■何試合休んだか、何回けがしたか
12月22日のFIFAクラブワールドカップ3位決定戦は、鹿島アントラーズにとって、今季60試合目だった。もちろんリーグ最多試合数である。
「チームとして60試合戦ってきて、試合後、(大岩)剛さんからも『お疲れさま』という話もあったけど、俺は全然出ていないし、シーズンを通して戦う体を作らなくちゃいけない。何試合休んだか、何回けがしたか知らないけど。自分としてはもっとやらなくちゃいけないと思っている。結局2年くらい休んで、一度アスリートとしては死んだ身だからね。変な話。こんなに休んだアスリートの復帰も知らないし、自分のようなケガをした人も知らない。だから、未知な部分も多い、手探りだった」
復帰1シーズン目の内田篤人はそう振り返った。
今年1月。鹿島アントラーズ新加入選手発表会見で、最も注目を集めたのは当然内田篤人だった。昨季リーグ戦を取れず巻き返しを誓った鹿島だったが、新卒選手以外では、清水エスパルスの犬飼智也、東京ヴェルディの安西幸輝、そしてウニオンベルリンからの内田と少数精鋭の補強にとどまっている。
10数人の記者に囲まれて内田は、「ケガの具合は?」という質問に対して、「ベルリンでは毎日練習をやっていましたから」ときっぱりと答えた。昨年夏にシャルケからウニオンベルリンへ移籍した当初は試合出場もあったが、秋に負傷して以降は、ほとんどベンチ入りもままならない状態での鹿島加入だったのだから、心配の声も当然だっただろう。
しかし、昨年12月下旬、ウニオンの練習場で汗を流す内田の姿を見た。
若い選手に混じり、食らいつくような姿勢だったことを覚えている。それでも試合に出られない。移籍が規定路線だったから、起用がなかったのか、それとも純粋に戦力としては物足りないと指揮官に判断されたのか分からないいけれど、明確に言えばレギュラーポジション争いで負けた結果の試合不出場だったのだ。
だから、鹿島への復帰に私は不安を感じてはいなかった。
「まあ、肉離れとかはあるかもしれないけれど、ケガについては、こちらのチームドクターもチェックして、問題ないと判断している」と鈴木満強化部長も語っている。
■「先輩」「ベテラン」としての自覚
シーズン前のキャンプも休むことなくすべてを消化し、2月3日の水戸ホーリーホックとのプレシーズンマッチ、2月14日のAFCチャンピオンズリーググループステージ第1節・上海申花戦に先発している。続くアウェイでの水原三星戦には帯同しなかったものの、2月25日自身の故郷である静岡での明治安田生命J1リーグ開幕戦(対清水エスパルス)でも先発した。
しかし、これ以降は、戦線を離脱している。負傷箇所を痛めたというよりも、肉離れなどの筋肉系の新たな負傷が原因だった。考えてみれば、2年も休んでいたのだ。いきなりプロアスリートとして毎週末戦える身体に仕上がっているわけもなく、好調な状態が続いているときにも疲労が蓄積され、筋肉が悲鳴をあげるのもしかたのないことだった。数週間、数カ月後に復帰しても、また離脱。そういうことの繰り返しが身体を鍛えていく。
夏が終わり、ACLに勝ち進んだことで、日程の過密さが増した。週2試合が当然のようなカレンダーをチームは消化していく。そういうなかで、西大伍とのターンオーバーのような形で、内田は週1試合というスケジュールで戦うことを許された。
リーグ戦での成績が芳しくなかった鹿島にとって、内田の登場は大きな効果をもたらしていた。試合の入り方が悪く、先制点を許す試合が続いたが、失点するとすぐさま内田がDF陣を集め、話をするシーンが目につくようになる。たいていは、選手のメンタルを立て直す作業だ。
「自分が若いころ、鹿島の先輩を姿から学んだものを、次の世代につないでいかなければならない」
新たな使命が内田にはあった。自身が生き残ることに精一杯だったドイツ時代には感じたことのない「先輩」「ベテラン」としての自覚だった。それは鹿島の一員としての矜持を伝える作業でもあっただろう。
■調子が良かったゆえの、またもやの負傷
10月3日ACL準決勝・水原三星戦。ファーストレグのアディショナルタイムに内田が決めた逆転弾は、その後決勝へ進んだ鹿島にとっての、決勝弾のような価値あるゴールだった。
「4つタイトルを獲る」というクラブの命題を背負い、同時に、ドイツで磨かれた技術と感覚、あらゆる経験が気づくプライドも内田にはあった。国内の選手に負けることは許されない。そんな感覚だろう。
10月10日JリーグYBCルヴァンカップ準決勝第1戦、対横浜F・マリノス戦。その日は何度も相手左サイドの選手と1対1の攻防シーンが繰り広げられ、内田からはコンディションの良さが伝わってきた。先制点を許した直後、勢いに乗る相手を封じ込めようと果敢にスライディングに行った瞬間、相手とぶつかり腿裏の肉離れを発症させてしまう。80分に交代。その後1点を返したものの、すぐさま勝ち越し弾を決められた。
「本当ならスライディングをしなくてもいいのに、調子が良かったから、行ってしまった。もう肉離れは何度も経験しているから、全治も今感覚で答えることはできるけど、まあ、まあ、検査を待ってからだね」
全治までに約6週間かかった。その間に鹿島はACL準決勝第2戦を戦い、決勝に駒を進めた。11月2日、ホームでの決勝戦ファーストレグ前日。内田はぶっきらぼうに言った。
「ここで試合に出られないのなら、帰ってきた意味がないよ」
天皇杯も、そしてACLに勝てばクラブW杯も残っている。しかし、目の前の大一番で仕事ができない悔しさからそんな言葉が出たに違いない。
鹿島では先輩が後輩にいろいろとアドバイスするシーンはある。けれど、それらは後輩からの質問に答えるというケースがほとんどだ。「何も言ってはくれない。でもそれがやさしさだと僕は思っています」と植田直通(現セルクル・ブルージュ)が言っていた。同時に「先輩の姿に学びがある」とも。
内田とて同様だった。だから、大事な試合のピッチに立って、ともに戦うことで、伝えたい、伝えられるものがあると思っている。勝利をつかむだけでなく、そういう機会を逸したことも内田の悔しさの一部だったように思う。
■ピッチ上での競争は貢献度や経験とは別
「篤人くんはこのレベルが普通というなかでやってきた人。だから、篤人くんが、高い要求をする理由が分かったような気がする」
クラブW杯を終えたあと、安西幸輝がそう語っている。世界の舞台を相手に7年半戦ってきた内田の経験の断片を安西はクラブW杯で垣間見たのかもしれない。
「俺を戻してくれたことを考えれば、鹿島のためにもっとやらないといけないとは思うけど、今の自分ではまあこれがいっぱいいっぱいだったかな。やっぱり、こういう年齢、いろんな経験を通して背負わないといけない部分というのもあるって分かっているし。俺がいることで、何を感じるのかは、その選手次第だから。自分でどう処理をするか。、それによって、人としてアスリートとして、この先が変わってくるから」
今年最後の試合を終えたミックスゾーン。内田の後ろを若い選手たちが通る。
「後輩、後輩とは言っているけど、俺もプロだからああいう奴らと競争しないと生き残ってはいけない。まあでも、かわいいなって思うところもあるんだよね」
短い休息を経て、またすぐに新しいシーズンが始まる。補強のうわさ話もいくつか出ている。サイドバックもそのひとつになる可能性は高い。ピッチ上での競争は、貢献度やキャリア、経験とは別のところで行われる。アスリートとして戦える身体になったとしても、その競争に勝たなければ、仕事はできない。
必死な姿でトレーニングに励んでいたドイツでの内田。その姿勢は鹿島でも変わらないだろう。内田篤人復活の挑戦はまだ1シーズンが終わったばかり。「全冠制覇」というクラブの悲願達成まで戦いは続いていく。
文=寺野典子
◆「手探りだった」内田篤人の2018シーズン。その中で見いだした復活への挑戦(GOAL)