日刊鹿島アントラーズニュース
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2015年12月5日土曜日
◇広島・寿人、CS日程に提言「中2日でやる意味があるとは思えない」(サンスポ)
http://www.sanspo.com/soccer/news/20151205/jle15120505010004-n1.html
日本プロサッカー選手会の会長も務める広島・佐藤は4日、日程面で提言を行った。「本来であればJ1昇格プレーオフ(6日)を5日にし、CS決勝第2戦は6日でよかった。そうすれば中3日が確保できる。中2日でやる意味があるとは到底思えない。間違いなく改善点」と語気を強めた。また「Jリーグをアピールする絶好の機会。昼にやれば試合後の時間をメディア出演など有効に使える」と話した。
◆J2降格の山形、FW中島、FW萬代ら4選手と来季の契約を更新せず(サッカーキング)
http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151204/376854.html
今季限りでの退団が決まったFW中島(写真は2014年) [写真]=Getty Images
モンテディオ山形は4日、FW中島裕希、FW萬代宏樹、MF日高慶太、DF中村英之の4選手と来季の契約を更新しないことを発表した。
現在31歳の中島は2003年に鹿島アントラーズに入団。その後ベガルタ仙台を経て、2012年に山形に加入した。Jリーグ通算352試合に出場し、60得点を記録。今季は2015明治安田生命J1リーグ31試合に出場するも、2得点に留まっていた。
萬代は2004年に福島東高校から仙台に加入。その後、ジュビロ磐田、サガン鳥栖、ザスパクサツ群馬を渡り、2012年に山形に移籍した。Jリーグ通算289試合出場45得点を記録。しかしながら、今季はJ1リーグ5試合の出場に留まり、得点も挙げられなかった。
山形は今季J1リーグで4勝12分け18敗の勝ち点24と年間18位に終わり、来季のJ2降格が決定している。
◆鹿島 11月に練習参加、韓国人高校生DF獲得を見送り…(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/12/05/kiji/K20151205011627480.html
鹿島は9月と11月に練習にテスト参加していた韓国人高校生DF金智錫(キムジソク=18)の獲得を見送った。クラブ幹部が明かした。
11月15日の湘南との練習試合に左サイドバック(SB)として45分間出場。そつなくプレーしたが、目立ったアピールとはならなかった。鹿島の左SBはDF鈴木隆の今季限りでの退団が決まっており、補強ポイントとなっている。
◆【論説】鈴木隆行選手が引退 新たな場でも活躍を(茨城新聞)
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14492493755845
サッカー元日本代表で、J1鹿島やJ2水戸で活躍した日立市出身の鈴木隆行選手が現役引退を表明した。Jリーグでの活躍はもちろん、2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会では、1次リーグ初戦のベルギー戦で得点を挙げ、日本中を歓喜に包んだ。一方で、東日本大震災で大きな被害を受けた「茨城のために」と11年6月、J2水戸に入団、当初は無報酬で水戸を引っ張り、故郷への思いも厚く重ねた選手だった。引退後もその経験を生かし、新たな場での活躍を期待したい。
ベルギーと引き分けたW杯初戦、初得点を挙げた鈴木選手は一躍時の人となった。ゴール前にこぼれたボール。思い切り伸ばした右足が、日本が息を吹き返す同点ゴールとなった。高い身体能力とひた向きさ。W杯での活躍は海外の目にも留まり、大会終了後の7月にはベルギー1部のゲンクに期限付き移籍が決まり、鹿島から世界へと活躍の舞台を移した。
日立工高時代は不言実行タイプ。ユース代表に選ばれ、そこで学んだ練習方法や食事管理などを同級生や後輩たちに伝え、無口だが面倒見のいい男だったという。
サッカーでは苦労を味わった。鹿島に入団したものの、出番に恵まれず、フロントに直訴してブラジルの地方リーグに武者修行に出た。芝は荒れ放題、シャワーは水だけ。はい上がろうと必死にボールを追うプロ予備軍の選手たち。汚れた寮に暮らしながら、日本では味わえないハングリーさを痛感した。帰国後、頭角を現し、日本代表となりW杯出場を果たした。
闘志むき出し、体を張ったプレー。多くのファンが持つ鈴木選手へのイメージであろう。W杯後は国内外でプレーを重ね、2010年に一度は引退を考えたが、東日本大震災が大きな転機となった。
「最後は地元に貢献したいという気持ちが強かった。震災があって、さらにそういう気持ちが強くなった」。日立市内の実家も被災。多くの人が不安を抱える中、「元気を出し、少しでも楽しんでもらえるようなことをしよう」。答えは現役続行、サッカーだった。当時、経営が厳しかった水戸に対し、自ら申し出て無報酬のアマチュア契約を結んだ。
世界を舞台に活躍した選手が水戸のユニホームを着る。プレーヤーとしての存在感は際立った。球際や当たりの強さは群を抜き、自ら味わったサッカーの厳しさ、経験をチームに還元した。多くの報道陣が取材に訪れ、チームのスポンサー獲得や新たなサポーター開拓にもつながった。チームばかりでなく、地元を元気づける存在ともなった。
水戸に入団したのは35歳の時。FWとして4季にわたり活躍し、今季からJ2千葉に移っていた。7日に会見予定だが、次のステップとして何を目指すのか、ファンには気になるところであろう。
昨年12月、日立市内の母校の中学校で講演した際、自らの将来については「自分が今まで積み重ねてきたものを教える立場になりたい」との考えを示している。水戸に所属していた当時、「人生を懸けて、これだけ気持ちが高揚するものってサッカー以外にない。勝負の世界、そういう現場で仕事がしたい」とも語っている。
県内出身者として鹿島や水戸で活躍し、一流選手として大きな足跡を残した鈴木選手の第2ステージにエールを送りたい。
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