日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年7月1日日曜日

◆「外国人枠撤廃」でスター選手が続々参入? Jリーグに“助っ人黄金期”が再来!(週プレNEWS)




世界で一番サッカーがうまい男(断言)が日本にやって来た! イニエスタがついにJリーグに降臨!! 

そして、このインパクトは今だけにとどまるモノではない。今後、世界的スターが日本に続々やって来る可能性を秘めているのだ!

5月24日、ヴィッセル神戸は、スペイン代表のアンドレス・イニエスタの獲得を発表した。現在34歳のイニエスタは、名門バルセロナに数々のタイトルをもたらした天才MF。スペイン代表でもW杯や2度のEURO(欧州選手権)優勝を経験した。

報道によると、神戸と3年半契約をかわしたイニエスタが手にする年俸は推定2500万ユーロ(約32億円)。2014年~15年にセレッソ大阪でプレーしたディエゴ・フォルラン(ウルグアイ)や現在、神戸に在籍しているルーカス・ポドルスキ(ドイツ)の推定年俸が6億円とされている。過去にJリーグでプレーした外国人選手の中でも、群を抜くビッグネームだ。

そして、ここにきて元スペイン代表FWのフェルナンド・トーレスのサガン鳥栖(とす)入りも噂されている。もしや、レジェント級の外国人選手たちが、続々とJリーグ入りする流れが来ている?

ジーコ、リネカー、リトバルスキー、ストイチコフ、ドゥンガ…かつてJリーグには世界的名選手が多くプレーしていた時代があった。ところが、ドラガン・ストイコビッチが引退した01年以降は各クラブが“身の丈経営”に舵(かじ)を切った影響により、スター不在の時代が続いていた。

ところが、変化の兆しが見え始めている。サッカーライターの中山 淳(あつし)氏はこう語る。

「まずは今シーズン開幕前に、トヨタ自動車の強力サポートを受ける名古屋グランパスが元ブラジル代表FWのジョーを推定1千万ドル(約11億円)の移籍金で獲得。そして今回は、楽天の三木谷浩史社長の尽力によって、イニエスタの神戸への移籍が実現した。まだ多くはありませんが、大企業の援助を得て、大物を獲得しようとするクラブは増えてきている。

さらには、“DAZN(ダゾーン)マネー”の存在もある。16年、Jリーグはスポーツのネット配信サービスを全世界で行なっている『DAZN』と契約。それにより放映権料など多額の金が各クラブに行き渡りました。例えば昨年のリーグ王者・川崎フロンターレは3年総額22億円、2位の鹿島アントラーズは総額11億7000万円を得ています。まだそういったクラブから大物獲得の話は聞こえてきませんが、それも時間の問題かもしれません」

■Jのクラブは思い切った投資を!

その理由のひとつとして中山氏が挙げるのが、いわゆる“外国人枠”と呼ばれるJリーグの外国籍選手枠(登録できるのは1チーム5人まで、試合にエントリーできるのは3人まで)の撤廃だ。Jリーグ関係者はこう明かす。

「元々、外国人枠を撤廃する動きはあって、16年には各クラブの代表取締役で構成される実行委員会で『日本人選手を15人以上保有していれば、それ以外のすべての選手が外国籍選手でもいい』という素案が提示されました。

そのときは議論の末に実現に至りませんでしたが、イニエスタの加入で神戸の外国人枠がオーバーすることから潮目が変わった。今は各クラブの意見を集めている段階で、日本人選手の育成をどうするのかなど課題はありますが、原 博実副チェアマンも『今年いっぱいかけて話をしていきたい』と発言していますし、来シーズンになんらかの変化はあるかもしれません」

では最後に、“助っ人黄金期”の再来に向けて、獲得のチャンスがある世界的スターを挙げていきたい。

まずは、今夏にプレミアから海外に移籍すると噂されているウェイン・ルーニー。名門マンチェスター・ユナイテッドのかつてのエースがJリーグでプレーするとなれば、それこそイニエスタに次ぐ人気選手となること間違いなし!(その後、MLSのDCユナイテッド移籍発表、残念!)

そのほか、現役引退を発表した元コートジボワール代表FWのディディエ・ドログバを無理やりJリーグに連れてくる! 年内にLAギャラクシーとの契約が満了する元スウェーデン代表、ズラタン・イブラヒモビッチにアタックする! ただの願望かもしれないが、日本のサッカーを盛り上げるため、資金力を得たクラブはこれらのスターを獲りにいってほしい!

(取材協力/和田哲也)




「外国人枠撤廃」でスター選手が続々参入? Jリーグに“助っ人黄金期”が再来!

◇1次リーグ3試合でハッキリ 日本代表“控えに回すべき3選手”(日刊ゲンダイ)






 世界中から酷評された「リードされているのに攻めない」采配で1次リーグを突破した西野ジャパン。決勝トーナメント1回戦のベルギー戦(日本時間7月3日午前3時キックオフ)では、どんな奇天烈神采配を見せてくれるのか、それはそれで見どころではある。

 ともあれ1次リーグ3試合が終わったところで「使えない選手」が誰なのか、ハッキリした。まずはポーランド戦の後半早々、自らピッチに座り込んでしまったFW岡崎慎司(32)である。

「右ヒザの故障でW杯メンバー23人の当落線上にいましたが、西野監督が<代えの利かない選手>と固執し、ロシアに連れて行った。ポーランド戦の岡崎は、相手守備陣のビルドアップにプレスをかけ続けるという役割を全うしたとはいえ、FWとして、点取り屋として相手DF陣に脅威を与えたようなシーンはほぼなかった。フィジカルコンディションが悪化。先発させてもいつ動けなくなるのか分からない選手となった岡崎は今後、出番は回ってこないでしょう」(現地取材中の元ワールドサッカーグラフィック編集長・中山淳氏)

 西野監督がG大阪の監督時代の教え子であるMF宇佐美貴史(26)もポーランド戦で評価はガタ落ちしてしまった。

「西野ジャパンが始動した時は、左サイドアタッカーの先発要員の一番手でしたが、それは同ポジションのMF乾貴士が故障を抱えていたから。乾が完調して宇佐美は控えに回り、それでもポーランド戦で先発のチャンスを与えられたが、懸案の<周囲の選手との連係の悪さ><守備意識の低さ>は相変わらず。今後プレー機会は期待できないでしょう」(中山氏)

 ポーランド戦でW杯初出場を果たしたDF槙野智章(31)。ハリルホジッチ前監督時代には、レギュラーCBとして先発フル出場していたが、西野体制後は控えに回されていた。ポーランド戦で好プレーを連発し、評価アップにつなげたかったところだが、前出の中山氏がこう言う。


「とにかく危なっかしいプレーが多過ぎます。不用意なファウルも目立つし、相手と対する際に体の向きを間違え、簡単に背後を突かれるなど<DFとしての資質>を疑いたくなるような場面も少なくありません。あんなリスキーな選手は、危なっかしくて使いようがありません」(中山氏)

 最後に1、2戦目でミスを連発しながら、ポーランド戦でファインセーブを見せたGKの川島永嗣(35)。代表GKの先輩・田口光久氏は「3試合を総合的に判断して<衰えが目立つので控えに回すべき>と判断させてもらう」とこう続ける。

「ただし交代させる時期を逸した。西野監督は2戦目のセネガル戦に第2GK東口順昭を使うべきだった。決勝トーナメントになって正GKは代えづらい。東口は、もっと西野監督に<オレを使ってくれ!>と熱烈アピールしてほしかった」




1次リーグ3試合でハッキリ 日本代表“控えに回すべき3選手”



◆リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で 号泣。「あのとき覚悟が決まった」(Sportiva)



岩政大樹


遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(18) 
岩政大樹 後編

◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
◆中田浩二「アントラーズの紅白戦は きつかった。試合がラクに感じた」(Sportiva)
◆中田浩二は考えた。「元選手が 経営サイドに身を置くことは重要だ」(Sportiva)
◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
◆レオシルバは知っていた。「鹿島? ジーコがプレーしたクラブだろ」(Sportiva)
◆「鹿島アントラーズは、まさにブラジル」 と言い切るレオシルバの真意(Sportiva)
◆「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。 本田泰人はその魂を継いだ(Sportiva)
◆「アントラーズの嫌われ役になる」 本田泰人はキャプテン就任で決めた(Sportiva)
◆ユースで裸の王様だった鈴木優磨が 「鼻をへし折られた宮崎キャンプ」(Sportiva)
◆鹿島・鈴木優磨のプロ意識。 いいプレーのため、私生活で幸運を集める(Sportiva)
◆岩政大樹の移籍先は「アントラーズと 対戦しないこと」を条件に考えた(Sportiva)



「A代表といっしょにトレーニングをしたり、ワールドカップの試合も見ました。すごく光栄なことだし、幸せな時間でした。今回の遠征を実現していただいたこと、そして招集してもらえたことに感謝しています」

 日本代表のベースキャンプ地、カザンで合宿を行なっているU-19代表の安部裕葵(ひろき)はそう振り返った。非公開で行なわれたA代表対U-19代表との紅白戦では、A代表側の一員として戦ったようだが、「非公開だったから」と詳細は語らず。それでも「周りの選手がやっぱりうまい先輩方なので僕の負担も少ないですし、やりやすくてびっくりした」と話してくれた。

 そして、初戦のコロンビア戦。続くセネガル戦を観戦。大迫勇也、柴崎岳、昌子源と、代表のセンターラインに立った鹿島アントラーズ勢の姿にも心打たれたようだ。

「先輩方が戦っている姿を見て、僕が今いる鹿島アントラーズというクラブの偉大さを感じました。僕もそのようにならなくちゃいけないと思います。僕が所属しているチームをすごく光栄に思えた。自分はそういう環境でプレーしているんだと、試合を見て改めて感じました。鹿島でプレーし続ければ、先輩のようになれるチャンスがある。道が見えやすい良い環境にいると思います」

 A代表は安部にとっての目標のひとつだが、先を見すぎず、自身の足元を見つめて日々を精進するという意識は揺るがない。秋にはU-20W杯予選を兼ねた、U-19 アジア選手権が控えている。

「どんなメンバーで戦うのか、僕が入るのかもわからない。だから、僕がやることというのは、チームでいい準備をし、代表に呼ばれたときに、いかに力になれるかだと思っている。自分のレベルアップのために、日々練習をしていきたい。そうすることで、日本のためにも鹿島アントラーズのためにもなると思う」

 7月中旬にリーグ戦が再開すると、ルヴァンカップ、ACL、そして天皇杯と数多くの試合をこなさなければならない。安部がチームで存在価値を示すチャンスも数多く用意されているということだ。

 緊張することも不安になることもなく、淡々としていると自己分析する安部。彼がカザンで感じたものをどう鹿島で表現できるのか? 

 そして、大迫勇也、柴崎岳。そして昌子源がいま、ワールドカップを戦っている。日本代表の中心を担う選手たちは、岩政大樹の側で、その可能性を磨いた選手たちだった。試合に出られない時間をいかに乗り切るかという上で、岩政大樹先輩の存在は大きかったに違いない。

 2000年に三冠獲得、2001年にはリーグ連覇を成し遂げ、2002年にはナビスコカップ(現ルヴァンカップ)も獲ったものの、その後、選手の海外移籍などもあり、タイトルから遠ざかることになった鹿島アントラーズは2005年に6シーズン監督を務めたトニーニョ・セレーゾが勇退した。

 2006年にはパウロ・アウトゥオリ監督が就任したものの、無冠に終わり、2007年オズワルド・オリベイラを監督に招聘する。しかし、開幕5試合勝利なしとスタートダッシュに失敗したこともあり、そのシーズンはチームの土台作りと考えざるを得なかった。リーグは浦和レッズとガンバ大阪が首位を争う展開。岩政がレギュラーを張る鹿島が目指したのは、ナビスコカップでのタイトル獲得だった。

――2007年シーズン、残り5節の段階で首位とは10ポイント開いていました。

「開幕5試合勝てなかったけれど、9節から9試合負けなしで、徐々にチームが出来上がっていくという手ごたえを感じられる、まずまずというシーズンでした。でも、正直まだ、好調なレッズやガンバを上回る力が備わっているとは思えなかった。だから、ナビスコカップを獲ることが僕らのメインターゲットだったんです。タイトルをひとつ獲り、自信を得て、次のシーズンのリーグを狙うというようなステップを描いていました」

――ナビスコカップの準決勝で、ガンバ大阪と対戦します。

「ファーストレグをアウェーで0-1と落としていたので、ホームでのセカンドレグは大事な一戦になりました。その試合は3-2と勝利しましたが、アウェーゴールの差で僕らの敗退が決まりました。ガンバに許した2点目は、コーナーキックからのシジクレイの得点だったんですが、僕がシジクレイのマークをしていたんです。

 僕はそのとき4年目で、前年から背番号3をつけていました。そんな選手が鹿島にタイトルをもたらせられないというのは、”致命傷”なんです。クビになっても仕方がない。にもかかわらず、マークした選手にゴールを決められて、トーナメントを敗退する……最悪の状態です。

 自宅へ帰り、嫁の前で泣きました。そのとき、腹の奥の部分で覚悟が決まった。タイトルを獲ると覚悟を決めてサッカー選手をやっているわけですけど、いつも抱いているモノとは違う覚悟ができました。今よりも1段も2段も上というか、本当に強く、何年かかろうともタイトルを獲れるまでやり切るぞと。その日まで、すべてを懸けるんだと思ったんです」

――ナビスコカップ敗退が決まったのが10月13日ですね。

「リーグ戦は9月22日から連勝がスタートし、9連勝しての逆転優勝を飾るわけですが、その真ん中に(ナビスコカップの)大きな敗戦があったんです。連勝し始めるとメディアは好調だと騒ぐし、対戦相手も鹿島を止めようと戦い方も変わってきます。そういう難しいなかでナビスコカップ敗退というワンクッションがあったのは、すごく大きかった。ナビスコカップ敗退の1週間後にあったジュビロ磐田戦で、僕はゴールを決めたんですよね。ちょうど兄に子どもが生まれるとか、いろんなことが変わっていく感じがありましたね」

――そこから5連勝して、直接対決で浦和を破り、迎えた最終節。見事に逆転優勝を成し遂げました。

「最終節も優勝を意識することはなかった。言ってみれば、僕らはダークホースで、ノンプレッシャーですから。だからこそ、勢いに乗れたという部分があったと思います」

――「勝利をもたらせない3番は必要ない」というような使命感は自然と身についたのでしょうか?

「やっぱりクラブのスタッフもそうですし、サポーターも僕らに求めるもののアベレージが高い。連敗も許さないし、3連勝しても当然というような環境がある。そういうチームを取り巻く環境は大きいですね。鹿島は”優勝以外はダメだ”という空気だから」

――その後、2008年、2009年と3連覇を成し遂げ、当時のチームが歴代でもっとも強いと話すOBもいますが……。

「でも、僕らは自分たちが強いとは思っていなかったんじゃないかな。僕はディフェンダーだから、いつも不安でした。連勝しているときも、次は負けるんじゃないかという気持ちとの戦いでしたね」

――2009年には代表にも復帰し、2010年にはワールドカップメンバーにも選出されました。

「僕は育成年代では代表とは無縁の選手でした。その世代はいろんな能力に秀でた選手が代表に選ばれると思うんです。だから僕には縁がなかった。でも、A代表はクラブで結果を残している選手が選ばれるグループです。そう考えると、僕が代表に入るためには鹿島が最適なクラブだったと思います。もし、他のクラブで頑張っても優勝させることができなければ、僕は代表に入る器じゃない。

 鹿島で重要だったのは、チームを勝たせられる選手かどうかです。鹿島は戦術やスタイルを重視する以上に”勝つ”ためのチームを作っているので、勝たせ続けられる選手であれば、起用し続けてくれる。日々の所属クラブでの活躍を代表まで繋げるという意味では、僕にとって鹿島が一番合っていた。鹿島じゃなければ、ここまでのキャリアは積めなかったと思います」





――チームを勝たせられる選手とは?

「どんなにうまくてもチームを勝たせられない選手もいますからね。勝つ、勝たない。それを分けるのは厳しさだと思います。勝ち続けるためには、全員が同じモチベーションでいることが大事です。

 でも、10数人の選手が常に同じだなんて、ありえない。少しはみ出そうな選手をどう巻き込んでいけるかが大事になってくる。そのためにはまず自分への厳しさが大前提としてあり、同時に周囲を巻き込める力のある選手でいることが重要だと思います。そうすることで、組織としての厳しさが生まれる。そういうチームが強いんです」

――はみ出しそうな選手を巻き込み、まとめるという意味で、どんな気遣いをしましたか?

「練習でミスが続く選手がいたとして、その選手をどうやってこちら側へ引き込むのかを考えるとき、手を差し伸べるだけではダメだし、肩を叩くように横へ並ぶとか、厳しく言うことだとか、いろいろあります。その選手の性格や状態、状況に合わせて、それを選ぶという感じですね、ひとつのやり方一辺倒ということはありません。だから、『お前も厳しくやれ』と叱咤するだけでは、組織としての厳しさは生まれないと思っています」

――そうやってチームをまとめること、90分間の試合だけにはとどまらない行動や振る舞いも含めて、チームを勝たせる選手には求められるということですね。

「勝つためには継続性が大事なんです。流れがよいときも悪いときも、同じ姿勢でやり続けるベースがなければダメだと思います。毎日、歯を磨くことと同じです。小さなことの積み重ねかもしれないけれど、ちゃんと怠らずにやる。当たり前のことを当たり前にやるという意識が乏しいチームは強いとは思えないんですよね」

――今、いろいろなフィールドでサッカーと関わってらっしゃいますが、現在、今の岩政さんにとって、鹿島アントラーズでの現役時代はどういう時間でしたか?

「うーーん、本当の意味の挑戦ができた場所でしょうね。僕はサッカー選手という仕事がずっと嫌いだったんです」

――えっ? そうなんですか?

「はい。この仕事に就いた後に、サッカー選手という仕事の苦しさを知ったんです。本当に苦しくて、20代でプロになって、これは絶対30歳までは続けられないなと感じました。パッとやめてしまおうって。ちょっと輝いて、すぐにやめよう。だから、一度輝くまでは続けるという覚悟を決めたんです。3連覇してすぐにやめようと思っていたのに、外(海外)でやりたいなとなり、その後もいろいろと声をかけていただいて、頑張りながら、今に至るわけですが、鹿島では本当にそういう苦しさと戦った10年間でしたね。

 鹿島というレベルの高い環境で、約9年間先発から一度も外されなかったというのは、誇りではあるけれど、毎週毎週、外されるんじゃないか、次は負けるんじゃないかと思いながらプレーしていました。僕の性格上、仕方のないことですが、ずっとそのプレッシャーと戦う毎日だったので。

 でも、やっぱりそういう苦しいことをやったから、気づいたことがたくさんあり、いろんなことを乗り越えたからこその確信が自分のなかに芽生えている。学んだことも数多くあります。それが、今の自分の仕事への説得力に繋がっているし、当然、自分の礎(いしずえ)にもなっている。

 鹿島での10年間が、これから生きていくうえで自分を支えてくれるものだと感じています。それくらい、あの10年間で僕は大きく変われたから。今、どんな仕事をしていても、鹿島で味わったような苦しい感覚がなくて、楽しさを感じられる。それは鹿島での10年間が僕を支えてくれているからだと思います」



リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で号泣。「あのとき覚悟が決まった」




◆「スポーツライター平野貴也の『千字一景』」第74回:プラチナ世代(ゲキサカ)






 サッカー日本代表が、ワールドカップで2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めた。2大会前――8年前の南アフリカ大会は、オシム監督の後を継いだ岡田武史監督の指揮で臨んだ。本田圭佑(当時CSKAモスクワ ※以下カッコ内は2010年の所属)らの活躍により、カメルーン、デンマークを撃破。オランダには敗れたが決勝トーナメントに進出。1回戦でパラグアイにPK戦で敗れたが、多くの人に希望を与えた。

 写真は、2010年のワールドカップ閉幕から約2か月後に行われた高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権のものだ。世代屈指のゲームメーカー柴崎岳(青森山田高=右)が中盤から前に持ち上がろうとするところに、圧倒的なスピードとパワーを誇る武藤嘉紀(FC東京U-18)が襲いかかった場面だ。

 彼ら1992年度生まれの世代は、柴崎や宇佐美貴史(G大阪ユース)ら早くから高い評価を得た選手が多く「プラチナ世代」と呼ばれ、10代の頃から大きな期待を受けていた。U-20ワールドユースで初めて準優勝し「黄金世代」と呼ばれた小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら1979年度世代を超える活躍を期待された呼び名だ。2009年に行われたU-17ワールドカップでは、ネイマールを擁するブラジルと互角に渡り合い(2-3で敗戦)、ポテンシャルの高さを示した。

 写真の2人も高く評価されていた。柴崎はU-17日本代表で10番を背負った司令塔。高校2年の段階で卒業後の鹿島加入が発表された。武藤は慶應義塾大に進むことになるが、クラブ内ではトップチーム昇格を打診されていた力の持ち主だった。今回のワールドカップには、昌子源(米子北高)、大島僚太(静岡学園高)、遠藤航(湘南ユース)を合わせ、同期6人がメンバー入りしている。

 2011年に宇佐美がバイエルン、宮市亮(中京大中京高)がアーセナルと欧州のビッグクラブに移籍して期待値が最高潮になったときの勢いを考えると、台頭してくるのに少し時間がかかった印象がないわけでもない。それでも、右肩上がりの急成長を期待される中、決して甘くない現実と戦い、互いに刺激し合いながら歩んで来た。勢いと経験のバランスが整う20代の後半に差し掛かった今、新たな歴史を切り拓こうとする日本代表の力になっている。

 2日に行われるワールドカップの決勝トーナメント1回戦で、日本はベルギーと対戦する。勝てば、史上初の8強入り。早くから世界の高みを意識し、切磋琢磨してきたプラチナ世代の8年の進歩が、快挙達成の一つの力となることを期待したい。

■執筆者紹介:
平野貴也
「1979年生まれ。東京都出身。専修大卒業後、スポーツナビで編集記者。当初は1か月のアルバイト契約だったが、最終的には社員となり計6年半居座った。2008年に独立し、フリーライターとして育成年代のサッカーを中心に取材。ゲキサカでは、2012年から全国自衛隊サッカーのレポートも始めた。「熱い試合」以外は興味なし」




【参考】
20100920_青森山田vsFC東京U18(西が丘・高円宮杯)
https://goo.gl/photos/UE18gpEYF2LxRyhY6


「スポーツライター平野貴也の『千字一景』」第74回:プラチナ世代


◆スペイン紙、ヘタフェが売却検討の柴崎岳について「W杯の活躍で興味呼び起こすはず」…ベティス監督が「好き」公言(GOAL)



柴崎岳 ロシアW杯

ロシア・ワールドカップで活躍を見せる日本代表MF柴崎岳だが、所属クラブのヘタフェにオファーが殺到する可能性がある。スペイン『マルカ』が報じた。

ヘタフェのホルヘ・ボルダラス監督は2018−19シーズン、2ボランチとしてはフィジカル的に不安が残る柴崎の起用法に頭を悩ませ、満足に出場機会を与えることができなかった。そのためクラブは今夏での放出を検討している。

そしてワールドカップが開幕し、柴崎はボランチとしての真価を発揮。『マルカ』はそうした活躍により、「いくつものクラブの興味を呼び起こすはず」との見解を示した。

実際、あるスペイン人監督が柴崎のプレーを称賛。声を上げたのは、今夏にMF乾貴士を引き入れるベティスのキケ・セティエン監督だ。同指揮官はスペイン『ラディオ・フトボルFM』とのインタビューで「日本人選手たちはかなり良いね。乾だけでなく、柴崎岳もとても好きだ」と語った。

もしかすると、来季にはベティスで乾と柴崎の共演が見られるかもしれない。




スペイン紙、ヘタフェが売却検討の柴崎岳について「W杯の活躍で興味呼び起こすはず」…ベティス監督が「好き」公言

◆燃える日本の司令塔!柴崎、ベルギーの336億円コンビとガチ勝負/W杯(サンスポ)



柴崎岳 ロシアW杯


 サッカー日本代表合宿(30日、カザン)日本はベースキャンプ地の当地で、ベルギーとの決勝トーナメント1回戦に向けて練習。タレント軍団とのガチンコ勝負に、MF柴崎岳(26)=ヘタフェ=が闘志を燃やした。今大会でブレークしたパサーが、さらにスターダムにのし上がる。

 「マッチアップする選手に負けないことは必要だと思います。中盤の支配権をできる限り手繰り寄せたい」

 これまで通りボランチに入れば、対峙(たいじ)するのはFW、E・アザール(27)=チェルシー=が濃厚。2015年にはプレミアリーグで年間最優秀選手にも輝いた、世界トップクラスのドリブラーだ。中盤の主導権争いはゲームメーカーのMFデブルイネ(27)=マンチェスターC=との戦い。「彼らと対等にやること、上回ることを目標に海外にも出ましたし、今までの自分を示す場所がこのベスト16なのかなと思います」。市場価値でも差は歴然で、E・アザールの約142億円、デブルイネの約194億円に対し、柴崎は約2億3000万円。ビッグネームを打ち負かすことで、さらに世界に名を売るつもりだ。

 「最高峰の舞台で得られる経験と自信で成長できている。あらためてW杯という舞台を戦えることに感謝している」

 ポーランド戦は先発6人を入れ替えたが、柴崎は3戦連続でスタメンに名を連ねた。西野監督の信頼は厚く、日本のパスサッカーに欠かせない存在となった。背番号7の縦パスが、日本の歴史を塗り替える。 (大石豊佳)

柴崎 岳(しばさき・がく)

 1992(平成4)年5月28日生まれ、26歳。青森・野辺地町出身。青森山田高2年時の2009年度全国高校選手権準優勝。11年に鹿島入り。同年4月の福岡戦でJ1初出場、12年10月のFC東京戦で同初得点。17年1月にスペイン2部テネリフェへ移籍し、7月に同1部のヘタフェへ移籍。14年9月のベネズエラ戦で国際Aマッチ初出場&初得点。スペインリーグ昨季22試合1得点。代表通算21試合3得点。1メートル75、62キロ。




燃える日本の司令塔!柴崎、ベルギーの336億円コンビとガチ勝負/W杯


◆柴崎岳は「戦えていることに感謝」W杯で成長実感(ニッカン)



柴崎岳 ロシアW杯


 サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の1次リーグを突破した日本が6月30日、ベースキャンプ地カザンで約1時間、練習した。非公開調整で、強豪ベルギーとの決勝トーナメント1回戦(2日・ロストフナドヌー)への準備を進めた。

 1次リーグ全3試合に先発し、文句なしのパフォーマンスで中盤の要へと成長を遂げたMF柴崎岳(26)が練習後に取材対応。「大会中に成長できている実感を得ている」と手ごたえを口にした。

 また「グループリーグ突破できたことは、日本の現在ある力を示せているのかなと思うところもある。こういう大きい舞台は、常に自分を成長させてくれる。戦えていることに感謝」と冷静に話した。

 日本はこの日のうちに、チャーター機でベルギー戦の開催都市ロストフナドヌーに向かう予定となっている。

 試合は2日午後9時(日本時間3日午前3時)から。勝ち上がれば8強。W杯で日本は過去2度の16強があるが、8強となれば、史上初。日本サッカー界の歴史が変わる。




柴崎岳は「戦えていることに感謝」W杯で成長実感


◆「日本が世界のトップになるため、日本の歴史の一部に…」W杯初挑戦の柴崎岳、その高き志(GOAL)



柴崎岳 ロシアW杯

日本MF柴崎岳は、初のワールドカップ(W杯)挑戦に大きなやりがいを感じている様子だ。

ロシアW杯で2大会ぶりの決勝トーナメント進出を果たした日本。その中心にいるのは、今回がW杯初挑戦となる柴崎である。リーガ・エスパニョーラのヘタフェに在籍する同選手は、日本のゲームメイクを担い、大きな存在感を発揮している。

30日の練習後に取材陣に対応した柴崎は、苦しみながら果たした決勝トーナメント進出、そしてW杯の難しさと挑戦のしがいについて、次のように語った。

「いろいろなことを感じながら。もちろんグループステージ突破を目標にしてきて、日本としてたぶんここ数試合というか、近年の中ではいいパフォーマンスを出しているにもかかわらず、やはり最後までこうやってもつれて突破が難しい状況まで陥ってしまったのは、やはりワールドカップのレベルの高さを示していると思いますし、同時にそれでもグループステージを突破できたことは日本の力、現在ある力を示せているのかなと思うところはありますね」

「個人としては、やっぱりこういう大きい舞台は常に自分を成長させてくれる場所だなと感じています。本当のトップトップの戦いで試合に出ることで得られる経験もそうですし、自信もそうですし、本当にワールドカップが始まる前より自分自身が大会中に成長できている実感を得ているので、改めてワールドカップという舞台で戦えることに感謝というか、いろいろな気持ちを感じているところですね」

自身がチームの柱のような存在になることは、予想していなかったようだ。

「始まる前は全くなかったですね。いつの間にかというか、僕のプレーヤーとしての部分を周りがどう捉えているか分からないですけど、自分自身は本当に必死にやって。一番はサッカー選手として成長したいという気持ち、あとは結果に貢献したいという気持ち。その二つを常に持ってやってきているので、そういった気持ちを持ってきたことが今につながっているのかなと思っています」

柴崎はまた、決勝トーナメント1回戦の相手、ベルギーについての見解も述べている。

「やっぱりベルギーは世界の中でもトップのチームですし、過去の実績とかは関係なく、現在の実力は本当に個性派の集団でもありますし、みんなが知っているような選手が何人もいるような国なので。個人的には試合ができることにすごくモチベーションを感じていますし、そうやって彼らと対等にやること、もしくは上回ることを目標に海外に出ましたし、今までの自分を示す場所なのかなと思っています」

ベルギー戦で良い結果を収めるためには、「マッチアップする選手に負けない」ことが前提であるとも語った。

「具体的にはマッチアップする選手に負けないことは必要だと思いますし、局面で対峙する選手は各ポジションでいるので。僕のポジションであればMFの選手で、中盤の支配権を日本側にできる限り手繰り寄せる作業、プレーをすることで、それが日本にとっていい流れを引き寄せることになるかと思います」

2012年のJリーグアウォードでヤングプレーヤー賞を受賞した際には「日本を代表する選手になっていかなければ世界とは戦えないと思います」とスピーチして、度肝を抜いた。柴崎の志は今も変わることなく、「世界のトップトップ」と渡り合うを見据えている。

「本当に満足した気持ちもないですし、そのスピーチ、発言自体は発している言葉は変わるかもしれないですけど、いま発している言葉も意味や気持ちは変わらずに持っているものはあるので、日本代表として世界のトップトップで成長を続けて、日本が世界のトップに入れる日が来るように、歴史の一部になれればいいかなと思っています」




「日本が世界のトップになるため、日本の歴史の一部に…」W杯初挑戦の柴崎岳、その高き志

◆自身の成長を感じるも、満足しない柴崎岳「GS突破は最低限のノルマ」(サッカーキング)



柴崎岳 ロシアW杯


 2018 FIFAワールドカップ ロシアを通じて日本代表の主力になった柴崎岳が、自身の成長を語っている。

「大会前には、今こうなっているってイメージは全くなかったです。サッカー選手として成長したいことと、結果に貢献したいってことの2つを常に持っていることが、今に繋がっているかなと思います」

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下では、レギュラーとしてプレーする以前に、ケガの影響もあり招集されることも決して多くなかった。しかし、西野朗監督が就任して以降は状況が激変。親善試合でチャンスを掴むと、本大会ではグループステージ全試合に先発出場を果たし、決勝トーナメント進出に貢献した。しかし、本人はまだまだ満足していない様子だ。

「僕の中でグループステージ突破っていうのは最低限のノルマでもありました。(ベスト16進出が)決まった時もあんまり喜びを感じることはなかったですし。むしろ、これからレベルの高い舞台に対してモチベーションが上がっているという段階です。新しい歴史の一部になれればいいかなって思います」

「自分のプレーが研ぎ澄まされているか」と問われると、少し悩んだ末に「その表現は的を射ていると思います」と、大会中に成長を感じられていると語った。

「自分の中での集中力と注意力は最大限になっているので、試合中の中で成長できているって感じるのはそこから来ているかな。W杯っていう世界最高峰の戦いでしか経験できないことだと思いますし、自分にとっていい刺激を感じているところですね」




自身の成長を感じるも、満足しない柴崎岳「GS突破は最低限のノルマ」




◆大迫「負けると思われてるけど…」ベルギー戦“期待”裏切る半端ない自信(スポニチ)



大迫勇也 ロシアW杯

W杯決勝トーナメント1回戦   日本―ベルギー ( 2018年7月2日    ロストフナドヌー )

 半端ない自虐?の裏に、半端ない自信がにじみ出ていた。取材エリアでは引き締まった表情で対応することが多い大迫が、笑みをたたえながら口を開いた。

「大会が始まる前からベスト8を目標にしていた。メディアの皆さん、日本の皆さんは1次リーグで敗退するとみていたけど、僕らチームの中で信じて取り組んだ結果、まずは1次リーグを突破できた。次も“負けるだろう”と思われているところが多いけど(笑い)。その中でやっぱり自分たちを信じることで道は開けると思うし、自分を信じて、皆を信じてやるだけ」

 日本代表に定着するきっかけとなったのがオランダ、ベルギーと対戦した13年11月の欧州遠征。欧州組を含めたベスト布陣で初先発したオランダ戦は1得点1アシストと期待に応えた。特に1―2の後半15分にはダイレクトパスによる絶妙なポストプレーで本田の同点弾をお膳立て。当時のザッケローニ監督もポストプレーのスキルにほれ込み、中2日で続いたベルギー戦に途中出場させるなど、1トップのファーストチョイスに上り詰めた。

 コロンビア戦で決勝ゴールを挙げ「サランスクの奇跡」の主人公になっても、「良い意味で全然満足できていない」と言い切る。視線の先は史上初の8強。日本サッカーの歴史を変えることだ。「何が起こるか分からないのがW杯。僕らはチャレンジして相手の隙をどんどん突いていくことができれば、勝つことはできると思うんで。本当に臨むだけですよ」。赤い悪魔が相手でも関係ない。半端ないゴールで、世界と日本の期待を裏切ってみせる。




大迫「負けると思われてるけど…」ベルギー戦“期待”裏切る半端ない自信


◆大迫8強へ「自分を、みんなを信じてやるだけ」(ニッカン)



大迫勇也 ロシアW杯


 “半端ない”日本代表FW大迫が、下馬評を覆す。ベルギー戦を2日後に控え「メディアや日本のみなさんは1次リーグ突破できないと思っていたけど、自分たちのやってきたことを信じた結果、突破できた。今回も負けるだろうと思われているけど、自分を、みんなを信じてやるだけ」と、目線を上げ、言葉に力を込めた。

 過去日本は決勝トーナメントで2敗、無得点だが、初戦のコロンビア戦で決勝点を挙げた大迫は「何が起こるか分からないのがW杯」と強敵から初ゴールを目指す。ベルギーとは大迫自身、13年と昨年に対戦し、無得点に終わっている。それでも、成長を遂げた今回は進化を示す時。「(16強は)いい意味で満足できていない。大会が始まる前から目標はベスト8。挑戦して隙をついていく。臨むだけですよ」。1分53秒間の短い決意に熱がこもった。




大迫8強へ「自分を、みんなを信じてやるだけ」


◆大迫がのぞかせた反骨心「自分たちを信じることで道は拓ける」(ゲキサカ)



大迫勇也 ロシアW杯


 薄氷のグループリーグ突破から中3日、日本代表が次に挑むのは、史上初となるベスト8入りを懸けたベルギーとの大一番だ。ベースキャンプ地のカザンでトレーニングを終えたFW大迫勇也(ブレーメン)が、反骨心たっぷりに意欲を語った。

「メディアのみなさん、日本のみなさんはグループリーグで敗退すると見ていたけど、チームの中で信じて取り組んだ結果でまずはグループリーグを突破できた。次も負けるだろうと思われているところは多いけど、自分たちを信じることで道は拓けると思う」

 先発6人がターンオーバーして戦ったポーランド戦ではベンチスタートだったが、先発したFW岡崎慎司が負傷したことで後半2分から急きょピッチに立った。「予想以上に出ましたね」というように、想定以上のプレータイムだったようだが、「コンディション的には良いですよ」と張りのある声を響かせる。

 2大会ぶり3度目の決勝トーナメント進出を果たしたが、コロンビアとの初戦で決勝点を挙げている大迫にも満足感はない。

「大会が始まる前からみんなでベスト8ということは目標にしていた。グループリーグを突破したけど、良い意味で全然満足できていない」

 ベルギーとは昨年11月14日の国際親善試合で対戦し、大迫は後半28分にFW杉本健勇と交代するまで1トップでプレー。縦に速いハリル戦術の中で最前線で体を張り続けたが、ゴールには至らず、「最後の精度の部分でちょっとした差が出た」と語っていた。今回も相手の顔触れに大きな変化はないものと見られるが、日本は西野ジャパンになってから大迫にボールが入るまでの道筋が以前とは変わっている。カウンター一辺倒で孤軍奮闘とならず、厚みのある攻めができればより得点に近づく。

「相手も違うし、W杯独自の雰囲気もある。何が起こるか分からないのがW杯。チャレンジして相手の隙をどんどん突いていくことができれば勝てると思う。自分を信じて、みんなを信じてやるだけです」。言葉に力強さがみなぎっていた。

(取材・文 矢内由美子)




大迫がのぞかせた反骨心「自分たちを信じることで道は拓ける」




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