ち主である。

 名門鹿島アントラーズのユースチームを経て、高校卒業に合わせてトップチームに昇格した。このタイミングで早稲田大学の通信教育課程に入学した町田は、6年半かけて、2022年に卒業した。

 ほめられるほどのことではないんです、と町田は謙遜して、こう明かす。

「当時の僕は大学に行く気がなかったんですよ」

 きっかけは、親からの提案だった。

「こちらでお金は出すから、せめて大学くらいは……」

 愛する子どもが大学に通えるように資金を準備し、万が一のことを考える……。町田は16歳のころから、年代別の日本代表の常連だった。それでも、彼の親はサッカー選手で大成できなかった時のことまで考えていた。それが親の愛というものだ。町田自身も高校での成績は良い方で、勉強するのが嫌いではなかったから早稲田の門をたたくことにした。

 ただ、この決断に異を唱える声も聞かされた。

「両立なんて無理だよ! 中途半端な覚悟では大成しないよ」

 というのも、2008年頃からそれなりの数のJリーガーが通信課程で入学してきたものの、卒業できない選手が大半だったからだ。勉強によほど興味があるか、スケジュール管理をしっかりできる人間でないと、卒業するのは簡単ではない。


キャンプで体をいじめ抜く期間に論文提出が


 町田も、毎年1月から2月ころには「本当にキツいわ」と感じることが多かった。

 通信課程では、この時期に1年の授業のしめくくりとして数多くの論文を提出しないといけない。しかしJリーガーとしては、プレシーズンキャンプに参加する時期だ。シーズン前のキャンプは、長いシーズンを戦い抜くための体力作りの場でもある。身体を徹底的にいじめ抜くようなメニューが用意されている。

 そんなトレーニングを終え、身体も心もヘトヘトになりながら、パソコンに向き合わないといけない。同期の選手たちが疲れをとるために温泉につかったり、身体を休めたりする中で、町田はキーボードを叩いていた。さすがにこの時期は辛かった。


初動負荷理論に心理学は面白い…でもノートは


 在籍した人間科学部には、スポーツに打ち込む学生に興味があるようなテーマも多く用意されているし、授業の科目もバラエティに富んでいる。トレーニングにも生かせるような初動負荷理論や、集団生活をする上で参考になりそうな心理学など、プロアスリートとして興味が持てるようなテーマはそれなりにあった。

 実際、積極的に勉強したのはプロサッカー選手としての活動につながるものだった。卒業論文のテーマは、〈サッカー選手のGPSデータとハムストリング(太ももの裏にある筋肉)の肉離れとの相関関係があるかどうか〉の考察だった。論文を書くうえで先行研究に目を通していると、FIFAが発表するW杯でのケガに関するデータに触れる機会もあった。詳細なものは「もしもフィジカルコーチになるならば役に立つようなもの」であり、今すぐに活用できるようなものではないが、知っていて損するものでもなかった。

 一方で、町田には一般の大学生にはないようなハンデもあった。

 普通課程の生徒であれば、普段の授業に出ていなくても、テスト前に同級生からノートを借りたり、先輩から過去問をもらったりできる。しかし、町田は通信課程の生徒だ。同級生と並んで授業を受ける機会などない。だから、全ての授業に独力で向き合う必要がある。もちろん手抜きもできない。

「さすがに建築の授業などはキツかったですね」

 苦笑まじりに振り返る。


「芸術系の授業が特に面白くて」オフに直島へ


 ただ、思わぬ分野との出会いもあった。その出会いがきっかけで、好奇心旺盛な町田は“学生時代”に、オフシーズンを利用して、香川県の直島を一人で訪れたこともあった。

「芸術系の授業は特に面白かったです。特に、現代芸術学では、ある作品にはどういう意味があるのかなどを学んだりしました。クリスチャン・ボルタンスキーという生死をテーマにアートをする作家がいて。心臓音を録音できる美術館(*『心臓音のアーカイブ』)などは勉強していたら気になって、旅行をかねて1人で足を運んだこともあります。一度ハマると、さらに知りたくなる探究心があるタイプなんですかねぇ」

 2021年、東京五輪での活動が予想されていた年には履修申請する授業の数を減らしたりするなどして、6年半かけて2022年に卒業。そして、早稲田の学生に与えられる最高の名誉、小野梓記念賞の2022年度のスポーツ賞も手にした。

 結果的に、多くのものを手にできたわけだが、町田は自身の特異なキャリアを後輩に見習って欲しいと考えているわけではない。

「別に、みんなが大学に入る必要があるわけではないですし。経験した身として言わせてもらえれば、自分の好きなことだけを学べればいいかなと思うくらいです。ただ、ある程度、強制的にやらされることで新しい分野と出会える部分はある。それは自分にとっては良かった。普通に生活していたら出会えなかったわけですから」


人生の伴侶を得た今、好奇心はピッチでも生きる


 ただ、無事に卒業するためには、好奇心に加えて、スケジュール管理の能力が求められるということだけは痛感した。

 町田はスケジュール管理が昔から得意だった。時間管理術の本を読み漁ったわけではないし、この点について親から厳しく教育されたわけでもない。ただ、夏休みの宿題についても余裕を持って終わらせるタイプで、8月の最終週になって焦るようなことはなかった。今考えても、そうした気質がなければ、大学生活を完走することはできなかったかもしれない。

 そんなスケジュール管理能力と好奇心は、海外で活躍する日本代表選手になり、人生の伴侶を得た今、サッカー以外の活動をする上でも大きな武器となっているという。

つづく




◆サッカー日本代表の佐野海舟容疑者を逮捕…30代女性に3人で性的暴行の疑い(読売新聞)






 女性に性的暴行を加えたとして、警視庁がサッカー日本代表MFの佐野海舟容疑者(23)ら男3人を不同意性交容疑で逮捕したことが捜査関係者への取材でわかった。逮捕は14日。


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◆サッカー日本代表の佐野海舟容疑者を逮捕…30代女性に3人で性的暴行の疑い(読売新聞)





 女性に性的暴行を加えたとして、警視庁がサッカー日本代表MFの佐野海舟容疑者(23)ら男3人を不同意性交容疑で逮捕したことが捜査関係者への取材でわかった。逮捕は14日。

 捜査関係者によると、佐野容疑者は知人の20歳代の男2人と共謀し、14日午前4時過ぎ、東京都文京区湯島のホテルで、30歳代の女性に性的暴行を加えた疑い。女性が直後に110番し、駆けつけた警察官がホテル近くの路上で3人を発見して身柄を確保した。3人は女性と事件直前まで一緒に食事をしていたといい、警視庁が詳しい経緯を調べている。

 佐野容疑者は昨年11月、ワールドカップ(W杯)アジア2次予選の日本代表に初選出され、今月4日には鹿島アントラーズからドイツ1部のマインツへの完全移籍が発表されていた。

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