遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(31)
ジーコ 後編
◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)
◆リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で 号泣。「あのとき覚悟が決まった」(Sportiva)
◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)
◆鹿島一筋12年の遠藤康。 「小笠原満男の跡を継ぐイメージはないです」(Sportiva)
◆熊谷浩二は鹿島入団をすぐ後悔した。 「ここに来なければよかった」(Sportiva)
◆熊谷浩二は選手たちに伝えている。 ジーコスピリッツは人生にも必要だ(Sportiva)
◆三竿健斗は感じている。勝たせるプレーとは 「臨機応変に対応すること」(Sportiva)◆塩釜FC時代の遠藤康は 「鹿島からオファーが来るとは思わなかった」(Sportiva)
◆鹿島一筋12年の遠藤康。 「小笠原満男の跡を継ぐイメージはないです」(Sportiva)
◆熊谷浩二は鹿島入団をすぐ後悔した。 「ここに来なければよかった」(Sportiva)
◆熊谷浩二は選手たちに伝えている。 ジーコスピリッツは人生にも必要だ(Sportiva)
◆三竿健斗は足りないものを求めて 「ギラギラした姿勢で練習した」(Sportiva)
◆安部裕葵は中学でプロになると決意。 その挑戦期限は18歳までだった(Sportiva)
◆安部裕葵は断言。「環境や先輩が 僕をサッカーに夢中にさせてくれる」(Sportiva)
◆ジーコは意気込む。鹿島のために 「現場に立ち、構築、修正していく」(Sportiva)
公式戦6連勝、4試合連続完封と3つの大会で勝利を重ねてきたチームが、開始6分で2失点を喫してしまう。
2分、相手のコーナーキックから内田篤人が胸に当てたボールは自陣のゴール方向へ飛び、これをクォン・スンテがゴールライン上でかき出したが判定はオウンゴールとなった。6分には、山本脩斗が右サイドのスペースの無いところへ押し込まれ、そのボールを拾われてペナルティエリアに侵入を許し、シュートを決められた。
リスタート直前、自然と選手たちが集まり、声を掛け合う。その輪のなかに、ゴールを守るクォン・スンテが遅れて入り、言葉を発した。
「まだ80分ある。ここはホーム。まずは1点、1点返すことを考えよう」
スンテはそう語ったという。
「このままやり方を変えずにやろうと話し合った」三竿健斗が振り返る。
なんとか、落ち着きを取り戻したかのように見えたが、それでも安定感があったわけではない。2点のビハインドは決して小さくはない。2-0は危険なスコアとはサッカー界ではよく言われる話だが、国際試合のホームアンドアウェーで、相手にアウェーゴールを許すことの意味は、リーグ戦以上に大きい。まずは1点を返す。その想いがはやるからなのか、寄せの早い相手を前にして、ボールを失う場面も少なくはなかった。
好調の最大要因、ピースとなっていたボランチのレオ・シルバはこの日出場停止。チームは、まるで体幹が崩れたかのような不安定さを払しょくできなかった。歯車が上手く回っていない印象はぬぐえない。
21分にオウンゴールで1点を返したあとも、攻め続けたが逆にカウンターで攻撃を受けるシーンもあった。これ以上は失点できない。しかし点を獲らないと勝てない。当然のジレンマを抱えていたはずだ。
前半終了間際の44分、右サイドからのクロスボールの競り合いからボールがこぼれて、相手にシュートを許したが、スンテと内田がゴールライン上でブロック。そのとき、相手選手に激しく気持ちを露呈したプレーでスンテがイエローカードを受ける。
「スンテがイエローカードをもらったあの瞬間、やっとチームにスイッチが入った」と内田が振り返る。見方によっては1発退場の可能性もある行為だった。
「やってはいけないことだとわかっていたけれど、チームに喝を入れたかった」とスンテ。「勝てて良かったです」と試合後に話した。取材エリアでは、いつも穏やかな表情を浮かべながら、笑いを誘うことも多いスンテなのだが、この日の試合、ACL準決勝ファーストレグの水原三星戦直後、記者の質問に応じるスンテの表情に笑みは一切なく、表情も口調も厳しかった。
「最初もったいない失点が続いていて、こういう試合はそういう細かいミスから勝負が分かれるというのは選手たちにも強調しました。もちろん、相手が韓国のチームで負けたくないという気持ちもありましたし、球際のところで、負けて入るのはよくないと思っていた」
チームメイトが戦えていないと強く感じたのだろう。苛立ちがあっても当然だ。どんなに試合時間が残っていても、失った点は戻ってはこないのだから。
「もっとしっかり戦わないとダメだ」
スンテの声はハーフタイムのロッカールームにも響いた。
後半はほぼ一方的に水原陣で試合が展開され、鹿島アントラーズは攻めに攻めた。しかし、そこには手詰まり感も漂っていた。
56分安部裕葵に代えて、安西幸樹を投入し、72分にはボランチの永木亮太に代わり、土居聖真がピッチへ送り出される。土居はボランチの選手ではない。それでも、そこでゲームの流れは変わる。「聖真が入って良い位置でボールを受けられるようになったことで流れが変わったのが一番のポイント」と、83分に遠藤康に関わり、右アウトサイドで投入された西大伍が話す。そして、1分後の84分。彼のファーストタッチがセルジーニョの同点弾を生む。
チョン・スンヒョンからの縦パスを受けると、ターンして、前を向いた。
「最初はセル(ジーニョ)のことは見えていなかった。なので、どうにでも動かせるようなところにトラップしてボールを置いた」
置いたところで、セルジーニョのポジションを確認。絶妙なパスを送り、同点弾はあっけなく決まる。西の判断、そして彼の高い技術とコンディションの良さが光るプレーだった。
チョン・スンヒョンは言う。「西大伍だから、西大伍だからこそ、まわりが驚くプレーを信じて、パスを出しました」
そこからさらに鹿島の攻撃は加速度を増す。内田、山本の両サイドバックが高いポジションを取り続けた。ハーフの選手もそれに続く。カウンターのリスクも当然あるが、「後ろはセンターバックとボランチとで守り切るつもりでやっていた」とは三竿。
そして、スンテの好セーブは続く。ゴールライン上ギリギリのところでセーブし、鬼の形相。唯一ACL王者に立った経験を持つスンテは、絶対的な存在感を放ち、水原のシュートは枠を外れる。
「僕が以前プレーしていた全北現代を破って勝ち上がってきた水原には、負けたくはなかった。水原サポーターは多分、僕のことが嫌いだから、アップしているときからスタンドの水原サポーターからは、罵詈雑言が飛んでいました」
破顔しそう言った。取材開始後初めてスンテの顔から笑顔が生まれた瞬間だった。
「敵地水原へ行けば、もっとすごいことをたくさん言われるはず。だから、チームメイトに言っておきたいことがあった。『俺はこんなことを言われている。だからこそ、勝ってくれ』って」
後半アディショナルタイム。敵陣向かって右。好位置でFKを得ると、鹿島の選手が敵陣のペナルティアーク付近に並んだ。そのとき、スンテが安西を呼び、少し自陣へと下がらせた。
「セルジーニョのFKが素晴らしいことはわかっていたけれど、壁に立つ相手の選手がカウンターを狙っているように見えた。だから、安西に下がるよう指示した。試合は笛が鳴るまで終わっているわけじゃないから」
そのFKからのこぼれ球をペナルティエリア内中央で内田がシュート。1度は相手に当たったものの跳ね返ってきたボールをシンプルに蹴った。「なんか変なシュートになっちゃったけど、とにかく、オフサイドになるから、(山本)脩斗さん触らないでと祈っていた」と内田。その目線の先で、ボールはゴールに吸い込まれた。アディショナルタイムでの逆転劇。遠藤に代わり途中からキャプテンマークを撒いた内田がヒーローに輝いた。
チームメイトにもみくちゃにされながら喜んだ内田だったが、試合後は淡々とした様子だった。厳しい言葉も自然と口をついた。開始早々の2失点。しかもホーム。守備陣としては許しがたいことだった。逆転はできた。得点も決められた。それで良し、とはできない。だからと言って、反省しすぎてもいいことはない。
「勝って兜の緒を締めよって日本では言うけど、勢いに乗ることも大事。欧州の選手だったら、最初の2失点のことなんて、みんな覚えてないよ」
バランスを度外視し、リスクにひるまず、必死に勝利だけを信じた。時計の針と共に焦りは当然生じる。そういうなかで、熱さを隠すことなく、食らいつくようにゴールへの執着心を発露させた。それが鹿島の男たちの意地だった。
「相手が韓国のチームだから、絶対に負けたくはなかった。鹿島アントラーズのために、勝ちたかった」
加入からわずか2か月。若いスンヒョンの顔が晴れ晴れしかった。
北関東に位置する小さな鹿嶋は、Jリーグ強豪クラブのホームタウンとして、全国区の知名度を得ることになった。その第一歩となったのはブラジルの英雄であり、世界のトップスターだったジーコが訪れたことだ。16年ぶりにテクニカル・ディレクターとして古巣の現場に復帰したジーコは、アントラーズの未来をどう描いているのだろうか。(取材は8月22日)
――この小さな町に、プロクラブを根付かせるのは、容易なことではなかったはず。創設当時大切にしていたこととはなんでしょうか?
「プロクラブを作ったとしても、町の人が興味を持ってくれなければ、何の意味もないと考えました。なので、選手たちには、練習前後にサポーターにサインをするとか、写真を一緒に撮るとか、サポーターへのサービスをきちんと行ってほしいと要求しました。町中でも、『スタジアムや練習場へ足を運んでください』と、鹿島アントラーズを宣伝してほしいとも言いました。そして、当時の地元の方たちが、鹿島アントラーズは町の誇りだ、というところにたどり着いたのは、とても幸せなことでした。私自身にとってもそうですし、クラブを作った人たちにとって、地元の方々の熱がもっとも重要な力になりました。そういう後押しがチームに勢いをもたらし、勝つことができたのです。そして、現在にたどり着きました」
――当時からクラブの哲学となった『スピリット・オブ・ジーコ』の「献身・誠実・尊重」という3つの言葉のなかでもっとも重要なものは?
「私は『誠実』だと思っています。どこの世界でも、努力する『献身』であるというのは、誰もがやることです。そして、『尊重』というのも普通に存在しています。しかし、いろいろな場所へ行き、感じたのは、成功の可否を分けるのは『誠実』だということです。誠実さに欠ける人間がひとりいることで、尊重や献身が崩れ、うまくいかなかった経験があります。チームメイト、スタッフ、サポーターに対して誠実に向き合うことは非常に重要なことです。表と内とで違う顔を見せていると、やがて大きな問題に発展してしまいます。
たとえば、身体に痛みがある、怪我をしていたのに、それを隠して試合に出る選手がいました。理由はいろいろとあるでしょう。試合に出ることで得られる報酬に目がくらんだかもしれません。とにかく、怪我のことは誰にも告げず、試合に出場し、怪我を悪化させることになってしまった。腓骨にヒビが入っていたのですが、完全に骨折し、手術が必要となり、長期間離脱することになってしまったのです。試合に出たいがために、怪我を隠し、監督であった私をはじめ、メディカルスタッフなどたくさんの人をだました。その不誠実な行動が、チームの状況すら変えてしまったのです」
――鹿島アントラーズは「勝利へのこだわり」が強いと言われています。改めて「勝利」はクラブに何をもたらすのでしょうか?
「スポーツ、競技をやる以上、その大会に参加するだけではなく、優勝というものが、個人であっても団体であっても当然求められます。競技者自身がある一定の状況に達すれば『優勝したい』と思うのも当然でしょう。
鹿島アントラーズの選手たちは、このクラブの一員になった時点で、勝つことに対する執念を事前に準備しなくてはならない。もしくは、入った瞬間に、チームメイトをはじめ、自分を取り囲む状況から、勝利に対する意識、こだわりを持たなくてはならないと学ぶのです。
ましてやアントラーズのサポーター、ファンは、鹿嶋の地元にだけいるわけではありません。これは世界でも非常に稀な例だと思うのですが、鹿島アントラーズを応援してくれる人は日本全国にいます。だから、日本のどこへ行っても『アントラーズの勝っている姿を見たい』という彼らの期待、願いに応える義務が我々にはあるのです」
――それが、鹿島アントラーズのユニフォームを着ることの意味なのでしょうか? 袖を通す覚悟というか。
「そうですね。ここでは、常に勝利に対する意識、こだわりが求められるということを、今後このクラブに入ってくる選手にも伝えたい。また、様々な要求に応える姿勢を持ってほしい、持たなくてはならないと考えています。私自身、現役時代、引退後のいろいろな立場で、いくつもの要求がありました。その時々、それに応えようと、自分自身で考え、すべきことを探し、その要求に応えてきました。これは競争意識の高い人間が持つ当然の思考だと思います。
要求される、要望されるというのは、どういうことなのかを考えなければなりません。要求は時には、注意や指導、指摘であるかもしれません。しかし、それに応えられる、それができる人だから、要求されるのです。できない人には何を言っても意味がありませんから、声をかける人は誰もいないでしょう。
要求に応えるというのは、最低限のプロ意識です。だから、それを私は選手たちに持ってほしいと考えています」
――クラブの未来に対して、どういうビジョンを抱いていますか?
「鹿島アントラーズの仕事に就くわけですから、最初から高いモチベーションで来日しました。しかし、実際にクラブの現状を見たとき、『これをやらなくちゃいけない』『これも必要だな』とすべきことをたくさん見つけたわけです。そこで、『ここを改善してください』とレールだけを提案して、シーズンが終わる12月でクラブを去るのは、非常に意味のないことだと思います。その後も引き続き、現場に立ち、きちんと構築、修正しなければ、現在の半年間は無意味な時間になってしまいます。
例えば、外国人選手の獲得に関しても、監督が、その外国人選手の能力に疑いを持ちながら起用するようなことがあってはいけない。私の外国人選手に対する哲学というのは、自分が現役時代だったときから変わりません。
外国人選手というのは、日本人以上の力を持ち、それを示さなければいけないのです。外国人選手は助っ人選手なのですから。戦力として、プラスになるのは当然のことです。そして、それだけではなく、お手本として、日本人選手の成長を促すような、刺激を与える存在にならなければいけません。わざわざ来日して、日本人選手とポジション争いをするようでは、何の意味もありません。獲得に使った時間と資金が無駄になってしまいますから。だから、『こういう選手を獲得すればいい』と提案するだけではなく、獲得した選手にも責任を持たなければいけないと思っています」
――これからの鹿島アントラーズに期待することってなんでしょう?
「今後に関しては、予算を確保し、それを使う計画的なプロジェクトを実施していかなければなりません。クラブ、チームというのは良い人材がいて、さらに彼らが育っていくことが重要です。いろんな部分でのインフラ整備が大切になります。だから、そのための投資もしなければいけない。そうすれば、選手に対しても、厳しい要望や要求をし、もっと、プロとしての結果というものを求めることができるのではないかと考えています」