骨のがん「骨肉腫」という病魔を乗り越え、1年ぶりのピッチに戻ってきた。神奈川・日大藤沢高サッカー部3年、柴田晋太朗君(18)。
6月23日付の当コラムで「骨肉腫と闘う18歳ファンタジスタ、未来へ紡ぐ言葉」(
https://www.nikkansports.com/soccer/column/sakabaka/news/1844233.html )として紹介した。
■「晋太朗、ともに戦おう」
その柴田君が9月10日、日大藤沢高サッカー場で行われた神奈川県U-18リーグ4部(K4)の日大藤沢高C-湘南高C戦に先発出場した。既に8月の練習試合、前節のリーグ戦で途中出場していたが、今回は「特別だった」と言う最初のホーム公式戦。誰もが待っていた、そのスタンドは活気にあふれていた。
日大藤沢高だけに限らず、インターハイ予選決勝を戦ったライバル、東海大相模高も情報を聞きつけ、駆けつけた。「晋太朗、ともに戦おう」という横断幕を張り、応援歌を歌う。中学時代に所属したFC厚木ドリームスは、この日のために「威風堂々 柴田晋太朗 NEVER GIVE UP 俺たちは待っているぞ!」の横断幕を作成し、ホーム復帰戦を祝った。
“サッカーファミリー”たちによる愛にあふれた舞台。試合中も途切れることなく、柴田君の名前を入れたチャントがピッチに響き渡る。そこまで応援されて発奮しないわけがなかった。
右MFでプレーすると、1-0で迎えた前半35分だった。左サイドからゴール前右サイドへ流れたボールを受ける。中へ少し持ち出すと、ペナルティーエリア外から左足で巻いて、ゴール左上へ狙い澄ましたゴールを決めた。会場が大歓声に包まれる。まるでメッシのゴールを見るような芸術的な軌道だった。
さらに1分後、ゴール前中央から右へ出たパスを受けると、再びペナルティーエリア外から冷静に左足でゴール右隅にグラウンダーのシュート。勢い余ってゴロリと1回転、ボールがゴールネットに突き刺さるのを見届けると、応援席に向かって笑顔で走った。
後半2分にはCKのキッカーとして追加点を演出した。その後も動きは止まらない。懸命に走り、ボールを受けては、的確にパスをさばいてリズムをつくる。時には相手ボールをスライディングタックルで奪いにかかる。見ているこちらはヒヤヒヤするが、水を得た魚とはこのことだろう。終わってみれば、予定していなかったフル出場で2得点1アシストの大活躍。試合も5-0と快勝した。
そんな姿に、佐藤輝勝監督は人知れず男泣きした。「スーパーゴールだよ! すばらしいよ、感動したよオレは。PKとかFKがあればって思っていたけど、フィールドゴールであんなすばらしいゴールはね…。いやぁー。よく頑張った。でも頑張ったってレベルじゃない、ホントにすごいよ」と興奮が収まらない。
■仲間が贈ったシューズ履き
試合後にマイクを握りあいさつした柴田君は、再び応援歌を歌われると、感情を抑えることはできず涙を流した。昨年8月、神奈川県U-17選抜の韓国遠征から戻って以来、病床に伏した日々。さまざまな記憶が甦った。
「長かったというよりは、本当にいろんな思い出があるなって。いい思い出もあるし、良くない思い出もあるけど、でも、そういうの全部ひっくるめて、何か帰ってきたんだなぁ…って。ようやくみんなと同じ場所に立てたんだなぁ…っていう、実感がわいていきて、いろんなことが込み上げてきて」
この日履いていたスパイクは、4月30日の18歳の誕生日に、3年生全員が入院する都内の病院まで足を運んでプレゼントしてくれたものだった。
「その日は関東(大会予選)の準決勝で(東海大)相模とやって負けちゃったんですけど、僕の病院に3年生全員が集まってくれて、これを持ってきてきれた。僕の誕生日史上、最もうれしい誕生日でした」
仲間たちからの“待ってるぞ”のエールだった。その約束を果たし、さらにはその靴で復活を印象づけるゴールまで奪ってみせた。
「ホームグラウンドでの試合で履くって決めていて。前回のK4の途中出場の時は履かなかった。先週からの練習からの頑張りでスタートからの座を奪えたので、今日履いて、このスパイク履いて何かしてやろうと思った。それで2点も決められて、みんなの思いがこもった得点になったのかなって思います」
昨年12月の手術で、がんに冒された右上腕骨を削って人工骨に置換し、上腕三頭筋も一部を削った。その影響から右腕を上げることができない。そんなハンディもどこ吹く風で、サラリとこう話した。
「(腕は)別にプレー中も気にしなくなった。逆に去年まではドリブルもできたし、何でもできたので正直、自分の最大の武器がよく分からない状態だった。だけど今日やっててドリブルができないなって。だからワンタッチ、ツータッチではたいて、最後に自分の長所であるキックの質で魅せるという武器が、明確になった」
■目指すは全国選手権のピッチ
1年前に病気が発覚した時から、高校3年最後の選手権に出ることを目標に大病と闘ってきた。これからはAチームのピッチに戻る、という新たなチャレンジが待っている。今夏のインターハイで全国2位となり、全国制覇を誓う日大藤沢高の選手層は厚い。
それでも来月からの県予選に向けて「目標は変わらず選手権のメンバーにまず入って。選手権のピッチに立つというのが僕の目標なので。正直、今日のようなプレーじゃあ全然入れないし、全然走力も足りないので、ここから頑張って上げていかないと、あそこの壁は越えられない。今日から、また明日から頑張って何とかあっちに、練習から食い込めるように日々努力していきたい」
どんな苦境に立たされても、決して弱音を吐かない。その裏には、どんな思いがあったのか。おもむろに、こんなことを口にした。
「僕は口にした言葉は、その通りになると思っています。もう戻れないとか、もうサッカーができないとか絶対に言わない。うそでもいいから絶対に戻るって、自分にいい聞かせないといけない。人間にはナゾの力があると思います」
誰もが驚く奇跡的な復活の裏には、周囲の献身的な支えがあってのことだろう。それでも本人がぶれることなく自らの信念を貫き、病気と向き合ったことは大きかった。
6月に語ってくれた「未来へ紡ぐ言葉」。その言葉を実践すべく、柴田君は自らの道を歩んでいこうとする。どんな未来が待っているのか-。まだまだこの物語には先がある。
【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)
骨肉種から復帰した不屈の18歳、その驚異のゴール