
日刊鹿島アントラーズニュース
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2021年3月12日金曜日
◆鹿島アントラーズ、石井正忠の教え子であるタイU23代表MF獲得へ動くか!長崎や清水も関心(FOOTBALL TRIBE)

明治安田生命J1リーグの鹿島アントラーズはタイ・リーグ1(タイ1部)のサムットプラーカーン・シティFCに所属するタイU-23代表MFジャルンサック・ウォンコーンの獲得へ動く可能性があるようだ。11日、タイメディア『Khaosod』が報じている。
現在23歳のウォンコーンは鹿島アントラーズを率いた過去を持つ石井正忠監督のもとで今季は本職の右サイドのみならず左サイドで起用されることもある中、ここまで公式戦24試合に出場し2ゴール11アシストをマーク。タイ国内屈指の有望株として飛躍が大いに期待されている。
ウォンコーンはサムットプラーカーン・シティとの契約期間を2024年12月まで残しているが、同選手の去就を巡っては今冬にV・ファーレン長崎の関係者が石井監督にコンタクトをとったほか、清水エスパルスも以前から関心を示していると伝えられていたが、本人がタイ国内のメディアインタビューにおいて残留の意思を示していた。
ただ、一部ではウォンコーンがタイの国内リーグが終了後にJリーグへ参戦することも視野に入れているという声が上がっているほか、ここにきて鹿島アントラーズが同選手の代理人にコンタクトをとってオファーを提示するか検討しているという報道が駆け巡っているようだ。
北海道コンサドーレ札幌のMFチャナティップ・ソングラシンを皮切りにタイ人選手が次々とJリーグに挑戦している。鹿島アントラーズがタイから選手を獲得したことはないだけに、クラブ首脳陣は新たな獲得ルートを開拓するのだろうか。
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◆鹿島アントラーズ、石井正忠の教え子であるタイU23代表MF獲得へ動くか!長崎や清水も関心(FOOTBALL TRIBE)

◆浦和FW興梠「あの出来事は忘れちゃいけない」 東日本大震災10年、小笠原さんの背中を見て感じたこと(スポニチ)

10日のJ1横浜FC戦で右腓骨(ひこつ)筋腱脱臼から戦列復帰した浦和のFW興梠慎三(34)が11日、練習後にオンライン取材に応じた。
前日に後半37分から今季初めてピッチに立ったFWは、10秒で反対側のゴールまでパスをつないでシュートを決める練習や4対4のミニゲームなど、運動量の多いフルメニューを消化。「復帰してからゲームというゲームをしていない。狭いコートでゲームするのはいいトレーニングでしたけど、非常にきつかったです」と笑った。
完全復活の期待も高まる中、「どこかで先発の機会をもらえたら(コンディションが)上がっていくのかなと思いますけど。まだ早い。足の方も100%じゃない」と慎重に仕上げていくことを見据えた。
この日で東日本大震災発生から10年が経過した。当時、興梠は被害のあった茨城県鹿嶋市に拠点を置く鹿島に在籍。大変な思いをしている人が多い中で「練習していいのか」と葛藤があったという。チームメートだった岩手県出身の元日本代表MF小笠原満男氏(41)が被災地のために尽力する姿も間近で見ていた。「軽々しく発言できない」としながらも言葉を紡いだ。
「あのときのことは今でも忘れることなく自分の中で鮮明に覚えていますけど、あの出来事は忘れちゃいけない。まだまだたくさんの方が痛みを抱えている中、僕たちは夢や希望を与える職業なので、そこを忘れちゃいけないと思う」
10年が経過し、今は34歳。Jリーグではベテランの域に突入した。今季は4歳年上のC大阪FW大久保嘉人(38)がJ1最多タイの4得点と開幕から大車輪の活躍を見せている。大久保の「凄いファン」と言う興梠は「記録のところでは抜けないかもしれないですけど、僕としては浦和レッズで記憶に残る選手になりたい。ケガをしっかり治して1試合1試合大切に戦っていきたい」と力を込めた。
◆浦和FW興梠「あの出来事は忘れちゃいけない」 東日本大震災10年、小笠原さんの背中を見て感じたこと(スポニチ)

◆小笠原満男さんインタビュー 東日本大震災から10年「一人でも多くの命が救えるために」(SPORTS NAVI)

東日本大震災から10年が経過した。あの悲惨な出来事は大きな悲しみを残したが、同時にサッカー界をまとめる一つの契機を与えてくれた。小笠原満男の呼びかけに多くの選手が賛同し、その後の災害が起きた際にも、サッカー界としていち早くアクションが取れるようになったことは、少なくない前進と言えるだろう。
10年が経過したいまも小笠原は震災を風化させない活動を続けている。
「一人でも多くの命が救えるために」
その切なる想いを改めて聞いた。
ーー東日本大震災が起きた2011年3月11日から10年が過ぎようとしています。
最初のうちはなかなか時間が進まなかったですけど、10年経ったいま感じるのは、思うように復興が進んでいないということです。この年末は、コロナの影響もあって初めて地元に帰ることができませんでした。1年以上東北の様子は自分の目で見ていないので復興がさらに進んだ部分があるのかもしれません。一つ言えるのは10年というのは10周年という記念日みたいなものではない。10年経っても思うように復興が進んでいないのは残念なところです。特に陸前高田であったり南三陸であったり、まだまだとてもじゃないけど復興したとはいえない地域があるのが現状だと思います。
ーー震災当時、文字通り朝から晩までクラブハウスで作業されていた姿が思い浮かびます。当時をどう振り返りますか?
人のためになにか役に立ちたいという思いと、一人でできることの限界を痛感したのと、あとは助けてくれる人のありがたみをすごく感じました。選手会もそうですし、サッカー協会、Jリーグ、アントラーズの関係者、地元の方々にもたくさん助けてもらいました。一人ではできなかったものが、まわりの人に協力してもらうことで実現できた部分はとても多かったのですが、それでも復興のために必要なことは微々たるものでしかなかったです。困っている人、全員に手を差し伸べることができたわけではなかった。ただ、サッカー界だからこそできたことも数多くあったと思います。震災をきっかけに色々なつながりができたことはマイナス面ばかりではなかったですね。自分たちの活動を支えてくれる人がいたり、他のチームでも気にかけてくれる選手がいたり、いままでなかった繋がりができたことはよかったと思います。
ーーJリーグが再開されると対戦相手のチームが義援金を集めて渡してくれるなど、震災という辛い出来事がサッカー界を一つにまとめるいい事例になったように見えました。
過去の事例を詳しく知っているわけではありませんけど、東日本大震災以降も熊本の地震であったり、各地でいろいろな自然災害が起きました。そのときに「この間はうちが助けてもらったから、今度はうちが助けるよ」というようないい関係性が築けた気がします。鹿島でも東日本大震災で助けてもらった分、熊本地震の時に植田選手を中心にアントラーズの選手たちが動いて支援を行ったり、お互いが困ったときに助け合う関係性ができたのはサッカーの良さだと思いますね。
ーー支援活動を始めたときはなにから手をつければいいのかわからないくらいの状況だったと思います。最初は苦労の連続だったのではないですか?
みんなが協力してくれるんですけど、協力してくれればくれるほど支援物資を詰めるダンボールの数が増えて大変でした。それで試合に負ければ「止めた方がいいんじゃない」と言われたり、ただ物資を送れば地元には喜んでもらえる。そういう葛藤がずっとありましたね。そういう声も勝てばみんなが喜んでくれると自分のモチベーションに変えてやっていました。ただ、自分は悪いことをしていたわけではないという信念を持っていました。困っている人がいれば手を差し伸べて喜んでもらうべきだと思っていたので、地元への恩返しという気持ちでやっていました。
ーー「サッカー選手ならサッカーに集中するべきだ」という声は少なからずあったと思います。
ありましたね。試合で負けた後にイベントへ行けば「来て大丈夫ですか?」「練習しなくていいんですか?」と言われていました。でも、試合に勝ってそういう場所に行けば「おめでとう」と言ってもらえる。それを逆にモチベーションにしていました。とはいえ、震災にかかわらず負ければ叩かれるのはサッカー選手の宿命でもあるので、そこに対するスタンスは普段と変わりませんでした。
ーー震災が起きたときはJリーグも中断され、サッカー自体が止まってしまいました。プロになって初めての経験だと思います。サッカーが置かれている立場を改めて考えさせられたのではないですか?
昔っからサッカーボールが一つあればどこでもできるのがサッカーの良さだ、という話をずっと聞かされてきました。でも、あのときボールがあってもサッカーができないんだ、ということをまず思いました。特にアントラーズの地元でもガソリンスタンドにガソリンがなくなったり、コンビニやスーパーから食べ物がなくなっていき、電気や水道、ガスが止まっている地域もあって活動ができなくなりました。また東北の方ではとてもじゃないけどサッカーができるような状況じゃなかったし、サッカーができない状況が実際にあるということを初めて経験しました。
ーー震災直後、スポーツはどうあるべきだと感じていましたか?
震災直後は「やるべきではない」と確実に思いました。まず命を守ること、困っている人を助けるのが最優先だし、“サッカーで元気づける”という姿勢は綺麗事な気がしました。目の前に生きるか死ぬかの人がいるのに、サッカーで元気をつけるというのはなにか違和感がありました。飲料水が入ったペットボトルを一つ渡せば喜んでいる人がいて、おにぎり一つでも喜んでくれる人がいる状況で、「自分はサッカーを頑張ります」という姿勢は違うような気がしましたね。まずは人命救助を最優先すべきだと自分は思いました。
ーー震災の映像もそうですけど、その後に起きた津波の映像を見てしまうとスポーツをやっている場合ではないということはよくわかります。
最近、ニュースでも震災のことが多く取り上げられていますし、あの映像を見るたびに胸が痛くなるんですけど、決して目を背けちゃいけないし、いつかまた起きるだろうと想定しておくことが大事だと思います。
自分も地元を襲った津波の映像は結構見ていますし、それを主催したサッカー大会に集まった子どもたちに見せたり、アントラーズや関東から遠征で来ている津波を知らない子たちに見せたりしています。「みんなにもこういうことが起きるかもしれないよ」と伝えています。特に、岩手の大槌町で間一髪で助かった人の映像であったり、南三陸町の映像であったり、少しでも高いところに逃げることで助かる命があることを知って欲しい。
いまの小学生だと6年生で12歳。10年前の記憶はほとんど残ってないと思いますし、中学生でぎりぎり覚えているかどうかだと思う。小学生だとピンとこないと思うので怖がらせたくはないのですけど、いつか起きるかもしれない現実であること、地震が起き、津波が来るときは少しでも高いところに早く逃げる意識を持ってもらうために、あえて見てもらっています。
ーーただ、新型コロナウイルスの影響で、なかなか現地を訪れることも難しくなってしまいました。
そうですね。サッカーが自由にできない、いまの状況が10年前の当時とちょっと似ているところもあるんですけど、コロナが落ち着いたら東北各地にできた震災の遺構を訪れて欲しいと思います。陸前高田に津波が来て半壊した建物がそのまま残っていたり、岩手県宮古市には「たろう観光ホテル」という津波の怖さを伝える建物が残っています。宮城県の荒浜小学校もそうした遺構の一つです。ぜひそういうところを訪れて、津波の怖さを感じてきてほしいと思います。他にも陸前高田には「いわてTSUNAMI(つなみ)メモリアル」という東日本震災遺構伝承館、気仙沼にも気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館があります。震災時にどんなことが起きたのかを伝える建物ができているので、ぜひ多くの人に訪れて欲しいと思います。日本各地で南海トラフや関東大震災のような直下型地震がいつか起きると言われていると思います。いざ、そういうことが起きたときにどうすべきなのかをそういう施設を訪れて学んでおいて欲しいと思います。
ーー現在も東北人魂の支援活動を継続されていると思います。今後の支援はどのような形で考えていますか?
家が流された子どもたちは、ボールもスパイクも一緒に流されてしまい、最初はそうした物資を届けるところから始めました。少し落ち着いたあたりから東北出身のJリーガーで東北人魂を立ち上げて子どもたちとの触れ合い活動を続けてきました。去年もやったんですけど主催の小中学生の大会はずっと続けて開催しています。今年はコロナでできなかったのですが、大船渡でも毎年のように開催してきました。またアントラーズで同僚だった遠藤康も彼の地元の宮城県で大会を開いています。茨城県の波崎では中学生の大会を続けてきました。そういう大会はこれからも続けていきたいです。サッカーの試合をしながら、それと同時に震災のことも知ってもらう機会を設けていきたいと思っています。
ーー子どもたちの反応はいかがですか?
最初の頃は子どもたちにも「無理して見なくていいよ」と言っていたので、震災の映像が流れると席を立つ子もいました。でも、逆に最近はなにが起きたのか映像をじっと見ていると思います。「津波の映像を見たことあります」という子もいますし、そうやって啓発活動をするだけで助かる命があると思っています。津波が起きたときに多くの子どもたちが亡くなりましたけど、岩手の釜石市では約2,900人いた小中学生のほとんどの子が助かったと聞きました。「津波てんでんこ」という標語があって、地震があったら家族のことは気にせず、ちりぢりになってもいいからすぐに高台に逃げるということが徹底されていたそうです。避難訓練も繰り返しやってきたことで多くの児童が助かった町もあるので、そのちょっとしたことで生死が分かれる。これまでのことを語り継ぐことで、少しでも多くの命が助かる方に導いてあげる作業が大切なのではないかと思います。
ーー風化させないためにも、そうやって語り継ぐことが大切ですね。
あのとき、津波が2回あったことは知っていますか?2回目があったことが意外と知られていないんです。1回津波が来て、水が引いたと思って家に忘れ物を取りに行ったり家族を探しに行ったりした人たちがいて、第2波でもっと大きな津波が来て亡くなった人もいる。それを知っているだけでも助かる可能性が増えるかもしれない。熊本の地震も2回目があった。それを知っているだけで行動は変わってくると思う。それを知ってもらう作業はとても大事だと思います。
ーー先ほどいまのコロナで生活が制限されている状況が10年前に少し似ているかもしれない、という言葉があったと思います。この状況だからこそ、サッカーをやっている人ができることはありますか?
緊急事態宣言が出ていることでチームとして活動できないところもあるかもしれません。それによっていままでと同じ活動はできなくなっているかもしれないですけど、逆にいまこういう状況だからこそ、やるべきことを整理できている選手は伸びていくと思います。自分だったらチャンスだと思う。サッカーができないからといってダラダラした生活をして食生活が乱れたり、サッカーのトレーニングを怠る選手と、逆に「いまは他の人と差をつけるチャンス」と捉えて頑張る選手だと少し先に待っている姿は全然違うものになるのではないでしょうか。そういう意味で個人の姿勢がすごく問われる大事な時期だと思います。
いま指導者がすごく知識をつけて選手に色々教えてくれる時代になりました。でも、サッカーの根本は、自分で学んで、自分で考えて、自分で成長して、自分で伸びていくというのは変わらないと思う。いまこういう時期だからこそ、自分と向き合うことで必要なトレーニングに取り組めるし、長所を伸ばしたり弱点を補うことを自分で考えて取り組める子は必ず伸びていく。いまこそ人と差をつけるチャンスだと思いますね。
それは、W杯に出たり、海外に移籍したりする選手と話していても感じることです。彼らに共通しているのは全員が全員、見えないところで一人で練習、努力してきたこと。チームの練習だけが練習ではなく、シュートを外せば家に帰ってから公園に行ってシュート練習をしたり、ドリブルがうまくいかなければドリブルの練習をしてきた選手。パスがうまくいかなければ壁に向かって蹴る、止めるを繰り返してきた。あそこまで上り詰める選手、W杯に出るような選手は、やっぱり人よりもそうした努力をやってきていた。「そこで差がつくよ」とは指導している子どもたちにも話しています。
ーー昨年は指導しているアントラーズユースが所属するプリンスリーグの昇降格もなくなってしまいました。下部組織の子たちにはそうした話をされたのですか?
昇降格が無くなってしまって状況としてはかわいそうだったんですけど、中村幸聖前監督(現監督は柳沢敦氏)も学校が休校になった際に「逆に成長するチャンスだよ」と子どもたちに話していました。自主練習の時間を多く取り入れたり、自分たちでメニューを考えさせたり、ポジション別の練習も選手たちになんの練習をするのか考えさせたりして、アントラーズとしては非常に有意義な時間を過ごすことができたと思います。自分たちの試合を自分たちで分析させて、どんな練習をしないといけないのか出させたりして、こういう状況だからこそうまく時間を使うことができました。
ーーどんな状況だとしてもやれることはあるということですね。
そうですね、ピンチはチャンスだと思う。発想を変えればアイデアは出てくると思うし、新しいことをする絶好の機会でもある。いまだからこそできることはあると思います。
ーー現在はコロナ禍の状況ですが、幸いなことにJリーグは開催できています。
Jリーグのチームが仙台や山形、盛岡で試合をしたあと、津波伝承館にチームとして案内できたらいいですね。そういうところへ選手に行ってもらうことで、語り部の方が実際に体験したことを伝えてくれるので、じかに見て感じてもらえることがきっとあると思います。
これまで日本プロサッカー選手会では、陸前高田で継続的に支援活動を続けている川崎フロンターレのサポートを行ったり、宮城県で活動を行う名古屋グランパス、大宮アルディージャ、福島県で活動を行う横浜FCの復興支援活動をサポートしたりしてきた。
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◆小笠原満男さんインタビュー 東日本大震災から10年「一人でも多くの命が救えるために」(SPORTS NAVI)
◆鹿島アントラーズの背番号13は「違うものを持っている」。開幕2戦で3ゴール、19歳の荒木遼太郎が見せる成長(フットボールチャンネル)

明治安田生命J1リーグ第3節、鹿島アントラーズ対湘南ベルマーレが10日に行われ、3-1で鹿島が勝利した。先発起用された荒木遼太郎は、2得点の活躍でチームを勝利に導いている。
荒木は清水エスパルスとの開幕戦に途中出場してゴールを決めている。3日のYBCルヴァンカップ・サガン鳥栖戦では先発起用され、チームは3-0で公式戦初勝利を手にした。
湘南戦で荒木は3分にゴールを決める。山本脩斗のクリアが荒木の元へ渡り、正確なトラップから右足を振り抜いた。後半は鹿島が押し込まれる時間が続いたが、60分に追加点を決めたのも荒木だった。広瀬陸斗からスルーパスを引き出すと、そのまま反転してシュートを放つ。ボールは相手GKの股間を抜けてゴールネットを揺らした。
今季初勝利を手にした鹿島のザーゴ監督は荒木について、「将来的にレギュラーになる力を持っている」とコメント。「去年のキャンプから何か違うものを持っているなという感覚がある」とその素質を高く評価している。
東福岡高校から加入した昨季は、途中出場を中心にリーグ戦26試合に出場した。今季はすでに昨季(2得点)を上回る3得点をマーク。「若手の中で成長する速度は他より大きいと思う」と、指揮官は2年目の荒木の成長を感じている。
荒木が今季から付ける背番号13は、柳沢敦や興梠慎三がかつて付けた番号でもある。「自分のゴールは周りの選手のおかげでもある」。味方への感謝を口にする一方で志は高く、「どんどん結果を残して、日本代表にどんどん入っていったり、チームを優勝に導ける選手になっていきたい」と抱負を語った。
(文:加藤健一)
【了】
◆鹿島アントラーズの背番号13は「違うものを持っている」。開幕2戦で3ゴール、19歳の荒木遼太郎が見せる成長(フットボールチャンネル)

◆山形出身の鹿島土居「希望になれれば」東北へ思い(ニッカン)

山形県出身の鹿島アントラーズMF土居聖真(28)が湘南ベルマーレ戦の勝利から一夜明けた11日、オンラインで取材に応じ、震災から10年を経た東北に思いを寄せて、「皆さんに頑張ろうと思える希望になれれば」と勇気づけるプレーを誓った。
11年3月11日、プロの世界に足を踏み入れたばかりの土居はクラブの寮にいた。ニュースで鹿嶋市内だけでなく、東北の大きな被害を知った。クラブの先輩で岩手県出身の小笠原満男氏が東北に縁のある選手を集め「東北人魂」を立ち上げ、山形県出身の土居も参加。被災地に足を運び、サッカーを通じて交流を深めてきた。
土居は「今でも10年前に東北人魂の活動で、宮城、岩手に行ったときの被災地の建物、駅、海沿い…。言葉に表せない悲惨な状況がすぐ頭に浮かんできます」と振り返り「何年たっても、あの場所にいた人たちの心というのは癒やされないままだと思う」とおもんぱかった。その上で「僕個人としては、サッカーでしか勇気づけることができないので、僕らが少しでも皆さまの何かになれればなといつも考えている。1つでも、1人でも多くの人に響くようなプレー、勝利を目指して頑張っている。皆さんにも頑張ろうと思える希望になれればなと考えています」と決意を言葉にした。
10日の湘南戦では、積極的にドリブルで仕掛け先制点をアシスト。今季は「強気な攻め」が光っている。「湘南戦は3人、4人が絡むような攻撃もたくさんできましたし、相手に守備の部分で的を絞らせない攻撃は多々出来たんじゃないかと。そこの起点だったり、先頭に立つのが自分でなくちゃいけないなと思う」と攻撃の要としての役割を自負し、13日のサンフレッチェ広島戦を見据えた。
◆山形出身の鹿島土居「希望になれれば」東北へ思い(ニッカン)

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