日刊鹿島アントラーズニュース
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2016年3月9日水曜日
◆内田 U19に辛口エール「この中の何分の一かは消えていく」(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/03/09/kiji/K20160309012180820.html
シャルケのDF内田が、東京五輪世代に辛口エールを送った。右膝のリハビリで帰国しており、都内で行われているU―19日本代表合宿を訪れた。
練習後に全員の前であいさつ。既に公式戦に出場した選手を挙手させ、「この中の何分の一かは消えていくので頑張ってほしい」と助言を送った。最後は「シャルケにも来てね」とフォローし、全員と記念撮影をして会場を後にした。
◆内田がU-20W杯目指すU-19代表候補を激励!!「誰がどこで見ているか分からない」世界経て次のステージへ(ゲキサカ)
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?184631-184631-fl
世界で自身の存在を示し、戦ってきた先輩の言葉が若き才能たちを刺激した。都内で合宿中のU-19日本代表候補は8日午後、GKを入れての8対8や6対5+GKのオフェンス・ディフェンスなどのトレーニング。今年10月にU-20W杯アジア最終予選(AFC U-19選手権バーレーン2016)を戦うU-19代表候補の選手たちは意欲的に汗を流していた。そのU-19代表候補を現在リハビリで帰国中の日本代表DF内田篤人(シャルケ)が激励。トレーニングをピッチ脇、スタンドから見つめた内田はトレーニング終了後、清水東高の先輩でもある内山篤監督率いるチームの前に立ち、メッセージを送った。
年代別日本代表の後輩たちの視線を浴びる中で口を開いた内田は、半数以上がプロの選手たちに対して必要以上に語るのではなく、短めの言葉で世界へ出て行くことの重要性を語った。そして自身がケガを負った膝を大事にすることと「頑張れ」という言葉を微笑みながら伝え、選手たちと記念撮影も。練習会場を後にした内田は「(世界)大会ひとつ逃すと変な意味、スカウトの目もなくなっちゃう。誰がどこで見ているか分からない。そういう先のことを考えても(世界大会に)出ていた方がいい。世界を見るのもそうだし、世界に出ていくためにもU-20ワールドカップには出ていた方がいいと思います。きょう手倉森さんも見に来ていましたけれども、(U-)23への道もあるし、いいね、若いって。可能性は無限大ですよ」。この日はリオデジャネイロ五輪への出場権を獲得しているU-23日本代表の手倉森誠監督もU-19代表候補合宿を視察。彼らには自分次第でチャンスを掴む可能性がいくらでもある。
内田は清水東高時代、静岡県選抜の一員として国体に出場したものの、所属チームでは激戦区・静岡を突破することができず、全国高校選手権や全国高校総体には一度も出場することができていない。それでも年代別日本代表の右SBとして多くのスカウトの視線を浴びたことでまた評価を高め、争奪戦の末に鹿島へ進むことを決めた。そしてすぐに名門クラブでスタメン起用されたDFは年代別日本代表としても06年のAFCユース選手権(現AFC U-19選手権)に出場。世界切符獲得に貢献し、翌07年のU-20W杯にもU-20日本代表として出場してベスト16入りを経験している。その後、鹿島、日本代表不動の右SBとして、ドイツの強豪・シャルケの主力として戦ってきた。
内田やMF柏木陽介、DF槙野智章、MF香川真司らが出場した07年のU-20W杯を最後に日本は4大会連続アジア予選で敗退。U-20の世界大会に出場することができていない。この日刺激を受けた選手たちは、日本の世界大会出場のために戦うことはもちろん、個人としても欲を持って戦い、世界へ羽ばたいていくチャンスを掴むことができるか。先輩DFの言葉に、選手たちは確実に気持ちを奮い立たせていた。高校2年生ながらすでにG大阪のトップチームへ昇格しているMF堂安律は「やっぱり上の選手とやりたいですし、やるからにはプロなんでチャンス掴んで上に上がっていくしかない。そういう面ではきょうは刺激受けましたね」。また6日の甲府戦でJ1デビューを果たしているSB初瀬亮(G大阪)は「世界では自分の年でデビューしている海外の選手もいますし、年齢関係なく、世界に出れば、海外の目も向いてくると思いますし、そこへ行くためには日本で活躍しないと呼んでもらえない。(国内で活躍し、アジアを突破して)U-20ワールドカップに出たいと思います」と力を込めた。
後輩たちにエールを送った内田は、U-19日本代表の選手たちに日本のサッカーを元気づけて欲しいという思いも口にした。「なでしこ負けちゃったし、フットサルも負けちゃったし、(日本が)あんまり最近元気ないんで頑張って欲しいと思っています」。U-19日本代表はもちろん、U-20W杯へ出場することを全力で目指している。この日、先輩からの言葉にまた世界への思いを強めたイレブンが、アジア突破に挑戦する。
(取材・文 吉田太郎)
◆【鹿島】小笠原、年1回でも震災語り継いで「防災意識につながる」(報知)
http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160308-OHT1T50179.html
MF小笠原満男(36)=鹿島=が8日、東日本大震災から5年となる11日を控え、取材に応じた。時間の経過とともに「人の記憶が薄れていくのは仕方がない」としながらも、「年に1回でいいので、あの時のことを思い出してほしい」と訴えた。
1月には福島・南相馬でサッカー交流会を開催。「5年がたって、記憶に残っていない子供たちも増えた」と感じており「先生やサッカーのコーチは、子供たちに震災のことを語り継いでほしい。それが防災意識の向上につながる」などと語り、他地域でも教訓とするよう求めた。
小笠原は、出身地の岩手・盛岡市や、高校時代を過ごした大船渡市が被災。「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人となり、震災直後から物資支援、グラウンド設置などに携わってきた。
◆鹿島・小笠原、震災発生から5年を前に思い語る「まだ復興進んでいない」(サンスポ)
http://www.sanspo.com/soccer/news/20160308/jle16030816380004-n1.html
J1鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動を続ける岩手県出身の小笠原満男が8日、茨城県鹿嶋市で震災発生から5年を前に思いを語り「まだ復興は進んでいない。全国の人に、人ごとだとは思ってほしくない」と切実に訴えた。
シーズンオフには被災地に赴いて子どもたちに向けたサッカー教室や新しいグラウンドを整備する活動をしているが「地震、津波を知らない小さな子もいる。いかに大人が語り継いでいくかが大事」と話した。
12日には同じくホームタウンが被災した仙台と対戦。「複雑な気持ちはあるが、震災を思い出すきっかけになるのは悪いことではない。お互いにとっていい試合であれば」と期待した。
◆鹿島小笠原、震災から5年「復興したとは言えない」(ニッカン)
http://www.nikkansports.com/soccer/news/1614272.html
鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男(36)が8日、茨城県鹿嶋市で震災発生から5年の思いを語り「とてもじゃないけど復興したとは言える状況じゃないし、まだ仮設住宅で住んでる人も何人もいたり風評被害もいまだに根強い」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動を今でも行っているが、震災から5年経ち、「10歳未満の子たちが東日本大震災と言ってもピンと来てない子がいる。いかに語り継いでいくかが大事なのではないかと感じた」と話す。
また、正月に帰省した際には、行方不明者がまだ2500人ほどいることを知り、胸を痛めた。「人それぞれにストーリーがあって、傷を癒えてない人や家族がいると感じる。子どもたちとサッカーで接する機会があるが、少しでも楽しい思いになるような活動を心掛けている」。
12日にはアウェーで仙台と対戦する。「本当に胸が痛くなるような1日ですけど、そこで試合することによってまた東日本大震災が注目されて、みんなが何か思い起こすきっかけでもいいし、防災意識を持つきっかけでもいい。誰か何かのためになる試合であって欲しい」と願った。
◆好調鹿島で「汚れ役」を全て担う男。 小笠原満男の背中に若手は続けるか。(NumberWeb)
http://number.bunshun.jp/articles/-/825219
遡ること1週間前、鹿島アントラーズはいきなり大一番を迎えていた。開幕戦で、ガンバ大阪が相手で、しかも場所は青と黒が取り囲む吹田スタジアム。そんな難関を力強く突破した。
スコアは1-0の辛勝ながら、内容では圧倒。昨季途中に就任した石井正忠監督が徹底する攻守の切り替えの早さ、それを活かした高い位置からの守備、2トップとサイドハーフ、サイドバックが連動して敵陣のペナルティーボックス脇に侵入する縦に速い攻撃も見られた。
視界良好。昨季のナビスコカップ制覇の勢いを継続し、悲願のリーグ王座奪還へ最高の形で2016年シーズンのスタートを切った――ように、見えた。
小笠原はチームの「対応力」を疑問視していた。
ところが、闘将の意見は違った。G大阪戦の翌日、小笠原満男はこう語っていた。
「今年はチャンスだとか、そういう慢心が一番良くない。去年のナビスコ優勝から良い流れできているし、今年はなんとなくいけるんじゃないかって考えがちだけど、そんなに甘いもんじゃないから。去年ちょっとチームが良かったからって、今年も良いわけじゃない。目の色を変えてやらないと。
実際、プレシーズンマッチやニューイヤーカップを戦ってみて感じたのは、鹿島のサッカーがかなり研究されてきているということ。去年、石井さんが監督になって『前から、前から』という守備をやるようになったけど、俺らが前からプレッシャーをかけたら、単純にその裏へ蹴ってくるチームが増えてきた。そういう時にまだ対応しきれていないし、みんなクエスチョンになっている。『あれ? ボール取れねえぞ』となった時の対応力を磨かないと。自分たちがやろうとしていることがハマっているうちはいいんだけど、対応力はまだまだだよね」
3月5日、第2節のサガン鳥栖戦は、鹿島の「対応力」をチェックするには、絶好の機会となった。鳥栖の強力な武器はボール奪取からの間髪容れぬ速攻と、豊田陽平の頭を目掛けて蹴り込むロングボールとクロス。相手のプレッシャーが強いと見るや、シンプルに豊田の高さに攻撃の活路を見出すチームだから、鹿島にとってはやっかいな相手になる。
鳥栖戦を観戦した内田篤人の小笠原評。
案の定、鳥栖戦は難しい試合になった。
「今までの試合より、少し相手を押し込むところが少なかったと思います。あと、相手を押し込んだところでボールを動かすというところも、なかなか思ったとおりにはできなかったと思います」
試合後に石井監督が語ったとおり、G大阪戦のように高い位置でボールを奪って相手を押し込む時間帯が短く、序盤と終盤にはクロスからゴールを脅かされる場面もあった。
それでも鹿島は、2014年以来の開幕2連勝を飾った。31分に遠藤康のFKから金崎夢生が決めた先制ゴールを守り切った。「前から」の守備がハマらず、苦しんだチームを支えていたのは、やっぱりあの男だった。
試合後、右膝の再検査のために一時帰国し、このゲームをスタンドから観戦していた鹿島OB・内田篤人(シャルケ)は、古巣の戦いぶりをこう語っている。
「満男さんが、みんなが嫌がる汚れ役を全部やっている。その上で、若い選手がおいしいところを持っていっている。もしも若い選手たちが汚れ役をできるようになれば、鹿島はもっと強くなる」
例えば22分。敵陣右サイドでのパスワークが乱れてボールを失い、鳥栖の鎌田大地にボールが渡った瞬間、誰よりも早く動き出してファウルで食い止めたのが小笠原だった。
例えば63分。敵陣左サイドでカイオがボールを失い、再び鎌田に縦パスが出された瞬間、コースとタイミングを読み切り、インターセプトしたのも小笠原だった。いずれも、鎌田に前を向かれればカウンターの大ピンチを迎えていたはずだ。
これら以外にも、小笠原は豊田へ送られるクロスやロングボールがこぼれる位置を素早く察知し、セカンドボールを拾い続けた。自身がボールを持った際にはらしくないミスも散見されたが、「汚れ役」に徹した背番号40が、完封勝利の立役者だったのは間違いない。
献身性に対応力がついてくれば。
小笠原が危惧するとおり、今季の鹿島にまだ「対応力」が足りないことは、鳥栖戦で明らかになった。相手の特徴に応じた戦術の使い分けや、リードした状況での試合の終わらせ方などは、リーグ3連覇を果たした'07~'09年のチームと比べると、まだまだ幼い印象だ。
それでも彼らには、チームのためにハードワークし続ける献身性がある。2トップの金崎と赤崎秀平は、ピンチと見るや最終ラインまで下がってボールに食らいつくし、サイドハーフの遠藤と中村充孝がタッチライン際の上下動をサボることはない。
「鹿島ではそれをやらないことには試合に出られないし、自陣深くまで全力で下がって守備をすることも、今は楽しいから」(中村)
あとはこの献身性をベースに、いかに相手と展開を読み解く「対応力」を磨き、状況に応じた「汚れ役」を全員がこなせるようになるか。鹿島が再び王座に座るための課題は、彼らが秘める伸びしろでもある。
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