日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年3月14日土曜日

◆Pre-match Words ~鹿島アントラーズ・遠藤康編~(2016年6月17日掲載)(JSPORTS)






脂ののった【仙台の朝市】豪華干物セット


【Pre-match Words 鹿島アントラーズ・遠藤康編】
(2016年6月17日掲載)

Q:ご自身のここまでのパフォーマンスについてはどのように捉えてらっしゃいますか?

A:全然満足していない部分が多いですね。リーグ戦でまだ得点も入れていないですし、そこをもっと改善したいですけど、それでもチームが勝てているので、うまくチームのバランスを崩さずに、これからも守備も攻撃もやっていきたいなと思います。

Q:ゴール以外に具体的に「もっとこうしたいな」という部分はありますか?

A:ウチはサイド攻撃が結構多いですけど、今だと(西)大伍くんと2人でどれだけ崩せるかというのもありますし、右サイドで時間を作って、左に行った時にどれだけ良い形で渡せるかというのも考えてやっています。

Q:左利きで右サイドだと全体が見えるような視界を確保しやすいと思いますが、やはり右サイドの方がプレーしやすい部分もありますか?

A:ここ最近はずっと右サイドでプレーすることが多いですけど、左サイドは左サイドでやりがいもありますし、そこまでどっちが良いというのは特にないですね。

Q:2年前の川崎戦でゴールを決めたような位置は"ヤスゾーン"と言われているようですが、あのあたりの位置はご自身としても得意にしているゾーンですか?

A:そうですね。あそこでボールを受けたら必ずシュートを打つようにしていますし、最近はちょっと読まれている部分もあるんですけど、それでもそれで警戒してくれる選手がいっぱいいれば、他の選手が空いてくることも多いので、それが良い方向に全部向いてくれればなと思っています。

Q:ちょっとあのゾーンに入ると、例えばカシマスタジアムだったらサポーターの期待を自分でも感じるような所はありますか?

A:いえ、そこまで余裕がないというか(笑)、ボールが来たら自信があるのでシュートを狙いに行ったりしていますけど、あそこで決められたら自分も嬉しい所はありますね。

Q:「あそこのゾーンは譲れない」というようなこだわりはありますか?

A:いえ、別に他の人が良いなら譲りますけど(笑)、自分があそこに入ったらシュートを常に狙っているというのは事実なので、別にそこまでこだわりはないです。

Q:ナビスコカップの名古屋戦で決めたゴールは色々な要素が詰まっていたと思いますが、あのゴールはいかがでしたか?

A:アレは「左で蹴るぞ!」と言われたので、右に持ち替えて打ちました(笑) それだけです。

Q:それは誰に言われたんですか?

A:わからないです。なんか後ろの方から聞こえたので、「左で打つよ」と見せかけて「右で打っちゃいました」みたいな(笑)

Q:キーパーの股下は完全に狙っていましたか?

A:いえ、狙っていないですね。そこまで器用にできる"右足"ではないので、みんなにも結構言われるんですけど、そこまで狙っていないです(笑)

Q:一連の流れも凄くスムーズで、会心のゴールだったのではないかなと思いましたが?

A:そうですね。その前のナオ(植田直通)からのフィードが凄く良くて、「ナオも良く見てくれていたな」という想いの方が強いですね。

Q:かなり謙虚な性格ですか?

A:どうなんですかね。全然「自分が自分が」というタイプではないと思います。

Q:チームが優勝争いを繰り広げている中で、以前の3連覇を知る選手もチームの中に少なくなってきていると思いますが、そういう経験をチームの中に還元していくような所を意識されている部分はありますか?

A:別にそこまで意識はしていないですかね。でも、チームが本当に強い時は今日の紅白戦でもそうですけど、サブの人たちが凄く良いプレーをしていましたし、今までJリーグで戦って来て、たぶん今日の紅白戦の相手が一番強かったんじゃないかなと思うくらい良かったんですけど、そういうことがチーム内にあると、やっぱり試合に出ている人たちも「うかうかしていられないな」というか、さらに気が引き締まると思うので、そういう意味では本当にチームで試合に出ていない選手たちが一番大事で、そういう人たちが腐らないということが一番大事なのかなと思っています。

Q:そういう雰囲気は3連覇した時に少し近付いている手応えはありますか?

A:まだまだこれで満足してもらっては困る所もあるので、ウチらもまだまだ満足していないですし、それは3連覇以上の結果を出してから言うことなのかなと思います。

Q:遠藤選手は28歳ですけど、もう鹿島の在籍選手の中では古株になってきていると思いますが、そういう部分でアントラーズを背負って行こうという自覚は強いですか?

A:自然とそういう部分は鹿島でこうやって長くやっていると付いてきますね。常にタイトルを獲らないといけないチームだし、タイトルを獲らないと評価されないチームなので、それは自然と付いてきた部分があるのかなと思います。

Q:そういうことはプレーの中でもかなり意識しながらやっている所ですか?

A:そこまでは意識していないですし、自分は本当にチームが勝てるプレーを常にやっているつもりですけど、自分はこのチームに何も残せていないので、これからもっとやって行かないといけないなという立場ですね。

Q:今日の練習を拝見していても石井監督はどっしり構えているような印象もあって、テレビで見ていても穏やかな印象がありますが、石井監督っていかがですか?

A:凄く優しいですね。人として。「そんな優しいの?」というぐらい(笑) 普通監督は怖いイメージが結構あると思いますけど、「あんなにやさしい監督はなかなかいないのかな」と思いますね。

Q:石井さんが監督になってどういう部分が一番変わったと思いますか?

A:自分で考えることが増えたというか、自分で考える能力が1人1人に付いたのかなと思います。石井さんはそんなに多くを求めないので、「あとは選手たちで考えて」と、それぐらいのスタンスでいますからね。ゲームをやっているのは選手ですし、自分たちが考えて行動しないといけないので、自分で考える能力がみんな付いたのかなと思います。

Q:名古屋戦(1st-第13節 〇3-2)でゴールが入った時に石井さんが選手の輪に走って行ったりするシーンもあって、石井さんを中心にしたチームの一体感みたいなものを感じますが、そういう部分は感じますか?

A:そうですね。石井さんも凄くプレッシャーもある中で、しかも最初のチームが鹿島というタイトルを獲らなくてはいけないチームで監督をやっているので、ああいう風に点を取ったりすると選手以上に嬉しい所はあるんじゃないですかね(笑)

Q:ああいうのって選手としては率直にいかがですか?

A:「ああ、石井さんらしいな」と思いますね。

Q:鹿島の2列目というのは、Jリーグの中でも一番ポジション争いが厳しいぐらいに良い選手が揃っていると思いますが、あの中で切磋琢磨できているというのはご自身にとっても大きなことですか?

A:大きいですね。自分も若い時は試合に出られないことがたくさんありましたし、今はこうやって試合に出ていますけど、いつポジションを奪われるかわからないですし、そういう中でやっていくのが自分の成長に繋がりますし、そういう競争があるから鹿島は強いのかなと思います。

Q:先ほど「練習での雰囲気が凄く良い」とおっしゃっていますが、あの2つのイスを争う練習からのバチバチ感も結構激しいですか?

A:そうですね。普段は本当にみんな仲が良いですけど、ああいうゲームになるとやっぱりみんな「試合に出たい」と思っているので、ああいう紅白戦に限らず、昨日も激しい6対6のハーフコートゲームをやりましたけど、そういう所でもみんな「試合に出たい」という気持ちが凄く出ているので、常に「気を抜いていられないな」というのはありますね。

Q:ここからはキャリアのお話を伺いたいと思います。最初の所属チームはなかのFCということですが、サッカーを始めたのもなかのFCですか?

A:そうですね。3つ上の兄がなかのFCに入った時に、自分は確か幼稚園の年中か年長で、その時に一緒に行って、サッカーをやっていたのか泥遊びをやっていたのかわからないですけど、それがキッカケですかね。

Q:そうするとお兄さんの影響が大きかった感じですか?

A:それがなかったらたぶん始めていなかったと思います。もうちょっと始めるのが遅かったかもしれないですし。常に兄の後ろをくっついて歩いている感じでしたね。自分が仲良くなるのも1つ上の人ということも多かった気がします。

Q:年上の人からかわいがられるタイプですか?

A:それを自分で言うのもなんですけど(笑)、年上の人と絡むのが楽しかったですね。

Q:なかのFCはどういうチームだったんですか?

A:県大会に出られればいいかなというチームでした。県大会に出て1回戦に勝てれば「おお、凄いじゃん」という感じだったと思います。中野栄小学校に通っている子たちだけが集まっている少年団でした。でも、凄く楽しかったです。ブラジル人の監督が突然来たりして(笑)

Q:ブラジル人の監督が突然来たんですか?(笑)

A:2,3年ぐらいいたんですかね。近くに仙台育英高校があって、そこにGKコーチとして来ていたらしくて、そのついでにウチの練習にも来てくれてという感じでしたね。

Q:小学生の頃ってあまり外国人の方と接する機会もなかったんじゃないかなと思いますが、いきなりブラジル人監督が来たチームはどうだったんですか?

A:そのブラジル人の方も凄く面白い人で、日本語も十分話せる陽気な人だったので、常に自分もその人にくっついていましたね。どちらかと言うとチームも楽しくサッカーができればという感じだったので、それが良かったのかなと思います。

Q:ご自身にとってもなかのFCは楽しいチームだったという感じなんですね。

A:そうですね。常にゲームしかしていなかったですし。でも、負けず嫌いな所もあるので、やっぱり負けたりすると凄く悔しい想いもありました。

Q:塩釜FCへ入られたのはいつ頃のことですか?

A:小学校の頃はずっとなかのFCでやっていたんですけど、兄が中学生から塩釜FCに入ったので、僕もそこに付いて行って、小学校5年生から中学生のチームの練習に参加させてもらったりしていました。

Q:そう考えると塩釜FCへの入団もお兄さんの影響が大きい訳ですね。

A:そうですね。「よく塩釜FCを探したな」という感じですね(笑) 自分もそこまで強いチームに入りたいという気持ちもなかったですし、むしろ「自分の力で強いチームをやっつけてやろう」という想いの方が強かったですね。ただ、塩釜FCも凄く良いチームだったので、入って良かったなと思います。

Q:塩釜FCはそれこそ加藤久さんも輩出されていて、県内でも名前の知られているチームだと思いますが、楽しくやっていた小学生時代からのギャップみたいなものはありましたか?

A:いえ、そこまでギャップは感じなかったですね。ボールが大きくなってちょっと戸惑ったのと、あとはコートが大きくなったぐらいで(笑) まあ小学生の頃から行っていたこともあって、上の人たちとも顔見知りになっていたので入りやすかったです。

Q:実際に入った塩釜FCのレベルは高かったですか?

A:先輩には1個上にも2個上にもナショナルトレセンに入っている人がいたので、その時はそういう人たちを追い掛けてやっていましたね。県内では結構タレントが集まっていたと思います。

Q:ジュニアユース時代を振り返ると、大会の結果という意味ではいかがでしたか?

A:ほとんど全国大会には出ていないですね。東北大会で負けることが多かったと思います。

Q:ユースチームがあると中学生も飛び級でゲームに出たりすることがあると思いますが、遠藤選手もそういう形で中学生の時にユースでゲームに出ていたんですか?

A:出ていました。中学3年の時にユースの練習に参加しましたし、試合に出させてもらった時期もありました。当時のジュニアユースとユースはだいぶサッカーが違っていて、体もみんな大きいですし、"パシリ"じゃないですけど言われたことをやっていましたね(笑)

Q:割と我の強い人たちが多いユースという感じだったんですか?

A:高校生ですから結構色々と言う人もいましたし、その人たちに言われたことをやっていましたね。ただ、中学3年の時の高校3年は本当に良い選手がたくさんいて、僕も高校の方のクラブユース選手権の全国大会に出させてもらったんですよ。それで広島ユースとやったんですけど、(高萩)洋次郎くん(FCソウル)とか田坂(祐介・川崎)さんたちがいて、その時に衝撃を受けました。「これぐらいやらないとプロになれないんだな」と。

田坂さんは凄かったですよ。ボールを取りに行っても誰も取れなかったですし、「こんな上手い人いるんだ」と。しかも田坂さんがトップに昇格できなかったと聞いて、「あの人でプロに上がれないなんて、どんな世界なんだ」と思ったのを覚えています。でも、自分はもっとやらなくてはいけないなと思いましたね。さすがにビックリしました。

Q:当時のユースには奥山泰裕選手(ラインメール青森)もいたんですよね。

A:ヤッさんは中学3年の時の高校3年で、あの人もずっと塩釜FCだったので昔から知っていましたし、同い年だった兄も凄く仲が良かったですね。今はサイドバックなのに10番を付けているらしいです(笑)

Q:宮城の街クラブだと塩釜FCのライバルはFCみやぎバルセロナだと思いますが、向こうには同い年に香川真司選手がいた訳じゃないですか。最初に彼を認識したのは中学1年ぐらいですか?

A:たぶん中学1年の県トレセンですね。そこで一緒にやったりしていました。でも、中学校の頃はあまり県トレセンの活動がなかったんですよ。だから、そこまで一緒にやっていたという訳ではないですね。

Q:同い年で周囲からはライバル扱いされていたのかなとも想像してしまいますが、ご自身はいかがでしたか?

A:そこまではなかったですね。「アイツを絶対倒してやる」みたいな感じはなかったですよ(笑)

Q:チーム自体はかなりのライバル関係ですよね?

A:そこは凄くバチバチでしたね。あとはベガルタのジュニアユースがあったんですけど、その2つのチームに勝つために頑張るみたいな感じでした。

Q:当時の3チームの力関係はどうだったんですか?

A:たぶんベガルタが一番強かったんですかね。ウチらが一番弱かったんじゃないかなと思いますけど、その悔しさがあったからずっと頑張って練習していましたね。

Q:高校も塩釜FCユースに上がられる訳ですけど、先ほどおっしゃったように3クラブの中で一番強いベガルタのユースもあって、仙台育英や東北のような強豪高校もあった中で、どういう所が決め手で塩釜FCユースに進まれたんですか?

A:兄が行っているというのが一番大きかったですね。そのユースに小野寺陽人さんという凄く良い監督がいらっしゃって、その監督と話すのが自分は凄く楽しかったですし、それが一番ですね。「高校サッカーは行きたくないな」と思っていました。「高校生でテレビに出てもな」とも思っていたので(笑)、「それだったらクラブチームで頑張ろう」という感じでしたね。

Q:もうジュニアユースからユースに上がる時点で、プロという将来は考えてらっしゃったんですか?

A:いえ、プロは全然考えていなかったです。自分が上手くなろうという向上心だけでした。ただ、結果的にプロというものを自分に意識させてくれたのがユースの監督でした。ユースの時はほとんど褒められたことがなかったんです。それぐらい厳しい人でした。でも、おっしゃっていることは正しかったので、まったく反論できず(笑)、言い返そうにも言い返せなかったという感じでした。

Q:どういうことを一番言われたんですか?

A:自分は"王様プレーヤー"だったので、その本質の部分を変えられたというのが一番大きかったのかなと思います。「それでボールを取られたらどうするんだ」というようなことを言われて。本当に基本的なことができていなかったと思いますし、自分や近くの選手がボールを取られた時にちゃんと追わなかったら、そういう部分を怒るような監督だったので、そういうことが印象に残っています。

Q:そうするとユース時代はキャリアの1つの転機という感じですか?

A:そうですね。凄く良い指導者に会えたというか、凄く良い人に会えたなと思います。今も地元に帰ったらお会いしたりしていますし、その時に話すのも凄く楽しいですね。まあユースの頃はハッキリ言って嫌いだったんですよ(笑) それで高校を卒業して色々と話すようになって、「高校の時は実はこうだったんだぞ」「ああ、やっぱりそうだったんだ」みたいな話が今は凄く楽しいですね。

Q:高校1年からは社会人リーグでもプレーされていたんですよね?

A:塩釜FCにヴィーゼ塩釜という社会人のチームがあって、その時も大学生になっていた兄が在籍していたので(笑)、それもありましたし、ユースの監督が鍛えるためにも行かせてくれたのかなと思います。

Q:2種登録みたいな感じですか?

A:そうですね。ヴィーゼの監督は違う方がやっていましたけど、陽人さんもチームを見たりしていたので、その時に一緒に連れて行ってもらって、試合に出させてもらったりしていましたね。それは凄く良い経験をさせてもらったと思います。明らかに体格も違って、体の強い人も相手にはいたので、かなり自分の中では良い経験を積めたなと。

Q:当時のヴィーゼには遠野高校で1年生から選手権で活躍した川崎淳選手がいたんですね。

A:そうです。そうです。淳さんは2年ぐらいいたんですかね。結構仲良くさせてもらっていました。フォワードでイケメンで。凄く有名だったというのは聞いていましたね。

Q:その中でも左足を筆頭に「技術は通用するな」という手応えはありましたか?

A:ありましたね。全然通用しないプレーもありましたけど、「これは通用するんだな」というプレーもありました。でも、基本的に社会人は走れないチームが多かったので、そういうチームの選手と比べれば走れる方だったということもあって、そこが通用したというのもありましたし、「やっぱり走れないとダメなんだな」ということは思いましたね。

Q:そうすると普段はユースで練習をやりながら、試合の日は社会人のチームで出るという感じですか?

A:そうですね。社会人のチームには試合の日だけ行くという感じです。基本はユースの試合に出ていました。だから土日はほとんどユースかヴィーゼの試合だったので、結構忙しかったのを覚えています。

Q:それって相当珍しい経験ですよね。

A:そうですよね。なかなかできない経験をさせてくれたのが塩釜FCというか、そういう経験ができるのも塩釜FCだけだったと思います。

Q:2010年まで開催されていた仙台カップは僕も個人的に毎年取材に行っていて、そこで初めて遠藤選手を見たりして、毎年楽しみにしていたんですけど、その大会に3年連続で出場した遠藤選手にとって、仙台カップはどういう大会でしたか?

A:東北のトップの人たちが集まりますし、イタリアやブラジルのように世界の国からも代表が来ますし、日本代表も来ますし、そういう人たちと試合ができるというのは大きかったですね。

Q:楽しみにしている大会という感じでしたか?

A:そうですね。かなり楽しみにしていました。

Q:1年生で東北代表に入っている選手なんて他にいなかったですよね?

A:いなかったと思いますね。でも、その時は完全に"お客さん"みたいな感じだったので、上の人たちに恵まれたなと思います。みんなにかわいがってもらえたのも良かったです。

Q:スタジアムの雰囲気も独特な感じですよね。東北代表を応援するサポーターもいて。

A:仙台でやっている大会ですからね。日本代表を応援するよりは、東北を応援する人が多かったですし、高校生にとってはああいうプロが試合をしているスタジアムでやれるということが一番の楽しみでしたね。

Q:先ほどおっしゃったように、対戦相手もブラジルやフランスの世代別代表がちゃんと来て試合をする国際大会でしたけど、ああいう国際試合って良いですよね。

A:なかなかできないですよね。今は開催されていないんですよね?

Q:東日本大震災があってからは開催されていないと思います。

A:どこかでまたやって欲しいなとは思いますね。東北のサッカー選手たちのためにも凄く良い経験になりますから。

Q:今はリヴァプールにいるルーカスとか、アレッシャンドレ・パトと対戦しているんですよね?

A:はい。それは知ってました(笑) ルーカスこそ2年連続で来ているんじゃないですか。パトはメッチャ速かったのを覚えてますね。「ブラジル人らしいなあ」と思って見ていました。その直後にクラブワールドカップを見ていて、「ああ、コイツいたよ!」と思いました。「やっぱり凄いなあ」と。でも、あの時のブラジル代表の中からも、プロになれた選手がほとんどいないという話を聞いて、「ブラジルのプロの世界って凄いんだな」と思いましたね。

Q:2年生の時にいわゆる"調子乗り世代"のU-18日本代表を、東北代表が5-2で粉砕して、僕もあの試合をユアスタで見ていたんですけど、あの試合は印象深いですか?

A:あの時は東北代表のみんなは、「これを機会に日本代表に入りたい」というような向上心を持った人が多くて、「ウチらが勝って、みんなで代表になっちゃおうぜ」ぐらいの感じだったと思います。「どうにか代表を負かしてやろう」というような気持ちの部分が一番大きかったのかなと思いますね。

Q:スコアも内容も凄い勝ち方で、東北代表の選手たちはメッチャ気持ち良かったんじゃないですか?

A:そうですね。気持ち良かったですね。言ったら"東北"が日本代表に勝ったみたいなことで、それもおかしな話ではありますけど(笑)、凄く嬉しかったですね。仙台カップは今から思うと全部が印象深い試合でした。

Q:2年連続で東北代表として日本代表を負かして、3年生の時は逆に日本代表として仙台カップに出る訳じゃないですか。それもなかなか素敵なストーリーですよね。

A:そうですけど、逆に「絶対東北には負けられないな」という想いがあったので(笑)、確か勝ったと思いますけど、逆にプレッシャーがありましたね(笑)

Q:東北代表にも知っている選手が多い訳ですよね(笑)

A:ほとんどみんな知っている選手だったので、なおさら負けられなかったですね。自分もプロになるためにアピールしないといけない時期でしたから。でも、あの大会から鹿島のスカウトの方も見に来てくれるようになったので、凄く良いキッカケになった大会ですね。やっぱり東北にいるとなかなか見てもらえる機会がなかったですし、全国大会も行くには行きましたけど、そこで結果を残すことはできなかったので、そういう意味では見てもらえる機会を何とか増やせたという感じでしたね。

Q:色々クリアすべきハードルはあるんでしょうけど、仙台カップは復活して欲しいですね。

A:そうですね。復活して欲しいですね。またやって欲しいと思いますし、そうなったらまた自分も出たくなっちゃうと思います(笑)

Q:少しお話に出た高校3年の全国大会は夏のクラブユース選手権だと思いますけど、その大会は印象に残っていますか?

A:悔しかった印象しか残っていないですね。

Q:調べたら結果は1勝2敗で、大分U-18に勝って、FC東京U-18と横浜FMユースに負けていました。

A:そうでしたね。ウチらは選手を集めているチームではない中で、良い選手が集まっているチーム相手に1勝できたので、そういう意味では良かったのかなとは思いますけど、やっぱりF東やマリノスをもっと苦しめたかったなと思います。

Q:当時のF東とマリノスはプロになった選手が多かったチームだと思いますが、少し実力差を感じた部分もありましたか?

A:だいたい顔見知りではあったので、自分も「全然やれるな」と思ってやっていましたけど、チームが勝てなかったので悔しかったですね。

Q:やっぱり塩釜FC時代は今から振り返っても良い想い出という感じですか?

A:凄く良い想い出です。今も連絡を取り合ったりしていますけど、それも1個上の先輩たちが多いですね。でも、「街クラブは得するな」と思いました。結果的にプロになる時も色々なクラブからオファーをいただけて、選べる立場だったので。

Q:ああ、Jクラブの下部組織だと、特に当時は昇格か昇格できないかでしたからね。

A:そうですね。そういう面も含めたら結果論ではありますけど、良かったなというのもあります。

Q:中学3年でユースの試合に出たり、ユース時代から社会人リーグの試合に出たりと、なかなかないキャリアを歩んできてらっしゃると思いますが、それは良かったなと思いますか?

A:そこは本当に塩釜FCで良かったなと思っています。むしろあのチームでプレーできていなかったら、プロにはなれていなかったんじゃないですかね。人との出会いもそうですし、やっぱりプロになるためには才能だけではやっていけないので、頑張って努力できたことも含めて、自分でやらざるを得ない環境にいたので、そういう部分も良かったのかなと思います。

Q:これを最後の質問にしたいと思っていて、あえてざっくりお聞きしたいんですけど、夢ってありますか?

A:夢ですか?久しぶりに聞かれましたねえ(笑) チームがタイトルを獲るのは目標ですよね。夢かあ。でも、人間的にもっと成長したいという想いがあるので、一番尊敬しているユースの監督のように、みんなに良い影響を与えられるような人間になりたいなと思います。それが今パッと思い浮かぶ夢ですね。

Q:そんな自分に近付いていけている感じはありますか?

A:どうですかね。近付いて行っているんですかね。やっぱり自分にも子供ができて、しっかりやらざるを得ない状況にいるので(笑)、少しずつは近付いて行っているのかなとは思いますね。僕はサッカー選手なので、例えば小学生と一緒にサッカーをしたら良い影響を与えることはきっとできると思うんですけど、そういう部分だけではなくて、話してみたら「ああ、この人はちょっと考え方が違うな」とか「だからこの人はこれだけ長くプロでやっているんだな」とか、そういう風に思われるような人間になりたいなと思います。

Q:それってきっといつまでも尽きない夢ですよね。

A:そうですね。それは常にずっと追い求め続けていかないといけない所なのかなと思いますね。

【プロフィール】

なかのFCを経て、ジュニアユースとユースは塩釜FCに在籍。仙台カップでは高校1年時、2年時と東北代表に選出され、3年時はU-18日本代表でプレーした。2007年に鹿島に入団し、リーグ3連覇を経験。2015年には日本代表のトレーニングキャンプにも招集されている。

※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史


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◆Pre-match Words ~鹿島アントラーズ・遠藤康編~(2016年6月17日掲載)(JSPORTS)





◆尚志高の後輩が明かす、鹿島FW染野唯月の高校時代と“ハンパない”一面(ゲキサカ)






ジュニアのためのスポーツ食事学 みんなで一緒に強くなろう [ 柴田麗 ]


 Jリーグは4月3日に再開を目指している。ゲキサカではプロ入り1、2年目選手の高校時代を知る後輩たち(現役高校生プレーヤー)に対して、プロでの活躍が期待されているヤングプレーヤーの高校時代についてインタビュー。彼らのピッチ内、ピッチ外で“ハンパなかった”一面や意外な一面とは?

 今回は尚志高(福島)から鹿島アントラーズへ加入したFW染野唯月だ。染野は2年時の全国高校選手権で大ブレイク。青森山田高(青森)との準決勝でハットトリックを達成するなど大会得点王に輝いた。そして、3年時には日本高校選抜、U-18日本代表として国際大会を経験。“高校ナンバー1ストライカー”は争奪戦の末、鹿島からのプロ入りを決めている。

 高校3年時秋に負った怪我からの復活と、ゴール連発を期待される染野の高校時代について、尚志の新チームリーダーの一人であるDF鷹取聖(2年)と“染野の後継者”と目されているFW阿部要門(2年、山形加入内定)が教えてくれた。

―染野選手が「半端ない」と思ったところは?
鷹取:「(自分は)CBだったので対峙していたんですけれども、自分の中で打たせても良い距離、角度とかあって、この距離だったらファー消しとけば打たせても、ニアだったりGKで大丈夫というものがありました。でも、唯月君にはそれが通用しなくて、打たせたつもりだったのに、ファー消していたのに、ファーに決められちゃったり、右足でも左足でもシュートレンジが広いし、どこからでも決められて本当に今までやったFWで一番イヤでした」
阿部:「一緒にプレーさせてもらって、プレミアの開幕戦(対柏U-18、3-0で勝利)のハットトリックが自分の中で一番印象的でした。FWの凄い人って一つの武器が凄いとかあると思うんですけれども、唯月君はFKとヘディングとドリブルからのシュートというFWに必要な三要素を全部持っていて、それも1チャンスでしっかり決めてくるというのは本当に凄い。ヘディングだったらジャンプ力がまず凄くて、1回CKの練習で唯月君のマークに入ったんですけれども、あんまり(当たりは)強くないのかなと思って行ったら本当に腕の力が強くて、腕で掴まれただけで自分は何もできなくなってしまった。それくらい凄かったです」

―彼の活躍をどう見ていた?
鷹取:「(18年度全国高校選手権準決勝の)青森山田との試合のハットトリック。唯月君は凄いと思っていたんですけれども、それまであまり(全国大会の)試合を見る機会もなかったので全国的にどのくらい凄いのか分かりませんでした。それで全国大会の青森山田戦であのプレーを見て、やっぱり凄いなと。去年、自分はトップチームにあまり関われていなくてセカンドチームだったんですけれども、選手権の県大会の決勝で決めて全国に連れて行ってくれたり、インターハイの決勝も唯月君のゴールで全国に連れて行ってもらって、やっぱり勝負強いというか、ストライカーだなと思っていました」
阿部:「横でプレーすることが多かったんですけれども、何でも一人でやってくれる印象があって、プレミアリーグ後期の(青森)山田戦(3-2で勝利)も相手の2、3人に囲まれても一人でプレーしたりしてくれたからあの試合は勝てたと思うし、インターハイも選手権もあの人のゴールで全国に出れたので、そう言った面でもプロで活躍できると思っています」

―ピッチ外はどうだった?
鷹取:「試合中は喝を入れられることもあるんですけれども、ピッチ外では歌を歌っていたり、みんなでフザケていて。サッカーとサッカー外を分けていると言っていたんですけれども、その通りだと思います」

―何かエピソードはある?
鷹取:「いつも歌っているというのが印象的で、back number(バックナンバー)の『HAPPY BIRTHDAY』とかいつも歌っていて、(寮の)お風呂とかからも聞こえてきて、『あ、唯月君歌ってんな』とか」
阿部:「階段とかでね。菅田将暉とか」
鷹取:「帰って来ているんだ、と歌声で分かったりしていました」

―他には?
阿部:「やっぱり、歌っているという印象が強いですね」

―今年、染野選手の代の成績(インターハイ4強など)を超えて行く。
鷹取:「去年は唯月君がいて、今年もFWに(阿部)要門がいるので、心配はないです。去年のチームは唯月君無しでも全国で戦っていたんですけれども、今年のチームは全員で勝つという、全員の一体感や全員で勝つことを目標にやっていきたいです。去年(の選手権)は2回戦敗退で終わってしまった。尚志高校はまだ全国制覇がないので、自分たちの代で絶対に成し遂げられるように練習していきたいです」
阿部:「自分と唯月君はプレースタイルが似ている訳じゃないので、違った形でチームを助けたい。全員でチーム一体となってトータルで勝つという目標を持って、全国制覇したいです」

―染野選手へのエールを。
鷹取:「尚志高校初のJ1に入った選手なので、唯月君ならば怪我が治れば活躍できると思うので、バンバン点を取ってもらって、自分たちのモチベーションにしたいので頑張ってほしいです」
阿部:「鹿島という日本でも屈指のJクラブなので、そこで唯月君の目標としている大迫勇也選手を超えれるように頑張って欲しいです。(山形加入が内定した自分も)頑張って代表とかにも選ばれるような選手になって、いつかまた2トップを組めるように頑張ります」




◆尚志高の後輩が明かす、鹿島FW染野唯月の高校時代と“ハンパない”一面(ゲキサカ)





◆小笠原満男&ジーコの育成論・後編。 「今の選手は誰かを探してしまう」(Number)






2020KASHIMA ANTLERS[本/雑誌] / 鹿島アントラーズエフ・シー


 世界トップレベルの舞台で、10代の選手の活躍が目立つようになった。今や下部組織からトップチームへ戦力となる人材を輩出していくことが、世界のスタンダードだ。鹿島アントラーズでは、2018シーズンで現役引退した小笠原満男が、アカデミーのスタッフとして育成に目を向けている。

 今季からテクニカルアドバイザーになった小笠原と、テクニカルディレクターを務めるジーコが「鹿島アントラーズイヤーブック2020」で語り合った育成論対談の特別編集。後編は、日本とブラジルでの「プロを目指す意識」と、「1対1で仕掛ける姿勢」の差について。


小笠原 ブラジルのユース年代とアントラーズのユース年代で、ジーコさんから見て、何が違うと感じますか?

ジーコ ブラジルの場合、U-13から基礎的な体力をつけていくんだ。そこで、体も技術も上がっていくという流れがあるけれど、日本の場合は、チームに加入してから基礎体力を上げていく。もう体の完成度や筋肉量が全然違うんだよね。

小笠原 そのへんは昨年までトップチームでフィジカルコーチをやっていて、日本代表でのフィジカルコーチの経験もある里内(猛)さんや、今年からユースに伊藤(亮輔)フィジカルコーチが加わってくれたから、少しずつ変えていこうという話はしているところですね。

ジーコ まあ、僕がずっと生活してきたクラブだからフラメンゴの話になってしまうんだけれど、昔からフラメンゴは、13歳ぐらいから“技術的なレベルが違う”、“もう選手としての能力が違う”となれば、すぐに栄養士をつけて食べるものを変えて、サプリメント摂取や、学校のサポート、交通費の補助をつけていく。昔からサンパウロの下部組織やサントスではやっていたけれど、最近ではパルメイラスもやり始めた。

 そうなると、選手は「俺はただの遊びでサッカーをやっているわけじゃないんだ、もうアスリートになりつつあるんだ」と、意識が変わってくる。プロサッカー選手を目指せる環境を、クラブが作り出しているという認識になり、人としても、無理やりだけど大人になっていくんだ。

小笠原 そこが、ちょっと今のアントラーズユースの選手に足りない部分で、“本気でプロになるんだ”、“そのために努力しているんだ”という選手は、少ないように感じる。“プロになれたらいいな”という感じに見えるから。


「選手は商品」という考え方。


ジーコ フラメンゴの場合は、クラブの収入にするために2つの考えを持って選手を育成している。1つは、フラメンゴのトップへ上げるために自前の選手を育てること。もう1つは、他クラブに売却することを考えた上で育成しているということ。

 ルーカス・パケタがミランへ移籍したり、ビニシウス・ジュニオールや、最近ではヘイニエルがフラメンゴからレアル・マドリーへ移籍した。今はマテウス・トゥーレル、ぺぺ、リンコンという選手たちが、フラメンゴのトップで試合に出始めていて、彼らはもしかしたら売却した3人と同等のレベルか、それ以上の選手になりそう。選手を売却した後も、すぐにそういった力のある選手が出てくるんだ。

 トップに上げるための育成と、他クラブへ売却するための育成方法は別のものだという考えを持つことも必要になってきている。

小笠原 ブラジルに行って驚いたのは、「選手は商品」とハッキリ言っていたこと。それを見定める場が育成で、定期的にテスト生を呼んで、常に入れ替えをすることで競争力を高めていた。そういうのを見ていると、競争させる環境を作らないといけないと思ったし、とにかく試合をパッと見て目につくような選手を育成していくことが大事だと感じました。

 “アントラーズのアカデミーは、トップチームの主力選手になることを目指す場所だ”ということを、もっともっと選手やコーチ陣は意識する必要があると思います。


メッシは1対1で仕掛けている。


ジーコ 攻撃の選手であれば、まずは仕掛けていかないと話にならない。向かっていくことで、相手に怖さを与えるわけであって、その怖さは練習でしか作り上げることができない。1対1、2対2とかの練習で、どんどん相手に向かっていく姿勢を作っていかないといけない。

 最近ではGKと1対1になって、かわす場面というのは少なくなってきている。まあ、それはGKのサイズが大きくなったこともあるし、守備範囲が広くなったという部分もあるでしょう。でも、今のほとんどの選手は、GKを見た瞬間にもうシュートを打ってしまう。

小笠原 言われてみれば、たしかにそうかもしれないですね。

ジーコ 1対1になったときに武器がない。今の選手を見ていて非常に残念に思うのは、ボールを受けました、1対1の距離になっています、そこで、向かっていかないんだ。まず、行こうとはするけれど、1回ボールを止めて、誰かいないか探してしまう。じゃあたとえば、今ヨーロッパで得点王になっている選手を見れば、メッシ、C・ロナウド、アザールだったりは、ほとんどが1対1で仕掛けて得点している。

小笠原 もっと仕掛けていく姿勢はもちろん、技術的な練習をやっていく必要があるんですよね。技術的な練習でいえば、ブラジルに行ったときにfutmesa(フットメーザ、サッカー卓球)はすごくいいなと思いました。


「小さい方は自分で作りました」


ジーコ 今度、futmesaで勝負しようよ。アントラーズのクラブハウスにも大きいのと小さいのがあったよね?







小笠原 大きいのはスタッフと相談して作ったんですよ。小さい方は、自分で作りました。小さい子どもはあれぐらいの方がいいかな、と思って。

ジーコ じゃあ、ブラジルの家に持って帰ろうかな。

小笠原 ハハハ。本当に欲しいなら作りますよ。

ジーコ 孫用だよ。大きいのはうちの庭ではできないけれど、小さいやつだったら家で1対1ができるからね。作ったら詳細に写真を撮ってよ。で、製作者の名前を入れて、今度ブラジルに帰るときに持って帰ろう。あれは釘打ち? ネジ?

小笠原 初めは釘でやったんだけど、はがれやすいから、今はネジで作っています。もう4台作りましたよ。





ジーコ ルールは知っているかな? ペアで、1回の攻撃でスリータッチまで。サーブをそのまま返してはいけない。で、サーブはヘディング。まぁ、足でもいいんだけど、だんだんヒートアップすると、変なボールをサーブで蹴り始めるからね。僕のSNSでやっている番組(Canal Zico 10)のルールでは、最初だけはちゃんとやさしくすることをルールにしているよ。


遊びながら技術を高める工夫。


小笠原 日伯友好カップが行われたジーコセンターにもあったけど、その後に行ったクラブ視察でも、フラメンゴ、フルミネンセ、サンパウロ、バスコ・ダ・ガマ、パルメイラス、5つのクラブのすべてに置いてあった。子ども用もあれば、トップの練習場にもあった。あれは、楽しみながら技術向上を目指せると思う。


 ブラジルではサッカーを遊びながら技術を高めていく工夫が多くあった。ビーチにフットバレーのネットが設置されていたり、ビーチサッカーのゴールが設置されている。すごくいいことですよね。一方で日本は、サッカーができる公園や空き地が減ってきているのは残念に思います。

ジーコ ブラジルは、まずみんなが勝ちたいと思っているからね(笑)。  

小笠原 でも、何よりやっていて楽しい。ブラジル代表がfutmesaをやっている動画がアップされていたのを見たけど、本当にみんなうまいですよね。

ジーコ やっぱり個の技術は大事だよ。テクニカルディレクターという仕事の役割の内だから、近いうちにアカデミー全体を見に行くよ。もし、そこで個人に特化した練習をやっていなかったら、オガサに文句を言うからね(笑)。ああ、そうだ、里内にも言っといて!

小笠原 分かりました(笑)。


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◆小笠原満男&ジーコの育成論・後編。 「今の選手は誰かを探してしまう」(Number)





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 世界トップレベルの舞台で、10代の選手の活躍が目立つようになった。今や下部組織からトップチームへ戦力となる人材を輩出していくことが、世界のスタンダードだ。鹿島アントラーズでは、2018シーズンで現役引退した小笠原満男が、アカデミーのスタッフとして育成に目を向けている。

 今季からテクニカルアドバイザーになった小笠原と、テクニカルディレクターを務めるジーコが、今後の育成について「鹿島アントラーズイヤーブック2020」で語った。ここでは、その未公開部分を特別公開する。


小笠原 2019年9月に、ジーコが作った大会「第22回日伯友好カップ」に同行してきました。大会後、少しブラジルに残って5つのクラブを視察して、10歳からトップまでの各カテゴリーを見てきたんですが、そのときに感じたのが、個のトレーニングがすごく多かったことです。

 日本ではポゼッションやボール回しの練習に時間を割くことが多いと感じています。選手を育成していくという視点で見たときに、ジーコさんは個のトレーニングについてどう考えていますか。

ジーコ やはり個を成長させることによって、チームが成長すると考えるのが当たり前のことではないかと思う。それぞれの選手に良さがあって、特長があるわけで。そのなかで足りないところを補っていくのは、当然やらなければいけないこと。特にサッカーの基礎のところだね。ボールコントロール、ドリブル、パス、ヘディング、シュート、センタリングという部分が、まずきちんとできていれば、何の問題もなくプレーできる。

 そこにプラスして、持って生まれたパワーや瞬発力だったり、個人的な特性が含まれていくことで、プロとして勝負できるんだ。ただ、それも基礎があってこそできることだけどね。


止める・蹴るができてからパス回し。


小笠原 育成年代で止めて・蹴ることができないのに、ボール回しの練習を多くしているのは、個人的には違うなと思っていて。まずは基本的な止める・蹴るができるように育成していく。それができるようになって初めて、パス回しやポゼッションのトレーニングが成立する。

 そもそも、止めて蹴れないのにポゼッショントレーニングではボールを多くもらうことができないし、もっと言えば、止めて蹴れない選手は怖がってボールを受けたがらない傾向がある。それでは選手は成長しないし、プロになんてなれるわけがない。

ジーコ その通りだと思うよ。ブラジルの場合は問題が1つあって、下部組織で教えている監督・コーチが、体育学を勉強してきた先生であるということ。体育学の先生は、体育に関しては詳しいけれど、サッカーのノウハウはアバウト。

 たとえば、さっき言った6つの基礎技術があることは知っているけれど、ボールコントロールをするときに力を抜いてやるとか、胸でコントロールするために、どういうコツがあるかとかを知らない。子どもたちからしたら、ただ「コントロールしろ」と言われても、なかなかうまくはいかないものだよね。

小笠原 間違いなくそうですね。


ブラジルの下部組織に足りないもの。


ジーコ その小さなコツというのを、プロを経験した元プロの選手たちは持っているわけで、それを子どもたちにきちんと教え込まなくちゃいけない。

 たとえば、シュートの際に、どういう踏み込み方をするのか。こういう状況では、どういう蹴り方ができるのか。そういった細かい部分は、やっぱり元選手にしか分からない感覚的なもので、そこがブラジルの下部組織には足りないところかなと思っている。

 最近のブラジルで流行っているのは、パスサッカー。あるスペースだけで練習しているということが多くなってしまっているんだ。まずは個をちゃんとレベルアップして、チームのためにその力を発揮できるような練習をしなくちゃいけないのに。

小笠原 ブラジルでもそういう傾向があるんですね。





ジーコ 最近の指導者は、“選手はどのポジションもこなせないといけない”と考える傾向がある。僕はそれについて非常に残念に思っていて。それぞれに体格的な生まれつきの特性があるわけで、本来それを生かしてあげなくてはいけない。

 また、サッカーセンスのところでも、視野が広い人、狭い人がいる、技術が高い人、高くない人がいる。そういった特長を引き出してあげるということが、非常に重要だと思う。

小笠原 日本人はアレができない、コレができないと言って、選手の良い部分にフォーカスしない傾向も感じます。


ポジションによって必要な能力が違う。


ジーコ たとえば、メンバー外だけでの練習になったとき、人数が少ないなかだと、選手をローテーションで回した練習をすることが多い。クロスの練習であれば、センターバックがクロスを上げる場面があったりする。正直、センターバックが試合中にクロスを上げる場面ってあるのか。ないでしょう。

 センターバックが試合で必要な武器は何かというと、クリア、ジャンプ、ヘディング、スピード。サイドバックは、カバーリングをする、前に行く、戻る、クロスを上げる。クロスを上げる際は、どこを見るか、見ながらその技術を出せるのか。キック1つにしても、浮き球のボール、速いボールの蹴り方を磨かなきゃいけない。

 FWはシュートはもちろん、ボールを引き出す動き出し、キープする能力、体の使い方、反転のタイミング。サイドハーフも、行ったり来たりしなくちゃいけないなかでの攻守におけるポジショニング、バランス、引き出し方、タイミングといった部分が必要になってくる。それぞれのポジションに必要な能力があるんだ。

 オガサは現役時代にヘディングで何点取った?


「武器を生かしてあげる練習を」


小笠原 Jリーグで最初の得点がヘディングだった。ただ、5点もないと思う。

ジーコ じゃあ、オガサにクロス練習でヘディングさせても、効果は出ないよね。20年のキャリアで、ヘディングで5点しか取っていないんだから。ミドルシュートやラストパスでの得点はどれくらいあった? 

小笠原 覚えてないなぁ(笑)。

ジーコ 覚えてないぐらい、点を取っているし、ラストパスを通してきたんだよ。それが、オガサの武器であるからね。そうしたら、僕は監督として、指導者としてしなくちゃいけないのは、オガサの武器を生かしてあげる練習を考えること。

 僕はテレ・サンターナという、ブラジルで一番いい指導者と仕事をしたけれど、いつもそう言われていた。実際に彼は、それぞれ自分のポジションに必要な練習しか、やらせなかった。それを続けると、精度が完ぺきになってくるんだ。

小笠原 今、中村幸聖監督(鹿島ユース)や、ヤナさん(柳沢敦、鹿島ユースコーチ)がポジション別練習を多くやっています。FWはシュート練習をするし、センターバックはヘディングやクリア練習、そういう個人の能力を伸ばす練習を増やしてきている。

 でも、アントラーズアカデミー全体として見ると、ポゼッショントレーニングが多すぎて。そうなると、ドリブラーもドリブルをしなくなるし、ゴール前でシュートを打てるのに、パスコースを探すようになる。それは個人的にはもったいないなと思っています。

ジーコ 選手は職人であるべきなんだ。それぞれのポジションで、職人となって仕事をしなくてはいけない。ポジションを変えることで、選手は「俺ってどこだったっけ、何ができたんだっけ」と迷いが生じてしまう。自分が生まれつき持っている武器や、まだ引き出せる能力があるのに、結局、中途半端になってしまって、いい選手ではなくなってしまうことが多くあるんだ。

(後編に続く)





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